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2. 始まりの日・前編
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年が変わるとあっという間に高校生活は終わりを迎えた。
一足先に受験を終えていた維人とは違い、一般入試組の諒や一は合格発表まではまだ油断できないと、卒業式からしばらく顔を合わせていない。
でも、さっき一から維人と同じ大学に合格したと連絡があったところ。諒も今日が合格発表だったはず。
諒はいつの間にか反抗期を脱してちゃんと親と話をしたらしく、家は継がず医者になりたいからと医学部を受験している。スマホを確認してみてもまだ連絡はないけど、きっと諒なら問題ないだろう。
諒がαだということもあって、教師たちは勉強ができるのは当然だと言わんばかりの態度だったが、毎日コツコツと勉強しているところを維人は見ていた。
諒はちゃんとそういう努力の上で『自分』を作っている、素晴らしい“才能”を持った人だ。
とは言っても気にはなってしまうもので、何度もスマホを確認しながらそわそわと過ごしていたが、なかなか連絡はこず。どうしたのかと思っていた矢先、それはちょうど風呂から上がったタイミングだった。
突然、ドンッ! と大きな音が玄関に響いた。何事かと、まだ乾ききっていない髪を拭きつつ恐る恐るドアスコープを覗くと、そこにいたのは諒。驚いてドアを開けると、諒は倒れ込むように維人にもたれかかった。
「わっ、どうしたの?!」
咄嗟に抱えた諒の体は熱を持ち、苦しげに浅い息を吐き出している。明らかに様子がおかしい。
「大丈夫?! 熱あるの??」
「い、と……」
荒い息とともにかすれた声が放たれたその瞬間、眩暈がするほどの甘い香りが維人を覆った。
――なに、これ……、諒の匂い……?
晴れた春の日のように暖かくて優しい、甘い香り。嗅ぎ慣れたはずのその香りはいつもと同じ匂いなのに、なぜかまったく違う。ありえないほどの密度で一瞬にして維人を覆いつくすと、そのまま身体も、意識も埋め尽くすように入り込んでくる。その香りは維人の中で熱に変わり、にわかに腹の奥底がズクンと疼いた。
味わったことのない感覚に崩れ落ちそうになる体にグッと力を入れ、とりあえず寝かさないと、と諒を何とか引きずって寝室へと運ぶが、その間も諒の香りは強さを増していく。なんとか寝室にたどり着いた頃には足はもつれ、うまく息も吸えず、二人してベッドに倒れ込んでしまった。
「諒! ねぇ、しっかりして!!」
頭の中を埋め尽くしていく諒の香りを何とか振り払いながら、維人の上に覆いかぶさっている諒の名を必死に呼ぶ。すると、諒はゆらりと体を起こし、静かに維人を見下ろした。
よかった、と思ったのもつかの間、いつもは秋の柔らかな日差を灯す淡い色の瞳は嵐を抱き込み、これまでに見たことがないほどの激しさを湛えていた。
「ねぇ、どうしたの……?」
声が震える。維人を見つめるその瞳にまた腹の奥がズクンと疼いた。
「俺は、維人しかいらない……」
「えっ?!」
心臓がバクバクといつもの倍以上の速度で走っている。額に汗を浮かべ、熱のこもった息を浅く吐き出す諒の瞳から視線が逸らせない。吸い込まれるように見つめていると、気が付いたときにはすぐそこに迫っていた唇が重ねられた。
諒はそのまま維人の唇を食み、荒げた吐息を漏らす隙間から舌先を挿し込んだ。絡められた舌は、溶けてしまいそうなほど熱く、注がれる唾液は痺れるほど甘い。体を覆いつくす諒の香りと混ざり合って、もう体も意識も溶けてしまいそうだ。
「ま、待って、りょうっ!」
わずかに残る理性で何とか身をよじった時、太ももに当たった熱の塊に思わず体がぎくりと跳ねた。
――な、なんで勃って……。まさか、これ、ラット?!
ラットとは、発情状態になったΩのフェロモンにあてられたαが急性的に発情した状態をいう。おそらく諒はここに来る前、なにかハプニングがあってラットになってしまったのだろう。
――でも、なんで、僕のところに……?!
