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11. 傍観者
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英司に電話したのは、なんてことはない。巴の部屋から外に出るために着ていく服がなかったからだ。
ここを出ようと考えた時、まずは来た時に着ていた服や靴を探した。
でも、洗面所やクローゼットなど思いつく限りのところは探したのに、見つからない。
巴のことだからどこかにしまい込んでいるとは考えにくいから、きっと旭がここから勝手に出ていかないよう隠したのだろう。
とは言え、別に拘束されているわけでもないし、オートロックだから鍵が開けっぱなしのままになるなんて心配もない。
だから別に服がないことくらい大きな障害にはならない。あるのはやはり“そんなことをさせてしまった”という、巴への罪悪感だけだった。
着てきた服を捜すために家探しをしていては巴が帰ってきてしまうかもしれない。
手っ取り早く巴の服を拝借しようとしたが、それにもまた問題があった。
クローゼットにあったどれもおしゃれで高そうな巴の服は、上も下も全くサイズが合わなかったのだ。
Tシャツならなんとかオーバーサイズとか言ってごまかせるが、ズボンは残酷なほどに裾が余り、動けば腰からずるずると下がっていく。見るも無残としか言いようがないそのありさまは、とても外に出られる代物ではなかった。
巴と旭では身長が十センチ以上違うし、体格だって全然違う。だから当たり前と言われればそうなのかもしれない。
でも、今まで「もう着ないから」と巴がくれた服はちゃんと旭のサイズに合っていた。
Tシャツだって、ズボンだって、靴だって、いつもちゃんと旭にぴったりだったのに。
だから“サイズが合わない”なんてことがあるなんて、思いもしなかった。
何とも言い難い苦々しさはひとまず頭の隅に追いやり、ではどうしようと考えた末に結局、英司に頼んで服を買ってきてもらうことにしたのだ。
そうして旭は顔色を曇らせ、俯いたまま巴の部屋を出た。
一方、英司はそんな旭を爛々と輝く瞳で見下ろしていた。
英司は旭と巴の高校の同級生で、今は旭と同じ大学に通っている。
二人は高校時代から英司にとって特別な存在だった。
中学は違ったが、それでも見目の整った巴は近隣でも有名で、高校の入学式できゃあきゃあと騒がれる巴を横目で見たの最初だった。
「あれが例の村のやつ?」
「だよな、多分。すっげー、ホント美形だな」
大きな神社以外何もないのに、近隣都市に吸収されることもなく残っている小さな村。
そんな田舎にはとてもそぐわないほどの美形。注目を浴びないわけがない。
その時隣にいた友人も、周囲の人達と同じように巴に釘付けだった。
英司も確かに美形だ、とは思ったが、でもそれだけ。それよりも、その隣にちょこんといる人物の方が気になった。
「隣にいるやつは?」
「あぁ同じ村の幼馴染みってやつじゃない? いつも一緒に登下校してるって聞いたことある」
すらっと背の高い巴に隠れるようにしてそこにいたのが旭だった。
つややかな黒髪、重くないのか思ってしまうほど、長くて濃い睫毛に縁どられた大きな瞳。そして、筋の通った小ぶりな鼻の下にある赤い唇。可憐という言葉がよく似合うその姿に英司はすぐに心を奪われた。ありていに言えばめちゃくちゃに好みだった。
でも、なぜか友人も周囲の人達も旭の方にはまったく目を向けない。旭にだって巴にも負けない存在感を英司は感じるのに。
不思議に思いながらも教室に入り、旭が同じクラスにいるのを見つけた時には心の中で小さくガッツポーズを決めた。
実際に話してみた旭は、その可憐な見た目からくる儚げな印象とは違い、存外はっきりと物を言うし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、小さなことにはこだわらないし、興味ないものにはとことん興味がない、という“竹を割ったような性格”という言葉がぴったりと来るような人だった。
どこからどう見ても魅力的なのだから、巴がいない所だと旭にも注目が集まるのではないか、という心配も杞憂に終わった。
