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73.ユクガの伝えたいこと
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お祈りをしていると、いろいろな精霊が集まってくる。ヨラガンに多い風の精霊はおしゃべりが好き、火の精霊は日向ぼっこが好き。土の精霊はお昼寝が好きで、水の精霊は意外といたずらが好き。
「……いけませんよ」
池からつかず離れずぽわぽわ漂っている精霊に声をかけると、ぴゃっとどこかへ行ってしまった。推測ではあるけれど確実に、ミオとシアにいたずらをしようとしていたに違いない。
当のミオとシアは、一瞬不思議そうな顔をしたあと、すぐに思い当たったのか尋ねてくる。
「精霊ですか」
「はい」
立ち上がって裾を払い、中庭のような広い空間の真ん中にある池に、水の精霊に足場を作ってもらって踏み込む。そうして水面を渡ると精霊にお礼を伝え、キアラは控えてくれていたミオとシアのもとに戻った。キアラが祈りを捧げている場所は、精霊の力を借りなければ入れない。
ヨラガンの城にある精霊の間で日に一度、精霊にお祈りをすること。それが今のキアラの仕事だ。
ククィツァに頼まれたわけではなく、むしろ特に何も頼まれなかったので当初はやることがなかった。城を案内してもらったときに精霊を祀るための場所があったから、キアラにできることをしようと、日に一度のお祈りをすることにしたのだ。エルヴァに聞いたところによれば、キアラがお祈りをするとヨラガンに精霊が集まって人を助けてくれやすくなるそうなので、きちんと効果もあるはずだ。
「終わったか」
「はい、エルヴァ様。お待たせいたしました」
池の傍に植えられた木の枝で休んでいた小鳥が、ぱたぱたとキアラの肩に戻ってくる。エルヴァはキアラが祈りを捧げる側の精霊であるし、ファルファーラから一貫して、キアラ以外にほぼ興味を持たない。例外はユクガくらいのような気がするが、キアラの番だからちょっかいを出しているようにも見える。
そっと指で撫でると、気持ちよさそうにふくふくと丸くなるのがかわいいと思っているのは、内緒だ。
「このあとはいかがなさいますか」
「そうですねぇ……」
しかし、お祈りが終わってしまえばやることがないという状況は変わらない。ミオに尋ねられて、キアラはこて、と首をかしげた。
ククィツァにはたまに会っているが、忙しそうなので仕事の邪魔はできない。ベルリアーナも、ヨラガンの宰相という立場にあるそうで、日々忙しくしている。ジュアンはその部下にあたるのだそうだ。なお、ベルリアーナの人使いが荒すぎると言って嘆いていたのをベルリアーナ本人に見つかり、さらに忙しくなっていた。サルヒとラーツァにも引き合わせてもらったのだが、二人ともキアラのことを覚えていなくて、人見知りされてしまった。
「……訓練場に、行きましょうか」
「はい」
「承知しました」
もとの集落にいた人たちは、遊牧生活を続けていたり、ヒェカインには住んでいるけれど城にはいなかったり、つまりはキアラが気軽に会いに行けるところにはいない。ユクガから、迎えに行くまで城の中にいるように、と言われているのだ。
そうすると、キアラが深く関わっている人たちは、あとは兵営にしかいない。
城の中はほぼ自由に出入りしていいと、他ならぬククィツァに言われているので、キアラがどこを歩いていても、特に止められることもない。キアラのことを城の中の人たちに知らせるのは大変ではないかと思ったのだが、銀色の髪のことを伝えればいいだけと言われて、なるほどとうなずくことになった。
「キアラ様」
邪魔にならないように、城の一角に設けられた訓練場を入口から覗くと、すぐにラグノースが気づいてくれた。隣にはローロもいるが、訓練中だろう。少しためらって、周りの人たちも休憩を始めたようなので、いそいそとラグノースの傍に行く。