Ωのフェロモンにαは逆らえない。だから、ラットを起こしたαは理性を失い、自分の意思とは関係なく、暴力的なほどの性衝動に扇動されるがままΩを求めると聞いたことがある。それがαに植え付けらえた本能なのだと。
それなのに、諒はラットを起こすほどのΩのフェロモンを振り切って、今、維人のところにいる。
なんで、どうして? そんな疑問に都合の良い答えが口からぽろっとこぼれた。
「もしかして、僕を選んでくれたの……?」
維人の問いに諒はフッと優しく笑い、また唇にキスを落とした。
いくら『いい香りだ』と言ってもらえても、それは所詮“まがい物”で、βである自分が選ばれることはない。そう思っていた。
それがずっと寂しかった。悲しかった。もしかしたら悔しかったのかもしれない。
でも、その“まがい物”を求めて諒はここに来てくれたのだとしたら。
目の前にいた本能が求めるΩではなく、維人を選んでくれたのだとしたら。
こんなにも嬉しいことはない。
――あぁ僕は、諒に僕を選んでほしかったんだ。
ようやく気付いた自分の望みに驚くほど体温が上がっていく。
こんな状況で諒への想いを自覚することになるとは思いもしなかった。
――このままラットを収めて上げられたらいいのに。
そんな考えを見透かしたように諒の手は維人の脇腹を撫で、服をまくり上げると、胸元の赤い実を愛でるようにそっと舌先でつついた。その瞬間、ビリリッと弱い電流が背に走る。諒はその小さな反応を見逃すことなく、尖り始めたその先端に狙いを定め、じゅるりと吸い上げた。
「あ……っ!」
吐息の中に溢れた快楽を含む声に自分で驚いてしまい、維人は思わず口を塞いだ。
そんなところ、他人はもちろん、自分でも触れたことはない。それなのにその小さな刺激は熱に変わり、全身を灯していく。その熱は多少なりとも身に覚えのある男としての快楽を拾う場所ではなく、それよりももっと中の方、腹の奥底で燻ぶり、疼いている。
諒が芯を持ったその小さな実を舌で転がし、歯を立てる度、その疼きは大きくなっていき、口からは熱を持った嬌声が漏れた。
「あっぅうんっ……待って、諒……っ」
経験したことのない感覚が少し恐ろしくて、諒が顔を上げた隙を見て体を翻し、荒げた息を何とか整えようとぎゅっと身を縮める。すると、諒は息を荒げながら耳元に顔を寄せ、耳たぶを食んだ。諒はそのまま形を確かめるように耳介に舌を這わせていく。荒い息づかいと共に舌が擦れる音が鼓膜を揺らし、ゾクゾクとする甘い痺れに全身が震えた。
耳を舐ねぶられているうちに、気が付けば維人の全身を撫ですくめていた諒の手によって服は脱がされ、素肌があらわになっている。諒が最後の砦のように残っていた下着をためらうことなくずり下げると、その中で窮屈そうに存在を主張していた熱の塊がぶるんと飛び出した。
その先端は漏れ出した先走りでじっとりと濡れている。諒はそれを指で掬い取ると、竿全体に塗り付けるようにしごき始めた。堪らず口から快感があえかな声となって漏れ出す。
「あっ、あっ、りょう、やっ、まってぇ」
まるで絞り出されるかのように先端からあふれ出る透明な液体は、諒の手の動きに合わせてぐちゃぐちゃと卑猥な音を立て、さらに興奮を押し高めていく。
その間も諒はキスの雨を維人の体中に降らせている。たまにチクりと走る小さな痛みが、諒が維人の素肌を吸い上げる時のものだと気が付いたときには、たくさんの赤い痕が全身に広がっていた。
「あぅ……んっもっだめ、もう、イッ……っ!」
射精の快感と脱力感にぐったりと身体をベッドに沈みこませていると、諒は維人をうつ伏せにさせ、あらわになった滑らかな山間に指を潜ませた。
くちゅりというぬめりを帯びた水音と共に維人の中へと諒の長い指が入ってくる。内臓に直接触れられるような違和感にたまらず喉がヒュッっとか細い音を立てた。
でも、痛みはない。なぜなら維人のそこは自ら開かれることを望むように潤み、蜜を溢れさせていた。
「な、なんで……あぁっ……!」
Ωの男性は身の内にαを迎えるため、その隘路を自らの蜜で潤ませるという。当然βである維人にはそんな機能はない。それなのにさっきから疼いて仕方がなかった場所はここだったのだと言わんばかりに蜜があふれ出してくる。諒の指がうごめくたび、くちゅくちゅと沸き立つ水音が響いた。
――……い。
誰かが何か頭の中で叫んでいる。
維人を開く指が増やされるたびにその声は大きくなり、頭の中を占めていく。
――ほしい……。
そして、唐突に気が付いた。
これは、本能の声だ。
――欲しい……僕のα……!!!
