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第一部 一章、旅の始まり
19、黒騎士
しおりを挟む「……何事じゃ?」
慌てて椅子の上から立ち上がったローレンは、膨れてシワになっている壁紙の一部に手を掛け、それを勢いよくバリバリと捲る。
裏側に刻まれていた文字は転移の符号。つまり、座標と呼ばれているものだった。
緊急時の連絡手段として残しておいたそれが、今ローレンの目の前でエメラルド色の鈍い輝きを放ちながら作動している。
それを見たローレンは、近くに立てかけられていた自身の魔装具の杖を手に取った。
小走りで玄関口にまで向かい、扉を開けて建物の外へと出る。
……嫌な予感がした。まさかこのタイミングで、あちらから誰かが送られてくるとは。
――出来すぎている。ローレンは杖の先端を頭上にかかげ、広範囲を索敵できる探知の魔法を発動させた。
森の入り口とは反対方向。ここから一キロほど離れた場所に何かがいる。
その正体が何であれ、この目で確かめる必要がある。ローレンはその方向に向かって歩みを進めた。薄暗い周囲の光景が、今はひどく不気味なものに感じられる。
足取りが……体が重く、そして息苦しい。心臓の鼓動が早くなる。先の見えない暗闇の中に、自らの足を踏み出していく感覚。
一瞬、エドワーズのことが頭の中をよぎった。
――あの子がここに来てくれるのを待つべきか否か?すぐにその考えを振り払う。
待ってはいられない。ローレンにとって、エドワーズはリーゼと同様家族であり、大切な存在だ。それをあえて目の前の危険に近づけるような行為は、愚か者がすることだろう。
先ほどよりも恐怖心が薄らいだ。――ワシは誰だ?
帝王級魔術師、『白の大賢者』、ローレン・グレフォードだろう!
己を鼓舞し、万全の警戒態勢で目的地に向かって突き進む。
最悪の事態に備えるための保険として、最も扱い慣れた魔法を選び、使用した。続けてもう一度、探知の魔法を発動させる。
……移動はしていない。あちら側も、ローレンの存在に気づいている筈だ。恐らくは待ち構えているのだろう。ローレンはいつでも攻撃の魔法を放てるように杖を構え、姿を現す。
――そこにいたのは人外の者だった。
全身を隙間なく覆う黒色の鎧。
兜の合間から覗き見える死神の赤い目。三メートル近くはある巨大な体格。
『魔族』。一目見ただけでそれだと分かる。地獄からやって来た悪魔のような姿。しかも……どうやら普通の魔族ではないらしい。
その体から滲み出る殺意と、血のようにドロリとした魔力の濃さが、目の前にいる異形の者の強さを物語っている。
(まさか……此奴、『上位魔族』かッ!!)
ローレンも実際に目にするのは初めてだった。魔族の中でも特に上位に位置する存在。遠く離れた北の領域からたった一人、この場所に送り込まれた。人族を「劣等種」と蔑む魔族が。
その目的は、わかりすぎるほど明らかで……、
《ローレン……グレフォード・オストレリア……!!》
とうの昔に捨てたはずの元王族である自分の家名を、黒騎士は当然のように知っていた。
近くにある空間が歪み、割れ、内側から漆黒の刀身をした魔剣が引き抜かれる。
(こりゃあ、イカンッ!!)
迎撃用の魔法は間に合わなかった。
気づいた時には、黒騎士の姿が目前にまで迫ってきており、ローレンの体は無情の刃によっていとも簡単に貫かれてしまう。
《………》
黒騎士は何の感情もなく、手元にいる串刺しにした老人のことを見下ろした。その全身が氷の像となり、音を立てて砕け散る。
真下にある地面から透明色のツタが生え、黒騎士の下半身に纏わり付いた。更に頭上から巨大な氷塊が落ちてくる。黒騎士は、それを己の魔剣を使い受け止めようとした。しかし、
「そいつは囮じゃよ」
がら空きとなった黒騎士の胴体に向かって、側面から決定打となり得る強烈な一撃が撃ち込まれる。
【氷の大貫投槍】。戦場級魔法の中でも、特に貫通力に特化させた複合魔法。様子見は一切しなかった。
ローレンの身代わりとなった保険の魔法は、最初の陽動作戦としてうまく機能したらしい。
油断なく、隠れ潜んだ場所から様子を伺う。
(……なんと。あの魔法の直撃を受けても、傷ひとつ付かんとは……!!)