「こんにちは、ラグノース様、ローロ様。弓の訓練、ですか」
「はい。さすがにヨラガンの人たちほどとはいきませんが……俺も結構当たるようになってきましたよ」
ルガートたちはキアラの護衛ということになっているが、ミオとシアはいるし、城の中を五人もぞろぞろと連れて歩くわけにもいかない。普段はヨラガンの兵士たちに加わって、訓練とか、獣を追い払うとか、盗賊を捕まえるとか、いろいろ武芸を磨いているそうだ。今日はリンドベルとレテは町の見回りらしい。
訓練場に置いてある的を見てみれば、地面に落ちているものもあるが、いくつかは矢が刺さっている。
「ラグノース様もローロ様も、お上手なのですね」
ファルファーラでは、精霊に頼めば遠距離の相手を簡単に倒せたため、弓術はあまり盛んではなかったのだそうだ。しかしヨラガンでは弓が使えて当たり前なので、周囲に習いつつ馴染んでいこうとしているらしい。
キアラには武芸のことがよくわからないので、的に当たるだけでもすごいと思う。素直に褒めたら周りの人たちがそわそわしだして、キアラも周囲を見回すことになった。
「……何か、あるのですか……?」
「いやぁ……キアラ様にお声がけいただけるの、いいですね」
ラグノースが誇らしげな理由がよくわからない。
首を傾げていたら、ミオがつかつかとラグノースに近寄って思いきり足を踏みつけた。
「ッてぇ!」
「み、ミオ、いけません」
「……何を騒いでいる?」
落ちついた声が聞こえてきて、振り返るとルガートを従えたユクガがいる。
「ユクガ様」
小走りで近づいていけばユクガも微笑んでくれて、軽々とキアラを抱き上げてくれた。頬に触れてくる柔らかい口づけが、こそばゆい。
訓練場にいるとは限らないが、キアラが兵営に来るのはユクガに会えるかもしれないからだ。邪魔をしてはいけないとは思うものの、こうして会えたときに、抱き上げたり口づけたりしてくれるから、嬉しくてついつい来てしまう。
「来ていたのか」
「はい、お祈りは終わりましたから」
初めこそ危ないから来てはいけないと言われてしまったが、キアラができる限りこっそり、外から行儀よくそっと覗いていたら、額を押さえたユクガに許してもらえたのだった。
頭痛でもするのかと思って聞いたら、そうだけどそうではない、のようなよくわからない返事をもらった。ひとまずキアラには治せないと言われてしまったので、しょんぼりしたのは確かだ。
キアラを抱っこしたまま訓練場の中を進んで、ユクガが兵士たちに声をかける。
「予定通り模擬戦を行う。組み合わせはこの書き付けの通りに」
見ていくなら壁際に避けているように言われて、キアラはミオとシアを連れて素直に端に寄った。代わりというわけではないだろうが、兵士たちが集まって書き付けを覗き込み、それぞれ散らばっていく。
四角に区切られた部分で二人が向かい合って、木刀を打ちつけ合い始めた。四角の横にも兵士が立って、二人の様子を観察している。
「ミオ、シア、もぎせん、とは何ですか」
手本になる兵士が前に立ち、大勢の兵士が同じように動いて真似をしていたり、先ほどまでの弓の訓練だったり、そういうものはキアラも見たことがあるが、もぎせんというものはよく知らない。
聞いてみると、近くの四角に区切られた場所にいる兵士たちを示しながら、ミオが教えてくれる。
「模擬戦というのは、実戦に備えるために、実戦のように戦う試合のことです」
向かい合って木刀を打ちつけ合っているのが、試合をしている人たち。四角の長い辺の真ん中あたりに立っているのが、どちらの勝ちか判断する審判という人。
「試合の様子を見ながら、試合をしていない兵士も戦い方を学べますし、試合をしている兵士は、戦っている様子を見てもらうことで、弱点や気づいていない癖を指摘してもらうことができます」