それを理解した途端、維人の腹の奥底で疼き続けていた熱が弾けた。
もう、何も考えられない。
ただひたすらに、諒が欲しい。
「あぁすごい。維人の香りだ……。俺が欲しいのはこれだけだ」
指を引き抜いた諒はそのまま維人の小山を割り開くと、欲を固めた熱でゆっくりと中を押し広げ、貫いた。
「うあっあぁっっ」
指とは圧倒的に違うその質量に息が押し上げられ、内臓がすくむ。内側からこじ開けられる圧迫感がたまらなく苦しくて、大粒の涙が瞳からあふれ出る。それでも体は諒を迎え入れた悦びに打ち震え、もっと欲しいと叫んだ。
「あっ、ああっ、りょう……もっと、っ!!」
「維人、維人、俺の番だ。誰にも渡さないっ」
容赦ない注挿に与えられる苦しみと悦びに全てが飲み込まれていく。
全身をくまなく舐めつくすように維人の素肌を貪っていた諒の舌がぬらりと首筋を侵した瞬間、本能が叫んだ。
「…かん、で……、噛んで、諒……!」
首筋に鋭い痛みを感じると同時に維人は意識を手放した。
◇◇◇◇
毎日の習慣とは恐ろしいもので、いつの間やら体に染みついているものらしい。目覚ましをかけていなくても、前の日にどんなことが起こったとしても、朝がくれば自然と目が覚め、今日が始まる。
いつもと違うのは、すぐ横から静かな寝息が聞こえてくること。長い睫毛が伏せられた端正な造りの寝顔に思わずついため息がこぼれる。ずっと見ていたいくらいだが、そういうわけにもいかない。維人はそっとベッドから抜け出し、浴室へと向かった。
何かしらがまとわりついてべたべたとする体をシャワーで流しながら、鏡に映る自分の身体を眺めてみると、首筋から太ももまで赤い斑点がぽつぽつと。そして、噛みあともたくさん。シャワーの刺激にチクチクと痛む。
ほとんどが身に覚えのない痛みの元を眺めながら、昨夜手放したのは意識ではなく、理性だったのだと気が付いた。
きっと、何度も求め、求められ、一晩中身体を重ねたのだろう。その跡だけではなく、体中――特に腰――がギシギシと痛む。
その痛みに呼び起こされたかのように、靄の中に埋まっていた記憶の断片が脳内を一瞬かすめ、慌ててそれを打ち消すように頭からシャワーを被ると、首の後ろにズキンとひときわ大きな痛みが走った。
咄嗟に鏡で見やると、うなじの少し右側に他とは比べ物にならないほど深く抉ったような噛みあとがある。かなり強く噛まれたのだろう。くっきりとした歯型の下に赤黒く血がにじんでいた。
――もしかして、これ……。
αとΩの間にだけ存在する特別な関係である『番』。それは、ヒート中の性交時にαがΩの首筋を噛むことで成立する。番になると、そのΩのフェロモンは番であるαにしか影響を与えなくなる。そのため、Ωの身の安全を確保するためには番を作ることが一番良いとされていた。
昨夜、維人は無意識のうちに――それでも確実に望んで――「噛んで欲しい」と諒に言った。番を求めるΩの本能のように、そうして欲しくて堪らなかった。
βである維人にそんな本能なんてないはずなのに。
昨夜の諒は、いつもの諒じゃなかった。きっと維人自身もそのいつもとは違う雰囲気に呑まれてしまっただけ。この首筋の痕も雰囲気にのまれた末のただの“ごっこ遊び”だ。
そう言い聞かせ、自分の体の変化には気が付かないふりをしてシャワーを止めた。
部屋に戻ると、諒はまだスヤスヤと寝息を立てていた。「目覚ましがないと起きれない」と前に言っていたから、多分こちらが起こすまでは起きないだろう。
それでも念のため、恐る恐るツンっと諒の頬をつついてみる。何度か繰り返しても諒はピクリともしない。それなら、とそっと布団をめくった。
維人がそうであったように、昨夜はそのまま寝付いてしまったから諒ももちろん服を着ていない。全裸だ。
諒は部活には入っていなかったし、特に運動もしていなかったが、細身の割にはしっかりと筋肉が付いている。何をやってもムニムニのままの維人とはそもそもの作りが違うんだろう。
