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第4章 彼女の形見
最後のイタズラ
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奈緒の墓参りで再会し、お互い「結婚」を意識して付き合い始めた健太郎とみゆきは、その後東京に帰ってからも、お互いの仕事が休みの日になると、一緒に映画を見たり、ライブを見たり、近場に旅行するなどして、徐々に親交を深めていった。
そして年の瀬も押し迫った冬の日、デートの帰り道に健太郎は改めてみゆきにプロポーズし、みゆきは、それをしっかりと受け入れてくれた。
翌年の正月、時折強烈な北風が吹き、山から吹きつけてくる雪が中川町の集落にひらひらと舞い降りてきた。
藤田家の玄関に、健太郎とともに、ファー付きの黒いコートをまとったみゆきが訪れた。
母親のりつ子が姿を現すと、みゆきは頭を下げ、大声であいさつした。
「岡田みゆきといいます!よろしくお願いします!」
気持ちのいい位大きな声のあいさつを聞いて、りつ子は驚いた。
「どうぞ、居間の方へ。主人も待っておりますので。しかし、元気いっぱいのお嬢さんですね。ウチの健太郎とは大違いだわ」
「ど、どういう意味だよ!」
健太郎は、失礼だなと言いたげな表情で、りつ子を睨んだ。
「さ、行こうか、みゆき」
「うん」
二人は居間に上がり、健太郎の父親の隆二とも挨拶を交わした。
隆二は、言葉少なげに、頭を下げた。
あまりにもかしこまった隆二の対応に、健太郎も困惑した。
「おやじ、もう顔を上げろよ。みゆきも、どうしちゃったんだろうって言いたげな顔で、おやじのことジロジロ見てるぞ」
「ああ、すまない。ただ、商工会長の娘のさつきさんと別れて、うちの健太郎はもう二度と結婚できないと思ってたんだ。だから、健太郎から結婚相手が見つかったって聞いて、本当か?と思ってな。そして、結婚はおろか彼女すらできないバカ息子と結婚してくれたあなたに、心から頭を下げたくてな」
隆二はそういうと、ひと呼吸おいて、神妙な顔で再び頭を下げた。
「ありがとう……ございます」
「お父さん、顔を上げて下さい。気持ちはとてもうれしいですけど、私自身はかしこまらず、家族みんなと楽しくお付き合いしたいので」
みゆきがそういうと、隆二は少しずつ顔を上げた。
みゆきは隆二の顔をニコッと笑いながら見つめた。
「お父さん、のど乾いてませんか?こないだ、フランスに出張して持ち帰ったワインを今日持ってきたんですよ。ちょっと濃い目だけど、肉料理なんかとすごく合うんですよ」
みゆきはカバンから中瓶サイズのワインを取り出すと、台所にいるりつ子の所に行った。
りつ子はワイン好きなので、大きな歓声を上げて喜んでいた。
「お父さん、これ、見てみて!ボルドーだよ、ボルドーワインって知ってる?しかも本場で見つけたんだって。さ、みんなで早速空けましょ!」
そういうと、りつ子は早速コルクを開けて、家族とみゆきで分け合って飲んだ。
みゆきは普段はクールで口数も少ない方だが、この日は、ワインを飲みながら家族と楽しそうに話をしていた。
「昨日は、健太郎さんが私の家に挨拶に来てくれたんです。健太郎さん、父に日本酒ガンガン飲まされて、食事の途中で寝ちゃったんですよ」
「全く、困った子だねえ。昔から酒が苦手なのよ。お父さんも私も、そして弟の幸次郎も酒強いのにね」
「え、そうなんですか?何で健太郎さんだけ?」
「し、しらねえよ。というか、別に酒が飲めないからって何か問題でもあるのかよ」
健太郎は、グラス1杯分のワインを飲んだだけなのに、既に顔が赤くなり、視線が定まらない様子だった。
「というか、既に顔赤いわよ。健太郎さん」
みゆきは、グラスのワインを一気に飲み干すと、健太郎の顔を中指で突いた。
