21 / 37
ホロトコ村
2-8.もう遅い
しおりを挟む
下を向くと澄んだ水の中がくっきりと見えて、魚人――オトコ様であろうモンスターがこちらを追いかけるように近付いてきた。浮いたブロックの向こうでは十数人のオトコ様が村人であろう者たちを囲いながらこちらを睨んでいる。
「あの人達が村人だと思うんですけど、ど、どうしましょうか」
「おい変なコスプレしてる奴、お前真っ向勝負はできるのか?」
「変なコスプレってなんだ喧嘩売ってるのか!? 我だってギルドで働いている身だ、それなりに動くことはできる」
「なら乗り込むぞ」
多少の不安はあるが、俺達はブロックの縁まで泳いでいくことになった。山中は泳ぎが苦手なようで、それを見かねたのかヴィルシスがその腕を掴んで彼を引っ張っていく。それでも彼は重そうな鎧を着ながら機敏に動いて、毛皮一枚の身軽な俺に追いつくほどの泳ぎをみせた。
無事何事もなくたどり着き陸――ブロック上へと上がる。この格好が水着同然であったためひと泳ぎしたような爽快感があるが、山中の顔には得も言われぬような不快感が浮かび上がっていた。少し離れた場所で村人を囲っているオトコ様はこちらを警戒するように顔を向け続けているが、襲い掛かってくる気配は全くない。村人も化け物に反抗しようとするつもりはなく、お互い顔を見合わせている。どこか不安げだが彼らの表情は絶望には程遠いものだった、まるで怖い噂話でもしているような、そんな顔で見合っている。
そして全員が陸地に辿り着き、臆せず村人の元へと歩いて近付いていった。何かあっても機敏に動けるように身体だけは構えるが、向こうが攻撃してこなければこちらからもあまり手は出さないつもりだ。
ひんやりと冷たいつるつるの石が足には優しく全く痛みを感じない、誰もいない高級ホテルのフロントを裸足で歩いているような感覚だ。何故こんなものが一つここにぽつんと浮いているのか知る由もないし、今はそんな事に気をかけるつもりは一切ない。
オトコ様達はこちらの様子を伺い続けているようだが、あと三歩でぶつかる程の距離まで近付いてきても動く様子はない。彼らも俺達と同じく友好的な解決を求めようとしているのだろうか、それとも、何か他の理由があるのだろうか――
「あんた達は、一体どうしてこんな所にきたんだい」
一箇所にかたまっている村人の間を通り抜けてやってきた一人の老婆がそう発した。オトコ様達はそれに気が付くと俺達の方へと道を開け、老婆はそこを通った。その目は、よぼよぼで皺だらけの身体に似合わず、鋭く光っていた。
俺達は彼女の質問に答えるために、身分を明かしながらここに来るまでの経緯を伝える。話の途中でざわめき出した村人たちからは、「ようやく出れる」だとか「助かった」という声が聞こえてきた。やかましそうに眉をひそめた老婆は、オトコ様をちらりと見てから口を開く。
「皆がどう言おうと、あんたらがどう言おうとも私はここに残るよ。オトコ様は我らの守り神、ここに連れてきなさったという事は、あたしらがここにいなければならない理由というものがあるはずさね」
「そ、そう言われましても村に残ってる人が心配していまして――」
山中の言葉が耳に入っていないのか、そのまま後ろを向き直した老婆は村人の中に消えていった――道を開けたオトコ様の一人が何やらそっぽを向きながら口をパクパクさせている。老婆が戻ったのに一つ遅れて気付くと、村人へと続く道を塞ぎ直した。
すると他のオトコ様達も、話し合うように口を開閉させたり顔を合わせたりし始める。次第にその様は激しくなり、身振りすら加えるものもいる――と思えば、その内の一匹が隣にいたもう一匹の顔を思いっきり叩いた。
「えっ、ちょ、何してんすか!?」
突然の出来事に驚いたが、俺の身体は仲間を殴りにかかったオトコ様を止めるように動き出していた。
「おいタジ何をやっている、そやつらは守り神かもしれんが化け物でもあるのかもしれんのだぞ」
