ライト文芸短編集

砂臥 環

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ウニがインドカレーの具になりたいと言うから。

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ある夜海に行くと、ウニが話し掛けてきた。
月の綺麗な夜だった。

「なますてー」

私はとても驚いた。
ウニに話しかけられたのは初めてだ。
しかも挨拶が「ナマステ」とは。

だがたいしたことじゃない。
気の良さそうなウニなので、私も挨拶を返す事にする。

「なますてー」

私にインド人の知り合いはいないが、なんとなくイメージするインド人の感じで両掌をピッチリと合わせて挨拶を返す。するとウニは嬉しそうにトゲをピルピルと震わせた。

「君はなかなか可愛らしいウニだな。 日本語は喋れるのかね?」
「むしろ日本語しか喋れないな」
「ナマステって言ってたじゃん」

「君インド人でしょ?」

…………何故そう思った。
私が否定するとウニは嘆き悲しんだ。
ノリでインド人風に挨拶したのが誤解を生んだらしい。
慰めてやろうと思ったが、背中がとげとげしているので撫でてはあげられない。

せめて一緒に悲しむことにした。

「私が日本人ですまなかったな、ウニ。 良かったら一緒に悲しんでやろう。 何でインド人が良かったんだね?」
「カレーの具になりたいんだ」

「それは日本のカレーじゃダメなのか?」と聞くと、スパイシーさが足らないしその製法に問題があると言う。

「日本のカレーは煮込むだろう? しかもルーが既に出来上がっている。 あれはいけない。 きっと僕はルーの波に揉まれながらドロドロに溶け、その存在を維持することができなくなるだろう。  しかしだからと言って、福神漬けの様な扱いを望んでいるわけではないんだ。 主張をしあう強烈な個性の波の中で己の存在を確立したい」

なかなか含蓄がんちくのあることを言うではないか。

私はウニが気に入ったので「ならばインドカレーの店で『ウニカレー』を作ってもらおうか」と提案した。
ウニは喜んだが、私にはインドカレー屋を営む知り合いはいない。
なので、もう少し待ってもらう事にする。

「了解した。 毎夜この時間辺り、僕は近くにいることにするよ。 
 準備が整ったら呼んでくれ」
 
そう言ってウニは夜の真っ黒な海へ消えていった。

☆★☆

「お嬢様、また脱け出したのですか?」
「よくおわかりで……」
「おみ足が汚れてますよ、あとパジャマ。 あらやだシーツまで! ……全く、脱け出すならもっと上手くおやりくださいませ!」

私の世話係である如月きさらぎは、そう言って怒った。
如月の良いところは頭ごなしに怒ったり、押し付けたりしないところだ。そういう決まりなのか、性格なのかは知らないが然したる問題ではない。

中和泉なかいずみ 杏子きょうこ。それが私の名だ。

名前は嫌いではないが『キョウコ』ではなく『アン』と皆に呼ばせている。
嫌いではないが、私のイメージじゃない気がするから。
如何せん響きが賢すぎる。

メイドがいることでもわかるとは思うが、中和泉家は金持ちだ。
『どこに出しても恥ずかしい娘』をお外に出せないようなところに隔離するなど、簡単なこと。

海のそばの別荘に私は住んでいる。
その昔、どこぞのやんごとなきお方が住んでたところだとか。

週に2回、家庭教師兼専属医師でありカウンセラーでもある八尾やお先生が会いに来る。
彼は私の許嫁だ。
つまりは父の手駒である。

八尾先生は私が13の時に、中学卒業に足る成績と出席日数をクリアすると『許嫁』として父に連れて来られた。
彼はロリコンではないようなので、多分金銭的な事や弱味につけ込まれたんだろう。
外聞を重んじる父の手駒である八尾先生だが、そこそこのイケメン・ナイスガイなのでそれなりに仲良くしている。


