馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr

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飼い犬、捨て犬、愛玩されたいわけじゃない

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 酒を楽しむ、というのが俺にはよくわからない。酒ごとに味が違うことくらいはわかるけど、口から鼻にアルコールが抜ける感覚が好きになれない。別に痛くはないんだけど、鼻に水が入った時と似たような感じがして気持ち悪い。
 まあ、そのうち楽しめるようになればいいなとは思う。師匠と酒を酌み交わすのには憧れるから。
 だから、師匠が店で酒を選ぶのにめちゃくちゃ時間を掛けるとしても、別に苛立ったり急かしたりする気にはならない。師匠の好みを覚えられるし、将来的に使うかもしれない酒に関する知識を入れられる。産地は何とか、その年はかんとか、原料の品種がうんたら、製作者がかんたら。それに食べ物に関しては、体を作るものだから特に気を使えと師匠に言われているし、覚えるのも難しくはない。師匠のおつかいで酒を買いに行くのも、俺の大事な仕事だ。

 ただ、途中で飽きる時があるのも許してほしい。今日はそういう日だったから、師匠に断って店の外で待つことにした。薄暗い店内から出ると外は少し眩しくて、目を細めて壁に寄り掛かる。この町は晴れていることが多い。

「こんにちは」

 急に話しかけられて、ちょっと驚いた。話しかけられるような距離に近付かれるまで、気付かなかった。そんなに人通りが多いわけでもないし、人の流れは把握していたつもりだったけど。

「……こんにちは」

 意識して気配を消している、ようには感じられない。たまにいる影の薄いやつ、みたいな感じだ。見た目としてもどこにでもいそうな、背が高いわけでも低いわけでもない、普通の男。武器も持っていないし、特に防具も装備していないし、ただの通行人にしか見えない。

「君、この辺の人? ちょっと迷っちゃってさ、道を聞けると嬉しいんだけど……」
「……ここに住んではないけど、何回か来たことあるから、わかる範囲なら」

 本当? 助かるよ! と人懐っこく話しかけてくる相手には戸惑ったけど、知っている店だったから道を教えた。
 師匠と前に行ったことのある、魚料理の店だった。確か俺がまだ子供の頃に連れて行ってもらって、また行きたいって言ったら、この町に来た時は必ず寄るようになった店だ。
 味付けが柔らかくて美味しかったから、というのもあるけど、師匠も珍しく表情を和らげて美味しそうに食べていたから、その顔が見たいというのが本音。
 おすすめの料理も聞かれたから答えたら、ありがとうと人好きのしそうな笑みで手を取られて、さらに戸惑った。

「あ、こっちの人は握手する習慣ってないのかな?」
「……なくはないと思うけど」

 距離感がよくわからない人だ。話しかけた相手が俺じゃなくて師匠だったら、後でボロクソ言いそうな気がする。ただ、お礼を言う時に握手する習慣なんて、あんまりないだろうとも思う。どこから来た人なんだろうか。

「君みたいな親切な人に会えて良かったよ! あ、僕この町には観光で来てさ、君とまた会えたら嬉しいな」

 握った手を振りながらまくし立てて、じゃあねと案外あっさり手を離して、嵐のように去って行った。何なんだあの人。

 掴まれていたのが何となく嫌で足で拭いていたら、師匠が店から出てきた。下衣に手を擦り付けている俺を見て、師匠が怪訝そうな顔になる。でも、自然と酒瓶を突き出してくるし、俺も普通にそれを受け取った。荷物持ちは俺の仕事。

「何してんだ」
「……絡まれた」

 へえ、と呟いた師匠の口角が一瞬だけ上がったように見えた。瞬きをしたらすぐにいつもの顔に戻っていて、でもあれは見間違いじゃなかったと、背中のぞくぞくする感覚がしきりに訴えてきた。
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