少し恨めしく思いながら彫刻のような長い脚を持ち上げ、ベッドの下に放り投げられていた下着を無理やりねじ込む。何とか上まで引き上げ、今は大人しくなっている――それでも十分に猛々しい――下腹部を薄目で確認しながら下着で覆い隠した。
正直これだけで疲労感が半端ないが、多分、今のが最難関だ。あとは、諒を起こさないよう慎重かつ強引に服を着せていく。何とかそのミッションをコンプリートしたときには、思わずふうっと達成感にも似たため息が漏れた。
――とりあえずこれでOK。あとは……。
未だ夢の中の美しい眠り姫(王子?)をグイッと押してベッドの端に追いやり、その反対側からシーツを思いっきり引いた。
すると当然諒はベッドから転がり落ち、ドスンっと衝撃音と共に「いってぇ!」と普段よりも少しばかり低い叫びが聞こえた。その間にさっと情事の跡を色濃く残したシーツを回収すれば証拠隠滅は完了。
昨日の痕跡は可能な限り消した。きっと、これでもう大丈夫。
起きたら全裸で友達のベッドの上で寝ていた上に、シーツがあからさまに乱れていたりしたら、驚いちゃうでしょ? なんて誰にでもなく言い訳をする。
だって、きっと諒は……。
「おはよ、諒。よく寝れたみたいで何よりだよ」
「えっ、維人……?」
シーツを洗濯機に放り込みながら、まだ起動途中の諒の様子を横目で伺う。諒はしばらくぼーっと一点を見つめていたが、記憶の読み込みが完了したのか突然はっと目を見開いた。
「俺、昨日学校でラットになって、それで維人のところに来て……」
「えっラットだったの? 熱があるのかと……。そっか、よくここまでこれたね」
記憶を探るように考え込む諒の姿に、心臓がドクドクと脈打つ。精一杯とぼけながら汗の滲む手を握り締める。
「あぁ……全然いい香りでも何でもないのに発情したのが本当に嫌で……。とっさに維人のことが頭に浮かんだ。そこまでは覚えているんだけど……」
そう言葉を濁し、諒は気まずそうに頭を掻いた。
――あぁよかった。
やっぱり、諒は昨日のこと覚えてない。思わずほっと息がこぼれた。
昨夜の諒は明らかに正気を失っていた。だから、“いつもの諒”に戻れば何もかも忘れてしまっているのではないかと思った。
昨夜、維人を貪るように欲したことも、番だと言って首筋を噛んだことも、何もかも全部。
でも、それでいい。きっと何があったか知れば、諒は自分を責める。
もしかしたら、不本意だったと距離をとられてしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
だから、知らなくていい。
「空気清浄機の役目が果たせて光栄です」
そういたずらっぽく言うと、諒はなぜか片眉を眉間に寄せ複雑そうな顔をした。
「あのさ……俺、維人に何もしてない……?」
「えぇ?! βの僕に何すんのさ。何もなかったに決まってるでしょ。うちに来てからすぐに寝ちゃったよ」
「そか、よかった」
ほっと息をついた諒に、少しだけ胸がズキンと痛んだ。
昨日のことは不慮の事故だ。どうしようもないことだった。
痛む胸はその後遺症で、きっとすぐに治る。
痛みをグッと飲み込み、維人はまたいつもの笑顔を諒に向けた。
「それより、受験の結果は?」
「あぁ、受かった」
「よかった! おめでとう」
それでもまだこの時は信じていた。
昨夜の出来事にさえ蓋をしてしまえば、これからも変わらぬ毎日が続いていくのだと。
諒が帰った後、維人は崩れ落ちるようにベッドを背もたれにして床に座り込んでいた。
昨日からの疲れが一気に来たのか、おそらくそのまま眠ってしまったのだろう。真っ暗闇の部屋の中でぽつんと座り込んでいる。身体はだるく、昨夜から何も食べていないのにおなかもすかない。
立ち上がる気力もないままボーっとしていると、ふとベッドの横にグレーのマフラーが落ちていることに気が付いた。
重い体を引きずってそれを手に取ると、ふわっと甘い香りが鼻に触れる。
