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忘れた記憶、料理で繋ぎます
忘れた記憶、料理で繋ぎます-2
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「あの、私、身の程知らずにも神威さんを狙っている訳じゃないんですけど」
「ほう?」
どうだか、と言いながらはんと嘉月さんが鼻を鳴らす。
私はため息をついて再度口を開いた。
「神威さんほどの綺麗な人って、少し離れた位置からそっと拝むくらいがちょうどいいんですよ」
「……アイドルのファンですか? あなたは」
「ええ、それと似たものと思ってくださって結構です……って、神威さんちょっと⁉」
私と嘉月さんのやりとりを聞くのに飽きたのか、彼はいつの間にか社殿の入り口の方まで歩いて行ってしまっていた。全然話を聞いていない。
というか私の鞄、持っていかれたままだ。
「俺は着替えてくる。あんたは屋敷に帰れ」
私の視線に気づいた神威さんはこちらを見ながら、ぴっと社殿の奥を親指で指し示す。
「翡翠、嘉月。連行しろ」
「はいはーい」「承知いたしました」
容赦ない神威さんの言葉に、あっさり従って頷く翡翠さんと嘉月さん。
「じゃ、彩梅ちゃんはこっちね」
翡翠さんが私の服の片袖を引っ張り、社殿の脇にある通用口の方へ足を踏み出す。
意外と彼の力は強く、有無を言わさず私が連行されている間に、嘉月さんは神威さんから私の鞄を受け取ってこちらに向かってきた。
「あの、嘉月さん……鞄、自分で持ちます」
「主命ですので」
左様でございますか。
「はいはい、こっちこっち」
そのまま翡翠さんに片袖を引かれ、私はパンプスを脱いで社殿の脇から中に上がった。
通用口から木張りの床上に上がると、清浄な気をたたえた神社の社の内部が目の前に広がる。そのまま廊下を進み、いくつかある部屋の前を通過して、私たちは一番奥の突き当たりにある、部屋の襖を開けた。
一見、何の変哲もない畳敷きの和室だ。家具は一つもなく、あるのは正面の大きな押し入れのみ。
「はい、じゃあ屋敷へお帰り」
翡翠さんがずんずんと和室の奥へと歩いていき、勢いそのままに襖の取っ手に手をかけてがらりと両側に引き開ける。
すると、その向こう側には。
私が一ヶ月ほど前から住まわせてもらっている屋敷――神威さんの実家である園山家の一室が広がっていた。
「いやあ、何度見ても不思議ですよねこれ。全然違う場所にある建物同士が繋がってるだなんて! これなら青宝神社にいても、屋敷に帰ったも同然ですね!」
「彩梅さん、説明口調で誤魔化そうとしても無駄です。大人しく帰りなさい」
「うっ……」
にべもない言葉が嘉月さんから返ってきた。私は恨めしく、青宝神社の社殿と園山家の屋敷を繋ぐ襖を睨みつける。
「さあ、これを」
「あ、ありがとうございます……」
嘉月さんから鞄を返してもらう私の背を、翡翠さんが「じゃあ、一足先に帰ってて」と押す。社殿内の和室から屋敷の和室への境界線をまたいだ私の前で、翡翠さんは襖を閉めていく。
「彩梅ちゃん」
「はい?」
私が振り返ると、彼はにっこりと笑いながら言葉を続けた。
「見つけてあげて。多分、寂しがってると思うから」
「……はい?」
謎の言葉とともにぱたんと襖が閉まり、私は屋敷側の和室に一人取り残される。
今の言葉は、いったい何だったのだろう。
「目的語、完全に抜けてたな……」
欲を言えば、もう少し情報を寄越してほしい。翡翠さんがああいう話し方をするのは結構いつものことで、慣れつつあるけれど。
まあ、もし危ないことなら神威さんたちは事前に忠告してくれるはずだし、大丈夫だろう。たぶん。
私は少し不安になりつつも、自分にそう言い聞かせた。
