こんなはずではなかった

香桐れん

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3 冷静になる

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 廊下の床を睨みつけ、何度もあからさまな溜め息をつきながら、昴は重い足を引きずるようにしてキッチンへ向かった。
 自分たち以外の人間が存在しない寮の中は、普段の喧騒が嘘のようにしんと静まり返っている。
 空気がすっかり冷え切っていて、暖房の効きすぎた部屋で火照っていた顔の皮膚が、みるみるうちに冷めていった。
 氷を取りに行くというのはほとんど口実だった。キッチンの冷蔵庫を無意味に開け閉めしてから、昴は水のペットボトルを一本手に取り、食堂の椅子に腰を下ろした。
 水を飲みながらぼんやりと窓の外を眺めた。
 物音ひとつ聞こえてこない静寂の中、耳の奥では天音と新藤が名を呼び合う声が――気のせいだろうけれど、なんとなく甘ったるく聞こえる声が――延々と響いている。
 ペットボトルが半分ほど空になった頃、背筋がぶるっと震えた。
「寒っ」
 あほらしい。何をやっているんだ。
 やっと冷静になれた自分が女々しい自分を叱咤する。昴はようやく椅子から立ち上がった。
 天音の部屋に戻ると、驚くことに天音はひとりでこたつに入っていた。
 ふたつのベッドいずれにも人間の気配はない。
「もうひとりは?」
「優馬? バイト行くからってシャワー浴びてる。会わなかった?」
 ラグビー中継は終わったらしく、テレビでは初詣の映像が流れている。
「氷取りに行ったんじゃなかったの?」
 こたつに入った昴に天音が尋ねた。昴は「飲みすぎたからもうやめとく」とテレビのリモコンに手を伸ばした。
 部屋に戻ってからここまでの間、昴は天音の顔をろくに見ることができなかった。
 何故ならば、ドアを開けた瞬間から、天音が自分を見つめたままいっときも視線を外していないことが、その目を見ずともわかったからだ。
「昴」
 名を呼ばれてしまった。昴はおずおずと天音の胸元辺りに視線を向けた。
「なんか怒ってる?」
「いいや」
 とっさに否定する。図星を突かれたことも悔しいが、それ以上に天音自身が昴の不機嫌の理由を自覚していない可能性に、理不尽だとわかっていながら苛立った。
「俺が優馬呼んじゃったからだろ。ごめん」
 なんだよ、わかってんじゃん。思わず口から溢れ出そうになった言葉をかろうじてせき止める。
 意味もなくテーブルの上を睨みつけていると、天音が頭を傾けて顔を覗き込んできた。
「昴」
 こたつの中で天音の手のひらが昴の太腿に触れ、そっと撫でる。
「……もう、したくない?」
 テレビの音にかき消されそうなほどの、かすかな声が甘く囁いた。
「俺は、したい。昴と」
 この三日間燻っていた感情が、単純なことに一瞬でかき消された。
 身体中の血流が滾り出すにはたったひと言、手のひらの熱、ただそれだけで充分だった。
 太腿に触れる天音の手を握り、逆の手で頭を引き寄せた。急激に接近した表情は、それでも驚く様子はなく、昴の唇を見て、それから熱っぽい瞳で視線を合わせた。
 唇を軽く触れ合わせ、鼻先をすり合わせ、それからどちらからともなく深く重ねた。
「んっ……」
 互いの鼻と唇の合間から熱い吐息が零れる。絡め合わせた熱い舌がぴちゃり、ぴちゃりと唾液の音を立てる。
 気がつけば狭い床の上に天音を押し倒していた。
 夢中になって天音の唇を貪りながら、すっかり臨戦態勢の股間を押しつけた。天音のものも完全に硬くなっているのが布越しにわかり、昴はますます高ぶった。
 天音のベルトに手をかけると、とっさに身体を押しやられた。
「優馬が、そろそろ戻るから」
 上体を起こした天音の顔は真っ赤に染まり、瞳が濡れて揺らめいて、唇はふたりの唾液で光っている。昴は目がくらみそうになりながら再び覆い被さった。
「昴!」
 普段にはない強い口調で制され、我に返った。
「……優馬が出かけたら、シャワー浴びてくるから」
 耳も首元も真っ赤になった天音が手の甲で唇を拭いながら上目遣いでそう呟き、昴は再び目がくらむのを感じた。
 
 
 
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