リジッドラットはそう言ったが、止めるような素振りに気付いた魚人は同族に向かって振り上げた手を止める。そして固まった魚人達は示し合わせたように村人から離れると、俺達の方に向かって片膝をついた。
「……なんだ、話の分かる奴らじゃねぇか? 残りてえのはここに残して、帰りてえのだけ連れ出すか」
ずっと黙ってやり取りを眺めていたヴィルシスがそう言い、それに俺は賛同した。オトコ様は恐らく、そこまで悪い存在ではない。彼らはこの村では守り神のような存在のようで、老婆の言っていた通り、きっとそれなりの考えがあっての事だろう。俺達にその考えを汲むことはできないけれど、帰りたくない者を無理に返すというのは、よそ者の俺達がすべきことではないはずだ。
「もしかしたら、このまま全員ここに留まらせておいた方が良いかもしれんな」
――唐突にリジッドラットがそう発した。ヴィルシスが真っ先に反応したように彼女を見る。
「それまた、どうしてだ」
「んーむ、いや、何か変な感じがしてな……悪い、忘れてくれ」
「そうか」
彼女の返答を聞き終え満足したかのように、早速ヴィルシスは帰りたい者と留まる者の整理を始めた。俺達がそれを手伝うと、留まる者は僅か三人だけとなった。先程の老婆と老爺、そして一人の若者だ。
「本当に、君はここに残るってことでいいんだね?」
「うん、どうせ帰ってもつまんない事をやらされるだけだし、ここでのんびりしてる方が俺は楽しいよ」
「何言ってるんだこの怠け者め、こんな所にいてもつまらんだけだぞ!」
突然白ひげを生やした厳つい顔のおじさんが怒鳴り散らしながらこちらにやってきた。若者はうるさそうに耳を抑えて一言返す。
「畑仕事の方がつまんねーよ」
「はぁ、いっつもいっつもお前はこうだ……もういい、お前は一生ここで腐っとれ! 二度と戻ってくるな!」
またも怒鳴りながら、指を差しながらおじさんは集団の方へと戻っていった。
「全く、親不孝者めが」
老爺がぼそりと呟くと、若者は寝そべったまま口笛を吹く。
ここまでやったのはいいが、どのように皆を返せばいいのかという所で帰りの事を考えていなかったことに気付いた。
「あ、これどうすれば――」
「霧から来たのだから水面下には霧があるはずだ、そこから帰れるであろう――どれ、見てくる」
リジッドラットに訊くと即答が飛んできた。と思えば、彼女はブロックの縁へと駆け出していき思いっきり水の中へと飛び込む。数秒経つともう水面から顔を出していて、こちらに向かって叫んだ。
「大丈夫みたいだ、しっかり霧がある! 我が一人ずつ連れて行くからそやつらを連れてこい!」
言葉の通り村人たちはブロックの縁へと近付いていった。するとオトコ様達がこちらへと近付いてきて、村人の一人を抱えては水中へ潜っていく。中からは悲鳴も上がったが、俺はその人達をなんとかなだめた――恐らく彼らは、こちらの意図を汲み取っているのだろう、彼らがこちらへと連れてきたはずなのに。
無事に全員の輸送を終えた。シトレアにこの事を報告するためにも、元いた場所へと帰るためにも、俺達も水底に向かって潜っていった。驚くほど快適な水中を進んでいくと、灰色の靄が目前に現れ、近付いてくる。薄い靄の中を進み続けていると、何か固いものが顔にぶつかった。
「痛っ!?」
突然の出来事に思わず声をあげてしまう。痛んだ鼻を抑えながら状況を確認すると、俺がぶつかったのは固い床のようだ。
顔をあげて気付く。辿り着いたのは明るい水中などではなく暗い石造りの建物の中。水の深さは足首よりも少し上までしかなく、俺はそこに顔を突っ込むような姿勢でここにたどり着いていたらしい。
「ギルドのお方ですよね、大丈夫ですか?」
俺の様子を心配してくれた村人がそう言って気遣ってくれた。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます……そちらは何か怪我とかありましたか?」
「いえ、オトコ様が丁重に送ってくださったので、服は濡れてしまいましたが大丈夫です」