「いいのよ、飲めない人はほっといて、いっぱい飲んでお話しましょ、みゆきさん」
りつ子は、冷静な口ぶりでみゆきに語り掛けると、みゆき同様、ワインを一気に飲み干した。
「はい、お母さん」
みゆきは、ワインを交えながら、両親……特に母親のりつ子と意気投合していた。
やがて、弟の幸次郎も帰宅し、両親やみゆきと一緒に飲み始めた。
「うめえ!何だこのワイン、今まで飲んだワインが安っぽく感じるくらいうまいわ。みゆきさん、目利きだね。キューちゃんもいい奥さん見つけたよな。うらやましいわ」
「何だい幸次郎!今まであたしが買ってきたワインが全部安物みたいな言い方するんじゃないよ」
りつ子は少しむくれ、美味しそうにコクコクとワインを飲み干す幸次郎を横目でにらんだ。
一方の健太郎は、途中からテーブルに顔を突っ伏し、やがて横になって寝込んでしまった。
「あ~あ、寝ちゃったか。もう!今夜も私を一人にする気なの?」
「いいのよ、私はみゆきさんとずっとお話しできれば、それでいいのよ、ね、お父さん」
「ああ。そうだな」
「キューちゃんのことはほっとこうぜ。一度寝始めると朝までグッスリだからさ。それより飲もうぜ、みゆき姉さん」
幸次郎が突然会話に割込み、流し目で媚びを売るかのようにみゆきに近づいてきた。
「ねえ、キューちゃんって、誰?」
みゆきは、幸次郎の会話に登場するキューちゃんとは何者なのか、気になって仕方がなかった。
「兄貴だよ。去年、奈緒さんとのデートで、顔中口紅まみれになって帰ってきてさ。特に口の周りが真っ赤で、本当にオバQそっくりだったんだよ。それ以来、兄貴のことはキューちゃんって言ってるんだ」
「そうなんだ。まあ、奈緒ちゃんはああ見えて、結構イタズラ好きだからなあ。あ、それとさ、私のことは早速姉さん呼ばわり?」
「だって、俺にとっては義姉になるんだろ?それに、みゆきさん、姉御肌って感じだしさ」
「それ、どういう意味よ!もっと違う呼び方でお願いね。じゃないと、幸次郎さんにはもうワイン飲ませないから」
「わ、わかりましたよ。じゃあ『みゆきお姉さま』ってことで」
「同じじゃん!」
こうして、藤田家では、みゆきと健太郎の両親、幸次郎が夜遅くまで延々と飲み、食べ、笑い続け、健太郎はその間ずっと、畳の上で心地よく眠りについていた。
□□□□□
どんよりとした梅雨空から夏の青空が覗き始め、夏の強い日差しが雲間から降り注いできた日曜日、東京の郊外にあるホテルのチャペルで、健太郎とみゆきは挙式を行った。
春には結納を行い、本当ならば、結婚式はジューンブライドの6月開催を……と目論んでいたが、みゆきの海外出張があるので、梅雨明け間近の7月に行うことになった。
会場には、お互いの親族のほか、高校の合唱部時代の仲間たちが集まり、厳かな中でも賑やかな式となった。
式が終わると、チャペルから出てくる二人を待ち構える合唱部のメンバーが、高校時代に学園祭で披露した吉田拓郎の「結婚しようよ」を唄い始めた。
軽快で綺麗なハーモニーが響き渡ると、他の参列者からも唄に合わせて手拍子が沸き起こった。
唄い終わったとほぼ同じタイミングでチャペルの扉が開き、二人が姿を現した。
沸き上がる歓声とともに、合唱部員が一斉に二人に近寄り、前が見えなくなる位の無数のフラワーシャワーを二人に浴びせかけた。
いつもは黒ずくめの洋服が多いみゆきは、この日だけは可愛らしい、純白のベアトップのウエディングドレス姿であった。
みゆきはグレーのタキシード姿の健太郎に手を引かれ、ドレスがフラワーシャワーで花びらまみれになりながらも、参列した仲間たちとハイタッチしたり、手を振ったりしていた。
やがてみゆきは足をとめると、健太郎の肩に手を当てて、足を伸ばして健太郎の頬にキスしようとした。
その時、参列者の中から、白いワンピースに身を包んだ髪の長い若い女性がぴょんと飛び出し、健太郎のすぐ隣に立っていた。
