【完結済】世界で一番、綺麗で汚い

犬噛 クロ

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5話(終)

3.

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「あなたが僕を避けるなんて意地の悪いことをするから、随分手間取りました。――ようやくあなたを、我が家にご招待することができましたね」

 背中にしがみつくアンナの震えが伝わってくる。キャシディーはアーレンスを睨みつけた。

「ふざけないでください。あなたはアンナになんてことを……!」
「ああ、そうだ。これ、アンナさんの手錠の鍵です」
「!」

 アーレンスは唐突に小さな鍵を放り投げた。
 甲高い音を立てて床に落ちたそれを、キャシディーは急いで拾うと、アンナの手錠を解いてやった。

「アンナさん、もうお帰りいただいて結構ですよ。謝礼は後日、『カーク・カッツェ』にお届けします。あなたを抱いた使用人たちは、大変満足したようです。大目にお支払いしますから、楽しみにしていてくださいね」

 あっけらかんと言い放つアーレンスに、キャシディーは激高した。

「何言ってるんですか! アンナにこんなひどいことをして、許されると思ってるんですか!?」

 だがアーレンスは、眉ひとつ動かさない。

「あなたこそ、何を仰っているのです。アンナさんの、それがお仕事ではないですか」
「……!」

 そんな馬鹿な話があるか。
 いくら娼婦といえども、同意のない性行為はただの暴力であり、犯罪だ。
 だがこの男を下手に刺激したら、この屋敷から出られなくなるかもしれない。キャシディーはぐっと怒りを飲み込み、アンナの肩を抱いた。

「失礼します……!」
「ああ、キャシディーさんは残ってくださいね。あなたは、この家に謝罪に来たんでしょう? まだそれらしきことを、何もしていないではありませんか」

 キャシディーはギロリとアーレンスを睨んだ。

「そもそも、アンナは本当に盗みなんてやったんですか?」
「あ、アタシ、そんなことしてない!」

「娼婦の粗相」。あの黒服の大男が伝えてきたその内容を、横にいるアンナは懸命に否定した。嘘を吐いているようには見えない。
 アーレンスはただ微笑んでいる。

「やっぱり嘘だったんですね……?」
「あいつは――クルツは、正当な理由がなければ動いてくれないので。ですが、まるっきりの嘘というわけでもありませんよ。例えば、アンナさんは僕を満足させられなかった。娼婦として、これは立派な粗相ではありませんか?」
「…………」

 つまり、理由なんてどうでもいいのだ。
 この男はキャシディーをおびき出すために、アンナを使った。そして、ようやく手に入れたキャシディーを、帰すつもりはないのだろう。

「……あたしが言うことを聞いたら、アンナは帰してくれますか?」
「もちろん」
「………………」

 キャシディーはアンナに向き直ると、彼女の上着のボタンを留めてやった。

「いい? ここから出たらすぐにタクシーを拾って、『カーク・カッツェ』へ帰るのよ。オヤジさんやニナが、すごく心配してるからね」
「姐さん、でも……!」
「あたしはアーレンス様のお相手をしてから、帰るから」

 落とし前は、全て自分の体で払う。
 娼婦として、当たり前の――。そうやって生きてきた。
 だから大したことはないと笑いながら、キャシディーは自分の財布から紙幣を何枚か抜くと、アンナの手に握らせた。

「つらくても、お店に戻るまでは絶対に泣いちゃダメよ。女の涙は、悪い男を引き寄せるからね」
「…………。ごめんね、姐さん」

 アンナは唇を噛み締めると、アーレンスの脇を恐る恐る通り、部屋を出て行った。
 扉が閉まると、アーレンスは獲物を狙う蛇のようなねっとりした視線を、キャシディーの全身に這わせた。

「本当に久しぶりですね、キャシディーさん。あなたを抱けなかったこの数ヶ月は、実に寂しかった……」

 爽やかな声、華やかな笑顔。
 だがキャシディーは、彼に対して感じていた違和感や恐怖、その正体を確信した。

 ――アーレンスは、この国に逃げてきたばかりのときに、あたしを犯した男たちと同じなんだ。

 女を同じ人間だとは思っていない。欲望をぶつけるだけの肉の塊にしか見えていない。
 つまり――。

 ――この人は、壊れているんだ……。








 裏口の解錠にかかった時間は、五分。

 ――腕が落ちたな。

 携帯用の工具をポケットに仕舞いながら、アロイスは小さく息を吐いた。
 とある貴族の別荘。おそらくキャシディーが連れ込まれたのは、ここだ。
 つい先ほど、アロイスは真っ正直に表から訪ねてみたのだが、門の前にいた男たちに問答無用で追い払われそうになって、つい拳にものを言わせてしまった。

