きみの隣まで、あと何歩。

なつか

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三歩目.二人で帰ろう。

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 先週のことがあってから、俺はすこぶる調子がよかった。なかなかコツが掴めなかったコンボも、攻略方法がわからなかった敵も、何かが下りてきたようにスムーズに進んだ。
 
 今日もすごくノっている。こういう時は周りの音も、時間の流れもすべて頭の中から消え、まるでゲームの中に入り込んでいるような錯覚を起こす。
 
 俺にとって、ゲームは生まれた時から当たり前にそこにあるものだった。
 ただの遊びじゃなくて、死んだ父さんが教えてくれた、俺を構成するものの一つ。
 もちろん楽しんでやってるけど、いつだって真剣に向き合ってる。
 でも、それをわかってくれる人はもうこの世界にはいない。
 
 ゲーム終えると、それまで止まっていた時間が周囲の音と共に戻ってきて、一気に現実に引き戻される。
 この瞬間が、俺は嫌いだ。

「もう、九時半ですよ」
 後ろから聞こえた声に、俺はビクッとして振り向くと、そこには腕を組んで壁にもたれかかって立つ、高槻がいた。
 きれいな顔立ちに、バランスの取れた長い手足。そして、俺に向けられる優しい表情。
 思わず見とれてしまう。
 
 俺はこの世界が嫌いだ。
 でも、高槻がいるなら、戻ってきてもいい気がした。

「お前はまた驚かせやがって……。いつからいたんだよ」
「んー、二十分くらい前からかな」
「別に途中でも声かけていいから。なんか用事だった?」
「いえ、一緒に帰りたいなと思って」
 つまり、一緒に帰りたいがために、二十分も俺がゲームをしているところを黙ってみていたということ? 途中で声をかけて止めることだってできたはずなのに。
 なぜだろう、気を抜いたら泣いてしまいそうだ。

「送っていきますよ」
 目の前にいる高槻は、その声も、俺に向ける目も、すごく優しくて、それが俺だけに向けられるものであってほしい、そう思った。

 前と同じように校門を出てから俺は高槻の自転車の後に乗り、背中を見つめる。
 どんどん欲張りになってきている自覚がある。

 もっと、俺のこと好きになって。
 高槻の背中にそっと祈る。

 それから高槻は、毎日のように迎えに来てくれるようになった。
 バレー部の自主練が終わった九時過ぎに視聴覚室に来て、俺を自転車に乗せて家まで送ってくれる。時間にしたら多分数十分だけど、それでも、嬉しくて、楽しくて、幸せな時間だった。
 
 でも、今日は金曜日だ。もしかしたら、先週と同じように少し早く来て、いつもより長く一緒にいられるかもしれない。こんなことを思うなんて、俺は相当重症だ。
 
 高槻に“もっと好きになって欲しい”と思っているのに、俺の方がもっと好きになっている気がする。
 
 いつものように部員たちが帰った八時過ぎ。
 俺は、ついそわそわと教室のドアを気にしてしまい、全然ゲームに身が入らなかった。
 こんなことは今まで一度もなかったのに。

 でも、結局そのドアが開いたのは九時を過ぎてからだった。
「あれ、もう今日は終わりですか?」
「なんか調子悪くて。ってか、金曜だから早く来るかなと思ってたんだけど来なかったし」
 つい、拗ねたような口調になってしまう。こんなのただの八つ当たりだ。
「誰か来る予定だったんですか?」
「いや、高槻のことだよ。前は金曜日にゲームやりに来たじゃん」
 口に出してから、あっ、と思った。
 これは、高槻を待ってた、って言ってるようなものだ。
「もしかして、待っててくれたんですか?」
 やっぱりそう思うよな。顔から熱が噴き出す。
 俺の反応を見て高槻は少し驚いた顔をした。

「そ、そういうわけじゃない」
 俺は赤くなった顔を隠すように、腕で覆った。ものすごく恥ずかしい。
 
 ふいに腕を掴まれ、反射的にビクッと体が震える。
 でも、降ろされた腕の向こうに見えた高槻の顔があまりにも優しくて、心の中で固くなっていた何かが、溶けていくように感じた。

「なに、ニヤニヤしてるんだよ」
「いえ、何でもないです。帰りましょうか」

 俺はいつものように視聴覚室の戸締りをして、カギは新校舎の職員室に返す。
 その間に、高槻は自転車を取りに行き、校舎の前で待っていてくれる。
 前までは、何も感じないまま、ボーっと歩くだけだった帰り道が、今は嬉しくて、楽しくて仕方がない。
 
 今日もそうなるはずだったのに、その気持ちは一瞬で引っ込んだ。
 職員室から出ると、そこにはこの学校で一番会いたくないやつがいたからだ。

「あっ火月……お疲れ。今から帰り?」
 バレー部の部長、相原だ。
 相原とは実家が隣で、いわゆる幼馴染。学年は相原が一つ上ではあるけど、中学まではよく遊んでいた。
 でも、俺が高校に入ってからは一度も話をしていない。