――これ、諒の……。
無意識のうちにそのマフラーに顔をうずめ、維人はまた目を閉じた。
明日は日曜日。起きる必要もない。
目を閉じるとより鮮明に感じる、柔らかくて優しい、春の日のような甘い香り。
すうっと吸い込むと身体に淡く熱が灯る。
――諒の……、僕の番の香り……。
深く深く潜るように維人の意識はその香りの中へと沈んでいった。
一足先に受験を終えていた維人とは違い、一般入試組の諒や一は合格発表まではまだ油断できないと、卒業式からしばらく顔を合わせていない。
でも、さっき一から維人と同じ大学に合格したと連絡があったところ。諒も今日が合格発表だったはず。
諒はいつの間にか反抗期を脱してちゃんと親と話をしたらしく、家は継がず医者になりたいからと医学部を受験している。スマホを確認してみてもまだ連絡はないけど、きっと諒なら問題ないだろう。
諒がαだということもあって、教師たちは勉強ができるのは当然だと言わんばかりの態度だったが、毎日コツコツと勉強しているところを維人は見ていた。
諒はちゃんとそういう努力の上で『自分』を作っている、素晴らしい“才能”を持った人だ。
とは言っても気にはなってしまうもので、何度もスマホを確認しながらそわそわと過ごしていたが、なかなか連絡はこず。どうしたのかと思っていた矢先、それはちょうど風呂から上がったタイミングだった。
突然、ドンッ! と大きな音が玄関に響いた。何事かと、まだ乾ききっていない髪を拭きつつ恐る恐るドアスコープを覗くと、そこにいたのは諒。驚いてドアを開けると、諒は倒れ込むように維人にもたれかかった。
「わっ、どうしたの?!」
咄嗟に抱えた諒の体は熱を持ち、苦しげに浅い息を吐き出している。明らかに様子がおかしい。
「大丈夫?! 熱あるの??」
「い、と……」
荒い息とともにかすれた声が放たれたその瞬間、眩暈がするほどの甘い香りが維人を覆った。
――なに、これ……、諒の匂い……?
晴れた春の日のように暖かくて優しい、甘い香り。嗅ぎ慣れたはずのその香りはいつもと同じ匂いなのに、なぜかまったく違う。ありえないほどの密度で一瞬にして維人を覆いつくすと、そのまま身体も、意識も埋め尽くすように入り込んでくる。その香りは維人の中で熱に変わり、にわかに腹の奥底がズクンと疼いた。
味わったことのない感覚に崩れ落ちそうになる体にグッと力を入れ、とりあえず寝かさないと、と諒を何とか引きずって寝室へと運ぶが、その間も諒の香りは強さを増していく。なんとか寝室にたどり着いた頃には足はもつれ、うまく息も吸えず、二人してベッドに倒れ込んでしまった。
「諒! ねぇ、しっかりして!!」
頭の中を埋め尽くしていく諒の香りを何とか振り払いながら、維人の上に覆いかぶさっている諒の名を必死に呼ぶ。すると、諒はゆらりと体を起こし、静かに維人を見下ろした。
よかった、と思ったのもつかの間、いつもは秋の柔らかな日差を灯す淡い色の瞳は嵐を抱き込み、これまでに見たことがないほどの激しさを湛えていた。
「ねぇ、どうしたの……?」
声が震える。維人を見つめるその瞳にまた腹の奥がズクンと疼いた。
「俺は、維人しかいらない……」
「えっ?!」
心臓がバクバクといつもの倍以上の速度で走っている。額に汗を浮かべ、熱のこもった息を浅く吐き出す諒の瞳から視線が逸らせない。吸い込まれるように見つめていると、気が付いたときにはすぐそこに迫っていた唇が重ねられた。
諒はそのまま維人の唇を食み、荒げた吐息を漏らす隙間から舌先を挿し込んだ。絡められた舌は、溶けてしまいそうなほど熱く、注がれる唾液は痺れるほど甘い。体を覆いつくす諒の香りと混ざり合って、もう体も意識も溶けてしまいそうだ。
「ま、待って、りょうっ!」
わずかに残る理性で何とか身をよじった時、太ももに当たった熱の塊に思わず体がぎくりと跳ねた。
――な、なんで勃って……。まさか、これ、ラット?!
