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 誰がお前の彫金士だと怒られ、慌ててフェネリのところにイスカを引っ張っていってから、およそ一月。
 ラトシェとイスカは、ひたすら乗合馬車に揺られていた。荷物を抱えたままちらりとイスカの方を見やるが、見えるのは外を眺めたままのイスカの頭だけだ。横顔ですらない。

 フェネリに彫金士と召喚士の関係について説明を受け、ラトシェの召喚銃に合う銃弾を作れるのはイスカだと訴え、イスカの彫金したジャック・ラビットを召喚して見せて、ようやくイスカも理解はしてくれた。
 しかし、だからといってイスカの態度が軟化したかというと全く別の話で、ラトシェに対してどこか辛辣なのには変わりない。ラトシェとしてはイスカに嫌われるようなことをした覚えがないから、どうしたらいいのかわからなかった。わけもわからず嫌われているのは悲しいし、できることなら以前のように親しくしたい。
 ただ、望んだからといってそううまくいくものでもないというのは、ラトシェにもわかっていた。大人しく、少なくともラトシェの方ではイスカを嫌っていないことが伝わるように、誠実に接するしかない。

「イスカ、何か食べる?」
「いらない」

 まあ、ラトシェが思いつくのはそういう、食べたいものはないかとか喉は渇かないかとか、ごく単純なことでしかないのだが。
 にべもない答えに短く相槌を返して、ラトシェはこっそりため息をついた。乗合馬車にはもちろんラトシェとイスカ以外の乗客もいるが、お互いに干渉しないのがここでのマナーなのか、特段話しかけられることもない。

 一人を除いては。

「おう、そっちの坊主が食わねえんなら、俺にくれねえか、坊主。なんか腹減って仕方ねえんだよ」
「はあ……」

 変わった人だなと思いつつ、イスカが食べないなら仕方ないし、一つ前の駅で買い求めたドライフルーツの袋を差し出す。駅ごとに物売りが出ていて、こういった食べ物だったり、次の駅がある町の情報だったり、乗合馬車の乗客が欲しがりそうなものを言葉巧みに売りつけてくるのだ。路銀はフェネリがたっぷり持たせてくれたから、こういうちょっとしたものを買っても困るほどではない。

 ありがとな、と袋ごと受け取ってもそもそ食べている人は、ジェセルというそうだ。ラトシェとイスカの目的地であるロンテスの町に住んでいて、魔物退治を請け負う組織、討伐者組合に所属しているのだという。ラトシェたちの乗っている乗合馬車が魔物に襲われそうになった時も、ラトシェには持ち上げられそうもない大きな剣を振り回して退治してくれた。
 その時に、何かの助けになればとラトシェとイスカが馬車を飛び出して彫金したのを見て、二人に興味を持ったらしい。それ以来何かと話しかけてきたり、彫金士学校では習わなかった庶民の知恵みたいなものを教えてくれたりする。ラトシェのいた村は言葉通りに田舎だったし、学校で教えられたこと以外は知らなかったから、ジェセルの話はラトシェにとっては面白いものだった。

「それで、セリンって彫金士に用があるんだったか?」
「はい」

 そもそも、ラトシェとイスカがこうして馬車に揺られているのは、フェネリの紹介でとある彫金士に会いに行くためだ。セリンという人らしいが、彫金士学校からは乗合馬車を乗り継いで乗り継いで乗り継いで、もう一つおまけに乗り継いだ先にあるロンテスという町に住んでいるという。
 ロンテス自体はさほど大きな町ではないが、彫金士学校のある地域とは違って、討伐者組合の大きめの支部が存在している。ラトシェやイスカが生まれるより前に、近くに強い魔物がいた名残だそうだ。今は退治されて、ロンテスも比較的安全な町になっている、という話もジェセルから教えてもらった。しかも退治したのが彫金士だというから、全く知らない相手だとしても、ラトシェもどこか誇らしい気分になった。

 彫金士学校で基礎を学んだ生徒が、討伐者組合に所属し実戦経験を重ねていく、というのもよくある話だ。もちろん学校で学びながら、遠征して彫金の訓練を重ねるということもできるが、教師の数が限られている以上、学校が面倒を見られる生徒の数も限定的になってくる。それにラトシェには、イスカの協力が前提にはなるものの、召喚士の道もある。
 だったら召喚士の知り合いがいる彫金士に師事した方がいい、とフェネリに紹介されたのが、セリンという彫金士だった。イスカにはこれ以上フェネリから教えられることはなさそうだし、逆にラトシェはまだまだ彫金士として学ぶべきことはたくさんあるものの、召喚士を選ぶならこれ以上学校にいても仕方ないし、と送り出されたわけだ。すでに手紙でフェネリからセリンに話は伝わっているはずで、セリンに会えたら渡すようにと、追加の手紙をラトシェが預かっている。

「確かにロンテスの近くだが……セリンが住んでるのは、もう少し先だぞ」
「えっ」

 ジェセルがセリンの知り合いらしいことにも驚いたが、目的地としていたロンテスよりさらに先と言われたことにびっくりしてしまった。フェネリは確か、ロンテスに住んでいると言っていたのに。

