異世界はどこまでも自由で

メルティック

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ホロトコ村

2-10.夜の静寂が終わる時

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 ――真夜中、村は血に染まっていた。傍から見てしまえば何もないように思える村の家々の内は、悉く真っ赤に染め上げられていた。

 シトレアはたまたま目を開けていた、眠れなかったのか、はたまた何かに勘付いたのか。隣ではまだ妹であるミューゼが寝息を立てている。シトレアの研ぎ澄まされた嗅覚が鋭く鉄のようなにおいを察知したと同時に身体は起き上がっていた。湧き上がってくる不安や恐怖が昨日までの記憶をフラッシュバックさせると同時に闘争心が奮い立つ。暗い視界はぐんと微かな灰色に明るくなり、視界の端がじわじわと赤く染まる。それらの現象、感情全てを払拭させるためにも、何事も起きていないことを祈るようにしながら襖へとゆっくりにじり寄って、素早く開いた。
 廊下に出て左を向いた時、彼女ははっきりと母の死を目撃した――そして、目を開いたまま血を流す母の傍で蠢く、不気味で朧気な黒い影を。

「はっ、はは……何これ」

 黒い影はゆらり、ゆらりとこちらに近付いてくる――影と形容したもののそれは非常に立体的で色濃く、はっきりと一種の化物として彼女の目に映った。彼女の視界は灰色に滲んでいるはずなのに、それだけは明瞭な黒として視界の中にぽつりと突っ立っていた。
 こちらに近付く際にふらりとよろける――と同時にスピードをあげて迫ってくる影を、彼女は自然と蹴り飛ばしていた。足は影にめり込むようにして沈み込んでいき、その足を主軸にしながら目にも留まらぬ速さで回転し、影の頭を蹴り飛ばした。千切れるようにして頭が吹っ飛ぶと影そのものがみるみる消失していき、潜り込んだ足はするする下へと降りていく。

 そして、シトレアはただただ立ち尽くしていた。ただ呆然としていたわけではなく、自身の内の感情を処理することに奮闘していた。それを鎮めてから、まずこれは夢だと考えた、しかし己の五感がこれは現実だとはっきり本能に訴えてくる。次にこれが現実ならば何が起きていると考えた、先程のがこの夜更けに人を殺しているのだろうか。そしてあれが本当に犯人であるのだろうか、もしまた無関係な者を殺めていたら――そんな考えはすぐに消え去った。
 更に前から影が現れ、こちらへと襲い掛かってくる。先程と同じ要領で処理をすると共に、これが殺意の塊のように私達を襲ってきているのだと考えた。そして一瞬ちらりと見えたのが、影の手は刃のように鋭く変質していたことだ。これが思考の支えとなり、確立させた。

 分かってはいる、本能では気付いているものの一応は母に近寄ってみた。腹に深い傷を負っており、まだ新鮮な血液が流れ出ている。口の端から血を零した母親の顔はどこか穏やかで、自分の死を認識していないようにも見えた。彼女はそっと、そのまぶたを閉ざした。これ以上その様を、見たくなかった。

「ミューゼ!!」

 次に出たのはその叫びだった。それに応えるかのように、瞬時に「姉ちゃー?」というだらしのない声が返ってきた。ほっと安堵の息を漏らしたと同時に、あの部屋に潜んでいるかもしれない影の存在を危惧する。慌てて寝室に戻り、転ぶようにしながら襖を開けると同時に影がそこにはいないと知り、改めてほっとする。
 そしてその姉の焦り具合や表情を見て、ミューゼの寝ぼけていた目が一気に醒めた。

「姉ちゃー、どうしたの?」
「ミューゼ何か大変なことが起きているのかもしれないの、もしかしたら、ミューゼの力を借りることになるかも――」
「……本気なの、姉ちゃ。でも私、あれ使うの怖い」
「必要になった時だけでいいの。それまでは何もしなくても大丈夫だから、私が守ってあげる」
「分かった――姉ちゃ、なんかここすごく暗くない?」