とりあえず、お休みをもらったとはいえ屋敷にいるのだから何かしなければ。でないとただの下宿人になってしまう。
私は一度、自分に割り当てられた和室に行って鞄を置いてから、屋敷の掃除を始めることに決めた。
「そういえば、この屋敷に一人なのは初めてかも」
黒いパーカーと灰色のスウェットに着替えた私は、廊下を歩きながらそう呟く。一人きりでこの屋敷にいるのは少し……いやだいぶ心もとない。
そう、園山家の屋敷は広すぎるのだ。
その外見はまるで老舗の旅館のよう。周りは石垣が取り囲み、庭には橋が架かるレベルの大きな池があり、木々があり、灯篭もある。
部屋はいくつあるのかも分からない。数えようとしたことはあるけれど、物置部屋を含め十を超えた辺りでしんどくなってやめた。
なぜこんなに無駄に部屋があるのだろうと不思議に思う。これじゃ掃除もやり切れないんじゃないか。
「ともかく、やれるところから掃除しなきゃ」
木目の廊下を踏みしめ、私は一番よく使われている畳敷きの大広間に向かう。そしてその襖に手をかけ、がらりと引き開け――。
「え?」
一瞬、私は自分の目を疑った。足を止めて、まじまじと和室の中心部を見つめてみる。念のため目をこすってみてからもう一度見直してみても、結果は変わらず。
「……だ、誰?」
大広間の真ん中にある座卓の前に、知らない子供がちょこんと座っていた。
その姿はちんまりと可愛らしい。白い水干に緋色の狩袴、そして艶やかな黒髪を後ろで一つにくくっている、小さな子だった。平安時代の貴族の子息みたいな格好だ。
ツンととがった顎に、妖精のようにあどけない顔立ち。可愛らしいけれど、きりりとした眉と凛とした目、シャープな顔の輪郭からは、少年らしさも窺える。
「……おぬし」
その少年は私に気づくとぽかんと口を開け、手に持っていた豆大福を机の上に落とした。
私が机の上に視線を移すと、翡翠さんが今朝十個ほど作って置いてあった豆大福が、あらかた姿を消していた。
しばらく私と見つめ合った後、彼は手元に目を遣り、軽く悲鳴を上げる。
「あああ、落としてしもうた」
大福をゆっくりと拾い上げた後、無言でもすもすと食べ始めた少年に対し、私はやっとのことで声を絞り出した。
「ど、どちら様ですか?」
「……ふむ。ようやく、儂のことが見えるようになったか」
大福を食べる手を止めず、少年は、私の方向を見てはっきりとそう言った。
「おぬし、青宝神社の新入りだろう」
どうやら相手は、なぜだか私のことを知っているらしい。私は恐る恐る頷く。ここは頷くしかない。こちらが固まっていると、彼はやっと食べる手を止めて言った。
「人に尋ねる前に、まず名乗るのが礼儀ではないか?」
「の、野一色彩梅と、言います」
「ほう。得体の知れぬ存在相手に、本名を偽りもせずに答えるとは」
聞いてきたのはそっちじゃ……。
「おぬし、少しは警戒心を持った方が良いぞ。これは助言だ。名前は、大事だぞ」
そう言った直後、彼はぴくりと顔を上げ「む、来客だな」と呟いた。
「雨童か」
彼の口から飛び出てきた名前を聞いて、私は目を丸くする。
「雨童……さん?」
「おう。なんだ、何度か会うておるだろう?」
「いや、それはそうなんですけど」
雨童。雨を司る、あやかしの中でも最高位の層に属するあやかしだ。
私が雨童と初めて出会ったときには、嫌悪の感情を向けられ、拉致されたり無理難題を出されたりと色々あったものの――駆けつけてきてくれた神威さんたちと私で、彼女の『思い出のメニュー』を作って一緒に食べたことで、和解したのだった。
今ではふらりと私たちのところまで立ち寄ってきて、私に料理を作ってくれと頼んでくるレベルには打ち解けている……のだけれど、今はそんなことよりも。
「なんで分かるんですか?」
まだ雨童の姿は見えていないのに。訝しむ私に向かい、少年はニッと笑う。
「儂は何でも知っておる。知れる範囲は、狭いがな」
