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終章
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(この先へ進めば、王子殿下が待っていらっしゃる。わたくしはその妻となり、ゆくゆくは、この王国の王妃となる)
そのような大役が、果たしてルクサナに務まるのだろうか。今更ながら臆病風に吹かれそうになるのを、取りつくろおうと拳を握る。
大丈夫。ルクサナは、しゃんと立って歩いてゆける。王妃という大役だって、きっと堂々と演じてみせよう。そう己に言い聞かせ、大きく息を吸い込んだ。
光に満ちた中庭に、高らかな笛の音が駆けたのは、まさにその時のことである。
聞き覚えのある音。飛ぶ鳥のように軽やかな、清々しく突き抜けてゆく旋律。
信じられない思いで顔を上げ、ルクサナは、とっさにその場を駆け出していた。
(どうして今、この笛の音が?)
もしかすると、イブラヒムもこの場にいるのだろうか。ありえない話ではないだろう。近衛隊に属しているのなら、今この瞬間も、王子殿下の側に仕えているのかもしれない。
けれど今、ルクサナの胸を貫いたのは、それとは違う直感であった。
あらかじめ教えられていた道を通り、王子殿下が待つはずのパーゴラの下へ視線を向ける。
そうしてルクサナは、己の目を疑った。
ベンチから立ち上がった人物を、ルクサナは既に知っていた。刺繍の入った豪奢なカフタンを身に纏い、美しいターバンを巻いてはいるが、間違いない。
「イブラヒム? まさかあなたが……、あなたが王子殿下だったの?」
驚きはしたが、それよりも──、喜びのほうが勝っていた。
ほんの少しはにかんだ、悪戯めかせた笑みを浮かべて、男が歩み寄ってくる。迷いなく彼に駆け寄ったルクサナは、初めて出会った日のように、しかし今度はなんの躊躇いもなく、両手でその腕を掴んでいた。そうして呼吸も整わせぬまま、勢い込んでこう告げる。
「結婚のお相手が、あなたでよかった。ねえ、わたくしが今、どんなに嬉しいかわかってくれる? ああ、なんだか魔人が囁きかけてくれたような気分だわ。あの時の、物語の中のような不思議な日々が、夢や幻ではなかったのだと……。あっ、ごめんなさい。わたくしったらはしゃぎすぎてしまって。だけどあなたなら、わたくしの性分は既によくご存知でしょうから、今更お澄まししなくていいかしら。それに、そうだわ。あなたなら、理解がありそう。あの、わたくし、后としての務めは果たすつもりでいるのよ。でもね、その……。ねえ、あなたの妻になってからも、舞踊を続けて良いかしら?」
恐る恐るそう問えば、目を丸くしたイブラヒムが、「それは構わないけれども」とまず返す。そうして彼はルクサナの頬に触れ、どこか安堵した様子も見せながら、「この姫君にはかなわないなあ」と、苦笑した。
そのような大役が、果たしてルクサナに務まるのだろうか。今更ながら臆病風に吹かれそうになるのを、取りつくろおうと拳を握る。
大丈夫。ルクサナは、しゃんと立って歩いてゆける。王妃という大役だって、きっと堂々と演じてみせよう。そう己に言い聞かせ、大きく息を吸い込んだ。
光に満ちた中庭に、高らかな笛の音が駆けたのは、まさにその時のことである。
聞き覚えのある音。飛ぶ鳥のように軽やかな、清々しく突き抜けてゆく旋律。
信じられない思いで顔を上げ、ルクサナは、とっさにその場を駆け出していた。
(どうして今、この笛の音が?)
もしかすると、イブラヒムもこの場にいるのだろうか。ありえない話ではないだろう。近衛隊に属しているのなら、今この瞬間も、王子殿下の側に仕えているのかもしれない。
けれど今、ルクサナの胸を貫いたのは、それとは違う直感であった。
あらかじめ教えられていた道を通り、王子殿下が待つはずのパーゴラの下へ視線を向ける。
そうしてルクサナは、己の目を疑った。
ベンチから立ち上がった人物を、ルクサナは既に知っていた。刺繍の入った豪奢なカフタンを身に纏い、美しいターバンを巻いてはいるが、間違いない。
「イブラヒム? まさかあなたが……、あなたが王子殿下だったの?」
驚きはしたが、それよりも──、喜びのほうが勝っていた。
ほんの少しはにかんだ、悪戯めかせた笑みを浮かべて、男が歩み寄ってくる。迷いなく彼に駆け寄ったルクサナは、初めて出会った日のように、しかし今度はなんの躊躇いもなく、両手でその腕を掴んでいた。そうして呼吸も整わせぬまま、勢い込んでこう告げる。
「結婚のお相手が、あなたでよかった。ねえ、わたくしが今、どんなに嬉しいかわかってくれる? ああ、なんだか魔人が囁きかけてくれたような気分だわ。あの時の、物語の中のような不思議な日々が、夢や幻ではなかったのだと……。あっ、ごめんなさい。わたくしったらはしゃぎすぎてしまって。だけどあなたなら、わたくしの性分は既によくご存知でしょうから、今更お澄まししなくていいかしら。それに、そうだわ。あなたなら、理解がありそう。あの、わたくし、后としての務めは果たすつもりでいるのよ。でもね、その……。ねえ、あなたの妻になってからも、舞踊を続けて良いかしら?」
恐る恐るそう問えば、目を丸くしたイブラヒムが、「それは構わないけれども」とまず返す。そうして彼はルクサナの頬に触れ、どこか安堵した様子も見せながら、「この姫君にはかなわないなあ」と、苦笑した。
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はぁ✨
もう1順読みます✨
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感嘆のため息がもれました。
美しいエンディングに乾杯します。
嬉しいご感想をありがとうございます…!
そんなふうに味わっていただけたなら、本当に嬉しいです!!