ユクガやルガートは四角の中にいないから審判なのかと思ったが、戦っている様子を観察して、指導をする役割なのだろうということだった。ユクガもルガートも強いので、普通の兵士では相手にならないのだろう、ということらしい。
ただ、キアラはユクガが戦っているところをしっかり見たことがない。
強い、のだからきっと格好いいのだろうとも思う。お願いしたら、ユクガの戦っているところを見せてもらえないだろうか。それとも、そのように野蛮なことを望むものではないと、たしなめられてしまうだろうか。
そろっとユクガのほうに視線を向けると、真剣な顔で試合というものを見ている。やはり、邪魔をしてはいけないだろう。
ユクガに倣って真面目な顔で試合というものを見てみるけれど、剣を握ったことのないキアラでは、どちらが勝ちそうなのかもよくわからない。何かの理由で試合が止まって、審判がどちらの勝ちか告げて、試合をしていた人たちが四角から出ていくと、次の人たちが試合を始める。
「……退屈か」
ふっと声をかけられて、慌てて見上げるとユクガが微苦笑でこちらを見ていた。
「い、いいえ、あの、私には、難しくて」
「……ルガート」
キアラを抱きしめてくれたものの、ユクガがルガートを探して声をかける。二人とも試合を見なくてはいけなくて、忙しいはずなのだが、どうしたのだろう。
ただ、二人が見ていないところでも試合はしているから、すべてを見て回るというわけでもないのかもしれない。
「今日こそ決着をつけるからな」
「……主たる方の御前で、無様な姿はお見せできません」
歩いてきたルガートに、ユクガが何かを宣言したかと思えば、ルガートも静かに言葉を返した。
こて、と首を傾げたキアラを撫でて、ユクガが歩いていったのと別の方向に、ルガートも離れていく。
「……ミオ、シア、ユクガ様たちは何をお話しなさっていたのですか」
二人に視線を向けると、真面目な顔とも何かをこらえているともつかない表情で、何だか肩が震えている。
「……模擬戦が終わったら、ユクガ様とルガート殿が試合をなさるのでしょう」
「お二人ともお強いですから、キアラ様にも見応えがあると思いますよ」
「……ただの阿呆どもであろう」
ミオとシアが教えてくれたあとに、エルヴァがぼそりとつぶやく。何か話したいことがあるのかと思ったものの、そのあとが続かなかったから、興味は薄いらしい。
「ミオ、シア、ユクガ様とルガート様の試合が始まる前に、私に試合の見方を教えてくださいませんか」
「承知しました、キアラ様」
細かいところは、すぐ忘れてしまうような気もするけれど。
だって、真剣な顔で何かをしているユクガは、キアラの知っている中で一番格好よくて、心がそれでいっぱいになってしまうのだ。
周りの兵士たちが優しく道を空けてくれたので、試合を始める前のユクガにおずおずと近づいて、声をかける。
「……ユクガ様、お怪我をなさらないでくださいませ」
「……ああ」
約束する、と口づけを落としてもらって、キアラはふに、と微笑んだ。
「……ルガートに勝ったら」
一度そこで言葉を切って、ユクガがキアラの頬を撫でる。大きくてごつごつしている手にそっと頬を寄せると、ユクガも小さく笑みを見せてくれた。
「改めてお前に伝えたいことがある」
「では、教えてくださるのを楽しみにしております」
「ああ」
もう一度キアラに口づけて、ユクガが四角に区切られた場所に向かうのをキアラはにこにこと送り出した。
きっと、今日はユクガが勝ってくれるだろう。
「……いけませんよ」
池からつかず離れずぽわぽわ漂っている精霊に声をかけると、ぴゃっとどこかへ行ってしまった。推測ではあるけれど確実に、ミオとシアにいたずらをしようとしていたに違いない。
当のミオとシアは、一瞬不思議そうな顔をしたあと、すぐに思い当たったのか尋ねてくる。
「精霊ですか」
「はい」