「はい?」
「ほれほれ、早く行ってこい」
しっしっと追い払うように手を振られる。私は何が何やら分からぬまま、ひとまず玄関口に急ぎつつ、必死に頭を巡らせた。
――あの子、絶対人間じゃない。
青宝神社でアルバイトをするようになって『あやかし』たちと交流することが増えた私の直感だ。あの目は、ただの小さな男の子の目じゃなかった。あまりに落ち着き払っていて、堂々としていて。
「雨童さんのことも知ってるみたいだったし」
「わらわがどうかしたか?」
声とともに、今まさに開けようとしていた玄関の引き戸が目の前で開く。
「うわあ⁉」
「なんじゃ、その驚き方は。見舞いに来てやったというのに」
藍色の着物に身を包み、艶やかな黒髪と透けるような白い肌をした美女が、ぺしりと私の頭に扇子を載せる。
「ほ、本当に雨童さんだ……」
さっきの子が言ってた通り。
そのあやかしは、ほんのりと紅く色づいた小さな口の両端をにんまりと吊り上げた。
「なんじゃ。わらわに会いとうて、幻でも見たかの?」
「いや、『本当の』じゃなくて、『本当に』です。助詞が一個違います」
「……つまらんな」
不服そうにしながら、雨童は勝手知ったる様子で下駄を脱ぎ、屋敷に上がり込んだ。そして迷わずすたすたと歩き始める。
「あの、どちらへ」
「大広間じゃよ。ここには何度も来ておるから、この屋敷の構造はよく知っておる」
「そ、そうなんですね」
なるほどと私が頷いていると、彼女は足を止めてこちらを振り返った。
「で? 『本当に』とは、どういう意味じゃ」
「いえ、さっき会った子が言ってた通りだなあって」
「会った子? そなた以外に誰かおるのか。今日は全員、出払っていると聞いておったが。そなた、強制的に休まされたそうじゃな」
情報の把握が早すぎる。いったいどこから漏れたのかと訝しく思いつつ、私は雨童の藍色の着物の袖を軽く引いた。
「ええとあの、この屋敷に、知らない小さな男の子がいたんです」
しどろもどろになりながら、私は説明してみた。
「ほう? 間者や部外者はこの屋敷には入って来れぬはずだろうに」
「え、そうなんですか?」
「むしろ知らんかったのか? それでよくそこまで落ち着いていられるな。普通もっと騒ぐだろう」
「いや何となく、人間じゃないだろうなと思いまして」
それに、雨童のことも、私が青宝神社の新入りだということも知っているようだし。雨童か青宝神社の面々のうち、誰かの顔見知りなのかもしれないと思ったのだ。
「ふむ。まあ、見てみるか」
あっさりと頷き、雨童は悠々と歩を進める。
流石は最高位に属するあやかしだ。怖いものなどないといったその様子に、私はほっと胸をなで下ろした。他人頼みで申し訳ないけれど、とてつもなく心強い。
「失礼する」
そう一声かけた後、雨童は躊躇うことなく大広間の襖をがらりと引き開けた。
「おお、雨童。久しいな」
ひょいと立ち上がり、ぱたぱたとこちらに走り寄ってくる、先ほどの少年。
「……そなた」
雨童が、目を丸くして少年をじっと見つめる。
「そなた、はく……」
「おっと、しばし待て」
何かを言いかけた雨童に向かい、少年が左手のひらを突き出して『待った』をかける。雨童はそのまま口をつぐんだ。
なんだろう、この光景。傍目には年上のお姉さんに見える雨童が、素直に彼の言葉に従っている。
「彩梅と言ったか? この少女に、まだ儂の名を明かす訳にはいかぬ」
「え」
なぜに。私が固まっていると、彼は片眉を上げて私を見た。
「儂はここに居るものよ。おぬしよりもずっとずっと前からな。故に」
言葉を切った彼は、その鋭い目で私を見つめた。
「あの人神――神威が認めようとも、儂はまだおぬしを見定めておらぬ。よって、現時点ではおぬしを、ここの同居人として認める訳にはいかぬ」
唐突な言葉に、私は一瞬、思考を停止する。
今、何て言われた?
