カフェひなたぼっこ

松田 詩依

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メニュー1「やさしさのオムライス」

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 社会に出れば何かが変わると思っていた。

 就職を機に地元を離れ、三倉雪乃みくらゆきの日和町ひよりちょうにやってきた。 
 新しい町、初めての一人暮らし、望んでいた仕事。
 入社一週間前、この町に越してきた当初は新生活への期待に胸高鳴らせたものだ。
 そんな夢彩られた妄想が、現実という大きな壁にぶち当たるのにそう時間はかからなかった。

 入社して右も左もわからないままがむしゃらに働いた一ヶ月。
 ようやく肩の力が少し抜けるようになってきた途端、雪乃の体に今までの疲労がどっと伸し掛かってきた。
 節約のために毎日自炊をして、手作りのお弁当を作ってオフィスランチ--なんて意気込みは三日経たずで終わりを告げた。
 今やコンビニ弁当や、出来合いの惣菜に頼る毎日。
 自炊のためにと少し大きめなキッチンがある部屋に決めたはずなのに、それが役目を果たしたのは指折り数える程だった。

 今日も今日とて仕事を終え、満員電車に揺られ日和駅で下車をする。
 帰路の人波に流されるままに雪乃は爪先を見つめながら足を動かした。
 慣れない安物のパンプスでできた靴擦れは、完治する前に新しい傷を刻んでいく。
 何重もの足音に急に覇気のいい喧騒が重なり、雪乃は顔を上げた。
 駅から住宅街へ向かう際、必ず通るのがこのひより商店街である。
 この街にデパートこそないが、近くにできた大型スーパーに負けることなく賑うここには、八百屋を魚屋を始め、弁当に惣菜、居酒屋を始めとした飲食店などの店舗が向かい合わせにずらりと立ち並ぶ。
 夕飯に迷う主婦、自炊に疲れた独り身、酒を求める呑ん兵衛--おおよそ全ての人間にとってのオアシスに違いない。
 雪乃もいつもならここで夕飯の買い出しを済ませていくのだが--今日はそんな気も起きないほど酷く疲れていた。
 商店街の賑わいが頭に響き、目眩がする。足元が覚束ず、彼女は堪らず近くにあったベンチに腰を下ろした。

「----」

 音にもならない重い重い溜息を吐き出した。
 一歩も歩く気力がない。項垂れると、通り過ぎていく通行人の足元だけが見える。それすらも酷く目障りで目を瞑った。

 会社がブラック企業なわけではない。仕事が辛いわけでもない。
 雪乃は隣駅の設計事務所で事務をしている。社内も明るく、直属の上司は優しく、覚えが悪い新人の雪乃をいつも気にかけてくれる。
 その優しさが余計に辛く、何故自分は仕事が出来ないんだろうと情けなくなり、焦る。まさに悪循環だった。
 仕事で疲れ果て、一人きりの自宅に帰る。真っ暗な部屋な電気をつける度に、心がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
 実家にいた頃は、家の電気は明るく付いていて、母が美味しいご飯を作って迎えてくれた。

「ホームシックかな」

 疲労と共に感じているどことない寂しさの正体に雪乃はようやく気がついた。
 明るい家に帰って、誰かが作ってくれた暖かいご飯を食べたい--なんて、子供染みた欲望だろう。
 たったひと月で滅入るなんて、恥ずかしくて実家に連絡できもしない。雪乃は自嘲しながら再び深い溜息をついた。

「にゃお」

 爪先を見下ろしていた視界に、突如も虎柄の尻尾が揺らめいた。
 顔を上げると、ふてぶてしい顔をした虎柄の猫が雪乃を見上げていた。
 顔に似合わぬ可愛いらしい高い声で、一鳴きすると猫は雪乃の足元に擦り寄った。

「野良猫ちゃんかな?」

 頭を撫でると猫は喉を鳴らしながら目を細めた。
 首に赤い首輪が付いているためどうやら飼い猫のようだ。よく手入れされた柔らかな毛並みが心地よく、思わず雪乃の頬が綻ぶ。

「猫ちゃん。私なんか疲れちゃった。お仕事疲れて、ご飯食べるのも面倒臭いよ」

 見知らぬ猫に口を零すなんて本当にどうかしている。
 けれど、誰かに話を聞いてほしかった。

「--大丈夫ですか?」 

 背後から聞こえた声。
 振り返った雪乃は思わず息を飲んだ。
 雪乃を見下ろしているのは四十代過ぎのガタイが良い強面の男性。
 一八〇センチ以上はあるであろう大柄の男に睨まれるように見下ろされ、雪乃は身を固まらせた。まさに蛇に睨まれた蛙のようだ。