ラットとは、発情状態になったΩのフェロモンにあてられたαが急性的に発情した状態をいう。おそらく諒はここに来る前、なにかハプニングがあってラットになってしまったのだろう。
――でも、なんで、僕のところに……?!
Ωのフェロモンにαは逆らえない。だから、ラットを起こしたαは理性を失い、自分の意思とは関係なく、暴力的なほどの性衝動に扇動されるがままΩを求めると聞いたことがある。それがαに植え付けらえた本能なのだと。
それなのに、諒はラットを起こすほどのΩのフェロモンを振り切って、今、維人のところにいる。
なんで、どうして? そんな疑問に都合の良い答えが口からぽろっとこぼれた。
「もしかして、僕を選んでくれたの……?」
維人の問いに諒はフッと優しく笑い、また唇にキスを落とした。
いくら『いい香りだ』と言ってもらえても、それは所詮“まがい物”で、βである自分が選ばれることはない。そう思っていた。
それがずっと寂しかった。悲しかった。もしかしたら悔しかったのかもしれない。
でも、その“まがい物”を求めて諒はここに来てくれたのだとしたら。
目の前にいた本能が求めるΩではなく、維人を選んでくれたのだとしたら。
こんなにも嬉しいことはない。
――あぁ僕は、諒に僕を選んでほしかったんだ。
ようやく気付いた自分の望みに驚くほど体温が上がっていく。
こんな状況で諒への想いを自覚することになるとは思いもしなかった。
――このままラットを収めて上げられたらいいのに。
そんな考えを見透かしたように諒の手は維人の脇腹を撫で、服をまくり上げると、胸元の赤い実を愛でるようにそっと舌先でつついた。その瞬間、ビリリッと弱い電流が背に走る。諒はその小さな反応を見逃すことなく、尖り始めたその先端に狙いを定め、じゅるりと吸い上げた。
「あ……っ!」
吐息の中に溢れた快楽を含む声に自分で驚いてしまい、維人は思わず口を塞いだ。
そんなところ、他人はもちろん、自分でも触れたことはない。それなのにその小さな刺激は熱に変わり、全身を灯していく。その熱は多少なりとも身に覚えのある男としての快楽を拾う場所ではなく、それよりももっと中の方、腹の奥底で燻ぶり、疼いている。
諒が芯を持ったその小さな実を舌で転がし、歯を立てる度、その疼きは大きくなっていき、口からは熱を持った嬌声が漏れた。
「あっぅうんっ……待って、諒……っ」
経験したことのない感覚が少し恐ろしくて、諒が顔を上げた隙を見て体を翻し、荒げた息を何とか整えようとぎゅっと身を縮める。すると、諒は息を荒げながら耳元に顔を寄せ、耳たぶを食んだ。諒はそのまま形を確かめるように耳介に舌を這わせていく。荒い息づかいと共に舌が擦れる音が鼓膜を揺らし、ゾクゾクとする甘い痺れに全身が震えた。
耳を舐ねぶられているうちに、気が付けば維人の全身を撫ですくめていた諒の手によって服は脱がされ、素肌があらわになっている。諒が最後の砦のように残っていた下着をためらうことなくずり下げると、その中で窮屈そうに存在を主張していた熱の塊がぶるんと飛び出した。
その先端は漏れ出した先走りでじっとりと濡れている。諒はそれを指で掬い取ると、竿全体に塗り付けるようにしごき始めた。堪らず口から快感があえかな声となって漏れ出す。
「あっ、あっ、りょう、やっ、まってぇ」
まるで絞り出されるかのように先端からあふれ出る透明な液体は、諒の手の動きに合わせてぐちゃぐちゃと卑猥な音を立て、さらに興奮を押し高めていく。
その間も諒はキスの雨を維人の体中に降らせている。たまにチクりと走る小さな痛みが、諒が維人の素肌を吸い上げる時のものだと気が付いたときには、たくさんの赤い痕が全身に広がっていた。
「あぅ……んっもっだめ、もう、イッ……っ!」
射精の快感と脱力感にぐったりと身体をベッドに沈みこませていると、諒は維人をうつ伏せにさせ、あらわになった滑らかな山間に指を潜ませた。
くちゅりというぬめりを帯びた水音と共に維人の中へと諒の長い指が入ってくる。内臓に直接触れられるような違和感にたまらず喉がヒュッっとか細い音を立てた。
でも、痛みはない。なぜなら維人のそこは自ら開かれることを望むように潤み、蜜を溢れさせていた。
「な、なんで……あぁっ……!」
Ωの男性は身の内にαを迎えるため、その隘路を自らの蜜で潤ませるという。当然βである維人にはそんな機能はない。それなのにさっきから疼いて仕方がなかった場所はここだったのだと言わんばかりに蜜があふれ出してくる。諒の指がうごめくたび、くちゅくちゅと沸き立つ水音が響いた。
――……い。
誰かが何か頭の中で叫んでいる。
維人を開く指が増やされるたびにその声は大きくなり、頭の中を占めていく。
――ほしい……。
そして、唐突に気が付いた。
これは、本能の声だ。
――欲しい……僕のα……!!!