父曰く、『杏子は気狂い』らしい。


私は確かに変なものが見えたり聞こえたりするので、まぁ仕方ない。自分が狂っているかどうかなんて私にはわからないが、普通でないのを『狂っている』というのであれば、私は間違いなく狂っている。

☆★☆

ウニと会った二日後、八尾先生が来た。
診察を終えた後は勉強の時間だが、今日は勉強の前に聞きたいことがある。

「インドカレーの店?」
「どっか知らない?」
「知らないことはないけど……じゃあお昼はそこに連れてってあげるよ。 今日はドライブデートにしよう? ちょっと遠いんだ」

『ドライブデート』とか、気の利いた事を言う。
この周りなんもないってだけだろうに。
なにしろ海と山以外は、どこだって『ちょっと(もしくはそれ以上)遠い』のだから。

☆★☆

都会の人から見れば『景観の素晴らしい』海と山ばかりの道を、なんか獅子っぽいエンブレムのついた、多分それなりに高級の部類に入ると思われる車でインドカレー屋を目指す。

『ドライブデート』という名目ではあるが、私はいつもの様にTシャツにスキニーデニムとスニーカーである。

鞄なんかは持っていない。手ぶらだ。
スマホも許されてないし、お金も持っていないから。

周辺(家の敷地内)以外に出る時は、必ず誰かがついているから必要ないのだ。

私は狂っているらしいのでそういう扱いな訳だが、そのお陰でそれを苦と思ったことはないというのだから、よくわからない。


言うならば、正しく狂っている。


「何でインドカレーなの?」と車内で八尾先生が聞くので、昨晩のウニの話をしたら笑っていた。

「なかなか哲学的なウニだね」
「そうでしょう?」

『カレーの具になる』ということは『死ぬ』ということだ。
死して尚『強烈な個性の波の中で己の存在を確立したい』とは。
いや、むしろその為に死ぬのだろうか。

答えはウニだけが知っている。
福神漬けのような扱いに満足している私より、よっぽど哲学的だ。

「こういう出会いがあるから狂人はやめれませんよ」
「別に僕は君が狂人だと思ったことはないけどね」

八尾先生はいつもそう言うが、どうせカウンセリングのお定まりの台詞なんだろう。だが付き合ってくれて有り難いとは思っている。
八尾先生がいなければ私の自由度は格段に下がるだろう。

その一方で、八尾先生に感謝や親しみを覚える程、同情を禁じ得ない。

「八尾先生、私もうすぐ16になっちゃうんですよ」
「うん、そうだね。 なに? なんか欲しいの?」
「いや、このままだと八尾先生、私と結婚させられちゃうよ?」
「ああ、ちゃんとプロポーズした方がいい?」

……する気なのかよ、結婚。

「……八尾先生がロリコンだったとは」
「そういう訳じゃないけどね。 20歳迄待ってもいいけど、僕の方が捨てられちゃうかなぁと。 20歳迄『白い結婚』とか、どう?」

どうやら八尾先生は予想外にも結婚に乗り気のようだ。
……お金の問題だろうか。世知辛いな。
だとしてもいいけれど。八尾先生がそれでいいのなら。

おもわぬところでかねてからの心配事が解消された。ウニに感謝しよう。

☆★☆

八尾先生が『結婚式は教会? 神社?』とか『ウェディングドレスはどういうのがいい?』とか、冗談か本気かよくわからない質問を矢継ぎ早にしてくるのに困惑していたら、目的のインドカレー屋に着いた。

相手はウニなので、シーフードカレーを注文した。
八尾先生はバターチキンとひよこ豆のカレーをセットにして。

「『哲学的だ』とか言ってたくせに」
「哲学で腹が満たされるのはそれを生業なりわいにしてる人だけだよ。 折角のデートで倒れたくないしね」
「倒れる?」

八尾先生は甲殻類アレルギーらしい。
全然知らなかった。

「ウニより興味を持たれてないよね、僕って。 ……まぁ仕方ないのかな。 君の周りはみんな正直だもんね」
「どういう意味?」
「だから、ウニ達さ。 面白いよねぇ、君の周り」