「先生は、ロンテスのセリンさんに会いなさいって……」
「まあ、他の町よりは近いからロンテスって言うしかないだろうけどよ」

 イスカも素知らぬ顔ではいられなくなったのか、横目でこちらを見ているのがわかったけれど、それどころではない。
 町や乗合馬車なら、自警団がいたりジェセルのような討伐者が乗っていたりして、魔物に襲われても何とかなる。しかし町から徒歩で離れようものなら、自分たちで魔物から身を守らなければいけないのだ。ラトシェもイスカもこの辺りの魔物を彫金したことがないから、町から離れて無事でいられるかどうかわからない。そもそもセリンの家がどれくらい離れているのか、それも問題だ。

 どうしよう、と悩んでいるうちに乗合馬車がロンテスの駅に着いてしまい、ジェセルを含めた三人で降りる。他の乗客で降りる人はいなかったようで、がらがらと車輪の音を立てて乗合馬車が去っていった。駅を見回してみるが、辻馬車はいなさそうだ。

「……あなたは、セリンさんとお知り合いなんですか」

 きょろきょろと視線を巡らせているラトシェには構わず、少し掠れて低くなり始めた声で、イスカがジェセルに尋ねた。イスカがあまり喋ろうとしないのもこのせいだ。大人の声に変わっていく時期らしい。

「おう、まあ知り合いだあな」

 ラトシェはまだ声変わりを迎えてはいない。先に大人になっていくイスカに焦る気持ちはあるが、こればかりは仕方ない。それに、無理をすると掠れた声のままになってしまうらしいから、イスカの声の出しすぎに注意してあげられるし、時期がずれていてよかった面もあるのだろう。そう捉えることにしている。

「……護衛料はお支払いします。護衛していただけませんか。セリンさんの家まで」

 ばっとイスカの方を振り返るラトシェにはやはり構わず、ジェセルが口角を上げてイスカを眺めた。上から下まで視線を巡らせて、ふ、と口元を緩める様子は、まるで品定めでもするかのようで心がざわざわする。ラトシェはイスカの前に体を入れて、ジェセルの視線を遮った。

「どうした坊主」
「何でもないです。えっと……護衛は、してもらえますか」

 イスカが口を開く前に問いを重ねて、ジェセルをじっと見上げる。ジェセルが軽く眉を上げて、今度はラトシェをゆっくりと眺めて笑った。

「二人してそう睨むんじゃない。連れてってやるよ、乗りかかった舟だし」

 大きな手が降ってきたかと思うと、二人の髪をぐしゃぐしゃとかき回すように撫でられた。

 こんなふうに誰かに撫でられるなんて初めての経験で、ラトシェは大いに戸惑った。親に撫でられた記憶はすでに遠いものだし、フェネリの触れ方はこんな乱暴なものではない。イスカの方は、やめてくださいとすでにジェセルの手から逃れている。
 慌ててラトシェも大人の手を押しのけて、ぼさぼさになった髪を整えた。

「にしても、だ。今から向かっても途中で夜になる。セリンの家に行くなら明日だな」
「明日……」

 それなら、ロンテスの町で今から宿を探さないといけない。うまく気持ちのいい宿を見つけられるといいのだが。少し考え込んでいるとジェセルに背中を押されて、行く先も決められないまま町の中を歩き出す。

「あの」
「男二人っつーならともかく、坊主二人くらいなら何とかなるだろうからな。うちに泊めてやるよ」

 ジェセルの家に泊めてくれるらしい。いつの間にそんな話に、とは思ったが、イスカも戸惑った顔をしているので、ラトシェが知らない間に話がついたわけでもないようだ。護衛を引き受けるとは言ってくれたものの、まだ依頼料の話もしていないのに、ここまで親切にしてくれる理由がいまいちわからない。

「あの、どういう……」
「あん?」

 大人しくジェセルについていきつつ、イスカが困惑した様子で尋ねる。ラトシェとイスカを家に泊めても、ジェセルには特にいいことはないだろう。それくらいはラトシェにもわかるから、同じように疑問を込めた目をジェセルにぶつける。

「どうしてそんな、家に泊めるなんて……」

 戸惑う子供二人をまたぐしゃぐしゃと撫でて、ジェセルは軽く背中を叩いて促した。

「あのなあ、ガキ二人をそのまま放り出すほど、俺も薄情じゃねえよ」

 ぐ、と二人して言葉に詰まる。露骨に大変な目に遭ったことはなかったけれど、子供二人で行動しているというのはいろいろと不利益を被りがちだ。もう乗れないと断られた乗合馬車が、さらに人を乗せるところを見たことはあるし、食べ物を買ったら端っこの寄せ集めのような肉しか入っていなかったこともある。怪しげな宿に泊まれば何をされるかわからないから、宿代だってそれなりに嵩む。
 彫金士学校の誰かが引率でついてきてくれたらよかったのかもしれないが、巨鳥の被害からの復旧で人手が足りず、都合がつけられなかったのだ。誰のせいでもないが、ラトシェとイスカが苦労をしたのも事実で、それなりに大変だった。

「ま、メシは買い食いだし雑魚寝だけどな。その辺は文句言うなよ」

 どっちが返事をしたのかしなかったのか、ラトシェもイスカもよく覚えていない。
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