「彩梅、しっかりせい」
雨童に肩を揺さぶられ、私は何とか思考を保とうとした。つまり、この少年はこの屋敷に昔からいる存在で、神威さんたちのことを知っていて、私のことを認めないと言っていて……。
「ここに住みたければ、一つ条件がある」
「ちょ、ちょっと待ってください」
私は突然の展開についていけずに待ったをかける。
「なんだ」
「ええと……」
何と言えばいいのだろう、これは。どうすればよいのかも分からないけれど。
――もしかして、同居人として認めてもらえないのなら、ここから追い出されることもあり得るのでは?
「み、認めてもらうにはどうすれば」
追い出されるのは、今の私にとってどうしようもなく怖いことだ。
それは、嫌だ。
「ふむ。そうだな」
私がおずおずと聞いた質問に、少年はさっきよりも薄い笑みを浮かべ、小首を傾げた。それはとても厳かな仕草で。
「儂の正体がどんなモノであるか、当ててみよ」
当ててみよと言われても。判断材料が皆無で、どうしようもない。
無茶振りに悩みつつ、私の肩を掴んだままの雨童を見上げようと頭を動かすと「言っておくが、他人に手助けをしてもらうでないぞ」と言われてしまった。
「……差し出がましいことを言うようで申し訳ないがの」
先ほどまで黙っていた雨童が、眉根を寄せながら口を開く。
「何も情報を与えずにただ『当てろ』と言うだけでは、無理を言うにも程があるぞ」
「雨童さん……」
こちらが言いたくても言えなかったことを言ってくれて、私は心の底から感謝する。
「まあ、それもそうだな」
意外とあっさり少年は頷き、「条件を与えてやろう」と右手の指を三本立てた。
「条件は三つ――その一。儂に、八つまで質問を許そう」
少なすぎないか、と思ったものの。それを言って逆に怒らせ、質問数を減らされてしまったらと思うと何も言えない。私は黙って頷く。
「その二、答えるまではここに居てもよいが、青宝神社の面々や雨童たちから手助けをもらってはならぬ。雨童や神威たちは甘いからな……儂の正体をそのまま喋られては、意味がない」
「……てことは、雨童さんも神威さんも、あなたの正体は知ってるってことですよね?」
私がそう聞くと、彼は少しむっとしたように眉根を寄せた。
「それは、質問一つ分と数えてよいか?」
「いえ、やっぱりいいです、すみませんでした……」
危ない、と私は冷や汗をかきつつ首を振る。
とはいえ、これではっきりした。雨童の様子を見ていても思ったけれど、彼女にはこの謎の少年の正体が分かっているということだ。そしてこの言いっぷりを見るに、神威さんたちも。それを知ることができただけでも、良かったかもしれない。
身元が全く不明のあやかしや神様と対峙している、という訳じゃない。彼らの知り合いだというだけでも、妙な安心感がある。正体の見当はまるでつかないけれど。
「その三。今日すぐに答えよとは言わぬから、今日を含めて三日間猶予をやる。それまでに答えを出せ」
「す、少ない……」
思わずぼそりと言うと、少年からぎろりと睨まれてしまった。
「何か言ったか? ……もっと減らすか?」
「い、いえ、三日間でお願いします」
交渉の余地はなさそうだ。私は肩を落としながら仕方なく頷く。
「……悪いのう、彩梅。事情があってな、わらわはあやつに強く出られんのじゃ」
「いえ、こちらこそ力不足ですみません」
雨童が申し訳なさそうに言う言葉に、私は首を振る。
もし私がもっと立派でちゃんとしていたら、この男の子に認めてもらえていたのだろうか、なんて考えがちらりと頭をよぎる。
「その顔、また卑屈な考えになっておるな。力不足なんて訳がなかろう」
ぺしぺしと扇子で私の肩をつつきながら、雨童が言う。
「そなたはここに居らねばならん存在だしの。堂々と胸を張って挑めば大丈夫じゃ」
「あ、ありがとうございます……」
私は雨童の言葉を受けて、自分の頬をべしりと叩く。
そうだ、とりあえず呆けている場合じゃない。質問に答えるとは言ってくれているのだから、まず自分にできることをしなければ。
「じゃあ、まずは最初の質問いいですか」
「よいとも。してみるがいい」
鷹揚に頷く少年相手に、私はごくりと唾を呑み込んで質問を絞り出す。
「ええと……あなたのお名前は?」
「ふむ」
彼は数秒考え込んだ後、静かに微笑んで腕を組んだ。
「それは一番最後に答えよう。回数にはそのとき含めてやるから、実質あと七回だな」
「うう……分かりました」
答えが保留されてしまった。私は頑張って次の質問を考える。ああ、もっと頭がよければ……!