なぜか旭は存在感が薄いのだ。クラスメイトに聞いてみても、「かわいくて大人しい子」、くらいの印象しかない。
でも確かに旭は少し他の人間とは雰囲気が違った。他者と慣れ合わず、確かにそこにいるのに、触れられないような、何かに隠されているような。
神主の家系だと言っていたから、もしかしたら本当に神様的なもののご加護があるのかもなんて随分中二病的なことを考えてしまうほど、旭は英司にとって特別な存在になるのに時間はかからなかった。
でも、それは恋愛感情というよりは、“傾倒”という表現の方が正しいかもしれない。
そんな不思議な感情を旭に抱いていた。
そしてある日気が付いた。巴はそんな旭を隠し、護っているのだと。
それは、巴に告白をされたことが発端だった。
それまで旭を挟んだ関係でしかなかったし、一切の好意など感じたことはなかったのに、突然、本当に突然「好きになった」と告げられたのだ。
でも、英司は昔から人の感情に敏かった。それはもう、『心を読まれている』と母親が怯えるほどに。
だからすぐに分かった。巴の瞳の奥に英司に対する嫌悪が含まれていることを。
口では英司に対する好意を示す言葉を吐いているのに、その瞳は旭に近づくなとありありと憎しみを語っている。そこにあるのはただ旭への執着ともいえる愛。
それを邪魔する人間を巴はこうやってずっと排除してきたのだ気づいてしまった。
理解できない。
そう思った時、英司はこれまでの人生で一番興奮していた。
英司はいわゆる天才だった。
なんだって少しやればすぐできるようになった。少しの情報さえあれば大抵のことは理解できた。
でもこの二人は違う。
二人の歪なようで整えられたその関係性は、把握できるけど、理解できない。
まるで、神域に住まう神とその守護獣のような、そんな人が触れられるはずがないものが今、目の前にある。
それは英司にとっては初めて手にした未知だった。
それを失わないためにはどうしたらいいのか。
答えは簡単。二人の側にい続ければいい。
だから当然、“巴の告白”に対する答えはNoだ。
ここでこの美しい獣の罠にはまれば、只人として地に落ち、排除されるだけ。
もちろん英司の答えに巴はそのきれいな顔を引きつらせていたが、英司が巴から旭を奪う気などないことをすぐに覚ったのだろう。
巴は英司に負けず劣らず、敏かった。
それ以来、巴は英司に対してあからさまな嫌悪を向けはするが、排除はされていない。
その証拠に、今も英司は旭の横を歩いている。
まだその神域を見ていることを許されているのだ。
今朝がた旭から電話がかかってきたときには驚いた。
こちらから連絡することはあっても、旭から連絡が来ることはほぼない。
それが、「服を買ってきて届けて欲しい」なんて頼みで、さらにはその届け先が巴の家とあっては、興奮せずにはいられない
これまで巴は、認識できないほど緩やかな下り坂にボールを転がすように、いつかは必ず巴へとたどり着く道へ、ゆっくりと、でも確実に旭を誘いこんでいた。
でも、連絡をしてきたとき、旭は明らかに巴の部屋に軟禁されていた
これまで慎重に事を運んで来た巴が何の理由もなくそんなことをするはずがない。
そうせざるを得ない“何か”があったのだ。
でも、英司は旭に何も聞かなかった。
なぜ、服が必要なのか。なぜ、巴の部屋にいたのか。
当然、旭をあそこから連れ出したことを、巴は烈火のごとく、いや、それはもう真っ暗闇の海のように寂然と怒るだろう。
英司は決してこの二人の関係を邪魔しようと思っているわけではない。
ただ、この二人を見ていたいのだ。
そのためには旭をあそこから連れ出すことは必要なことだと判断しただけ。
これから何を見せてくれるのか、英司はこぼれ落ちる興奮を隠すことなく旭を見つめた。
その後、旭が英司を伴ってやってきたのはあるホテルの一室だった。
巴の家から逃げ出したのだ。自分のアパートに戻ってすぐ見つかってしまう、そう思った上での行動なのだろう。
――まぁ無駄だろうけど。
以前から巴は旭の行動を全て把握していた。
おそらく、旭のスマホにはそのためのアプリが仕込んであるんだろうし、部屋には盗聴器やら隠しカメラなんかもきっとある。旭の行動なんて筒抜け。きっと旭が部屋から出ることも想定内だ。