見たところ、黒騎士にダメージが入っている素振りはない。こちらの予想を遥かに超えた強度の『魔力防御』。
確実に倒せる算段は……思い浮かばなかった。しかし、こちらにはまだ最後の奥の手が残されている。
ローレンは、自らの姿を真似た氷の分身をいくつも作り出し、黒騎士の足止めに向かわせた。
黒騎士はその場に堂々と立ったまま、分身が次々に繰り出す攻撃を大した抵抗もなく受け続けている。
《――人族の老魔術師よ》
ローレンはハッとする。黒騎士がこちらに話し掛けてきた。
時間を稼ぐために、会話をすることはローレンの方も望んでいる。居場所が悟られないように反響の魔法を使い、その呼び掛けにすぐ応じた。
「目的も告げずに、いきなり攻撃してくるとはのう?」
《……我が会話をするのは、自らが認めた真の実力を持つ強者のみ》
ローレンは冷静に状況を分析する。黒騎士の声の質、何かがおかしい。鎧の下には何があるのか。
恐らく、生物としての形を持った肉体ではないのだろう。
《我が名は魔将ボレアス。主の望みを叶えるために、大人しく『ハーマイルの球体』の在処を言え》
「……そいつは無理な相談じゃな。それともあれか?それを正直に教えてやれば、ワシのことをこの場から見逃してくれるとでも?」
《一瞬で、痛みを感じる間もなく楽に殺してやる》
結局そうなるのか。ローレンは「どうしたものか」と、頭を悩ませる。
「なら冥土の土産に、お前さんの主とやらの名前を教えてくれんかね?」
《………》
「返答はなしか。では質問を変えよう。
――お前さん、ワシのことを少し甘く見すぎておるじゃろう?」
黒騎士の赤目が好戦的に爛々と輝く。
その手の魔剣に闇のオーラが纏わりつき、ローレンの隠れている方向目掛けて振り払われた。魔力の斬撃によって、途端に真っ二つとなる太い木の幹。
――やはり、こちらの居場所を探知されていたのか。黒騎士が意味もなく話し掛けてきた訳ではないと分かっていた。
飛び出した先で、ローレンは無数の氷の分身を作成する。全部で十三体。それが一斉に杖を構えて、魔法による制圧射撃を開始した。
――ズドドドドドドドド!!
氷塊の雨の中を、黒騎士はまったく怯むことなく一直線に向かって突撃してくる。ローレンとの距離を詰めようとして。しかし、その動きは途中で止まった。
あまりにも強い冬嵐の風力が、黒騎士の進行を押し戻し始めたためだ。
上級魔法、【凍てつく領域】。ローレンは更なる量の魔力を杖に込め、奥の手を発動させるための準備に取りかかった。
《――オオオオオオオオオオオッ!!》
辺りの空気が震え、獣のような黒騎士の叫び声が森の中を木霊する。
剣を持ってない左腕を突き出し、その先端から黒い魔力の奔流が正面方向に向かって解き放たれた。
《――【迸る闇の閃撃】!!
ローレンの手前にいた六体の分身が同時に杖を重ねる。展開された魔法障壁がミシミシと音を立てながら軋みをあげた。衝撃と共に、真っ黒に染まる目の前の視界。
――このままでは突き破られてしまう!そう判断したローレンは、攻撃に回していた残りの分身を防御の強化に集中させた。
黒騎士は闇魔法による攻撃の手を止めると、一気に弱まった冬嵐の中を高速で駆け抜けてくる。
接近を許してしまったローレンの魔法障壁が厚みを増した。その上から振り下ろされる、黒騎士の素早く重たい一撃。
目を瞑りたくなるような光景だった。常人であれば、恐怖で逃げ出してしまってもおかしくはない。しかし、ローレンは決して臆することなく、しっかりと目を見開いたままそれに立ち向かった。
黒騎士の魔剣の刃先が、ひび割れた障壁の一部に食い込む。そこから薙ぎ払われた剣先が、ローレンの握っていた魔装具の杖を指ごと切断した。
「グウゥゥゥゥッ……!!」
あまりの激痛に、ローレンの口から苦痛の声が漏れる。が、ローレンは魔力の流れを止めることなく術式を展開し、決死の覚悟で最後の魔法を発動させた。
――パキッ!!ギギギギギギギギィ……!!
黒騎士の全身が瞬時に凍りつく。それでも、ほんの僅かに動いた黒騎士の右手。鎧の隙間から、ガラスを擦るような甲高い音が周囲に響き渡る。
頭上から振り下ろされた魔剣が、ローレンの目と鼻の先で完全に動きを止めた。赤い目の色が光を失い、黒騎士の体はその場で物言わぬ氷像と化す。
(な……なんとか間に合ったわい……!!)