「じゃあ、いつからここにいらっしゃるんですか?」
「百年よりもずっとずっと前。おぬしにとっては気の遠くなるくらい昔からだな」
今度は即答だった。だいぶぼんやりした答えだけれど、それは仕方がない。どのくらい精度のある答え方をしてくれるのか、先に聞くべきだった。
「あの、ちなみにもうちょっと具体的に答えていただく訳には……?」
「うむ、そこは儂の気分次第だ」
「そうですか……」
あっさり要望をかわされ、私はうなだれる。
「まあ、その代わりといっては何だが、聞かれた質問には嘘をつかんと約束しよう」
「あ」
そうか、嘘をつかれるという可能性もあったのか。私、間抜けすぎる。
「全く想定外だったという顔だな」
「そうじゃな。まったく彩梅は人が良すぎるというか、頭が足りないというか……」
私のことを褒めてるんだか貶してるんだか分からないことを言いながら、雨童が少年とひそひそやりとりしている。
「あの、そこ聞こえてるんですけど」
「お、おお。すまんな、続けてくれ」
ごほんと咳払いをしながら、少年が次を促す。
「そうですね……じゃあ、あなたは神様とあやかし、どちらですか」
「純粋な神話の神でもないな。あやかしということもできよう」
どちらなのかは分からなかったけれど、やっぱり人間ではなかったらしい。あとは何を聞くべきか、と悩んでいた私ははたと思いついた。
「……『誰そ彼時に、通りゃんせ』」
そうだ、このまじないがあったじゃないか。
これは、青宝神社の面々が使う『まじない』の言葉の一部分だ。
『誰そ彼』と尋ねるのには、夕闇で判別できない相手に『あなたは誰ですか』と問う意味の他に、相手を見極める防犯の意味もあった。
ここでは、その言霊に呼応し、答えとして元の姿が現れてくるはずで――。
「ほう、例のまじないか。効かぬ、効かぬ」
からからと、余裕そうな態度で笑う少年。本来このまじないで正体は明らかになるはずなのに、何も変わらない。
「……意味なかった……」
「意味がないというより、儂は元よりこの姿よ。効く訳がなかろう」
「そ、そうですか」
「今のも質問とみなしてあと四回だ」
「うっ」
次の質問、どうしよう。他にもっと聞くべきことがあるのでは、もっと効果的な質問があるのではと思うと、簡単に質問できない。
「ま、おぬしも煮詰まってきたようだしな。一回休憩としようか」
「はい? 休憩?」
「さっきから妙に食べたくてな……ふな焼き、作ってくれんか?」
「……はいい?」
少年からの唐突な頼みに戸惑う私の前で、彼はその幼いながらも整った顔に満面の笑みを浮かべた。
「ただいまー! ……って、なにこれどういう状況?」
「お帰りなさい、三人とも……」
翡翠さんたちが屋敷に帰ってきたとき、私は大広間の座卓の片隅に突っ伏していた。動きやすい浴衣に着替えた男子三人衆が大広間に入ってくるのを横目に、私はゆらりと手を振り、やっとの思いで上半身を起こす。
あの少年は、今ここにはいない。「食後の運動じゃ」と言うなり、どこかへ消えてしまったのだ。どうやら彼は、神出鬼没タイプらしい。
「遅かったのう」
「今日の客が長居気味だったんだ。来てもらってすまなかったな、雨童」
「なんの。お前様と彩梅のためならば、いつでもよいぞ」
私の左隣に居た雨童と会話をしながら、神威さんが私の右隣に座る。そうか、雨童に私の情報を流したのは神威さんか。
「雨童さん、本当にありがとうございます。居てくださらなかったら今頃どうなってたか……」
きっと心が折れていただろう、雨童が居てくれなければ。