旭は賢いが、敏くはない。驚くほどに単純だし、引くほど鈍い。だからこんなことで逃げ切れた気になっているのだろう。
ホテルの部屋に入るや否やスマホに表示された着信画面を見て、英司は自然と口角をあげた。
「何の説明もなしに、悪かったな」
電話を終えて英司が部屋に戻ると、旭はばつが悪そうにベッドの上に胡坐をかいて座っていた。
「別にいいよ。俺は頼まれたことをしただけだ」
そう、それだけ。そこには英司の意見や希望はない。言われた通りに動くだけ。それがこの二人を見ているために与えられた英司の役目だ。
「……何があったか聞かないんだな」
「聞いてほしいなら聞くよ」
英司がベッドに腰を掛けると、旭はグッと唇を引き結んで下を向いた。
そして、ぽつぽつと小さく話始めた。
「俺、巴に面倒ごとに巻き込んじゃって……それが嫌で、つらくて、逃げて来た」
旭の声はかすれ、苦し気に震えている。それはまるで懺悔のようにも聞こえた。
「巴は、俺のためなら何だってするって言うんだよ。でも、俺はそんなこと望んでない。巴には、巴自身のために生きて欲しい」
えっ本気で言ってんの? と思うが、旭は本当にそう思ってるし、本気でそう言っている。
旭は巴の重すぎるほどの愛に、全く気が付いていないのだ。
さすがに巴が不憫だなと思わなくもないが、英司は口出しをできる立場ではない。
だから何も言わず、ただ「うん」と頷く。
「そのためには、俺が巴の側にいちゃいけないってわかってるんだけど、なかなか決心できなくて……。結局苦しめただけだった」
うん、今こうやって巴のところから逃げ出してきたことが一番苦しめてると思うけどな? とは言わない。また「うん」とただ頷く。
「英司、もし巴に会ったら、もう俺は会いたくないって言ってたって伝えてくれない?」
「えっやだし」
ーーうん、わかった。あっ。
口から出た言葉と心の声が逆になってしまったと気づいたときにはもう遅い。
旭は、えっと虚を突かれたと言わんばかりの顔で英司を見上げた。
言われたことをするだけの傍観者を貫こうと思ったが、もう口から出た言葉は取り返せない。
それに、そんなこと伝えたら間違いなく巴に殺される。さすがにそれは遠慮したい。
英司は頭をガシガシと掻いて、大きくため息を吐いた。
「何があったのかは知らないけど、旭は巴がなんで旭のためにいろいろしてくれるのか考えたことある?」
「えっ、それは幼馴染だし、俺、何にもできないから、ほっとけないってだけで……」
想定通りの答えにさっきよりもさらに大きくため息を吐いた。
「じゃあまぁそうだとして、それがなんで嫌なわけ? 別に旭が頼んだわけじゃなくて、巴がやりたくてやってんでしょ?」
「そ、そうなんだけど……」
巴が言ったという『何だってする』がどういうことを意味しているのかはわからないが、巴は旭のためなら本当に何でもするだろう。
きっと、金銭的なことだろうが、自分の身を危ぶめることだろうが、なんだって喜んでやる。それが巴の“愛”なのだから。
でもそれは嫌だと旭は言う。英司からしたら『面倒くさい』の一言だ。
「じゃあ聞くけど、『旭のために』ってされるのが嫌なんなら、逆に何だったらいいの?」
そう聞くと、旭は黙り、下を向いたまま考え込み始めてしまった。
しばらくの沈黙が続く中、英司はチラリと腕時計に目を落とす。
旭とこの部屋に入ってからもうそろそろ三十分は立つ。
――そろそろ出ないとまずいな。
英司はふうっと息を吐き、おもむろに立ち上がった。
「俺はそろそろ行くけど、まぁゆっくり考えてみなよ」
ポンポンとまだうつむいたままの旭の頭を撫で、部屋を後にした。
英司が部屋を出ていったあと、旭は一人、うんうんと頭をひねらせていた。
――何だったらいいのか。
『旭のために』と言われると、どうしても巴を犠牲にしているように感じる。
だから、こんなことはさせてはいけない、そう思っていた。
英司が言ったことは“してもらうこと”は前提として、何と言われたら受け入れられるのか、そういう言うことだ。
単純に、『旭のために』の逆を言うならば『巴のために』ということになる。
今回の件に当てはめれば、『巴のために旭の種主になる』ということになるが、そんなこと成立しないし、意味が分からない。
――その意味を考えろってことか?