それを理解した途端、維人の腹の奥底で疼き続けていた熱が弾けた。
もう、何も考えられない。
ただひたすらに、諒が欲しい。
「あぁすごい。維人の香りだ……。俺が欲しいのはこれだけだ」
指を引き抜いた諒はそのまま維人の小山を割り開くと、欲を固めた熱でゆっくりと中を押し広げ、貫いた。
「うあっあぁっっ」
指とは圧倒的に違うその質量に息が押し上げられ、内臓がすくむ。内側からこじ開けられる圧迫感がたまらなく苦しくて、大粒の涙が瞳からあふれ出る。それでも体は諒を迎え入れた悦びに打ち震え、もっと欲しいと叫んだ。
「あっ、ああっ、りょう……もっと、っ!!」
「維人、維人、俺の番だ。誰にも渡さないっ」
容赦ない注挿に与えられる苦しみと悦びに全てが飲み込まれていく。
全身をくまなく舐めつくすように維人の素肌を貪っていた諒の舌がぬらりと首筋を侵した瞬間、本能が叫んだ。
「…かん、で……、噛んで、諒……!」
首筋に鋭い痛みを感じると同時に維人は意識を手放した。
◇◇◇◇
毎日の習慣とは恐ろしいもので、いつの間やら体に染みついているものらしい。目覚ましをかけていなくても、前の日にどんなことが起こったとしても、朝がくれば自然と目が覚め、今日が始まる。
いつもと違うのは、すぐ横から静かな寝息が聞こえてくること。長い睫毛が伏せられた端正な造りの寝顔に思わずついため息がこぼれる。ずっと見ていたいくらいだが、そういうわけにもいかない。維人はそっとベッドから抜け出し、浴室へと向かった。
何かしらがまとわりついてべたべたとする体をシャワーで流しながら、鏡に映る自分の身体を眺めてみると、首筋から太ももまで赤い斑点がぽつぽつと。そして、噛みあともたくさん。シャワーの刺激にチクチクと痛む。
ほとんどが身に覚えのない痛みの元を眺めながら、昨夜手放したのは意識ではなく、理性だったのだと気が付いた。
きっと、何度も求め、求められ、一晩中身体を重ねたのだろう。その跡だけではなく、体中――特に腰――がギシギシと痛む。
その痛みに呼び起こされたかのように、靄の中に埋まっていた記憶の断片が脳内を一瞬かすめ、慌ててそれを打ち消すように頭からシャワーを被ると、首の後ろにズキンとひときわ大きな痛みが走った。
咄嗟に鏡で見やると、うなじの少し右側に他とは比べ物にならないほど深く抉ったような噛みあとがある。かなり強く噛まれたのだろう。くっきりとした歯型の下に赤黒く血がにじんでいた。
――もしかして、これ……。
αとΩの間にだけ存在する特別な関係である『番』。それは、ヒート中の性交時にαがΩの首筋を噛むことで成立する。番になると、そのΩのフェロモンは番であるαにしか影響を与えなくなる。そのため、Ωの身の安全を確保するためには番を作ることが一番良いとされていた。
昨夜、維人は無意識のうちに――それでも確実に望んで――「噛んで欲しい」と諒に言った。番を求めるΩの本能のように、そうして欲しくて堪らなかった。
βである維人にそんな本能なんてないはずなのに。
昨夜の諒は、いつもの諒じゃなかった。きっと維人自身もそのいつもとは違う雰囲気に呑まれてしまっただけ。この首筋の痕も雰囲気にのまれた末のただの“ごっこ遊び”だ。
そう言い聞かせ、自分の体の変化には気が付かないふりをしてシャワーを止めた。
部屋に戻ると、諒はまだスヤスヤと寝息を立てていた。「目覚ましがないと起きれない」と前に言っていたから、多分こちらが起こすまでは起きないだろう。
それでも念のため、恐る恐るツンっと諒の頬をつついてみる。何度か繰り返しても諒はピクリともしない。それなら、とそっと布団をめくった。
維人がそうであったように、昨夜はそのまま寝付いてしまったから諒ももちろん服を着ていない。全裸だ。
諒は部活には入っていなかったし、特に運動もしていなかったが、細身の割にはしっかりと筋肉が付いている。何をやってもムニムニのままの維人とはそもそもの作りが違うんだろう。
少し恨めしく思いながら彫刻のような長い脚を持ち上げ、ベッドの下に放り投げられていた下着を無理やりねじ込む。何とか上まで引き上げ、今は大人しくなっている――それでも十分に猛々しい――下腹部を薄目で確認しながら下着で覆い隠した。
