湯屋「憩い湯」奇談

さち

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壱号館を一時休館いたします①

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 壱号館の休館はすんなり決定した。改修については従業員からも要望が上がっていたようで、ちょうどいいと佳純も快諾した。休館中の従業員については働けるものは弐号館、参号館を手伝ってもらい、他は湯屋が開く前の掃除や厨房に割り振られた。そして、これを機に資格取得を目指す者は勉強することも許された。
「急なことでお客さまにも皆さんにもご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「はい。お客さまへの説明もお任せください。資格試験の勉強については各従業員から聞き取りをしてあとでお伝えしますね」
「はい。満額とはいきませんが、勉強なさる方の給与も少しはお出しできますから」
伊織の言葉に佳純は「過保護ですよ」と笑った。
「住み込みの人が多いから休館の間給料が出なくても衣食住には困りませんよ?」
「それでも、受験のためにはお金が必要でしょうし、ここを出て新たな職につくのにも、お金はあって困りませんよ」
家族同様の従業員たちが生きていくのに困らないように、できる限りのことをしたいのだと伊織は微笑んだ。それは、先代である母雪音からの教えでもあった。
「わかりました。伊織さんの言葉、みんなにしっかり伝えますね」
「もしかしたらこの先、ここにいると危険な目に合うかもしれません。退職を希望する方は申し出てほしいと、そのこともお伝えください」
佳純がしっかりうなずくと伊織は詰所を出ていった。

 翌日のミーティングで佳純は壱号館を来月から一時休館すること、そして伊織からの言葉を伝えた。
「もしかしたらここが妖に襲われるかもしれない。だから、もし退職を希望するなら申し出てほしいそうよ。急なことだから、しばらく生活に困らないだけの退職金は支払うとのことだったわ。もし退職を希望する人がいたら明日までに申し出てください。それから資格取得のために勉強したいって人も仕事を免除するそうよ。そっちも満額とはいかないけど給与は出るわ。もし勉強したいって人も明日までに申し出てください」
佳純の言葉に壱号館の従業員たちは一様に困惑した表情を浮かべていた。壱号館で働く最古参の者であっても、こんなことは初めてのことだった。
「伊織坊っちゃんがそこまで仰るんだ。何かしらの被害が出ることは想定済みなんだろうな」
何も言えずにいる従業員の中で、ポツリと呟いたのは老齢の男だった。男の名は義治といい、憩い湯の壱号館で50年の間湯守りをしていた。
「そうね。でもあたしはここを離れる気はないわ」
そう言ったのは給仕のハナだった。ハナもまた、湯屋で働いてすでに40年の大ベテランだった。
「それぞれ事情もあるだろうから、よく考えてね」
佳純の言葉に皆うなずいて仕事に向かった。

 翌日の午後、佳純は勉強をしたい者、退職を希望する者のとりまとめをしていた。退職希望者はほとんどいなかったが、勉強をしたい者は思った以上にいたのだ。
 とりまとめたものを持って伊織の執務室に行く。とりまとめた表を見た伊織も退職希望者の少なさと勉強希望者の多さに驚いていた。
「退職希望の人がこんなに少ないのも意外でしたが、勉強したい人がここまで多いとは」
「私もとりまとめていて驚きました。それに、ここで働き続けるのに役立つ資格を取りたいって人も結構多いんですよ」
「そうなんですか?」
佳純の言葉に伊織は驚いたような顔をしながらもどこか嬉しそうだった。
「お前が皆を家族と呼ぶように、ここで働いている者たちも少なからずそう思っているのではないか?」
ふたりのやり取りを聞いていた玉城が言うと、伊織は「そうだと嬉しいですね」とはにかんだ。
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