 ――草むらに隠してきた門番が、ほかの奴らに発見されるまで、あと十分というところか。

 しかるべき所へ通報されてしまってはややこしい話になるし、なにより時間がない。

「ふう……!」

 深呼吸をすると、体の内側がすっと冷めていく。しばらく遠ざけていた感覚が、戻ってきた。
 キャシディーがこの屋敷に捕らわれてから、どれくらい経ったのか。ともかく無事でいて欲しい。
 敵の人数は不明だが、いくら貴族とはいえ、非常時でもないのに、大量の私兵を抱え込んでいるとは思えない。
 恐らく十人以下だろう。それならば力技でいける。

 ――行くぞ……。

 裏口から忍び込み、邸内を進んでいると、あっさり敵に見つかった。隠れる気はなかったから、当然のことだが。

「なんだ、おまえ!?」

 進路を塞いだのは三名。そのうちの一人に、アロイスは見覚えがある。
 髪の薄い、無精髭の、そして、いくつか歯が欠けた――。数週間前、「カーク・カッツェ」の裏口でキャシディーを待ち伏せしていた、あの男だ。

「おまえは……! こいつ、女を取り返しに来やがったんだ! やっちまえ!」

 向こうもアロイスを覚えているのだろう、口から泡を飛ばしながら怒鳴った。
 まずは男二人が殴りかかってくるのを、順に避けた。拳をかわすついでに、思い切り相手の腹を蹴り上げる。男が怯んだところで胸元に入り込み、顎を拳で突き上げた。唸り声を上げる間もなく、男は床に伸びた。

「てめえ!」

 仲間がやられたのを見て逆上し、また一人突っ込んでくる。その腕を取り、背中側に回すと、体重をかけて床に倒した。下向きに突っ伏した男の、首の頸動脈を抑え込む。数秒後、男は意識を手放した。
 残りは一人。唯一面識のある歯のない男に、アロイスは話しかけた。

「キャシディーがどこにいるのか、教えてくれないか」
「くっ……!」

 息ひとつ乱れていないアロイスに対し、男は緊張のせいか呼吸は忙しなく、赤らんだ顔にびっしょりと汗をかいている。
 それほど度胸があるようにも見えないから、簡単に口を割るだろう。アロイスはそう判断したのだが、男は懐からナイフを取り出し、抵抗の意を示した。

「くっ、くそっ! 舐めやがって!」
「やめておいたほうが、いいと思うが……」

 例え武器を使って歯向かってこようとも、力の差は歴然だ。むしろ向こうに得物があるぶん手を抜けず、大ケガをさせてしまうかもしれない。
 だがアロイスのその気配りがかえって癪に障ったのか、男は吠えた。

「う、うるせえ! アーレンスのボンボンも気に食わねえが、てめえもムカつくんだよ! なんだよ、変なマスクしやがって! ――いいよな、おまえみてえな男は! 腕っ節は強いわ、あんなべっぴんに好かれてるわ、人生バラ色だろうよ! この色男が!」
「…………」

 アロイスは被っていたマスクの裾に手を掛けると、ゆっくりと脱ぎ始めた。
 その下から現れたのは――。

「……!」

 最初はあっけに取られていた男が、徐々に顔色を青くしていく。
 アロイスの焼けただれた素顔を間近で見た直後、男は額を床に擦りつけるようにして土下座した。

「失礼しましたあああ! あんたは間違いなく、こっち側の人間ですっ! モンスター並のブサメンだけど、強え! 美人に好かれる! マジ、リスペクトっす! 俺はあんたの味方です! 舎弟にしてくださいいいい!」
「……それはどーも」

 いきなり手下ができた。
 しかしアロイスは少しも嬉しくなさそうに、自らのザラザラした頬を撫でたのだった。
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