正直これだけで疲労感が半端ないが、多分、今のが最難関だ。あとは、諒を起こさないよう慎重かつ強引に服を着せていく。何とかそのミッションをコンプリートしたときには、思わずふうっと達成感にも似たため息が漏れた。
――とりあえずこれでOK。あとは……。
未だ夢の中の美しい眠り姫(王子?)をグイッと押してベッドの端に追いやり、その反対側からシーツを思いっきり引いた。
すると当然諒はベッドから転がり落ち、ドスンっと衝撃音と共に「いってぇ!」と普段よりも少しばかり低い叫びが聞こえた。その間にさっと情事の跡を色濃く残したシーツを回収すれば証拠隠滅は完了。
昨日の痕跡は可能な限り消した。きっと、これでもう大丈夫。
起きたら全裸で友達のベッドの上で寝ていた上に、シーツがあからさまに乱れていたりしたら、驚いちゃうでしょ? なんて誰にでもなく言い訳をする。
だって、きっと諒は……。
「おはよ、諒。よく寝れたみたいで何よりだよ」
「えっ、維人……?」
シーツを洗濯機に放り込みながら、まだ起動途中の諒の様子を横目で伺う。諒はしばらくぼーっと一点を見つめていたが、記憶の読み込みが完了したのか突然はっと目を見開いた。
「俺、昨日学校でラットになって、それで維人のところに来て……」
「えっラットだったの? 熱があるのかと……。そっか、よくここまでこれたね」
記憶を探るように考え込む諒の姿に、心臓がドクドクと脈打つ。精一杯とぼけながら汗の滲む手を握り締める。
「あぁ……全然いい香りでも何でもないのに発情したのが本当に嫌で……。とっさに維人のことが頭に浮かんだ。そこまでは覚えているんだけど……」
そう言葉を濁し、諒は気まずそうに頭を掻いた。
――あぁよかった。
やっぱり、諒は昨日のこと覚えてない。思わずほっと息がこぼれた。
昨夜の諒は明らかに正気を失っていた。だから、“いつもの諒”に戻れば何もかも忘れてしまっているのではないかと思った。
昨夜、維人を貪るように欲したことも、番だと言って首筋を噛んだことも、何もかも全部。
でも、それでいい。きっと何があったか知れば、諒は自分を責める。
もしかしたら、不本意だったと距離をとられてしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
だから、知らなくていい。
「空気清浄機の役目が果たせて光栄です」
そういたずらっぽく言うと、諒はなぜか片眉を眉間に寄せ複雑そうな顔をした。
「あのさ……俺、維人に何もしてない……?」
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「そか、よかった」
ほっと息をついた諒に、少しだけ胸がズキンと痛んだ。
昨日のことは不慮の事故だ。どうしようもないことだった。
痛む胸はその後遺症で、きっとすぐに治る。
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「よかった! おめでとう」
それでもまだこの時は信じていた。
昨夜の出来事にさえ蓋をしてしまえば、これからも変わらぬ毎日が続いていくのだと。
諒が帰った後、維人は崩れ落ちるようにベッドを背もたれにして床に座り込んでいた。
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立ち上がる気力もないままボーっとしていると、ふとベッドの横にグレーのマフラーが落ちていることに気が付いた。
重い体を引きずってそれを手に取ると、ふわっと甘い香りが鼻に触れる。
――これ、諒の……。
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明日は日曜日。起きる必要もない。
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深く深く潜るように維人の意識はその香りの中へと沈んでいった。
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