そして、健太郎の肩に手をかけ、みゆきがキスしている頬と反対側の頬にキスをした。
突然の出来事にビックリする健太郎とみゆきだったが、女性は健太郎の頬から唇を離すと、ニコッと微笑んで、健太郎の耳元でささやくように語り掛けた。
「健太郎くん、結婚おめでとう。みゆきちゃんと、ずっと幸せにね」
「その声は……奈緒!?」
健太郎は、女性の正体が奈緒だと気づいた時、すでに奈緒は参列者の中にそそくさと紛れ込み、姿が見えなくなってしまった。
そして、健太郎の両方の頬には、みゆきと奈緒が付けたキスマークがくっきりと残っていた。
「今の……奈緒ちゃん、だよね?」
みゆきは、白い手袋をまとった掌を口に当て、しばらくあっけにとられていた。
「ああ。あの声、きっと奈緒だな」
健太郎はそう言うと、ちょっぴり苦笑いし、奈緒にキスされた方の頬を撫でると、手にべっとりと口紅が付着した。
「うわっ、奈緒!やりやがったな!」
あわてふためく健太郎だったが、みゆきは大笑いし、
「あははは、奈緒ちゃんらしいイタズラだね。健太郎さん、両方のほっぺにキスマークついてる」
そう言われると、健太郎は照れ笑いを浮かべつつ、再びみゆきの手をとり、
「さ、これから披露宴だ、時間無いし、急いで戻らないとな」
「その前に、ちゃんと顔を拭いてきてよね。そのままの顔じゃダメよ」
みゆきにたしなめられ、健太郎はポケットからハンカチを取り出すと、そっと顔を拭いた。
ハンカチには、『nao』と小さなローマ字の刺繍が縫い付けてあった。
2年前の夏、別れ際に健太郎がキスマークだらけにされた顔を拭くために、と渡してくれた、奈緒との思い出の品であった。
あの時も、このハンカチで顔中に付いた口紅を拭きとったことを思い出した。
健太郎は、しばらくの間ハンカチを見つめながら奈緒との思い出に浸った後、クスっと笑ってハンカチをポケットにそっと仕舞いこみ、みゆきの後を追って披露宴会場へと歩いていった。
「奈緒、本当にありがとな。これだけはお前だと思って、いつまでも大事に取っておくからな」
(おわり)
そして年の瀬も押し迫った冬の日、デートの帰り道に健太郎は改めてみゆきにプロポーズし、みゆきは、それをしっかりと受け入れてくれた。
翌年の正月、時折強烈な北風が吹き、山から吹きつけてくる雪が中川町の集落にひらひらと舞い降りてきた。
藤田家の玄関に、健太郎とともに、ファー付きの黒いコートをまとったみゆきが訪れた。
母親のりつ子が姿を現すと、みゆきは頭を下げ、大声であいさつした。
「岡田みゆきといいます!よろしくお願いします!」
気持ちのいい位大きな声のあいさつを聞いて、りつ子は驚いた。
「どうぞ、居間の方へ。主人も待っておりますので。しかし、元気いっぱいのお嬢さんですね。ウチの健太郎とは大違いだわ」
「ど、どういう意味だよ!」
健太郎は、失礼だなと言いたげな表情で、りつ子を睨んだ。
「さ、行こうか、みゆき」
「うん」
二人は居間に上がり、健太郎の父親の隆二とも挨拶を交わした。
隆二は、言葉少なげに、頭を下げた。
あまりにもかしこまった隆二の対応に、健太郎も困惑した。
「おやじ、もう顔を上げろよ。みゆきも、どうしちゃったんだろうって言いたげな顔で、おやじのことジロジロ見てるぞ」
「ああ、すまない。ただ、商工会長の娘のさつきさんと別れて、うちの健太郎はもう二度と結婚できないと思ってたんだ。だから、健太郎から結婚相手が見つかったって聞いて、本当か?と思ってな。そして、結婚はおろか彼女すらできないバカ息子と結婚してくれたあなたに、心から頭を下げたくてな」
隆二はそういうと、ひと呼吸おいて、神妙な顔で再び頭を下げた。
「ありがとう……ございます」