立ち上がって裾を払い、中庭のような広い空間の真ん中にある池に、水の精霊に足場を作ってもらって踏み込む。そうして水面を渡ると精霊にお礼を伝え、キアラは控えてくれていたミオとシアのもとに戻った。キアラが祈りを捧げている場所は、精霊の力を借りなければ入れない。
ヨラガンの城にある精霊の間で日に一度、精霊にお祈りをすること。それが今のキアラの仕事だ。
ククィツァに頼まれたわけではなく、むしろ特に何も頼まれなかったので当初はやることがなかった。城を案内してもらったときに精霊を祀るための場所があったから、キアラにできることをしようと、日に一度のお祈りをすることにしたのだ。エルヴァに聞いたところによれば、キアラがお祈りをするとヨラガンに精霊が集まって人を助けてくれやすくなるそうなので、きちんと効果もあるはずだ。
「終わったか」
「はい、エルヴァ様。お待たせいたしました」
池の傍に植えられた木の枝で休んでいた小鳥が、ぱたぱたとキアラの肩に戻ってくる。エルヴァはキアラが祈りを捧げる側の精霊であるし、ファルファーラから一貫して、キアラ以外にほぼ興味を持たない。例外はユクガくらいのような気がするが、キアラの番だからちょっかいを出しているようにも見える。
そっと指で撫でると、気持ちよさそうにふくふくと丸くなるのがかわいいと思っているのは、内緒だ。
「このあとはいかがなさいますか」
「そうですねぇ……」
しかし、お祈りが終わってしまえばやることがないという状況は変わらない。ミオに尋ねられて、キアラはこて、と首をかしげた。
ククィツァにはたまに会っているが、忙しそうなので仕事の邪魔はできない。ベルリアーナも、ヨラガンの宰相という立場にあるそうで、日々忙しくしている。ジュアンはその部下にあたるのだそうだ。なお、ベルリアーナの人使いが荒すぎると言って嘆いていたのをベルリアーナ本人に見つかり、さらに忙しくなっていた。サルヒとラーツァにも引き合わせてもらったのだが、二人ともキアラのことを覚えていなくて、人見知りされてしまった。
「……訓練場に、行きましょうか」
「はい」
「承知しました」
もとの集落にいた人たちは、遊牧生活を続けていたり、ヒェカインには住んでいるけれど城にはいなかったり、つまりはキアラが気軽に会いに行けるところにはいない。ユクガから、迎えに行くまで城の中にいるように、と言われているのだ。
そうすると、キアラが深く関わっている人たちは、あとは兵営にしかいない。
城の中はほぼ自由に出入りしていいと、他ならぬククィツァに言われているので、キアラがどこを歩いていても、特に止められることもない。キアラのことを城の中の人たちに知らせるのは大変ではないかと思ったのだが、銀色の髪のことを伝えればいいだけと言われて、なるほどとうなずくことになった。
「キアラ様」
邪魔にならないように、城の一角に設けられた訓練場を入口から覗くと、すぐにラグノースが気づいてくれた。隣にはローロもいるが、訓練中だろう。少しためらって、周りの人たちも休憩を始めたようなので、いそいそとラグノースの傍に行く。
「こんにちは、ラグノース様、ローロ様。弓の訓練、ですか」
「はい。さすがにヨラガンの人たちほどとはいきませんが……俺も結構当たるようになってきましたよ」
ルガートたちはキアラの護衛ということになっているが、ミオとシアはいるし、城の中を五人もぞろぞろと連れて歩くわけにもいかない。普段はヨラガンの兵士たちに加わって、訓練とか、獣を追い払うとか、盗賊を捕まえるとか、いろいろ武芸を磨いているそうだ。今日はリンドベルとレテは町の見回りらしい。
訓練場に置いてある的を見てみれば、地面に落ちているものもあるが、いくつかは矢が刺さっている。
「ラグノース様もローロ様も、お上手なのですね」
ファルファーラでは、精霊に頼めば遠距離の相手を簡単に倒せたため、弓術はあまり盛んではなかったのだそうだ。しかしヨラガンでは弓が使えて当たり前なので、周囲に習いつつ馴染んでいこうとしているらしい。
