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2章、暗がり山の洞窟

10、暗がり山の洞窟⑤

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 このままいけば逃げ切れるかもしれない。蝋燭ろうそくクラゲの発するオレンジ色の灯りがそこら中に浮いていた。
 肌に触れる冷たい温度。何処からか、風の流れる音が耳に入る。
 

 ポケットを出た先で反対側へ振り向くと、紫色の鱗粉の中で羽ばたく巨大な魔物の姿を目にした。
 まさかの毒攻めとは。擬態化の能力に関しても甘くみていた。魔力溜まりのせいで、対象のいる位置を正確に捕捉できない。
 洞窟の出口に近づくことが出来れば、勝機を見いだすための可能性がまだ残されている。今の俺たちは、とにかく先を急ぐしかないのだ。



 「エドワーズ!正面から魔物が一体、こっちに向かってきてる!!」

 

 その事にいち早く気づいたリーゼが声を上げた。
 三メートル程の大きさをした蜘蛛の魔物。自重を支えている脚の全てが刃渡りの長い剣のようだ。動く度に、金属同士を擦り合わせる音が響いてくる。
 


 「剣蜘蛛ソードスパイダー……!チクショウ!よりにもよって、こんな急いでいる時に。――やるしかねえ!!」

 「強敵よ!確かあの脚には獲物を麻痺させるための強い毒があった筈。後ろからきている煙の方も相当ヤバそうだけど。
 少しでも身体にかすったら、その場で動けなくなっちゃうわ!!」



 ライドが短剣を、マリアナはメリケンサックを付けた拳を構える。盾役であるバルガスの体格は、仲間内で最も小さかった。後ろから必死の形相で追いついてくるが、数秒の僅かな差で間に合わないだろう。
 剣蜘蛛ソードスパイダーが無数の長い脚を振り回す。相手は魔物なので剣筋もなにもないのだが、とにかく手数が多くて隙がない。周囲の岩を細切れにしながら、真っ直ぐ突っ込んでくる。
 


 「リーゼッ!!」

 「わかってる!」



 対応を迫られ、すぐに動けないでいたライドとマリアナ、二人の間を高速で駆け抜けた。前を行くリーゼの片手には氷の鎌が握られている。
 得物を振り切った瞬間に凍りつく魔物の脚。半分以上が機能不全となり、動きが止まる。
 リーゼが飛び退くと同時に、俺の放った複合魔法岩の魔矢が、剣蜘蛛ソードスパイダーの固い胴体を頭から一直線に貫いた。絶命し、ドサリと地の上に倒れる魔物の体。発見してから五秒ほどの間に起きた出来事である。



 「しゅ、しゅ――ッ!?」

 「……?エドワーズ。おっさんの様子が、なんか変」

 「瞬殺じゃねえか!坊主もリーゼも、お前ら絶対に普通じゃねえぞ!!」

 「ハアハア……!!ようやく追いついたと思ったら、もう片付けちまったのか?
 ――最近は腹回りが少し出てきたせいか、全速力で走り続けると疲れるぜ」
 
 「呑気なこと言ってる場合かよ!!――おっさん、洞窟の出口は、ここからもうすぐなんだろう?」

 「おっ……おう!ハァー……ったく!お前らのことでいちいち驚いているのが、だんだんバカらしくなってきたぜ……」
 
 

 「ねぇ?ちょっと、みんな……」――マリアナが、どこか一点を指差しながら呼び掛けてくる。蝋燭クラゲが浮いている地点よりも更に上。そこには切り立った岩壁以外、何かがあるようには思えなかった。
 


 「今ね~、あそこにある壁の一部が、ちょっとだけ動いたように見えたのよ」

 「どうでもいいよっ!そんなことより、早くここから逃げ出さないとヤバいから!!」

 「待って?エドワーズ。天井の方から、何か落ちてくるみたい……」
 


 リーゼの言った通り、俺たちの頭上から黒いボールのような形をしたものが落ちてくる。
 丸めた背中、もがくように動かしている無数の脚、鋭く長い二本の牙。こいつは確か――、



 「鉄鉱スカラベ?」
 
 

 何てことはない。只の雑魚魔物だ。今はそれよりも、後ろから迫ってきている毒の鱗粉の方が遥かにヤバい。
 続けてもう一匹、同じようにして鉄鉱スカラベが落ちてくる。真っ暗闇の中で壁全体がうごめいた。一面どころではない。視界に入る全ての範囲だ。何千、何万……とても数え切れない!