答えにつながる糸の端を掴んではいるのに、こんがらがって先が見えない。
またうんうんと唸りながら糸をゆっくりと引いていく。
これは答えにたどり着くまでにどれだけかかることやら、などと思っていると自然と瞼が落ちてくる。
久々に外に出たし、何より旭は疲れていた。
急に負わされた役目。そのせいでおかしくなった体。
そして、急激に変わってしまった巴との関係。
もう何も考えたくないほどに疲れてしまった。
重力に従って瞼を閉じる。そうすればあっという間に眠りの世界へと誘われていった。
ここを出ようと考えた時、まずは来た時に着ていた服や靴を探した。
でも、洗面所やクローゼットなど思いつく限りのところは探したのに、見つからない。
巴のことだからどこかにしまい込んでいるとは考えにくいから、きっと旭がここから勝手に出ていかないよう隠したのだろう。
とは言え、別に拘束されているわけでもないし、オートロックだから鍵が開けっぱなしのままになるなんて心配もない。
だから別に服がないことくらい大きな障害にはならない。あるのはやはり“そんなことをさせてしまった”という、巴への罪悪感だけだった。
着てきた服を捜すために家探しをしていては巴が帰ってきてしまうかもしれない。
手っ取り早く巴の服を拝借しようとしたが、それにもまた問題があった。
クローゼットにあったどれもおしゃれで高そうな巴の服は、上も下も全くサイズが合わなかったのだ。
Tシャツならなんとかオーバーサイズとか言ってごまかせるが、ズボンは残酷なほどに裾が余り、動けば腰からずるずると下がっていく。見るも無残としか言いようがないそのありさまは、とても外に出られる代物ではなかった。
巴と旭では身長が十センチ以上違うし、体格だって全然違う。だから当たり前と言われればそうなのかもしれない。
でも、今まで「もう着ないから」と巴がくれた服はちゃんと旭のサイズに合っていた。
Tシャツだって、ズボンだって、靴だって、いつもちゃんと旭にぴったりだったのに。
だから“サイズが合わない”なんてことがあるなんて、思いもしなかった。
何とも言い難い苦々しさはひとまず頭の隅に追いやり、ではどうしようと考えた末に結局、英司に頼んで服を買ってきてもらうことにしたのだ。
そうして旭は顔色を曇らせ、俯いたまま巴の部屋を出た。
一方、英司はそんな旭を爛々と輝く瞳で見下ろしていた。
英司は旭と巴の高校の同級生で、今は旭と同じ大学に通っている。
二人は高校時代から英司にとって特別な存在だった。
中学は違ったが、それでも見目の整った巴は近隣でも有名で、高校の入学式できゃあきゃあと騒がれる巴を横目で見たの最初だった。
「あれが例の村のやつ?」
「だよな、多分。すっげー、ホント美形だな」
大きな神社以外何もないのに、近隣都市に吸収されることもなく残っている小さな村。
そんな田舎にはとてもそぐわないほどの美形。注目を浴びないわけがない。
その時隣にいた友人も、周囲の人達と同じように巴に釘付けだった。
英司も確かに美形だ、とは思ったが、でもそれだけ。それよりも、その隣にちょこんといる人物の方が気になった。
「隣にいるやつは?」
「あぁ同じ村の幼馴染みってやつじゃない? いつも一緒に登下校してるって聞いたことある」
すらっと背の高い巴に隠れるようにしてそこにいたのが旭だった。
つややかな黒髪、重くないのか思ってしまうほど、長くて濃い睫毛に縁どられた大きな瞳。そして、筋の通った小ぶりな鼻の下にある赤い唇。可憐という言葉がよく似合うその姿に英司はすぐに心を奪われた。ありていに言えばめちゃくちゃに好みだった。
でも、なぜか友人も周囲の人達も旭の方にはまったく目を向けない。旭にだって巴にも負けない存在感を英司は感じるのに。
不思議に思いながらも教室に入り、旭が同じクラスにいるのを見つけた時には心の中で小さくガッツポーズを決めた。
実際に話してみた旭は、その可憐な見た目からくる儚げな印象とは違い、存外はっきりと物を言うし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、小さなことにはこだわらないし、興味ないものにはとことん興味がない、という“竹を割ったような性格”という言葉がぴったりと来るような人だった。
どこからどう見ても魅力的なのだから、巴がいない所だと旭にも注目が集まるのではないか、という心配も杞憂に終わった。
なぜか旭は存在感が薄いのだ。クラスメイトに聞いてみても、「かわいくて大人しい子」、くらいの印象しかない。