「お父さん、顔を上げて下さい。気持ちはとてもうれしいですけど、私自身はかしこまらず、家族みんなと楽しくお付き合いしたいので」
みゆきがそういうと、隆二は少しずつ顔を上げた。
みゆきは隆二の顔をニコッと笑いながら見つめた。
「お父さん、のど乾いてませんか?こないだ、フランスに出張して持ち帰ったワインを今日持ってきたんですよ。ちょっと濃い目だけど、肉料理なんかとすごく合うんですよ」
みゆきはカバンから中瓶サイズのワインを取り出すと、台所にいるりつ子の所に行った。
りつ子はワイン好きなので、大きな歓声を上げて喜んでいた。
「お父さん、これ、見てみて!ボルドーだよ、ボルドーワインって知ってる?しかも本場で見つけたんだって。さ、みんなで早速空けましょ!」
そういうと、りつ子は早速コルクを開けて、家族とみゆきで分け合って飲んだ。
みゆきは普段はクールで口数も少ない方だが、この日は、ワインを飲みながら家族と楽しそうに話をしていた。
「昨日は、健太郎さんが私の家に挨拶に来てくれたんです。健太郎さん、父に日本酒ガンガン飲まされて、食事の途中で寝ちゃったんですよ」
「全く、困った子だねえ。昔から酒が苦手なのよ。お父さんも私も、そして弟の幸次郎も酒強いのにね」
「え、そうなんですか?何で健太郎さんだけ?」
「し、しらねえよ。というか、別に酒が飲めないからって何か問題でもあるのかよ」
健太郎は、グラス1杯分のワインを飲んだだけなのに、既に顔が赤くなり、視線が定まらない様子だった。
「というか、既に顔赤いわよ。健太郎さん」
みゆきは、グラスのワインを一気に飲み干すと、健太郎の顔を中指で突いた。
「いいのよ、飲めない人はほっといて、いっぱい飲んでお話しましょ、みゆきさん」
りつ子は、冷静な口ぶりでみゆきに語り掛けると、みゆき同様、ワインを一気に飲み干した。
「はい、お母さん」
みゆきは、ワインを交えながら、両親……特に母親のりつ子と意気投合していた。
やがて、弟の幸次郎も帰宅し、両親やみゆきと一緒に飲み始めた。
「うめえ!何だこのワイン、今まで飲んだワインが安っぽく感じるくらいうまいわ。みゆきさん、目利きだね。キューちゃんもいい奥さん見つけたよな。うらやましいわ」
「何だい幸次郎!今まであたしが買ってきたワインが全部安物みたいな言い方するんじゃないよ」
りつ子は少しむくれ、美味しそうにコクコクとワインを飲み干す幸次郎を横目でにらんだ。
一方の健太郎は、途中からテーブルに顔を突っ伏し、やがて横になって寝込んでしまった。
「あ~あ、寝ちゃったか。もう!今夜も私を一人にする気なの?」
「いいのよ、私はみゆきさんとずっとお話しできれば、それでいいのよ、ね、お父さん」
「ああ。そうだな」
「キューちゃんのことはほっとこうぜ。一度寝始めると朝までグッスリだからさ。それより飲もうぜ、みゆき姉さん」
幸次郎が突然会話に割込み、流し目で媚びを売るかのようにみゆきに近づいてきた。
「ねえ、キューちゃんって、誰?」
みゆきは、幸次郎の会話に登場するキューちゃんとは何者なのか、気になって仕方がなかった。
「兄貴だよ。去年、奈緒さんとのデートで、顔中口紅まみれになって帰ってきてさ。特に口の周りが真っ赤で、本当にオバQそっくりだったんだよ。それ以来、兄貴のことはキューちゃんって言ってるんだ」
「そうなんだ。まあ、奈緒ちゃんはああ見えて、結構イタズラ好きだからなあ。あ、それとさ、私のことは早速姉さん呼ばわり?」
「だって、俺にとっては義姉になるんだろ?それに、みゆきさん、姉御肌って感じだしさ」
「それ、どういう意味よ!もっと違う呼び方でお願いね。じゃないと、幸次郎さんにはもうワイン飲ませないから」
「わ、わかりましたよ。じゃあ『みゆきお姉さま』ってことで」
「同じじゃん!」
こうして、藤田家では、みゆきと健太郎の両親、幸次郎が夜遅くまで延々と飲み、食べ、笑い続け、健太郎はその間ずっと、畳の上で心地よく眠りについていた。
