馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr

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飼い犬、捨て犬、愛玩されたいわけじゃない

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 宿に戻ると師匠はまた出かけていった。一人でいてもやることがないけど、一人で出かけても楽しくはない。少しだけ考えて、窓を開けて椅子を寄せておいた。これで師匠が帰ったらすぐ煙草を吸える。灰皿代わりに荷物から取り出したコップを置いて、時間もあるし剣の手入れを始めることにした。

 鞘に納めたままグリップを確認する。革が巻かれているけど使っているうちにボロボロになっていくから、メンテナンスをしないと、もしもの時に手からすっぽ抜けたりしかねない。まだ取り換えるほどじゃないと判断して、鞘から抜いて柄と刀身のバランスを見る。俺は職人じゃないから専門的なことまでは知らないけど、ここが狂っていると、力が伝えきれなかったりひどい時には折れたりするらしいから、振って違和感がないかどうかは毎日チェックしてる。ここも大丈夫。荷物から取り出した布で丁寧に刀身を磨き上げて、ぴかぴかにして満足した。鞘に納めて、ついでに鍔と柄頭も磨いておく。

 剣の手入れを終わらせたら、自分の荷物と師匠の荷物から服を取り出す。今から洗濯して部屋に干しておけば、明日の朝には乾いているはずだ。洗いたいものをまとめて、宿の人に頼んで裏手の井戸と洗濯道具を借りる。石鹸まで貸してくれて助かった。たらいに水を汲んで、先に師匠の服を洗う。
 洗濯のやり方を教えてくれたのも師匠だ。孤児だった時は何とか手に入れた服を着たきりだったから、洗濯なんてしたこともなかった。

 そういえば、師匠が一番に買ってくれたのは服だった。それをそのまま着せてくれるのではなくて、俺自身が何度もごしごし洗われた後で袖を通したけど。初めは湯を沸かしてくれていたけど、洗っても洗っても流した水が汚くて、途中から井戸水だった。
 でも師匠は途中で投げ出したり、俺に自分で洗えって言ったりしなかった。全部やってくれた。その次の時から、様子を見ながら俺にやらせた。何でもそうだ。最初はやって見せてくれて、次にやらせてくれて、何かまずいところがあったらまた教えてくれる。出来ないと貶されたり蹴られたりはするけど、ちゃんと俺が一人で出来るようにしてくれる。だから、一見ひどい人に見えるけど、本当はすごく優しい人だと俺は思っている。本人に言うと本気で蹴られそうだから、言いはしないけど。

 しっかり洗濯物を濯いで絞って、洗濯道具を宿の人に返す。濡れたものを持って部屋に戻って、適当なところにロープをくくり付けて全部干した。

 よし、とちょっとした達成感を味わったところに、師匠が帰ってきた。ベッドの足元に剣を置いて、真っすぐ窓辺の椅子に向かう。

「ウォツバルに行くぞ」
「はい、師匠……はい?」

 明日はウォツバルに向けて出発か、といつもの流れで思ってから、ウォツバルという地名を頭が理解した。今いる場所は王国でいうとだいたい南東の位置にある。ウォツバルは、王都を挟んで対角線上と言っていい。つまり北西だ。大縦断だか大横断だか、移動距離がものすごい。普段なら、そんな距離の町から町に移動したりなんてしない。

「ウォツバル」

 煙草を吸い始めた師匠に聞き返したつもりはなかったけど、不機嫌そうに顔を顰められた。

「自分の国の地理くらい覚えとけ、駄犬」
「……場所はわかる……」

 地理自体は師匠から教えられたから覚えている。師匠から教えてもらったことは、何一つ忘れてない。けど、師匠のやり方がいつもと違う気がして、戸惑っている。

「ビットロを借り」
「トゥルートにしてくださいお願いします」

 躊躇いなく土下座した。

 ビットロもトゥルートも、馬の代わりによく乗られている生き物だ。どっちも足が速いし、持久力も申し分ない。俺もちゃんと師匠に教えてもらって、両方乗れる。けど、ビットロの乗り心地は慣れないと本当に辛い。人によってはたぶん最悪と評価する。何せやつの移動方法はジャンプだ。がっしりした足で跳んで、太くて長い尻尾でバランスを取る。何であんなぴょんぴょんするものに乗ろうと思ったのか、最初にやった人の考えはわからない。確かに速いけど。
 とにかく慣れていないと酔うから、馬が出払っていてもビットロは残っている、なんてことがよくある。今日か明日か、急に借りるにしても必ず残っているだろうビットロを借りようという、師匠の判断は理解出来る。出来るけど、乗りたくない。馬は無理でもせめてトゥルートがいい。トゥルートは足も首も長い鳥で、こっちも二足で走るからそこそこ揺れはするけど、ビットロより全然いい。

「……明日朝一でトゥルート借りに行ってこい」
「はい、師匠!」

 めちゃくちゃいい返事をしたら、師匠は呆れたようにため息を吐いた。
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