 (おい……オイオイオイオイオイッ!!嘘だろう?)



 それらが雪崩のように降ってくる光景を目にした瞬間、リーゼが素早く反応し、防御のための魔法術式を展開した。



 「【凍てつく領域アイスフィールド】ッ!!」



 吹雪の風圧で、魔物たちの落下速度が僅かに軽減されていく。
 「早くッ……行って!!」――リーゼの発した声に余裕はなかった。再度突き動かされるようにして、全員がその場から走りだし始める。
 ガサガサと壁の上を這ってくる無数の音。立ち止まったら最後、たちまち全身に群がられ、食い尽くされてしまうだろう。



 「まったく冗談じゃねえぞ!なんて数いやがるんだっ!!」

 「次から次へと……ハアハア!少しは休憩させてくれ!」

 「みんな気をつけて!そこら中に貼り付いていたみたい。
 ――どんどん上から降ってくるわよ!!」



 降り注ぐ鉄鉱スカラベの雨をライドは躱し、バルガスは盾で受け止め、マリアナは拳で弾く。隙間の穴は、俺の魔法で一匹ずつ狙い撃ちながらカバーした。
 リーゼは、前を走る仲間たちのことをごぼう抜きにしながら駆けていく。洞窟内の幅が広いため、ハイウルフの大群に追われた時と同じ手は使えない。自ら先頭に立ち、俺たちが進むための道を切り開いていく。


 
 「……!本当に、いくら倒してもキリがない。
 ――エドワーズ、手を貸して!あれ・・をやる」

 

 リーゼが立ち止まり、氷の鎌を地面に突き刺す。意図を理解した俺は、彼女のすぐ傍まで一気に近づき、差し出された色白い肌の手を握り返した。
 刃の先に魔力が込もる。俺の風魔法とリーゼの魔法、その二つを複合して完成させた力を周囲に向けて解き放った。
 


 「「――【氷斬拡連撃】ッ!!」」



 四方八方に氷の斬撃が飛んでいく。ライドたちを巻き込まないように魔法をコントロールするのが俺の役割だ。
 魔物を切り裂き、そこから新たな斬撃が生まれて広範囲に拡散していく。持続性の長い魔法のため、足止めくらいにはなるだろう。



 「よしっ!これで少しの間は時間を稼げる。今のうちに出口の方へ……一体どうしたんだ?」

 「エドワーズ……!」
 


 俺たちの目の前には底の見えない深い谷がある。
 しかし、どこを探してもその先に進むための道が無かった。



 「……バカな。確かにあったんだよ。この場所に、洞窟の出口まで続いている細い道がな!!」

 「まさか崩れちまったのか?だったらこいつはマジで……どうしようもないぜ」

 「確かにこれはお手上げね。向こう側までは三百メートル以上離れているもの。ちょっとやそっとで、何とかなる距離じゃないわ」

 

 下を覗いてみる。死が口を広げて待ち構えているかのようだ。
 背後からは魔物の大群、そして悪魔の死蛾モスターナの毒の鱗粉が迫ってきている。もう時間がない。俺は、リーゼの方を見ながら問い掛けた。



 「どうだ、リーゼ。いけそうか?」
 
 「……分からない。三百メートルは、結構ギリギリかも」

 「二人とも何の話をしている?
 なぁ、エドワーズ。お前が持っているあの頑丈で長いロープ。あれを使えば、谷底に届く可能性が少しだけでも――」



 ライドたちの見ている前で、何もない空中に氷の足場が出来上がる。それはどんどん伸びていき、十数秒ほどで百メートル近くの長さになった。



 「マジかよ……歩いて大丈夫なのか?これは?」

 「見た目より凄く頑丈に作ってあるから。このまま私が橋を作り続ける。――みんな付いてきて!!」

 「まさか氷の上を走る羽目になるとは。滑らないように気をつけていかないとなぁ……」

 「心配だわ……。いくら頑丈に作ってあるとは言っても、ここにいる全員の体重でポッキリ折れちゃったりしないのかしら?」
 


 他に道はない。リーゼはとっくに先の方へ行っている。他の仲間たちも慌ててそのあとに続いていった。
 下から吹いてくる風の音が恐ろしい。落ちたら終わりだ。まったく生きた心地がしない。リーゼの魔力が尽きるのが先か、俺たちが洞窟の出口へと辿り着くのが先か。こうなっては運に天を任せるのみだ。