でも確かに旭は少し他の人間とは雰囲気が違った。他者と慣れ合わず、確かにそこにいるのに、触れられないような、何かに隠されているような。
神主の家系だと言っていたから、もしかしたら本当に神様的なもののご加護があるのかもなんて随分中二病的なことを考えてしまうほど、旭は英司にとって特別な存在になるのに時間はかからなかった。
でも、それは恋愛感情というよりは、“傾倒”という表現の方が正しいかもしれない。
そんな不思議な感情を旭に抱いていた。
そしてある日気が付いた。巴はそんな旭を隠し、護っているのだと。
それは、巴に告白をされたことが発端だった。
それまで旭を挟んだ関係でしかなかったし、一切の好意など感じたことはなかったのに、突然、本当に突然「好きになった」と告げられたのだ。
でも、英司は昔から人の感情に敏かった。それはもう、『心を読まれている』と母親が怯えるほどに。
だからすぐに分かった。巴の瞳の奥に英司に対する嫌悪が含まれていることを。
口では英司に対する好意を示す言葉を吐いているのに、その瞳は旭に近づくなとありありと憎しみを語っている。そこにあるのはただ旭への執着ともいえる愛。
それを邪魔する人間を巴はこうやってずっと排除してきたのだ気づいてしまった。
理解できない。
そう思った時、英司はこれまでの人生で一番興奮していた。
英司はいわゆる天才だった。
なんだって少しやればすぐできるようになった。少しの情報さえあれば大抵のことは理解できた。
でもこの二人は違う。
二人の歪なようで整えられたその関係性は、把握できるけど、理解できない。
まるで、神域に住まう神とその守護獣のような、そんな人が触れられるはずがないものが今、目の前にある。
それは英司にとっては初めて手にした未知だった。
それを失わないためにはどうしたらいいのか。
答えは簡単。二人の側にい続ければいい。
だから当然、“巴の告白”に対する答えはNoだ。
ここでこの美しい獣の罠にはまれば、只人として地に落ち、排除されるだけ。
もちろん英司の答えに巴はそのきれいな顔を引きつらせていたが、英司が巴から旭を奪う気などないことをすぐに覚ったのだろう。
巴は英司に負けず劣らず、敏かった。
それ以来、巴は英司に対してあからさまな嫌悪を向けはするが、排除はされていない。
その証拠に、今も英司は旭の横を歩いている。
まだその神域を見ていることを許されているのだ。
今朝がた旭から電話がかかってきたときには驚いた。
こちらから連絡することはあっても、旭から連絡が来ることはほぼない。
それが、「服を買ってきて届けて欲しい」なんて頼みで、さらにはその届け先が巴の家とあっては、興奮せずにはいられない
これまで巴は、認識できないほど緩やかな下り坂にボールを転がすように、いつかは必ず巴へとたどり着く道へ、ゆっくりと、でも確実に旭を誘いこんでいた。
でも、連絡をしてきたとき、旭は明らかに巴の部屋に軟禁されていた
これまで慎重に事を運んで来た巴が何の理由もなくそんなことをするはずがない。
そうせざるを得ない“何か”があったのだ。
でも、英司は旭に何も聞かなかった。
なぜ、服が必要なのか。なぜ、巴の部屋にいたのか。
当然、旭をあそこから連れ出したことを、巴は烈火のごとく、いや、それはもう真っ暗闇の海のように寂然と怒るだろう。
英司は決してこの二人の関係を邪魔しようと思っているわけではない。
ただ、この二人を見ていたいのだ。
そのためには旭をあそこから連れ出すことは必要なことだと判断しただけ。
これから何を見せてくれるのか、英司はこぼれ落ちる興奮を隠すことなく旭を見つめた。
その後、旭が英司を伴ってやってきたのはあるホテルの一室だった。
巴の家から逃げ出したのだ。自分のアパートに戻ってすぐ見つかってしまう、そう思った上での行動なのだろう。
――まぁ無駄だろうけど。
以前から巴は旭の行動を全て把握していた。
おそらく、旭のスマホにはそのためのアプリが仕込んであるんだろうし、部屋には盗聴器やら隠しカメラなんかもきっとある。旭の行動なんて筒抜け。きっと旭が部屋から出ることも想定内だ。
旭は賢いが、敏くはない。驚くほどに単純だし、引くほど鈍い。だからこんなことで逃げ切れた気になっているのだろう。
ホテルの部屋に入るや否やスマホに表示された着信画面を見て、英司は自然と口角をあげた。
「何の説明もなしに、悪かったな」