キアラには武芸のことがよくわからないので、的に当たるだけでもすごいと思う。素直に褒めたら周りの人たちがそわそわしだして、キアラも周囲を見回すことになった。
「……何か、あるのですか……?」
「いやぁ……キアラ様にお声がけいただけるの、いいですね」
ラグノースが誇らしげな理由がよくわからない。
首を傾げていたら、ミオがつかつかとラグノースに近寄って思いきり足を踏みつけた。
「ッてぇ!」
「み、ミオ、いけません」
「……何を騒いでいる?」
落ちついた声が聞こえてきて、振り返るとルガートを従えたユクガがいる。
「ユクガ様」
小走りで近づいていけばユクガも微笑んでくれて、軽々とキアラを抱き上げてくれた。頬に触れてくる柔らかい口づけが、こそばゆい。
訓練場にいるとは限らないが、キアラが兵営に来るのはユクガに会えるかもしれないからだ。邪魔をしてはいけないとは思うものの、こうして会えたときに、抱き上げたり口づけたりしてくれるから、嬉しくてついつい来てしまう。
「来ていたのか」
「はい、お祈りは終わりましたから」
初めこそ危ないから来てはいけないと言われてしまったが、キアラができる限りこっそり、外から行儀よくそっと覗いていたら、額を押さえたユクガに許してもらえたのだった。
頭痛でもするのかと思って聞いたら、そうだけどそうではない、のようなよくわからない返事をもらった。ひとまずキアラには治せないと言われてしまったので、しょんぼりしたのは確かだ。
キアラを抱っこしたまま訓練場の中を進んで、ユクガが兵士たちに声をかける。
「予定通り模擬戦を行う。組み合わせはこの書き付けの通りに」
見ていくなら壁際に避けているように言われて、キアラはミオとシアを連れて素直に端に寄った。代わりというわけではないだろうが、兵士たちが集まって書き付けを覗き込み、それぞれ散らばっていく。
四角に区切られた部分で二人が向かい合って、木刀を打ちつけ合い始めた。四角の横にも兵士が立って、二人の様子を観察している。
「ミオ、シア、もぎせん、とは何ですか」
手本になる兵士が前に立ち、大勢の兵士が同じように動いて真似をしていたり、先ほどまでの弓の訓練だったり、そういうものはキアラも見たことがあるが、もぎせんというものはよく知らない。
聞いてみると、近くの四角に区切られた場所にいる兵士たちを示しながら、ミオが教えてくれる。
「模擬戦というのは、実戦に備えるために、実戦のように戦う試合のことです」
向かい合って木刀を打ちつけ合っているのが、試合をしている人たち。四角の長い辺の真ん中あたりに立っているのが、どちらの勝ちか判断する審判という人。
「試合の様子を見ながら、試合をしていない兵士も戦い方を学べますし、試合をしている兵士は、戦っている様子を見てもらうことで、弱点や気づいていない癖を指摘してもらうことができます」
ユクガやルガートは四角の中にいないから審判なのかと思ったが、戦っている様子を観察して、指導をする役割なのだろうということだった。ユクガもルガートも強いので、普通の兵士では相手にならないのだろう、ということらしい。
ただ、キアラはユクガが戦っているところをしっかり見たことがない。
強い、のだからきっと格好いいのだろうとも思う。お願いしたら、ユクガの戦っているところを見せてもらえないだろうか。それとも、そのように野蛮なことを望むものではないと、たしなめられてしまうだろうか。
そろっとユクガのほうに視線を向けると、真剣な顔で試合というものを見ている。やはり、邪魔をしてはいけないだろう。
ユクガに倣って真面目な顔で試合というものを見てみるけれど、剣を握ったことのないキアラでは、どちらが勝ちそうなのかもよくわからない。何かの理由で試合が止まって、審判がどちらの勝ちか告げて、試合をしていた人たちが四角から出ていくと、次の人たちが試合を始める。
