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4章、レストランジの森での戦い

1、予兆

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 西側の草原を抜けた先にある『メイル街道』。
 旅人や商人を乗せた馬車が辺りを数台走っている。『聖木』の加護で護られた安全な道。本来、この場所へ来るためには、かなりの遠回りをする必要がある。


 北側の森を大きく迂回するようにして伸びる道。ここを進めば、ニディスの王都まで一直線だ。が、今回俺たちの目指している場所はそこではない。
 途中、俺たちは進む方向を脇へ向かって逸れていく。北東に広がる巨大な沼地。そこを挟んで反対側にあるのが、ニディスの隣国だ。



 ――『ニディスの呪われた沼地黄泉への入口』。



 誰が付けたにせよ、名前だけでろくでもない場所だと分かる。
 年間で何人もの行方不明者が出ているらしい。『水上都市』の冒険者ギルドで得られた情報はそれだけだ。
 


 「危険な所?いいわね、それ。とっても面白そうじゃない!!」



 ティアは、目をキラキラと輝かせて、俺の話を聞いていた。
 命が惜しくないのだろうか?そこにどのような危険が潜んでいるのかも分からないというのに。
 ティアがまともな神経をしていれば、そもそも人族の領域にまで来てなどいない。ここでは獣人族は差別され、嫌われ、ひどい目に遭わされる。その程度の些細なこと・・・・・は、ティアにとって危ない内には入らないのだろう。



 「あたしに怖いものなんて、なーんにもないわ!」

 「ほー?じゃ、苦手なものは?」

 「……」



 ティアはそこで押し黙る。こいつは一生、他人に対して隠し事ができないタイプだな。
 


 「にゅ……ニュルッとしたもの……。
 グネグネ~ってした、気色悪くて、なんかいっぱい動いてるやつ!!」

 「……触手のことか?」

 「そう!そうそう、それよっ!
 あと背中の後ろも。ぜっーたい、ダメッ!!」

 「たくさんあるなぁ」
 
 

 思ったより数が多い。正直者か。
 俺は、ティアの背後に気配を消しながら忍び寄ると、うなじから背中の下までをツーッと指先で撫でてみる。
 
 

 「ィ……イヒャアアアアアアッー!!」

 「へー。本当に背中の後ろが苦手なん……ドォアァ!?」



 驚いたティアがその場で跳び跳ね、悲鳴を上げた。肘の部分が、俺の顎下にガツンッと勢いよく直撃する。
 視界がチカチカと点滅を繰り返し、立っていられない。普段の戦闘でも受けたことのないダメージだった。



 「リ~ゼェ~、背中に!背中の中に虫が入ったのぉ~!!」

 「ハァ……また二人でバカやってる」



 リーゼは呆れ顔だ。俺はまったく話せない。
 今後は軽い気持ちで、ティアのことをからかうのは止めておこう。獣人族とのスキンシップは常に命がけなのだ。


 二ディスの国土は縦に長い。『メイル街道』は、国の端から端までを自由に行き来することが可能な唯一の道だ。
 俺たちが旅を始めてから、あと数日でひと月の時間が経つ。予定していたよりも、かなり多くの距離を稼ぐことができた。
 

 オストレリア王国に関する情報は入ってこない。何か制限が敷かれているのか。
 逃げも隠れもせずに堂々と旅を続けている。これまでわざとそうしてきた。受け身の現状がなんとも歯痒い。あとは連中がこちらを見つけてくれる・・・・・・・のを、只ひたすらに待つしかないのだ。



 「見て、エドワーズ。向こう側から、荷台がたくさん走ってきてる」
 
 

 俺たちの真後ろに現れた馬車の一団。積み荷は全て石材だろう。護衛として『水上都市』から連れてこられた、冒険者の姿が数人見える。
 


 「行商の馬車だろうな。多分、行き先はニディスの王都だろう」

 「行商!――ねぇ食べ物は?食べ物は、何か積んでいたりする?」



 ティアはどうやら、他所様の食料まで勝手に食い尽くすつもりのようだ。暴食、ここに極まれり。
 獣人族であることを悟られないように、飛び出ていたケモ耳と尻尾を急いで隠させる。
 

 俺たちの目の前で、先頭の位置にいる馬車がピタリと止まった。何事かを、後方の馬車に向けて伝達している。
 暫く待っていると、身なりのよい格好をした中年の男が一人だけ降りてきた。服の胸には、家紋の刺繍が入れてある。行商人ではなく貴族だった。にも拘わらず、こちらを見下すような視線は感じない。
 それだけで十分好感の持てる相手だった。
 


 「こんにちは。こんな所で歩いている旅人を見かけるのは珍しいものでね。声を掛けさせてもらったよ」



 貴族の男は、俺たち三人の姿を見て「それにしても随分若いな!」と驚いていた。全員が冒険者であることを教えると、更に目を丸くしていた。
 『水上都市』から『メイル街道』までの距離は相当離れている。そこをまだ若い子どもだけで、しかも徒歩だ。まさか危険地帯である西側の草原を横切ってきたとは、夢にも思っていないだろう。



 「積み荷は全て石材ですか?」

 「そうだ。ニディスの石材。今度新しく建設される、王宮の一部となるものだ。これを王都にまで運ぶのが私の役目でね。
 折角の機会だ。目的地まで一緒に乗せていってやりたいが――」