 俺は相原の問いかけを無視して、横を通り過ぎようとした。
 でも、相原は俺の手をつかんで、それを許さなかった。
「待てよ、火月!」
 超インドア派の貧弱な俺に対して、相原は身長百八十センチ越えのスポーツマン。
 掴まれた腕を振り払うなんてできっこない。
 
 あの時もそうだった。
 
 俺を掴んで、俺の気持ちはお構いなしに、一方的に話をするだけ。
 俺をコントロールしようとするやつは、みんなそうだった。
 頭の中に嫌な記憶が流れ込んでくる。

「離せよ!」
「離したら逃げるだろ。話がしたいだけだから」
「俺は話すことなんてない!」
 外で高槻が待っているのに。早くそこに行きたいのに。
 心臓がバクバクして、頭が痛い。
 
 俺の腕を掴んで、大きな声で俺の大切なものを否定する……忘れていたはずの記憶に頭が支配されていく。

 ……嫌だ。

 記憶に足を取られ、動かなくなっていた体がふいに後ろに引かれ、俺をつかむ相原の手が離れた。
 驚いて俺に覆いかぶさる影を見上げると、そこには高槻がいた。
「何してるんですか、相原さん」
 高槻は後ろから俺を抱え込み、相原の手を掴んだまま、今まで聞いたことのないような低い声と鋭い眼で、相原を睨みつけていた。

「えっ、高槻?!」
 突然の高槻の登場に相原は動揺して、表情がこわばっているし、俺も高槻に抱えられたまま、固まってしまっていた。
 
 何だろう、この状況。
 
 ただただ高槻の顔を見上げたままでいると、高槻は俺からも相原からもパッと手を離し、いつもの穏やかな表情に戻った。いや、戻した、が正しいかもしれない。
「部長がケンカなんてしたらまずいですよ。ほら、瀬良さんも。早く帰りましょう」
 そう言って高槻は俺の手首をつかみ、スタスタとまるで連れ去るように外に向かって歩きだした。

「ちょ、ちょっと待て。俺は火月と話があるんだ」
 引き留める相原を高槻がまた睨みつけると、相原はビクっと少し怯んだように見えた。
 相原に向けた鋭い視線とは打って変わって、高槻は優しい顔で、俺の顔を覗き込む。

「瀬良さん、相原さんと話ありますか?」
「……ない」
 高槻の登場に動揺しすぎて、まだ一言も発していなかった俺は、そう答えるのがやっとだった。 
 なぜか、高槻の目がまともに見れない。

「とのことなので、帰りますね。お疲れさまでした」
 そう言って俺の腕を引く高槻に連れられるがまま校舎を出て、いつものように自転車の後ろにまたがって校門を出た。

 少しの沈黙がたまらず、俺は高槻に話しかけた。
「高槻はやっぱりキレると怖いタイプな」
 ふざけたように言ってみたけど、相原を前にしたときの高槻は怒っているように見えた。
 
 さっきは突然の高槻の登場と、抱きかかえられたせいで動揺して、混乱していたけど、今考えれば、俺が嫌がってるのを見て助けてくれたんだ。
 
 暗い記憶に沈みそうになっていた俺ごと、救い上げてくれた。

「すいません。余計なことしました……」
「いや、助かったよ。ありがと。でも高槻は大丈夫? あいつ部長だろ」
 高槻はまだ一年生だ。部活の先輩、しかも部長を思いっきり睨んでいた。
 そういうことに躊躇がないから、上級生から目を付けられるんだろう。
 
 でも、正直嬉しい。もともと高槻の性格からして、先輩、後輩とか、そんなしがらみは気にもしていなさそうだけど、俺よりも圧倒的に接する時間が長い相原よりも、俺を優先して助けてくれたくれたんだから。
「う~ん、今度は相原さんにいじめられますかね」
「……あいつはそういうことはしないよ」
 
 相原は悪いやつ、というわけではない。それどころか、すごくいいやつだ。愚痴も言わないし、人の悪口なんかも言ってるところは見たことがない。
 まじめで、正義感も強い。俺も、仲が良かった頃は相当面倒を見てもらった。
 
 それでも、俺にはどうしても許せないことがあった。

「なんで、ケンカしてるんですか」
 まぁ当然気になるよな。でもケンカをしているわけではないんだ。
 きっと相原は、俺がなぜ自分を拒絶するのか理解できていない。
 ケンカにすらなってないんだ。

「……今は話したくない」
 俺は高槻の背中に頭をもたれかからせ、思考の中から相原と、思い出しかけた嫌な記憶を追いやった。
 その背中は暖かくて、少し早くなっている高槻の鼓動を感じる。
 これは、自転車をこいでいるせいなのか、それとも俺がくっついているせいなのか……。
 もし、後者だとしたら、嬉しい。
 
 もっと、俺のことを意識してほしい。

 高槻はそのまま黙って自転車をこぎ続け、気が付けば俺のマンションについていた。
「ありがとな」
「はい、じゃーまた来週。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
 手を振り、俺は背を向けてマンションの中に入った。
 さっき思わず触れてしまったせいだろうか。体に残った熱はなかなか冷めなかった。
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