「――そうでしたか。ところでここ、どこか分かりますか?」
彼女は少し辺りを見回してから頷き、答えた。
「やっぱりあの不思議な建物だと思います。村の近くにあってですね、大きな花畑を進んだ先にこの建物があるんです」
きっとシトレアの言っていた建物だろう。村人で溢れかえっているためあまり細かくは見れないが、建物の位置はシトレアの話と一致している。
「お、タジもおったな!」
後ろから腕を掴まれたので振り向くと、紫髪の彼女がいた。その後ろには山中とヴィルシスもおり、取り残されてしまった迷子のような気分になった。
「あー……もしかして俺、見つかりにくかったりしました?」
「たまたまお前が離れていただけだ、そんな山賊スタイルを見逃すわけがなかろう」
そこで気付いた、どこに服を置いてきたか全く覚えていない事を。
「あの、リジッドラットさん! 俺の服ってど、どこに、置きましたっけ!?」
「我も適当に歩いていたから知らんな、まぁそんなに深くはないし見つかるだろう」
にやけながらそう言ったリジッドラットは、一人建物の入り口に向かっていった。
「他に何も問題が無いようなら皆で村に戻るぞ! 我はよく道分かんないから、まとめてくれる者がいると助かる!」
少しがやがやしていた建物の中はその一言でしんと鎮まる。すると、一人の青年が手を上げた。
「じゃあ、俺が!」
リジッドラットが村人たちを手際よくまとめると、青年はナビの代わりを務める。そして彼の言うがままに進んでいくと、日の差す大きな花畑に辿り着き――
その中央では、巨大な黒竜が一匹佇んでいた。
~~~ ~~~ ~~~~~~~
「姉ちゃー、なんでお話しないの?」
「ごめんミューゼ、今はほっといて……」
誰もいない村の家、誰の家かなど気にせず入った家でシトレアは塞ぎ込んでいた。ずっと背中に張り付いていたミューゼは優しく引き剥がされ、しかし姉の傍を離れない。
家の外ではアーケラスがいたたまれなさそうに、エリシエと一緒に突っ立っていた。
「いきなりどうしちまったんだ、シトレア……」
「彼女は貴方達を犯人だと思って、先程まで山賊を殺め続けていましたからね。貴方は本当に彼女の存在を知らなかったのですか?」
「あぁ、どうしてこいつが――そんなにぶっ殺したのか知らねぇけど、殺したのも、俺達はそのオトコ様とやらの被害者として数えていたからな」
「……そう、ですか」
アーケラスの頭の中で数多くの思考が巡っていく。彼は主に、シトレアについて考えていた。本部から派遣された者たちの内どれ程の数が彼女によって殺されたのか、何故彼女にそれ程の力があるのか……何故、彼女がここにいるのか。考え出せばキリのなくなるような事を彼はひたすら考えた。
彼の思い出が、頭の中で泡のように浮かびだす。そこから解決の糸口を探り出すために、一つ一つ過去を辿ろうとした時――目の前に本物の泡が浮き上がっているのに気がつく。
先程いたところとは全く関係のなさそうな、綺麗で透き通った水の中にアーケラスはいた。じっとりとまとわりつく水の感触は彼の経験したことのある泳ぎとは比にならない程べたついており、大きく動きを阻害している。
状況を把握した途端、彼の頭は混乱し大きく息を吐き出した。息を吸おうにも水の中でそれは叶わず、とにかく水面から顔を出そうとした。しかし一向に水面は見えず、寧ろどんどん下に引きずり込まれていく――やっと違和感を覚えて、下を見た。
青緑色の鱗を持った人型の生物――オトコ様が彼の右脚を掴んでいたのだ。どうにか振り払おうにも、蜂蜜のようにべたつく水が彼の動きをとても緩慢にしていた。
オトコ様の右手が爪を立てると、彼の足に突き刺さった。吐く息も失ったアーケラスは、水を飲み込みながら食い込む痛みを受け入れる他なかった。更に飲み込んだ水の粘度が非常に強く、喉にそのまま張り付いた。
食い込んだ爪が更にアーケラスの身体を引き下げていき、丁度その大きく恐ろしい、目も耳もないような顔が目の前に現れた。痛みもあってか視界が多少ぼやけている、しかしその悍ましい光景は鮮明に映った。