 「絶対になりませんぞっ!!」

 「……あのように、口うるさいお目付け役がいる。
 ――じい!私は、ただ彼らと話をしているだけだ。いちいち降りてくる必要はないから、そこにいなさい」



 馬車の覗き窓から、眼鏡をかけた神経質そうな顔つきの老人が顔を出す。公務の最中ということで、俺たちのことを馬車に乗せることはできないようだ。
 

 やれやれと肩をすくめる貴族の男。どうやら急ぎではないらしい。ぎっしりと積まれた石材の山を目にしてふと思った。白い岩宝亀ホワイトロックタートルの核。人族の領域内では滅多に手に入らない貴重な物だ。もしかしたら興味を持つかも。
 俺は、魔導具腰のポーチから取り出したそれを、目の前にいる貴族の男に対して見せてみる。



 「きみ!こ、これを一体どこで……?」

 「途中の道端に落ちてました。とても綺麗な石だったので、なんとなく拾っておいたんです。可能なら、買い取って頂くことはできますか?」

 「道端に落ちていた?いや、そんなことはどうでもいい……。勿論だとも!!
 これは非常に価値のある魔物の素材だ。恐らく金貨二百枚は下らないだろう。是非、こちらで買い取らせてくれ」



 予想通り、快く取引に応じてくれた。すぐに別の馬車から、指示を受けた従者の人間が降りてくる。渡された袋の中身は金色の光で一杯だ。
 


 「スゴいじゃない!これ、全部本物の金貨なの?」

 「本物に決まってるでしょ。――ティア、ちょっと私と一緒にこっちへ来て」
 
 「お、お仕置き!?あたし、もしかしてなんかやっちゃったの?」



 流石に不味いと思ったのか、リーゼが真横からすかさずフォローを入れ、ティアのことを離れた場所まで力ずくで引きずっていく。



 「スミマセン、俺の仲間が失礼なことを。あいつ、滅茶苦茶バカなんですよ」

 「ハハハ!金額が金額だからね。現実味がないのだろう。仕方がないさ」



 気にすることなく笑って許してくれた。大人の対応。マジでありがたい。



 「それで、君たちの目的地はどこなんだい?私と同じ、王都かな?」

 「いえ、その途中にある『レストランジの森』を目指しています」



 『呪われた沼地黄泉への入口』へと続く森の中の道。あそこは『聖木』の効果の範囲外だ。貴族の男もそれを分かっているのだろう。
 今の言葉を自身の聞き間違いではないかと、疑っているようだった。



 「……本気かね?」

 「はい」

 「そうか……本気なのか……。となると、最終的に辿り着くのは、その先にある『呪われた沼地黄泉への入口』か……」



 貴族の男はかなり動揺している。何か事情を知っているのか。
 額から汗が垂れ、全身がブルブルと震えていた。明らかに何かの存在に対して心から恐怖している。
 
 

 「……三年前の話だ。あの辺り一帯が全て魔物の巣窟と化した。
 沼地では貴重な資源が豊富に採れる。すぐに国の軍隊を動かして討伐に向かわせた。しかし、その結果は――」



 ほぼ全滅。以前に俺たちが攻略したダンジョン、『暗がり山の洞窟』と同じである。



 「生き残った者たちから話を聞いた。巨大な何かの姿を目撃したと、全員が同じことを言っていたよ。無数にだ。ハッキリとした正体は分からない。が、そこに人間の手には負えない何かがいることは確かだろう。
 ――この話は、我が国の中でも重要な機密情報だ。しかし、私は今回それを敢えて君に話した。それでも向かうつもりかね?」
 
 「ええ、そのつもりです」

 「そうか……なら、これ以上は止めはしないよ。私は君たちの家族や親ではないからね。
 あの場所に立ち入ることは、一切禁止されていない。王の命令でね。『運が良ければ、誰かが沼地の魔物を討伐してくれるかもしれない』――そのように考えておられるのだろう。私も同じだ。
 その勇者が君たちであれば良いと思うが、とにかく幸運を祈っているよ」



 「『レストランジの森』へ入る道中、その手前にある第二王都を訪れるといい」――貴族の男はそれだけを俺に告げると、停めてあった馬車に乗り込んで走り去ってしまった。



 「うえーん!!リーゼェ~!グリグリ、グリグリはもう許してー!!」
 
 「エドワーズ。さっきの男の人、やっぱり怒って……何かあったの?」

 「大丈夫だ。……何もないよ。バッチリ何もかも順調さ」



 嘘である。今の話を聞いて考えていた。このまま沼地を抜けるのは危険すぎる。
 『暗がり山の洞窟』の時でさえ、かなりギリギリだったのだ。今回も上手くいくとは限らない。国を越えての遠回りは最悪の手段である。しかし、場合によってはその判断も必要だ。
 命よりも大切なものはない。死んだら終わりである。その危険を冒す価値があるのか?と聞かれれば、答えはノーだ。
 

 
 (では反対に、わざわざ危険を冒す程の価値がそこにあるのなら?)



 その場合、俺は迷わずこう決めるだろう。勿論、イエスと。



 

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