「……退屈か」
ふっと声をかけられて、慌てて見上げるとユクガが微苦笑でこちらを見ていた。
「い、いいえ、あの、私には、難しくて」
「……ルガート」
キアラを抱きしめてくれたものの、ユクガがルガートを探して声をかける。二人とも試合を見なくてはいけなくて、忙しいはずなのだが、どうしたのだろう。
ただ、二人が見ていないところでも試合はしているから、すべてを見て回るというわけでもないのかもしれない。
「今日こそ決着をつけるからな」
「……主たる方の御前で、無様な姿はお見せできません」
歩いてきたルガートに、ユクガが何かを宣言したかと思えば、ルガートも静かに言葉を返した。
こて、と首を傾げたキアラを撫でて、ユクガが歩いていったのと別の方向に、ルガートも離れていく。
「……ミオ、シア、ユクガ様たちは何をお話しなさっていたのですか」
二人に視線を向けると、真面目な顔とも何かをこらえているともつかない表情で、何だか肩が震えている。
「……模擬戦が終わったら、ユクガ様とルガート殿が試合をなさるのでしょう」
「お二人ともお強いですから、キアラ様にも見応えがあると思いますよ」
「……ただの阿呆どもであろう」
ミオとシアが教えてくれたあとに、エルヴァがぼそりとつぶやく。何か話したいことがあるのかと思ったものの、そのあとが続かなかったから、興味は薄いらしい。
「ミオ、シア、ユクガ様とルガート様の試合が始まる前に、私に試合の見方を教えてくださいませんか」
「承知しました、キアラ様」
細かいところは、すぐ忘れてしまうような気もするけれど。
だって、真剣な顔で何かをしているユクガは、キアラの知っている中で一番格好よくて、心がそれでいっぱいになってしまうのだ。
周りの兵士たちが優しく道を空けてくれたので、試合を始める前のユクガにおずおずと近づいて、声をかける。
「……ユクガ様、お怪我をなさらないでくださいませ」
「……ああ」
約束する、と口づけを落としてもらって、キアラはふに、と微笑んだ。
「……ルガートに勝ったら」
一度そこで言葉を切って、ユクガがキアラの頬を撫でる。大きくてごつごつしている手にそっと頬を寄せると、ユクガも小さく笑みを見せてくれた。
「改めてお前に伝えたいことがある」
「では、教えてくださるのを楽しみにしております」
「ああ」
もう一度キアラに口づけて、ユクガが四角に区切られた場所に向かうのをキアラはにこにこと送り出した。
きっと、今日はユクガが勝ってくれるだろう。
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aka様
読んでくださってありがとうございます。
最新話まで追いついてくださったとのことで…長くて大変じゃなかったでしょうか…💦
でもするする読めたと言ってくださってとても嬉しいです。ありがとうございます☺️
宮殿編は登場人物それぞれの思惑があり、キアラが気づいたり気づかなかったりと、もどかしいところもあるかもしれないのですが、この先も楽しんでいただけたら幸いです(*'ω'*人
草原のお話とても好きです。
13話、体調不良のエピソードに一瞬不穏になりましたが、慶事と判明して良かった……となりました。
無垢受けちゃんの破壊力が相変わらず半端ないですが、このあとも楽しみに拝読します!
T_Tectorum様
読んでくださってありがとうございます。BLじゃなくてただのファンタジーになってないか…? と悩んでいた部分もあったのですが、楽しんでいただけているようで安心しました…!
慶事に関しては、この面々で気づきそうなの誰もいないな…と思ってあのようになりました。不穏にしようとしたわけではなかったんです…(;OvO)
この先も一生懸命彼らの物語を紡ぎたいと思っております! ゆっくりお付き合いいただけたら嬉しいです