□□□□□
どんよりとした梅雨空から夏の青空が覗き始め、夏の強い日差しが雲間から降り注いできた日曜日、東京の郊外にあるホテルのチャペルで、健太郎とみゆきは挙式を行った。
春には結納を行い、本当ならば、結婚式はジューンブライドの6月開催を……と目論んでいたが、みゆきの海外出張があるので、梅雨明け間近の7月に行うことになった。
会場には、お互いの親族のほか、高校の合唱部時代の仲間たちが集まり、厳かな中でも賑やかな式となった。
式が終わると、チャペルから出てくる二人を待ち構える合唱部のメンバーが、高校時代に学園祭で披露した吉田拓郎の「結婚しようよ」を唄い始めた。
軽快で綺麗なハーモニーが響き渡ると、他の参列者からも唄に合わせて手拍子が沸き起こった。
唄い終わったとほぼ同じタイミングでチャペルの扉が開き、二人が姿を現した。
沸き上がる歓声とともに、合唱部員が一斉に二人に近寄り、前が見えなくなる位の無数のフラワーシャワーを二人に浴びせかけた。
いつもは黒ずくめの洋服が多いみゆきは、この日だけは可愛らしい、純白のベアトップのウエディングドレス姿であった。
みゆきはグレーのタキシード姿の健太郎に手を引かれ、ドレスがフラワーシャワーで花びらまみれになりながらも、参列した仲間たちとハイタッチしたり、手を振ったりしていた。
やがてみゆきは足をとめると、健太郎の肩に手を当てて、足を伸ばして健太郎の頬にキスしようとした。
その時、参列者の中から、白いワンピースに身を包んだ髪の長い若い女性がぴょんと飛び出し、健太郎のすぐ隣に立っていた。
そして、健太郎の肩に手をかけ、みゆきがキスしている頬と反対側の頬にキスをした。
突然の出来事にビックリする健太郎とみゆきだったが、女性は健太郎の頬から唇を離すと、ニコッと微笑んで、健太郎の耳元でささやくように語り掛けた。
「健太郎くん、結婚おめでとう。みゆきちゃんと、ずっと幸せにね」
「その声は……奈緒!?」
健太郎は、女性の正体が奈緒だと気づいた時、すでに奈緒は参列者の中にそそくさと紛れ込み、姿が見えなくなってしまった。
そして、健太郎の両方の頬には、みゆきと奈緒が付けたキスマークがくっきりと残っていた。
「今の……奈緒ちゃん、だよね?」
みゆきは、白い手袋をまとった掌を口に当て、しばらくあっけにとられていた。
「ああ。あの声、きっと奈緒だな」
健太郎はそう言うと、ちょっぴり苦笑いし、奈緒にキスされた方の頬を撫でると、手にべっとりと口紅が付着した。
「うわっ、奈緒!やりやがったな!」
あわてふためく健太郎だったが、みゆきは大笑いし、
「あははは、奈緒ちゃんらしいイタズラだね。健太郎さん、両方のほっぺにキスマークついてる」
そう言われると、健太郎は照れ笑いを浮かべつつ、再びみゆきの手をとり、
「さ、これから披露宴だ、時間無いし、急いで戻らないとな」
「その前に、ちゃんと顔を拭いてきてよね。そのままの顔じゃダメよ」
みゆきにたしなめられ、健太郎はポケットからハンカチを取り出すと、そっと顔を拭いた。
ハンカチには、『nao』と小さなローマ字の刺繍が縫い付けてあった。
2年前の夏、別れ際に健太郎がキスマークだらけにされた顔を拭くために、と渡してくれた、奈緒との思い出の品であった。
あの時も、このハンカチで顔中に付いた口紅を拭きとったことを思い出した。
健太郎は、しばらくの間ハンカチを見つめながら奈緒との思い出に浸った後、クスっと笑ってハンカチをポケットにそっと仕舞いこみ、みゆきの後を追って披露宴会場へと歩いていった。
「奈緒、本当にありがとな。これだけはお前だと思って、いつまでも大事に取っておくからな」
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