こいつは今、俺を殺そうとしているのだろう。アーケラスはただ一つ、酸素の行き届かぬ脳ではただそれしか考えることができなかった。
――化け物の顔の後ろから、何かが急速に近付いてくる。それは、アーケラスの目前にいたオトコ様を大きく引き剥がしていき、彼の意識はふと急上昇するようにして無くなった。
彼が意識を戻した時エリシエがすぐそばにいるのに気付き、声をかけようにも声がでないことに気付いた。息を吸おうにも、何かが喉に張り付き全く呼吸ができない。その事態、そしてアーケラスの姿にエリシエは即座に気がついた。
「あぁっ、大丈夫ですか!?……大丈夫ではありませんね、まずは異物から取り除きますね!」
彼のもとに近寄ったエリシエはすぐにアーケラスの身体の治癒に入った。アーケラスはすぐに呼吸する事が可能となり、傷や疲弊感はすぐに治り収まった。
「うぅ、すまねぇ、あいつらにやられちまったみてぇだ」
「よく戻ってこれましたね」
「何か知らねぇけど、戻ってたんだ」
エリシエの手元には、先程彼が喉につまらせたであろうねばつく水がひっついている。彼女はそれをしばらく眺めた後、指で弾いて飛ばした。
「…………」
「それ、水なんだよ」
「いえそれは知っているのですが……」
彼女がそこで無表情のまま黙りこくってしまったため、アーケラスは立ち上がってシトレアの入った家の中を覗いた。ミューゼがそれに気付くと、ただ彼に向かって首を振るだけだ。分かってはいたが一応の確認を済ませた後、彼はエリシエの方を向き直る――向こうから、何やら多くの人がこちらへと向かってきている。その者たちの様子をしっかり観察し、そして、彼は呟いた。
「おい、ありゃ村の奴らじゃねぇか」
呟きに反応したエリシエが彼の見ている方を向き、声を上げた。
「シトレアさん、皆が帰ってきましたよ!」
声が辺りに響くや否や、シトレアはミューゼの手を引きながら家屋を飛び出した。そして森から向かってくる集団を視認し、それらが何者かを理解すると、涙を流した。
「あの人達が村人だと思うんですけど、ど、どうしましょうか」
「おい変なコスプレしてる奴、お前真っ向勝負はできるのか?」
「変なコスプレってなんだ喧嘩売ってるのか!? 我だってギルドで働いている身だ、それなりに動くことはできる」
「なら乗り込むぞ」
多少の不安はあるが、俺達はブロックの縁まで泳いでいくことになった。山中は泳ぎが苦手なようで、それを見かねたのかヴィルシスがその腕を掴んで彼を引っ張っていく。それでも彼は重そうな鎧を着ながら機敏に動いて、毛皮一枚の身軽な俺に追いつくほどの泳ぎをみせた。
無事何事もなくたどり着き陸――ブロック上へと上がる。この格好が水着同然であったためひと泳ぎしたような爽快感があるが、山中の顔には得も言われぬような不快感が浮かび上がっていた。少し離れた場所で村人を囲っているオトコ様はこちらを警戒するように顔を向け続けているが、襲い掛かってくる気配は全くない。村人も化け物に反抗しようとするつもりはなく、お互い顔を見合わせている。どこか不安げだが彼らの表情は絶望には程遠いものだった、まるで怖い噂話でもしているような、そんな顔で見合っている。
そして全員が陸地に辿り着き、臆せず村人の元へと歩いて近付いていった。何かあっても機敏に動けるように身体だけは構えるが、向こうが攻撃してこなければこちらからもあまり手は出さないつもりだ。
ひんやりと冷たいつるつるの石が足には優しく全く痛みを感じない、誰もいない高級ホテルのフロントを裸足で歩いているような感覚だ。何故こんなものが一つここにぽつんと浮いているのか知る由もないし、今はそんな事に気をかけるつもりは一切ない。
オトコ様達はこちらの様子を伺い続けているようだが、あと三歩でぶつかる程の距離まで近付いてきても動く様子はない。彼らも俺達と同じく友好的な解決を求めようとしているのだろうか、それとも、何か他の理由があるのだろうか――