 妹の言葉の理解に若干戸惑ったものの、すぐにそれがどういう事なのか察知した。後ろを素早く振り向くと鋭利なものが首元に食い込む直前であり、急いで姿勢を低くして直撃を免れた。はらりと掠った髪が宙を舞い、それを吹き飛ばすように繰り出されたシトレアの後ろ蹴りが影の腹を貫くと、どんどん散っていくように消滅していった。頭を飛ばしてやっと殺せると心の中で考えていたシトレアにとって、この結果は心外であり、そしてまたその存在の謎が深まった。
 散らばった髪の毛がミューゼの布団にふわりと乗ると同時に、姉の言っていた緊急事態がどんなものであるのか僅かばかりだが彼女は悟ることができた。

「ミューゼ、とにかく家から出るよ!」

 ミューゼはひとつ静かに頷くと、素早く立ち上がった。壁に立てかけてあった斧を握りしめたシトレアは、妹の手を引きながら急いで家を出る。

 彼女の目にははっきり浮かび上がっていた、黒く滲む影が点在してこの村を徘徊している様が――彼女の鼻にははっきり行き渡っていた、どこからも漂う血の臭いが。これが我が家だけの惨劇などでなく、村の惨劇だと――

「ミューゼはあんまり見ない方がいいかも」

 呼吸が次第に荒くなっていき、瞳孔がみるみる開いていく。シトレアは今怒りを抑えきれず、暴走してしまう寸前にいるが、妹を守るため理性的な行動をとらなければならないという意思だけでなんとか自分を自分としてつなぎとめている状態だった。

 ――そしてそこで目に映ったのが、突如地面から現れたオトコ様だった。影に向かって鋭利な爪を突き立て、首を刎ねてその存在を消し続けていた。それも一体だけじゃない、何人ものオトコ様がこの村に集まり、時には家の中に入って村人を外へと救い出していた。
 それでも中には不意打ちを仕掛けられ力尽きるオトコ様もいる。村はたちまち阿鼻叫喚に包まれることとなり、次第にぽつぽつと松明の光が見えるようになった。

「姉ちゃ、本物だよ、オトコ様だよ……」
「分かってるっ! 私達を守ってくれてるってこともっ!」

 その光景を見て、オトコ様の方へ近付いているうちにも何度も影が周りから現れ続けてキリがない。ミューゼが危なくなる事もあってか、徐々に理性が崩れかけていく。そんな姉の様子を見たところで、ミューゼの身体から薄い翡翠色の光が漏れ出してくる。

「危なくなったら私がやるから大丈夫だよ、姉ちゃ」
「ごっ、ごめんね……ちょっと不甲斐なくって」

 それからミューゼは動きが素早くなり、シトレアの処理しきれない影を、手刀で様々な部位を切り裂いて打ち倒していった。その様子に姉は不甲斐なさを感じたが、妹の気遣いに感謝し正常な思考を取り戻していく。


「おいおい、二人してこんな所で何やってんだ」


 突如響いたその声は、シトレアそしてミューゼが聞いたことのある声だった。ぶっきらぼうだがその行為には優しさも感じ取れたあの男、ミューゼが毒を吐き続けたあの男――ヴィルシスの声だった。

「村が、この影のせいで大変なことになってるのっ! 倒しても倒しても出てくるからキリがなくって、どうすればいいか分かったりす――」
っ、本物の化け物がいっぱい出てくるから力を貸して――」






 ――声の方を向くと、そこにいたのはヴィルシスの声を出す良く分からないものだった。身体がシトレア達よりも一回り大きな、真っ赤な影。右手が鎌のように変質しており、左手には厳つい岩のような三本爪が備わっている。頭は人のものではなく竜に似ており、そこから放射状に広がる棘が三本生えている。これもまた光の差異がなく、平面的な特徴だけしか捉えるができないのだ。シトレアが見る、灰色にくっきり見える暗闇の中で、やはりそれもまた異様に赤く映っていた。

「えっ、ヴィルシス――」
「一応お別れを、と思ってな」

 鎌が――首を刎ねた。
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