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第四章
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──その薄汚い子供を、今すぐここから追い出して!
面と向かって発された、彼女の叫ぶその声が、ルクサナの胸のうちにとぐろを巻いて居座り続けている。
赤洟熱の薬を求め、ルクサナにとっては慣れ親しんだ宰相家の邸宅に訪れた、あの日のこと。中庭に面した涼やかなテラスに姿を現した少女は──宰相家の令嬢は、ルクサナの姿を見るなり、そう叫んで取り乱した。
(あれはわたくし。半年前のルクサナの姿。けれど……)
ふう、と溜息を吐き出して、空の水瓶を井戸端へ置く。そうしてルクサナは釣瓶を落とし、井戸の水を汲み始めた。慣れないながらもこの数日、ルクサナがおこなっている日課である。
──嫌、嫌、その顔は二度と見たくない!
手を止め、水を汲み入れた瓶を覗き込む。ゆらゆらとうつろいながら陽の光を反射する水面には、ようやく見慣れた今のルクサナの顔が映り込んでいた。
(よくよく考えてみたけれど、やっぱり、この時期に酷く体調を崩した覚えもないし、あんなふうに取り乱した記憶だってない。あれは、……あれは過去のわたくしではないわ。わたくしの姿をした、誰か、別の人──)
そう考えれば辻褄があう。突拍子もない話だが、起こり得ないことではないだろう。気づいたら、見知らぬ別人の身体に乗り移ってしまっていた──そんな経験を、ルクサナ自身、味わっている最中なのだから。
(彼女はきっと、わたくしを……、この身体の持ち主のことを知っているのだわ。そうでなくては、わたくしを見るなりあそこまで取り乱す理由がないもの。それならあの子は、もしかすると)
瓶にたっぷりと水を汲み、それを荷台に載せようと、両手に強く力を込める。周囲の女達は慣れた手つきだが、ルクサナにとってはなかなかの重労働だ。やっとのことでひとつを持ち上げ台車に載せ、更にもうひとつ、と腰をかがめると、胸元から質素な木彫りのペンダントが躍り出た。
サラ。ペンダントに掘られた名。
──今すぐ、私の目の前から消えてちょうだい!
(わたくしの姿で宰相家の邸宅にいたのは……、彼女はもしかして、サラなの? わたくし達、心と身体が、入れ替わってしまったの?)
心の内で問いかける。答えがないのはわかっている。
だがこの直感は、あながち外れてはいないように思われる。
なくさないようペンダントを胸元にしまい直し、ふたつめの水瓶に再度手をかける。だがルクサナがそれを持ち上げるより早く──、ルクサナから奪い取るように、ひょいと持ち上げる何者かの手があった。
ふわりとそばによぎったのは、シダーウッドの精油の香り。
面と向かって発された、彼女の叫ぶその声が、ルクサナの胸のうちにとぐろを巻いて居座り続けている。
赤洟熱の薬を求め、ルクサナにとっては慣れ親しんだ宰相家の邸宅に訪れた、あの日のこと。中庭に面した涼やかなテラスに姿を現した少女は──宰相家の令嬢は、ルクサナの姿を見るなり、そう叫んで取り乱した。
(あれはわたくし。半年前のルクサナの姿。けれど……)
ふう、と溜息を吐き出して、空の水瓶を井戸端へ置く。そうしてルクサナは釣瓶を落とし、井戸の水を汲み始めた。慣れないながらもこの数日、ルクサナがおこなっている日課である。
──嫌、嫌、その顔は二度と見たくない!
手を止め、水を汲み入れた瓶を覗き込む。ゆらゆらとうつろいながら陽の光を反射する水面には、ようやく見慣れた今のルクサナの顔が映り込んでいた。
(よくよく考えてみたけれど、やっぱり、この時期に酷く体調を崩した覚えもないし、あんなふうに取り乱した記憶だってない。あれは、……あれは過去のわたくしではないわ。わたくしの姿をした、誰か、別の人──)
そう考えれば辻褄があう。突拍子もない話だが、起こり得ないことではないだろう。気づいたら、見知らぬ別人の身体に乗り移ってしまっていた──そんな経験を、ルクサナ自身、味わっている最中なのだから。
(彼女はきっと、わたくしを……、この身体の持ち主のことを知っているのだわ。そうでなくては、わたくしを見るなりあそこまで取り乱す理由がないもの。それならあの子は、もしかすると)
瓶にたっぷりと水を汲み、それを荷台に載せようと、両手に強く力を込める。周囲の女達は慣れた手つきだが、ルクサナにとってはなかなかの重労働だ。やっとのことでひとつを持ち上げ台車に載せ、更にもうひとつ、と腰をかがめると、胸元から質素な木彫りのペンダントが躍り出た。
サラ。ペンダントに掘られた名。
──今すぐ、私の目の前から消えてちょうだい!
(わたくしの姿で宰相家の邸宅にいたのは……、彼女はもしかして、サラなの? わたくし達、心と身体が、入れ替わってしまったの?)
心の内で問いかける。答えがないのはわかっている。
だがこの直感は、あながち外れてはいないように思われる。
なくさないようペンダントを胸元にしまい直し、ふたつめの水瓶に再度手をかける。だがルクサナがそれを持ち上げるより早く──、ルクサナから奪い取るように、ひょいと持ち上げる何者かの手があった。
ふわりとそばによぎったのは、シダーウッドの精油の香り。
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