「あんた達は、一体どうしてこんな所にきたんだい」
一箇所にかたまっている村人の間を通り抜けてやってきた一人の老婆がそう発した。オトコ様達はそれに気が付くと俺達の方へと道を開け、老婆はそこを通った。その目は、よぼよぼで皺だらけの身体に似合わず、鋭く光っていた。
俺達は彼女の質問に答えるために、身分を明かしながらここに来るまでの経緯を伝える。話の途中でざわめき出した村人たちからは、「ようやく出れる」だとか「助かった」という声が聞こえてきた。やかましそうに眉をひそめた老婆は、オトコ様をちらりと見てから口を開く。
「皆がどう言おうと、あんたらがどう言おうとも私はここに残るよ。オトコ様は我らの守り神、ここに連れてきなさったという事は、あたしらがここにいなければならない理由というものがあるはずさね」
「そ、そう言われましても村に残ってる人が心配していまして――」
山中の言葉が耳に入っていないのか、そのまま後ろを向き直した老婆は村人の中に消えていった――道を開けたオトコ様の一人が何やらそっぽを向きながら口をパクパクさせている。老婆が戻ったのに一つ遅れて気付くと、村人へと続く道を塞ぎ直した。
すると他のオトコ様達も、話し合うように口を開閉させたり顔を合わせたりし始める。次第にその様は激しくなり、身振りすら加えるものもいる――と思えば、その内の一匹が隣にいたもう一匹の顔を思いっきり叩いた。
「えっ、ちょ、何してんすか!?」
突然の出来事に驚いたが、俺の身体は仲間を殴りにかかったオトコ様を止めるように動き出していた。
「おいタジ何をやっている、そやつらは守り神かもしれんが化け物でもあるのかもしれんのだぞ」
リジッドラットはそう言ったが、止めるような素振りに気付いた魚人は同族に向かって振り上げた手を止める。そして固まった魚人達は示し合わせたように村人から離れると、俺達の方に向かって片膝をついた。
「……なんだ、話の分かる奴らじゃねぇか? 残りてえのはここに残して、帰りてえのだけ連れ出すか」
ずっと黙ってやり取りを眺めていたヴィルシスがそう言い、それに俺は賛同した。オトコ様は恐らく、そこまで悪い存在ではない。彼らはこの村では守り神のような存在のようで、老婆の言っていた通り、きっとそれなりの考えがあっての事だろう。俺達にその考えを汲むことはできないけれど、帰りたくない者を無理に返すというのは、よそ者の俺達がすべきことではないはずだ。
「もしかしたら、このまま全員ここに留まらせておいた方が良いかもしれんな」
――唐突にリジッドラットがそう発した。ヴィルシスが真っ先に反応したように彼女を見る。
「それまた、どうしてだ」
「んーむ、いや、何か変な感じがしてな……悪い、忘れてくれ」
「そうか」
彼女の返答を聞き終え満足したかのように、早速ヴィルシスは帰りたい者と留まる者の整理を始めた。俺達がそれを手伝うと、留まる者は僅か三人だけとなった。先程の老婆と老爺、そして一人の若者だ。
「本当に、君はここに残るってことでいいんだね?」
「うん、どうせ帰ってもつまんない事をやらされるだけだし、ここでのんびりしてる方が俺は楽しいよ」
「何言ってるんだこの怠け者め、こんな所にいてもつまらんだけだぞ!」
突然白ひげを生やした厳つい顔のおじさんが怒鳴り散らしながらこちらにやってきた。若者はうるさそうに耳を抑えて一言返す。
「畑仕事の方がつまんねーよ」
「はぁ、いっつもいっつもお前はこうだ……もういい、お前は一生ここで腐っとれ! 二度と戻ってくるな!」
またも怒鳴りながら、指を差しながらおじさんは集団の方へと戻っていった。
「全く、親不孝者めが」
老爺がぼそりと呟くと、若者は寝そべったまま口笛を吹く。
ここまでやったのはいいが、どのように皆を返せばいいのかという所で帰りの事を考えていなかったことに気付いた。
「あ、これどうすれば――」
「霧から来たのだから水面下には霧があるはずだ、そこから帰れるであろう――どれ、見てくる」