八尾先生はそう言って笑う。

「信じてるの? 八尾先生は、私の話」
「だってアンにはそう見えてるんだろ? 少なくとも作り話と思ったことは1度だってないよ」
「…………そうなんだ」

八尾先生は医者だから、どうせ『心神耗弱』がどうとか……犯罪者が刑を軽くする為に、裁判で犯行時の精神状態を示すとき使うみたいな言葉を挙げ連ねて、私の『幻想』や『妄想』と片付けているのだと思っていた。

そう言うと「それも可能性として考えてるよ」とアッサリ暴露する。

「そういう理由なら幾らでもつけられるしね。 ……アンは『悪魔の証明』って知ってる?」
「なにそれ」
「要はね、『いない事を証明するのは難しいよね』って話。 ……アンが見えているモノや聞こえているものを完全に否定するなんて、誰にもできない」

話している内にカレーが来た。
早いな!
店員のインド人に八尾先生が愛想よく笑顔を向ける。

「ごゆっくりドゾー」とカタコトの日本語で述べ、店員が去ると八尾先生はカトラリーを動かしながら「いただきます」と小さく言って、カレーを食べる体勢に入る。私もそれに倣った。
食べながら、合間にちょいちょい続きを話す。

スプーンを口に入れる前。
口の中のものを嚥下をしたあと。

「いるかいないかはわからないけど、アンが何か見えてるのは嘘じゃない。 それはアンにとってはいるって事だ。そうだろ?」
「…………でもいることを証明するのも結局できないじゃん」 

返事の間にまた食べる。
食べるの凄く早い。
飲み込むのも早い。
ちゃんと噛んでるのかな?

「そうだね。 それはもしかしたらさっき言ったように君の心や脳の働きによる幻かもしれない。 それを調べるのが僕の役割でもあるけれど……正直、わかる気がしないんだよね。 だったらいっそ僕も、『いる』って考えた方が面白いな、と。 実際君の話す彼らのアレコレはとても面白い」

そう言うと八尾先生は「で、ウニカレーにできそう?」と私に味の感想を求めてきた。
 正直なところ、シーフードカレーは美味しかったけど、ウニがこれに合うかどうかなんてわかんなかった。

それでも八尾先生がお店の人を巧いこと言いくるめ、お店のカレーベースを売ってもらうことに成功した。
このカレーベースに下処理を施した具材とココナツミルクを適量加えれば、シーフードカレーが完成するらしい。

ついでにナンも買っていった。
これはただ単に私が好きだからである。

帰りの車で八尾先生は尋ねた。

「あの店にはなんかいた?」
「いたよ。 斜め前の赤いトルコランプのトコに。 ド派手なアロハシャツ着てダボダボのジーパン履いたガラの悪いヤツが。 黒アゲハみたいな羽根の」

しかも広島弁っぽい訛りを喋っていた。
任侠モノに憧れがありそうで、胡散臭さが否めない。

そう言うと、八尾先生は「広島弁が正しくわかる人に聞かせてみたいね」等と言いながらやっぱり笑っていた。

変な人だと思う。

☆★☆

「ウニー! ウニー!!」

帰った後、この間抜け出した夜の10時辺りまで待って、岩辺に出た。 
ここは中和泉のプライベートビーチなので、普通に行く分にはそんなに怒られない。だが基本的に夜の海は危険なので、夜行ったことがバレると滅茶苦茶怒られる。
なので前回も潮の香りを飛ばすため、しっかり消臭剤をぶちまけるのだけは忘れなかった。汚れまでは気が回らなかったが。

今回は八尾先生が話をつけてくれ、この後キッチンも使用できることになっている。
準備は万端だ。

しかし、何度呼んでもウニは来ない。

「僕がいるからかな……」

八尾先生がポツリと呟く。
いや、そんなこと気にするウニではない……と、思いたい。

「……さん、お嬢さん」

突如声を掛けられた。
とても小さな声で、私はどこからその声が発せられているのかぐにはわからなかった。

「下です、お嬢さん」

その言葉に従い、懐中電灯を下に向けるとそこにはウニ……ではなく、なまこがいた。

「あちらです、お嬢さん」

なまこの後に続いて岩辺を歩く。
そのスピードは非常に遅いが、それは仕方がない。なまこだもの。

「……アレを」

沈痛な声色。
不安に刈られながら光を向ける。

「ああ…………」

予感は的中した。

そこには無惨にもなにがしかに喰われ、外側だけになったウニの亡骸。

あんなにもカレーの具になりたがっていたのに。

「ウニは貴女と出会えて、死という新たな旅路への希望に満ち溢れておりました……」

なまこは淡々と語る。
ふたりがどういう関係だったのかはわからないが、きっとなまこもウニも仲間内では『変わったヤツ』だったんだろうな……と、漠然と思う。

「これも自然の摂理です。 私は彼に代わって貴女にお礼を言いに来たまで。 どうか、来世の彼に幸あらんことを祈って頂きたい」

なまこは終始淡々とした口調で全てを言い終えると、「では」と言って海へと入ってしまった。

「ウニ…………」

亡骸を前にしゃがみこむ私。

「アン、どうなったの?」

空気を読むことなく、八尾先生は興味津々といった感じで話掛けてきた。
亡骸を指差すと、八尾先生はソレを拾った。

「あ、でもほらちょっと中身残ってるし……外側を容器にしてカレーを入れたらどうかな?」
「…………そうだね」

☆★☆

ウニの供養の為に、私はカレーを作った。
ウニの欠片をそれに加える。
これで少しは浮かばれるだろうか。

出来上がったルーを殻の中に盛った。

『インド人もビックリ!ウニカレー~哲学風味~哀悼の意を込めて』の完成である。

残念な事に、ウニの風味など微塵も感じられない。
しかも殻のせいでちょっと磯臭い。

ガッカリした様子の私に、八尾先生はこう感想を述べた。
一口位なら食べても平気らしい。


「うん……諸行無常の味がするね」


…………巧いこと言いやがる。

ウニの亡骸(※殻)はアッサリ生ゴミ用のゴミ箱に入れた。
感傷に浸るのはきっと、ウニも本意ではないだろう。
「どうせ殻だし」とか思った訳ではない。決してそんなことではない。

八尾先生の言う通り、世は諸行無常。
変わらないことなどない。

多分二度とウニカレーを作ることはないだろう。あんまり美味しくなかったし。

来世は違う生物になるといい。
輪廻転生がもしあるのなら。

☆★☆

あんまり美味しくないウニカレーを完食し、八尾先生を見て尋ねる。

「八尾先生は私と結婚するの?」
「このままいけばね」
「お金の為?」
「え、別にお金には困ってないけど」

衝撃の事実。
じゃ、なんのためなんだ。

「アンが好きだからじゃない?」
「へぇぇぇぇぇぇぇぇ」

『ウニより興味を持たれてないよね、僕って』……そう彼は言っていた。
確かに諸行無常だ。
今はちょっと興味がある。

「狂ってますけど平気ですかね?」
「狂ってるの? アンは」
「そうらしいです」
「そう、じゃあ僕も狂ってるんだろう」

よくわからない理屈だ。

「ね、アン。 君が見ている世界が周りにとってはおかしくても、見えない周りがおかしいのかもしれないよ。 世界から見れば」
「そんな事言ったら怒られますよ、父に」
「それは怖いね」

最後に「おやすみ」と告げて八尾先生は帰っていった。

彼の車が獅子っぽいエンブレムのものであることは知ってても、彼が何処に帰るのかすら知らない私。

次会うときはちょっと聞いてみてもいいかな。

なんとなくそう思う。

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