電話を終えて英司が部屋に戻ると、旭はばつが悪そうにベッドの上に胡坐をかいて座っていた。
「別にいいよ。俺は頼まれたことをしただけだ」
そう、それだけ。そこには英司の意見や希望はない。言われた通りに動くだけ。それがこの二人を見ているために与えられた英司の役目だ。
「……何があったか聞かないんだな」
「聞いてほしいなら聞くよ」
英司がベッドに腰を掛けると、旭はグッと唇を引き結んで下を向いた。
そして、ぽつぽつと小さく話始めた。
「俺、巴に面倒ごとに巻き込んじゃって……それが嫌で、つらくて、逃げて来た」
旭の声はかすれ、苦し気に震えている。それはまるで懺悔のようにも聞こえた。
「巴は、俺のためなら何だってするって言うんだよ。でも、俺はそんなこと望んでない。巴には、巴自身のために生きて欲しい」
えっ本気で言ってんの? と思うが、旭は本当にそう思ってるし、本気でそう言っている。
旭は巴の重すぎるほどの愛に、全く気が付いていないのだ。
さすがに巴が不憫だなと思わなくもないが、英司は口出しをできる立場ではない。
だから何も言わず、ただ「うん」と頷く。
「そのためには、俺が巴の側にいちゃいけないってわかってるんだけど、なかなか決心できなくて……。結局苦しめただけだった」
うん、今こうやって巴のところから逃げ出してきたことが一番苦しめてると思うけどな? とは言わない。また「うん」とただ頷く。
「英司、もし巴に会ったら、もう俺は会いたくないって言ってたって伝えてくれない?」
「えっやだし」
ーーうん、わかった。あっ。
口から出た言葉と心の声が逆になってしまったと気づいたときにはもう遅い。
旭は、えっと虚を突かれたと言わんばかりの顔で英司を見上げた。
言われたことをするだけの傍観者を貫こうと思ったが、もう口から出た言葉は取り返せない。
それに、そんなこと伝えたら間違いなく巴に殺される。さすがにそれは遠慮したい。
英司は頭をガシガシと掻いて、大きくため息を吐いた。
「何があったのかは知らないけど、旭は巴がなんで旭のためにいろいろしてくれるのか考えたことある?」
「えっ、それは幼馴染だし、俺、何にもできないから、ほっとけないってだけで……」
想定通りの答えにさっきよりもさらに大きくため息を吐いた。
「じゃあまぁそうだとして、それがなんで嫌なわけ? 別に旭が頼んだわけじゃなくて、巴がやりたくてやってんでしょ?」
「そ、そうなんだけど……」
巴が言ったという『何だってする』がどういうことを意味しているのかはわからないが、巴は旭のためなら本当に何でもするだろう。
きっと、金銭的なことだろうが、自分の身を危ぶめることだろうが、なんだって喜んでやる。それが巴の“愛”なのだから。
でもそれは嫌だと旭は言う。英司からしたら『面倒くさい』の一言だ。
「じゃあ聞くけど、『旭のために』ってされるのが嫌なんなら、逆に何だったらいいの?」
そう聞くと、旭は黙り、下を向いたまま考え込み始めてしまった。
しばらくの沈黙が続く中、英司はチラリと腕時計に目を落とす。
旭とこの部屋に入ってからもうそろそろ三十分は立つ。
――そろそろ出ないとまずいな。
英司はふうっと息を吐き、おもむろに立ち上がった。
「俺はそろそろ行くけど、まぁゆっくり考えてみなよ」
ポンポンとまだうつむいたままの旭の頭を撫で、部屋を後にした。
英司が部屋を出ていったあと、旭は一人、うんうんと頭をひねらせていた。
――何だったらいいのか。
『旭のために』と言われると、どうしても巴を犠牲にしているように感じる。
だから、こんなことはさせてはいけない、そう思っていた。
英司が言ったことは“してもらうこと”は前提として、何と言われたら受け入れられるのか、そういう言うことだ。
単純に、『旭のために』の逆を言うならば『巴のために』ということになる。
今回の件に当てはめれば、『巴のために旭の種主になる』ということになるが、そんなこと成立しないし、意味が分からない。
――その意味を考えろってことか?
答えにつながる糸の端を掴んではいるのに、こんがらがって先が見えない。
またうんうんと唸りながら糸をゆっくりと引いていく。
これは答えにたどり着くまでにどれだけかかることやら、などと思っていると自然と瞼が落ちてくる。
久々に外に出たし、何より旭は疲れていた。
急に負わされた役目。そのせいでおかしくなった体。
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