リジッドラットに訊くと即答が飛んできた。と思えば、彼女はブロックの縁へと駆け出していき思いっきり水の中へと飛び込む。数秒経つともう水面から顔を出していて、こちらに向かって叫んだ。
「大丈夫みたいだ、しっかり霧がある! 我が一人ずつ連れて行くからそやつらを連れてこい!」
言葉の通り村人たちはブロックの縁へと近付いていった。するとオトコ様達がこちらへと近付いてきて、村人の一人を抱えては水中へ潜っていく。中からは悲鳴も上がったが、俺はその人達をなんとかなだめた――恐らく彼らは、こちらの意図を汲み取っているのだろう、彼らがこちらへと連れてきたはずなのに。
無事に全員の輸送を終えた。シトレアにこの事を報告するためにも、元いた場所へと帰るためにも、俺達も水底に向かって潜っていった。驚くほど快適な水中を進んでいくと、灰色の靄が目前に現れ、近付いてくる。薄い靄の中を進み続けていると、何か固いものが顔にぶつかった。
「痛っ!?」
突然の出来事に思わず声をあげてしまう。痛んだ鼻を抑えながら状況を確認すると、俺がぶつかったのは固い床のようだ。
顔をあげて気付く。辿り着いたのは明るい水中などではなく暗い石造りの建物の中。水の深さは足首よりも少し上までしかなく、俺はそこに顔を突っ込むような姿勢でここにたどり着いていたらしい。
「ギルドのお方ですよね、大丈夫ですか?」
俺の様子を心配してくれた村人がそう言って気遣ってくれた。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます……そちらは何か怪我とかありましたか?」
「いえ、オトコ様が丁重に送ってくださったので、服は濡れてしまいましたが大丈夫です」
「――そうでしたか。ところでここ、どこか分かりますか?」
彼女は少し辺りを見回してから頷き、答えた。
「やっぱりあの不思議な建物だと思います。村の近くにあってですね、大きな花畑を進んだ先にこの建物があるんです」
きっとシトレアの言っていた建物だろう。村人で溢れかえっているためあまり細かくは見れないが、建物の位置はシトレアの話と一致している。
「お、タジもおったな!」
後ろから腕を掴まれたので振り向くと、紫髪の彼女がいた。その後ろには山中とヴィルシスもおり、取り残されてしまった迷子のような気分になった。
「あー……もしかして俺、見つかりにくかったりしました?」
「たまたまお前が離れていただけだ、そんな山賊スタイルを見逃すわけがなかろう」
そこで気付いた、どこに服を置いてきたか全く覚えていない事を。
「あの、リジッドラットさん! 俺の服ってど、どこに、置きましたっけ!?」
「我も適当に歩いていたから知らんな、まぁそんなに深くはないし見つかるだろう」
にやけながらそう言ったリジッドラットは、一人建物の入り口に向かっていった。
「他に何も問題が無いようなら皆で村に戻るぞ! 我はよく道分かんないから、まとめてくれる者がいると助かる!」
少しがやがやしていた建物の中はその一言でしんと鎮まる。すると、一人の青年が手を上げた。
「じゃあ、俺が!」
リジッドラットが村人たちを手際よくまとめると、青年はナビの代わりを務める。そして彼の言うがままに進んでいくと、日の差す大きな花畑に辿り着き――
その中央では、巨大な黒竜が一匹佇んでいた。
~~~ ~~~ ~~~~~~~
「姉ちゃー、なんでお話しないの?」
「ごめんミューゼ、今はほっといて……」
誰もいない村の家、誰の家かなど気にせず入った家でシトレアは塞ぎ込んでいた。ずっと背中に張り付いていたミューゼは優しく引き剥がされ、しかし姉の傍を離れない。
家の外ではアーケラスがいたたまれなさそうに、エリシエと一緒に突っ立っていた。
「いきなりどうしちまったんだ、シトレア……」
「彼女は貴方達を犯人だと思って、先程まで山賊を殺め続けていましたからね。貴方は本当に彼女の存在を知らなかったのですか?」