間一髪だった。ローレンが使用したのは帝王級魔法、【永久の凍結】。黒騎士の『魔力防御』がいかに優れていたとしても、全てを凍りつかせてしまうこの切り札の前では意味をなさない。
戦闘時、動く対象に当てるのは至難の技だが、ローレンは敢えてその場で待ち受けることで不可能を可能にしたのだ。その代償は自身の魔装具の杖と、利き手の指が5本のみ。
「はあ……はあ……!」
重症ではあるが、なんとか自力でこの窮地を切り抜けることができた。
赤い血が垂れる、掌の切断面が痛々しい。「早く止血をせねば」と、ローレンが自らの傷口に千切った布の端を当てた、その瞬間。
「――馬鹿な」
黒騎士を封じ込めていた分厚い氷の膜が全て剥がれ落ちていく。
ギラリと光る魔剣の刀身。そこから魔力の流れを察知したローレンは、自らが致命的なミスを犯してしまったことに気がついた。
拘束を解いた黒騎士の片腕が、目の前で立ち尽くしているローレンに対して襲い掛かる。ローレンは咄嗟に防御のための魔法を展開した。しかし、そんなものは紙切れ同然のように打ち破られて――。
*****
「もう!エドワーズ。私の話、ちゃんと聞いてる?」
「え?あっ……あぁリーゼ!――悪い、悪い。なんだっけ?」
ベシュリンの街を出た俺とリーゼの二人は、いつも通り並んで一緒に家へ帰るための帰路についていた。
昨日の夜の送別会を終えてから。ローレンは自分だけ「先に戻っている」と告げて、早朝の俺たちが寝ている時間に街から出ていってしまったそうなのだ。ラッセルが「一人にしておいてやれ」と言っていたので、気にする必要はない。
長年暮らしてきたこの場所を離れるのは、ローレンにとっても辛い事だろう。俺だって寂しいし、それは隣を歩いているリーゼもきっと同じ気持ちの筈だ。
「おじいちゃんの様子がおかしいって話。それとエドワーズも。
二人とも揃って、今みたいにボケボケし過ぎ」
「……ボケボケ?」
「何だかボーっとしてるって意味。わからないの?」
そんなことを突然言われても。いやまぁ、確かに心当たりはあるんだけどね。
「なぁリーゼ?ボケにも色々な種類があるのだよ」
「そうなの?――たとえば何?」
「ネタボケ、キレボケ、オトボケ、エロボケ、自虐ボケ」
「いっばいあって訳がわからない……」
「仕方ない。なら今から俺が、その内の一つであるキレボケのお手本を見せてやろう。
――ちょっとお!リーゼのそのお尻、実にけしからん形をしているじゃないか。どうなってんの!?」
「それ、もう只のヘンタイと同じでしょ?……フフッ!」
クスリと微笑むリーゼ。昔よりも柔らかな表情をするようになった。そんな姿が可愛くて愛おしい。……お尻の方は、相変わらずけしからん形をしているが。
「昨日の夜、ステラが言ってたよ?――エドワーズは欲求不満で、そこら中にいる女の子相手に年中発情してるって」
「そりゃ間違いだリーゼ。俺にだって、好みの子のタイプくらいありますよ」
「ふーん……。だったら私のことはどう思ってるの?」
「えっ?」
リーゼが真顔で聞いてくるものだから、俺は暫しの間、呆気にとられてしまっていた。
「そ……そりゃあ~リーゼはとーっても可愛いし?凄く魅力的な女の子であると思いますよ?俺は。――ハイ」
「そう思っているのなら、私は手を出してくれても全然構わないのに」
「ウッ!」
「肝心なところで、いつも逃げ腰になっちゃうし……」
「ウウッ!?」
「エドワーズは意気地無し?」
「ウワァー!!そ、それ以上は勘弁してくれ!
――俺の男としてのプライドがズタズタになっちゃうよ!?」
リーゼにからかわれているのは分かっていた。彼女はいつもこうやって純情な男心を弄ぶ。手も足も言葉も出ない。もしも俺が本気になって押し倒そうとしたら。その時のリーゼはどのような反応をするのだろうか?
(まぁ大方、平手打ちか魔法のどっちかが飛んでくるだけ――!!)
「……?これって……?」
視界の先に見える森の入り口。その奥の四、五百メートル離れた地点から、大きな魔力の流れを感知したのだ。
『魔力防御』を鍛え上げている俺たちだからこそ理解できる。これは……これほどの規模は、単なる魔法を発動させるために必要なプロセスなんかじゃなく、
(まさか?……戦闘が?)
つまり、誰かが戦っているのだ。そしてその人物に関する心当たりは、当然一人しかいないわけで……、
「――おじいちゃんっ!!」
「……っ!!待てリーゼッ!!」
リーゼが駆け出した。全力の、本気の加速。みるみる離されていく俺とリーゼ、二人の距離。
……完全に出遅れてしまった。慌ててそのあとを追いかける。近づけば近づくほど、何か取り返しのつかない事態が起きてしまったのではないか?などと考えてしまう。ようやく追いつくことができたリーゼの背中。見慣れた家の扉の前には、ぐったりとした様子のローレンが地面の上に倒れ伏していた。
「お、おじいちゃん……?」
リーゼの肩がフルフルと震える。近づいてみると、その額にはびっしょりと大量の汗をかいていた。慌ててその体を抱き起こそうとした……リーゼの手の先が真っ赤に濡れる。
「……何……これ?」
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