「顔色真っ青だけど、具合悪いのかい?」
「だっ、だだ……大丈夫、です」

 上擦った声で返事をすれば、男はどことなく悲しげに眉を下げた。
 すると雪乃の膝の上にいた猫が飛び降りて、彼の足元に擦り寄っていく。どうやら彼の愛猫らしい。
「あ……あのっ、猫ちゃん勝手に触ってしまって……私……」
 謝罪の声はあまりにもか細く、相手の耳には届くことはなかった。
 目の前の男は明らかに普通の人間には見えない。極道と名乗られても疑わない。
 筋ものの人間のペットに勝手に触ってしまった。どんな因縁をつけられてもおかしくはない。
 これから自分は一体どうなるのだろう。高額の借金を背負わされ、夜の冷たい海に沈められるのだろうか--想像しうる最悪の結末が脳裏に浮かび、雪乃は身を震え上がらせた。

「本当に大丈夫かい? 病院に行った方が--」
「こ、殺さないで……!」

 伸びてくる手に雪乃は身を縮こまらせた。
 手を伸ばした状態で固まる男。
 二人の間に流れる沈黙。それらを見て見ぬ振りをして通り過ぎていく通行人。

「--あ……やっちゃった。また怖がらせちゃったか……」

 先に動いたのは男の方だった。
 足元にいる猫を抱き上げながら、酷く落ち込んだように大きな体を小さく丸めた。

「先に名乗った方が良かったね。あの、俺はヤクザとかじゃなくて、そこでカフェやってる瀬野せのっていいます」
「せ、瀬野……さん」

 瀬野と名乗る大男が指差す方を見てみると、そこには明かりが消えた小さな店があった。
 「カフェひたなぼっこ」と掲げられた看板。軒下には猫用ベッドが置かれている。

「具合悪そうにしていたから心配で声をかけたんだけど……怖がらせてしまって申し訳ないです」

 視線だけで人を殺せそうな顔からは想像つかない程の優しい口調だった。
 そんなに顔怖いかな、と困ったように頬をかく男を改めて見ると悪い人のようには思えなかった。が、やはり顔は怖い。

「す、すみません……私、勝手に勘違いしてしまって」
「いや、いや……よく顔が怖いっていわれるし、実際お客さんにも何人か逃げられてるから大丈夫。全然気にしないで!」

 自身の勘違いを慌てて謝罪する雪乃。
 口では否定している瀬野だが、何度も同じ経験をしているようでその表情はどこか浮かない。
 互いに謝り続けていると、なんだか面白くなってきてしまい二人はほぼ同時に吹き出した。可笑しそうに笑う瀬野だが、やはりその顔は恐ろしい。

「あの、その猫ちゃんのお名前なんていうんですか?」
「ああ、この子は虎次郎って--」

 瀬野の言葉を大きな音が遮った。
 再び流れる沈黙。直後、腹を押さえて恥ずかしそうに俯く雪乃。

「…………す、みません。お昼から何も食べて、なくて」

 音の正体は雪乃の腹の音だった。

「もし良かったら、店でご飯食べていくかい?」

 驚き目を丸くした瀬野だが、笑うことなく優しい口調でそう提案した。
 有難い提案だったが、店の扉横の窓から見える店内は真っ暗だった。店主が外にいるということは、店じまいをし丁度帰るところだったに違いない。

「お店閉まっているのに……ご迷惑ですよ。いいです、いいです」
「お仕事終わって疲れ果てて、帰ってご飯食べる気力もないんだろう?」
「……どうしてそれを」
「トラに話してるの聞こえてたから」

 悪戯っぽく笑いながら、瀬野は踵を返し、虎次郎をベッドの上に下ろすと店の鍵を開けた。
 そして扉を開け、雪乃に入るように促す。

「さぁ、どうぞ。あったかいご飯食べて、元気だそう」

 その言葉が本当に暖かかった。
 見ず知らずの人間のために、態々足を止め、声をかけてくれた。
 無礼な誤解をしても怒ることなく笑い飛ばし、こうして優しくしてくれる。
 独り言を聞かれていた恥ずかしさと、彼の優しさが嬉しくて、思わず泣きそうになって鼻がつんとした。
 溢れそうになる涙を隠すように、俯きながら雪乃はカフェひなたぼっこに足を踏み入れた。
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