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第三章
2.
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「はいはい、ちょいとお待ち下さいよ。ここしばらく患者が多いんで、何かと忙しくてね」
慌ただしげに飛び出してきたのは、看護人であろう。この男はザウリの手に診療道具一式を持たせ、ちょうど施療院の前へと辿り着いたルクサナ達を見て、訝しげにこう問うてきた。
「イブラヒムじゃないか。ヴェールなんか付けて、一体どうした? ──荷台にいるのは、病人か」
「ご明察。診てやってくれ、酷い熱を出してる」
「熱病か。それは……、」
看護人が、ちらと控えめに荷台を見、女達の身なりを見て言い淀む。
「感染る病だとまずいな。施療院は今、市民でいっぱいなんだ。だから、」
「そう言わず。なんなら屋外で診てくれたって良いんだ。なっ、頼むよ。困ったときは、市民も旅人もお互い様。そうだろ?」
イブラヒムが食い下がるので、看護人が困り果てた様子で顔を顰める。ただでさえ抱えている患者が多い中、流行病かもしれない旅人の受け入れなどしたくはないが、イブラヒムの手前、無下に断ることもできない。そんな彼の心情を、その表情が雄弁に語っている。
イブラヒムはどうやら、施療院の者とも何かしら交流があるらしい。随分顔が広いようだが、そういえば、この男は何者なのであろう。今更ながらそんなことを思いつつ、しかしルクサナは看護人の前に歩み寄ると、急ぎ、事情を伝えることにした。
「赤洟熱の症状があるの。施療院には、赤洟熱によく効く薬があるでしょう? 診察してもらうのが難しいなら、せめて、お薬だけでもいただけないかしら。それさえあれば二人とも、きっとすぐによくなるわ」
「赤洟熱だって?」
看護人が片眉を跳ね上げたのを見て、ルクサナはもう一歩ずいっと距離を詰め、更にこう言葉を続ける。
「熱の他に、喉の腫れの症状もある。だから、」
「その症状なら、ただの風邪って可能性もある。風邪なら寝てれば治るだろう。赤洟熱の薬は、施療院の在庫も希少なんだ。そう易々と処方できるものじゃない。そもそも、おまえは一体何なんだ。病名を断定できるほど、医学の心得があるとでも?」
そうではない。ルクサナはただ、少し未来を知っているだけなのだ。だがそんな事を話しても、きっとまた信じてはもらえまい。言い淀んだルクサナの一方、診療道具を持たされたまま脇に控えていた侍従のザウリが、しびれを切らして「早くしてくれ」と口をはさむ。
「なあ先生。あんた、うちのお嬢様を診てくれるんだろう? 旅芸人達のことは、施療院にいる他の看護人達に診させたら良いじゃないか。そら、早く」
ザウリに追い立てられるようにして、しかし渡りに船とばかりに、看護人がルクサナ達に背を向ける。
「待って、薬を──」
「あとのことは、施療院の中にいる連中に言ってくれ」
イブラヒムが、ちっと小さく舌打ちする。シャイマやハサンの浮かべた苦々しい表情は、この看護人の言う通りにしたところで、薬を入手するのは難しかろうことを示していた。
改めて施療院の戸を叩いたところで、門前払いされようものなら、ここまで来た甲斐もないまま、帰途につくことになるのだろう。
それならば。
慌ただしげに飛び出してきたのは、看護人であろう。この男はザウリの手に診療道具一式を持たせ、ちょうど施療院の前へと辿り着いたルクサナ達を見て、訝しげにこう問うてきた。
「イブラヒムじゃないか。ヴェールなんか付けて、一体どうした? ──荷台にいるのは、病人か」
「ご明察。診てやってくれ、酷い熱を出してる」
「熱病か。それは……、」
看護人が、ちらと控えめに荷台を見、女達の身なりを見て言い淀む。
「感染る病だとまずいな。施療院は今、市民でいっぱいなんだ。だから、」
「そう言わず。なんなら屋外で診てくれたって良いんだ。なっ、頼むよ。困ったときは、市民も旅人もお互い様。そうだろ?」
イブラヒムが食い下がるので、看護人が困り果てた様子で顔を顰める。ただでさえ抱えている患者が多い中、流行病かもしれない旅人の受け入れなどしたくはないが、イブラヒムの手前、無下に断ることもできない。そんな彼の心情を、その表情が雄弁に語っている。
イブラヒムはどうやら、施療院の者とも何かしら交流があるらしい。随分顔が広いようだが、そういえば、この男は何者なのであろう。今更ながらそんなことを思いつつ、しかしルクサナは看護人の前に歩み寄ると、急ぎ、事情を伝えることにした。
「赤洟熱の症状があるの。施療院には、赤洟熱によく効く薬があるでしょう? 診察してもらうのが難しいなら、せめて、お薬だけでもいただけないかしら。それさえあれば二人とも、きっとすぐによくなるわ」
「赤洟熱だって?」
看護人が片眉を跳ね上げたのを見て、ルクサナはもう一歩ずいっと距離を詰め、更にこう言葉を続ける。
「熱の他に、喉の腫れの症状もある。だから、」
「その症状なら、ただの風邪って可能性もある。風邪なら寝てれば治るだろう。赤洟熱の薬は、施療院の在庫も希少なんだ。そう易々と処方できるものじゃない。そもそも、おまえは一体何なんだ。病名を断定できるほど、医学の心得があるとでも?」
そうではない。ルクサナはただ、少し未来を知っているだけなのだ。だがそんな事を話しても、きっとまた信じてはもらえまい。言い淀んだルクサナの一方、診療道具を持たされたまま脇に控えていた侍従のザウリが、しびれを切らして「早くしてくれ」と口をはさむ。
「なあ先生。あんた、うちのお嬢様を診てくれるんだろう? 旅芸人達のことは、施療院にいる他の看護人達に診させたら良いじゃないか。そら、早く」
ザウリに追い立てられるようにして、しかし渡りに船とばかりに、看護人がルクサナ達に背を向ける。
「待って、薬を──」
「あとのことは、施療院の中にいる連中に言ってくれ」
イブラヒムが、ちっと小さく舌打ちする。シャイマやハサンの浮かべた苦々しい表情は、この看護人の言う通りにしたところで、薬を入手するのは難しかろうことを示していた。
改めて施療院の戸を叩いたところで、門前払いされようものなら、ここまで来た甲斐もないまま、帰途につくことになるのだろう。
それならば。
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