 ――ガガ!ギギギギギギギィィ。



 「おいっ!なんか急に橋が傾き始めたぞ!!」

 「……ッ!?マズいぞ、みんな。後ろを見てみろ!
 ――あのスカラベども、毒を喰らった程度じゃ死ななかったみたいだな」



 背後にある氷の上が真っ黒に染まっていた。鉄鉱スカラベの大群が取り付いたせいである。重さで氷の橋全体が軋みをあげ、マリアナの言っていた通りポッキリと折れてしまいそうな予感がした。



 (やるしかない!今、ここで【黄金バルメル】を――)

 
 
 俺が【虹の魔法奥の手】を使おうとしたその瞬間、暗闇の向こう側から耳をつんざくような怪物の声が響いてくる。



 《ギエエエエエエエエエエエ!!》

 (クソッ!追ってきやがった!!)



 こっちの方に近づいてくる。何処にも逃げ場はない。身を隠す場所も。蝋燭クラゲの灯りだけでは、まともに奴の姿を視認できなかった。
 魔物の体が風を切る音。全神経を集中させる。真下、右側を通り過ぎ、今度は斜め上の方向から――、



 「――クッ!?」
 
 

 ――キィィィィンッ!!



 上空から襲い掛かってきた悪魔の死蛾モスターナの嘴を、手元に装備した『反射の籠手リフレクター』で何とか弾き返す。しかし最初の一回きりだ。魔導具の再使用には整備をするための時間がいる。



 「バルガス!盾を貸して!」

 「どうした?エドワーズ。何か手があるのか?」



 今の一連の出来事を目にしても、思いのほかバルガスは冷静だった。



 「あの攻撃が直撃したら橋が崩れる。どうにかして受け止めないと……」

 「なら俺に任せておけ!なーに、俺の呼び名は『鉄壁のバルガス』だ。ライドとマリアナもいる。
 俺たち『おまるの集い』の見せ場だぜ!!」

 「防御陣形でいくぞ。マリアナ、バルガス、いつものやつだ。
 ――エドワーズ、俺たちはどのくらい時間を稼げばいい?」

 「……魔力溜まりを抜けることができたら、俺が一撃で奴を倒す」

 「ならそれでいくぞ。奴が襲ってくる方向を指示してくれ。
 俺たちの目と感覚じゃ追えないからな」
 
 「っしゃあ!!張り切っていくわよ~」



 マリアナが、自身の逞しい両腕でバルガスの体を抱える。その状態で勢いよく走り出した。離れた位置を飛んでいた悪魔の死蛾モスターナの動きが加速する。旋回して今度は真横、右側からだ。



 「右からくるッ!!」



 ――ガキンッ!!



 踏ん張ったマリアナの足先が数センチ後ろへ下がる。あの威力の攻撃を耐えきったのだ。ライドが短剣を抜いている。二本ある内の一本が手元から消えていた。



 「見てみろ。今の一瞬で奴の身体に突き刺したのさ。あの短剣の柄の部分は光石ひかりいしという素材作られている。周辺の魔力を吸って輝く、特別な鉱石さ」



 目を凝らしてみると僅かに見える。豆粒のような白い光が。
 今の時点で二百メートル以上は橋を進んでいる。残りは半分もない。先ほどとは反対方向からの強襲を防ぎきる。
 悪魔の死蛾モスターナの動きが目の前の空中でピタリと止まった。そして連続で襲い来る巨大な嘴。バルガス、マリアナの二人は苦悶の表情を浮かべている。俺が手を構えると、すぐに攻撃を止めて離れていった。ヒットアンドアウェイ。魔物のくせに厄介な戦法を取ってくる。



 (こうも警戒されてちゃ、【極彩セレヴィアの魔剣】は使えない)