「あぁ、どうしてこいつが――そんなにぶっ殺したのか知らねぇけど、殺したのも、俺達はそのオトコ様とやらの被害者として数えていたからな」
「……そう、ですか」
アーケラスの頭の中で数多くの思考が巡っていく。彼は主に、シトレアについて考えていた。本部から派遣された者たちの内どれ程の数が彼女によって殺されたのか、何故彼女にそれ程の力があるのか……何故、彼女がここにいるのか。考え出せばキリのなくなるような事を彼はひたすら考えた。
彼の思い出が、頭の中で泡のように浮かびだす。そこから解決の糸口を探り出すために、一つ一つ過去を辿ろうとした時――目の前に本物の泡が浮き上がっているのに気がつく。
先程いたところとは全く関係のなさそうな、綺麗で透き通った水の中にアーケラスはいた。じっとりとまとわりつく水の感触は彼の経験したことのある泳ぎとは比にならない程べたついており、大きく動きを阻害している。
状況を把握した途端、彼の頭は混乱し大きく息を吐き出した。息を吸おうにも水の中でそれは叶わず、とにかく水面から顔を出そうとした。しかし一向に水面は見えず、寧ろどんどん下に引きずり込まれていく――やっと違和感を覚えて、下を見た。
青緑色の鱗を持った人型の生物――オトコ様が彼の右脚を掴んでいたのだ。どうにか振り払おうにも、蜂蜜のようにべたつく水が彼の動きをとても緩慢にしていた。
オトコ様の右手が爪を立てると、彼の足に突き刺さった。吐く息も失ったアーケラスは、水を飲み込みながら食い込む痛みを受け入れる他なかった。更に飲み込んだ水の粘度が非常に強く、喉にそのまま張り付いた。
食い込んだ爪が更にアーケラスの身体を引き下げていき、丁度その大きく恐ろしい、目も耳もないような顔が目の前に現れた。痛みもあってか視界が多少ぼやけている、しかしその悍ましい光景は鮮明に映った。
こいつは今、俺を殺そうとしているのだろう。アーケラスはただ一つ、酸素の行き届かぬ脳ではただそれしか考えることができなかった。
――化け物の顔の後ろから、何かが急速に近付いてくる。それは、アーケラスの目前にいたオトコ様を大きく引き剥がしていき、彼の意識はふと急上昇するようにして無くなった。
彼が意識を戻した時エリシエがすぐそばにいるのに気付き、声をかけようにも声がでないことに気付いた。息を吸おうにも、何かが喉に張り付き全く呼吸ができない。その事態、そしてアーケラスの姿にエリシエは即座に気がついた。
「あぁっ、大丈夫ですか!?……大丈夫ではありませんね、まずは異物から取り除きますね!」
彼のもとに近寄ったエリシエはすぐにアーケラスの身体の治癒に入った。アーケラスはすぐに呼吸する事が可能となり、傷や疲弊感はすぐに治り収まった。
「うぅ、すまねぇ、あいつらにやられちまったみてぇだ」
「よく戻ってこれましたね」
「何か知らねぇけど、戻ってたんだ」
エリシエの手元には、先程彼が喉につまらせたであろうねばつく水がひっついている。彼女はそれをしばらく眺めた後、指で弾いて飛ばした。
「…………」
「それ、水なんだよ」
「いえそれは知っているのですが……」
彼女がそこで無表情のまま黙りこくってしまったため、アーケラスは立ち上がってシトレアの入った家の中を覗いた。ミューゼがそれに気付くと、ただ彼に向かって首を振るだけだ。分かってはいたが一応の確認を済ませた後、彼はエリシエの方を向き直る――向こうから、何やら多くの人がこちらへと向かってきている。その者たちの様子をしっかり観察し、そして、彼は呟いた。
「おい、ありゃ村の奴らじゃねぇか」
呟きに反応したエリシエが彼の見ている方を向き、声を上げた。
「シトレアさん、皆が帰ってきましたよ!」
声が辺りに響くや否や、シトレアはミューゼの手を引きながら家屋を飛び出した。そして森から向かってくる集団を視認し、それらが何者かを理解すると、涙を流した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる