白銀オメガに草原で愛を

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帰還

69.亀とはどんなものかしら

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 岩の光がなくなってしまったので階段を上るのは大変かと思ったのだが、エルヴァが足元を飛び回って明るくしてくれたおかげで、ユクガにも階段が見える状態で戻ることができた。仲がいいのか悪いのか、どちらだろう。あまり二人で話そうとはしないけれど。
 建物の外に出ると昼過ぎころのようで、ルガートたちをずいぶん待たせてしまっただろうか。

「……其方ら、如何様にしてここへ渡ったのだ」

 一目見て橋も船もないことに気づいたエルヴァが、戸惑ったような声で聞いてくる。精霊のことならエルヴァにはすぐわかるだろうと思っていたのだが、細かいことまでは気にしていないのかもしれない。

「精霊様が、道を作ってくださいました」
「……なるほど……」

 小鳥の姿のままなのだが、頭を抱えているような気がした。
 どうしたのだろうとキアラが首を傾げる横で、ユクガがまぶしそうに目を細めている。天気がいいので、湖面がきらきらしていてきれいだ。

「仕方あるまい」

 エルヴァがキアラの肩から飛び立つと、ぱたぱたと水面に向かって下りていく。そのまま小鳥の姿が揺らめき、瞬きの間に平べったいような生き物が湖の上に浮かんでいた。
 少し深めの皿をひっくり返したようなものを背中に背負って、平たい手足、それから頭と尻尾。

「……亀……?」
「かめ、ですか」

 亀というのは、魚ほどたくさんではないが、池や川にはよくいる生き物らしい。キアラは見たことがない。カガルトゥラードの宮殿の庭には池が作られているところもあったが、きれいな魚が放されているだけだった。

「二人乗れよう」
「乗せてくださるのですか」
「でなければ如何様にしてあちらへ戻る」
「精霊様にお願いしようと思っておりました」

 それはエルヴァが許せないらしい。早く乗るよう急かされて、ユクガが先に亀の上に乗り、キアラがおそるおそる飛び乗るのを抱きとめてくれた。そっと腰を下ろしてみたものの、亀の甲羅というところは、思ったより硬くない。ユクガが後ろに座って、キアラの体を抱えてくれる。

「行くぞ」
「ありがとうございます、エルヴァ様」

 なめらかにエルヴァが向きを変え、泳ぎ出す。亀がどういう生き物かよく知らないのだが、ユクガに支えてもらわないと吹き飛ばされそうなほど、速い生き物なのだろうか。左右から後方に流れるように水の膜が広がっている。
 止まったときも、勢いよく前に放り出されそうになったのを、ユクガが抱えて防いでくれた。首がどうにかなるかと思った。

「……キアラ様? ユクガ様?」
「……リンドベル、か」
「はい……亀……?」

 答えられないでいるキアラを、キアラよりはしっかりしているユクガがリンドベルに渡してくれる。抱っこで運ばれているが、仕方ないのだ。
 くらくらする。

「速いほうがよかろうと思うたが」
「……限度が、ある」

 ユクガはキアラと違って動けるし話せるようだが、いつも通りというほどではないようだ。リンドベルが用意してくれていた場所に二人して座り込み、ユクガにもたれかかっているキアラの肩にエルヴァが戻ってくる。

「鳥……」

 リンドベルがとても何か聞きたそうな顔をしているのだが、待ってほしい。

「……精霊、だそうだ」
「……私にも見えて……言葉を話す、精霊、ですか……?」
「詳しいことは俺もわかっていない」

 一つ大きく息をついてユクガが首を振り、キアラを撫でてくれる。残念ながら、キアラはまだ動けそうになかった。

「くらくら、します」
「……もう少し休んでおけ。ルガートたちはどうした」

 キアラたちが建物のほうへ向かう前、ラグノースとリンドベルが船を探しに行ったものの、やはり見つからなかった。一日経っても戻らなかったら探しに来るように、とユクガに言われたこともあって、船がないなら即席でいかだを作ろうと、今度はラグノースとルガートが手ごろな木を探しに行ったらしい。
 ただ、元々キアラとユクガを探しに行くためのいかだなので、二人が無事に戻ってきたのなら必要はない。

「呼び戻したいのはやまやまですが、申し訳ありません、どのあたりにいるものか……」

 そのうちいかだを完成させられるように戻ってくるだろうが、どこまで行っているかはわからないらしい。ユクガに抱えられながら、キアラは肩にいるエルヴァに尋ねた。

「探していただくことは、できますか」
「其方の願いなれば聞かぬことはないが、此方を其方の使いとわかろうか?」

 薄青色の小鳥がどこからか飛んできて、キアラが呼んでいるから帰ってこいと言ったとして、ルガートとラグノースが聞いてくれるだろうか。
 確かに聞いてくれなさそうだと少し考えて、胸元の小袋を引っ張り出す。ルガートが返してくれた、緑の蝶の簪なら、どうだろう。

「こちらをお持ちください、エルヴァ様。これなら、私がお願いしたのだと、わかってくださいます」

 ヨラガンに移動する間に着飾ることもないし、かといって大切なものなので傍から離したくもなくて、胸からさげた小袋に入れて持ち歩いていたのだ。ときどき取り出して嬉しく眺めていたら、ユクガに見られてしまって恥ずかしい思いもすることになったが。

「よかろう」

 簪を持ち運べそうな大きさではないのだが、小鳥が造作もなく簪を掴んで飛んでいく。エルヴァが二人を連れてきてくれる間に、キアラも元気になれるだろう。
 ぱたぱたとエルヴァが飛んでいくのを見送って、ユクガに抱え直される。

「こちらを」
「ありがとうございます、リンドベル様」
「すまん」

 リンドベルが温かい飲み物を用意してくれて、少しずつ口に含む。一晩何も食べていないというのに、空腹は感じない。ユクガはスープやパンを口にしていたが、キアラは遠慮しておいた。少しは何かしら口にしておいたほうがいいと心配されたものの、今は飲み物で十分だ。

 気づかわれながらユクガの膝で休んでいると、ひづめの音が聞こえてきた。森の中を、あれほど速く走れるものだろうか。視線を向けた森から小さな塊が飛び出してきて、その勢いのままキアラの胸元に飛び込んでくる。

「エルヴァ様、お帰りなさいませ」
「あれを止めよ!」

 あれとは何か、聞く前に二頭の馬が駆け込んできて、手綱を引かれて後ろ足で立ち上がった。
 キアラは驚くだけだったが、ユクガはキアラを抱え、リンドベルはそつなく二人の前に立ってくれている。とっさのときにこうして動けるようになるには、どうしたらいいのだろう。

「神子様! ユクガ様!」

 やや思考がずれたキアラの前に、ともすれば暴れてしまうのではないかという馬をあっさりなだめて、ルガートとラグノースがすらりと降り立った。そのまま片膝をついて、真剣な顔を向けてくる。

「こちらにあの簪を持った鳥が参りませんでしたか」

 きちんとエルヴァに気づいてくれたようだが、あの勢いだと、あとをついてきたというより追いかけてきたといったほうが近いのではないだろうか。
 胸元でエルヴァを抱えていた腕を緩めると、ルガートとラグノースが勢いよく立ち上がる。

「ルガート様、ラグノース様、こちらはエルヴァ様です。あの……悪い、鳥では、ありません」
「……ですが神子様の簪を」
「あれは、私がエルヴァ様に、ご伝言をお願いしたことに、気づいていただきたくて……」

 エルヴァが簪を取っていってしまったのだと誤解されているようで、あたふたと二人に説明する。リンドベルにも話せていなかったし、ちょうどいいだろう。
 ユクガと二人で湖を渡って建物についたところから、建物の下に光る岩があったこと、岩に触れて気がついたら精霊の庭と呼ばれる場所にいて、エルヴァと話し、ファルファーラについて少し知ったこと。
 フィオレとシハユという、ファルファーラの最後の王様について。

「……それから、エルヴァ様が、私と契りを結んでくださいました」

 キアラの手にいたエルヴァが、ぱたぱたと肩まで移動してくる。ふくふくと胸を膨らませているように見えるのは、誇らしげにしている仕草、だろうか。

「……契約、精霊……」

 呆然としたようにつぶやいて、ルガートがまたその場に膝をついてしまった。ラグノースが慌てて傍に寄るが、リンドベルは難しい顔でルガートの後ろに控える。
 小さく首を傾げたキアラの体を、ユクガが後ろからぎゅっと抱きしめてきた。

「……キアラ様に、お伺いしたいことが」

 リンドベルの問いかけに、キアラはルガートから視線を移した。

「私、ですか」
「……この後の、ご予定を」

 じっと見つめてくる真剣な表情に、思い当たるところがなくて首を傾げる。リンドベルは、何を聞きたいのだろう。
 キアラがこの場所をくり返し夢で見たのは、おそらく、エルヴァと出会うためだと思う。契りというのを結んで、小鳥の姿でキアラについてきてくれているエルヴァは、見た目は愛らしいが強大な精霊のはずだ。
 それ以外に、ファルファーラでやることがあるかと言われると。

「……ユクガ様」
「何だ」

 キアラの体を抱えている人を振り返ると、黄色の瞳がすぐにこちらを向いてくれて嬉しくなる。

「私の帰るところは、ユクガ様のお傍です」

 今、集落がどうなっているのかわからないが、ヨラガンは移動する人々の集まりだ。ユルトに帰る、と言っても、なんとなくなじまない。

「……もう、いいのか」
「私は、きっと、エルヴァ様にお会いするために、ここに来たのです」

 ふくふくのエルヴァがすり寄ってきて、首が少しくすぐったい。小さく笑って指で撫でると、戯れるようにして指をつついて離れていく。

「ユクガ様のお帰りになるところに、私も帰ります」

 ファルファーラのことをもう少し知りたいような気持ちもあるが、キアラにとって懐かしいところは、ここではない。

「……そうか」

 ふっと黄色の瞳が向いた先に、キアラもつられて視線を向ける。ルガート、ラグノース、リンドベルが、どこか恭しい態度で頭を下げているように見えた。

「……お前の探し物は、どうする」

 ユクガの言葉に、ルガートがゆるゆると顔を上げた。キアラは話した覚えがないが、ルガートはファルファーラに忘れ物でもあったのだろうか。

「……リエル様の、ご存命は確認できております、ので」

 探し物があるなら手伝いたいと思っていたら、ルガートが口を開いたので、キアラは慎ましく口を噤んだ。

「……標を定める、覚悟がつきました」
「……そうか」

 リエル、とは誰だろう。ファルファーラに入ってから、人には会っていないはずなのだが。
 こて、と首を傾げたキアラを、ユクガが撫でてくれる。振り返って見上げるとユクガの口元が弧を描いていて、リエルという人が生きていたのがよかったことらしいのはわかった。

「……キアラ様」

 何か言ったほうがいいのかどうか、悩んでいたところにルガートの声がする。
 はっとして、キアラはそちらに向き直った。

 ルガートに、キアラと、呼ばれた。

「……お供いたします」
「……ルガート様」

 何と言えば伝わるだろう。
 伝わらないかもしれない、と思いつつ、じっと茶色の瞳を見つめて微笑む。

「一緒に来てくださって、ありがとうございます」
「……もったいない、お言葉……光栄に、存じます」

 また機会をみて、ファルファーラのことをルガートに尋ねてみよう。
 今はルガートも、気持ちが揺れていて、それどころではないような気がするから。
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