 近接魔法で仕留めるのは難しい。走って、走ってとにかく距離を稼ぐ。
 不安定な足場が更に真下へ傾いた。もう、いつ崩れてもおかしくない。悪魔の死蛾モスターナからの猛攻を何度も耐え、ようやくリーゼの元へと追いついた。



 「エドワーズ、あれ見て!洞窟の出口が瓦礫で完全に塞がれちゃってる」

 「なっ!?マジかよ……」
 

 ピシリッと嫌な音がした。氷の橋の至るところにヒビが入っている。走ってきた方向から崩れ出し始めた。
 タッチの差で辿り着くことができた洞窟の出口。しかし、その通路は崩落した分厚い岩の山で塞がれてしまっている。



 「すぐ近くに出口があるっていうのに、クッソ!ここまで来て手詰まりかよ!!」

 「あの瓦礫をどかす体力は残ってないぜ……」

 「あたしもよ。両腕の力がもう限界……」



 リーゼも「無理」といった様子で左右に首を振る。
 どうやら自身の保有する体内魔力が尽きてしまったらしい。



 「いや、十分だ。ここからは俺がやる。みんな後ろの方に下がっていてくれ」

 「この厚さの瓦礫だぞ?お前がいくら凄くても、こいつは流石に……ッ!!マズい!奴が後ろの方からまた来たぞ!!」



 俺は腕を突き出した。人差し指と中指の二本を合わせて真っ直ぐ立てる。
 『永久貯蔵魔石チャージャー』の魔力を取り出し、猛スピードで飛来してくる悪魔の死蛾モスターナの直線上に狙いを定めた。



 ――【虹の魔法】、第二節。
 


 手元に発生させた光球が弾丸のようなサイズになる。みるみる小さくなり、今にも爆発しそうな魔力を内包して。
 悪魔の死蛾モスターナの軌道が突然、直角の方向に折れ曲がる。
 しかし無駄だ。この場所は魔力溜まりの範囲から抜けている。探知の魔法を使える以上、居場所を特定することは簡単だった。
 そう距離を離せないうちに、俺の指先から【虹の魔法最後の奥の手】が眩い光線となって放たれる。



 「【光輝アドマイオの裁き】!!」



 雷撃のような軌跡が空を裂く。その速度は、魔物の動きを遥かに凌駕するものだった。
 逃げ切れないと悟ったのか、悪魔の死蛾モスターナがグルリと体を反転させて、俺の魔法を真正面から迎え撃つ。



 《ギエエエエエエエエエッ!!――ゲガッ!?ガガガガガ!!》



 赤い嘴に亀裂が走る。『魔力防御』を貫通し、魔物の頭部を一瞬で跡形もなく破壊した。巨大な屍が奈落の底へと力なく落ちていく。
 光線はその場で消失することなく洞窟の中を駆け回り、俺たちの進路を塞いでいた瓦礫の山を目指して飛んでいった。



 「――【流星雨】」



 十数個に分裂した魔法の矢が散弾のように降り注ぐ。悪魔の死蛾モスターナを倒すために使った魔力の残りカス。それでも一つ一つに爆薬並みの威力があった。
 


 「見ろ……外だ。外だぞ!出口が見えた!!」

 「信じられねえ。……俺は今、奇跡の瞬間を目にしたぞ」

 「本当だわ……鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 ――早く!早く外に出ましょ!!」



 空いた穴から光が射す。無事に全員が氷の橋を渡りきり、ダンジョンの外へと出ることができた。
 力を使い果たした俺は、地面の上に寝転がる。リーゼが何か言っていた。興奮した様子で奥の方の壁を指差している。粉塵が舞っているせいでハッキリと見えない。なになに?一体何を見つけたっていうんだい?



 「エドワーズ、見て!今すぐこれ見て!!」



 強制的に身体を引っ張られ、起こされる。只事ではないらしい。
 連れていかれた先の壁には文字が刻まれていた。そこにはこう書いてある。



 ――我、『暗がり山の洞窟』を突破せり者。
 オストレリア王国騎士見習い、フレア・シーフライト。
 


 「ハ……ハハハッ……!!」



 隣に立つリーゼも声を出して笑っていた。久々に心から。
 屈託のない笑顔を浮かべて、俺たちはいつまでもお互いに笑い続けていたのだった。


 




 
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