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第四章
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「イブラヒム……、」
呼びかける。だがこの男はルクサナに目もくれず、そっけない態度で水瓶を荷台に積み込むと、流れるような動作で、荷台の取っ手までルクサナから奪い取ってしまった。そうしてはじめてルクサナに視線を向け、「手伝うよ」と今更声をかけてくる。
「この水、隊商宿へ運ぶんだろ? おまえさんがえっちらおっちら運ぶのを待ってたら、夕方になっちまう」
「そ、そこまで非力じゃないわ。まだ朝よ? それにその、これはわたくしの……、私の仕事だから」
「そんなこと言って、赤洟熱の薬をもらってきた時みたいに、また迷子にでもなられたら、目も当てられない」
からかうような物言いに、ルクサナが膨れっ面で睨みつけると、イブラヒムは尚更笑んで、こう続ける。
「ちょうど、俺も隊商宿へ向かうところだったんだ。シャイマ座長に用があってね。そのついでに、──お嬢様をお助けする、名誉をお与えいただけますか?」
慇懃無礼な態度の男が、腰をかがめてルクサナに問う。目が合うと、ついルクサナも、声を上げて笑ってしまった。
宰相家の邸宅にて、赤洟熱の薬を得た後のこと。
イブラヒムが言う通り、道に迷いはしたものの、ルクサナは迎えに来てくれた彼に連れられて、ヤツガシラの一座が滞在している隊商宿へと向かった。もちろん、彼らに薬を届けるためである。
聞けば、彼らは結局、施療院では診察を受けることができなかったのだという。そんな彼らに、なんの医療知識もないルクサナの見立てだけで薬を処方しても良いものか、正直なところ不安はあった。だが彼らの決断は早かった。助かる可能性があるのなら、と、すぐさま薬を用いたのである。
幸いなことに、踊り子達の容態は快方へと向かっていった。胸を撫で下ろすルクサナの一方、座長のシャイマはルクサナの手を取り、大いに喜んでこう告げた。
「感謝しても、し足りない。あんたのこと、すっかり気に入っちまったよ。もし行くあてがないのなら、ヤツガシラの一座においで。私らと一緒に行こうじゃないか」
それはルクサナにとって、思いもかけぬ誘いであった。
ヤツガシラの一座と共に行く。それは旅芸人として、各国を渡り歩く暮らしをするということだ。ルクサナはそんな将来を、思い描いたこともなかった。
(旅の暮らし……。もし、彼らと一緒に行けば、)
幼い頃から繰り返し読み返してきた千夜一夜の物語に綴られた人々のように、時に身震いするような危難を乗り越え、初めて見る物事に胸を高鳴らせながら、日々を過ごすことになるのだろうか。
そんな未来を選ぶことが、ルクサナに、許されているのだろうか。
呼びかける。だがこの男はルクサナに目もくれず、そっけない態度で水瓶を荷台に積み込むと、流れるような動作で、荷台の取っ手までルクサナから奪い取ってしまった。そうしてはじめてルクサナに視線を向け、「手伝うよ」と今更声をかけてくる。
「この水、隊商宿へ運ぶんだろ? おまえさんがえっちらおっちら運ぶのを待ってたら、夕方になっちまう」
「そ、そこまで非力じゃないわ。まだ朝よ? それにその、これはわたくしの……、私の仕事だから」
「そんなこと言って、赤洟熱の薬をもらってきた時みたいに、また迷子にでもなられたら、目も当てられない」
からかうような物言いに、ルクサナが膨れっ面で睨みつけると、イブラヒムは尚更笑んで、こう続ける。
「ちょうど、俺も隊商宿へ向かうところだったんだ。シャイマ座長に用があってね。そのついでに、──お嬢様をお助けする、名誉をお与えいただけますか?」
慇懃無礼な態度の男が、腰をかがめてルクサナに問う。目が合うと、ついルクサナも、声を上げて笑ってしまった。
宰相家の邸宅にて、赤洟熱の薬を得た後のこと。
イブラヒムが言う通り、道に迷いはしたものの、ルクサナは迎えに来てくれた彼に連れられて、ヤツガシラの一座が滞在している隊商宿へと向かった。もちろん、彼らに薬を届けるためである。
聞けば、彼らは結局、施療院では診察を受けることができなかったのだという。そんな彼らに、なんの医療知識もないルクサナの見立てだけで薬を処方しても良いものか、正直なところ不安はあった。だが彼らの決断は早かった。助かる可能性があるのなら、と、すぐさま薬を用いたのである。
幸いなことに、踊り子達の容態は快方へと向かっていった。胸を撫で下ろすルクサナの一方、座長のシャイマはルクサナの手を取り、大いに喜んでこう告げた。
「感謝しても、し足りない。あんたのこと、すっかり気に入っちまったよ。もし行くあてがないのなら、ヤツガシラの一座においで。私らと一緒に行こうじゃないか」
それはルクサナにとって、思いもかけぬ誘いであった。
ヤツガシラの一座と共に行く。それは旅芸人として、各国を渡り歩く暮らしをするということだ。ルクサナはそんな将来を、思い描いたこともなかった。
(旅の暮らし……。もし、彼らと一緒に行けば、)
幼い頃から繰り返し読み返してきた千夜一夜の物語に綴られた人々のように、時に身震いするような危難を乗り越え、初めて見る物事に胸を高鳴らせながら、日々を過ごすことになるのだろうか。
そんな未来を選ぶことが、ルクサナに、許されているのだろうか。
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