「うむ。感謝するがよい」
私が頭を下げると、雨童は扇子を口元に当て、三日月型に目を細めた。
「何があった」
私たちの会話に何かを感じ取ったのか、神威さんが問いかけてくる。私は何から説明すればよいのかと頭を捻った。
屋敷に戻ったら見知らぬ少年が和菓子を食べ尽くそうとしていて、少年に名前を聞かれ、会話しているときに雨童が来て、少年に正体を当てよと持ちかけられて――それならばと質問をいくつかしていたら突然、「ふな焼きを作ってくれ」と頼まれて。
その結果が、今このテーブルの上に広がっている。これはいったいどう説明したものか。
「……やっぱり具合、悪いのか?」
説明に困って口を開けなかった私に向かい、神威さんが眉を顰めて聞いてくる。私は慌てて頭を振った。
「あ、あの違うんです。ちょっと疲れただけで」
「さっきも言ってたろ、それ。疲れただけでこうなるか?」
「いや、これはそうもなるでしょう」
不安げな神威さんの声に、呆れかえったような嘉月さんの声が重なる。顔を上げると、嘉月さんはしかめっ面でテーブルの上を見つめていた。
「どれだけ作ったんですか、ふな焼き」
尾道銘菓、「ふな焼き」。小麦粉を水で伸ばし、クレープ状に薄く焼いた生地にあんこを包んだ、昔ながらのお菓子だ。しっとりした薄皮と、丁寧に練られた上品なあんこを堪能できる一品。
今、私たちの目の前の座卓の上には、それが三十個ほどずらりと並んでいる。
「あれ、僕が今朝作った豆大福は?」
「全部儂が食べたぞ。あれだけでは足りんから、作ってもろうた」
ふわりと私の背中に重みが乗る。水干姿の少年が戻ってきたのだ。
「あ?」「あれれ」「おや」
神威さんと翡翠さんと嘉月さんの、短い声が聞こえた。
そんな反応も意に介さず、少年は私の背中に重くのしかかったまま、私の頭越しに手を伸ばしてふな焼きを取る。そしてあっという間にもぐもぐと平らげてしまった。
「ふむ、いけるいける。美味くなったではないか、よくやった」
「それはどうも……」
私は少年に体重をかけられたまま、どさりと机の上にまた突っ伏す。
「彩梅は作るのが初めてだったそうでな。それはもう一から、頑張ったのじゃぞ。こいつに作れと言われて」
頭上から、雨童が状況説明してくれる声がする。
「最初は酷いものだったがな、まあ良くなった、褒めて遣わす」
「ありがとうございます……」
少年の言葉に、私はため息をともに肩を落とす。
そもそも言いたい。こういうシンプルに見えるお菓子ほど、難しいものはないのだと。まして、初めて作るのならなおのこと。
「ほう?」
どうだか、と言いながらはんと嘉月さんが鼻を鳴らす。
私はため息をついて再度口を開いた。
「神威さんほどの綺麗な人って、少し離れた位置からそっと拝むくらいがちょうどいいんですよ」
「……アイドルのファンですか? あなたは」
「ええ、それと似たものと思ってくださって結構です……って、神威さんちょっと⁉」
私と嘉月さんのやりとりを聞くのに飽きたのか、彼はいつの間にか社殿の入り口の方まで歩いて行ってしまっていた。全然話を聞いていない。
というか私の鞄、持っていかれたままだ。
「俺は着替えてくる。あんたは屋敷に帰れ」
私の視線に気づいた神威さんはこちらを見ながら、ぴっと社殿の奥を親指で指し示す。
「翡翠、嘉月。連行しろ」
「はいはーい」「承知いたしました」
容赦ない神威さんの言葉に、あっさり従って頷く翡翠さんと嘉月さん。
「じゃ、彩梅ちゃんはこっちね」
翡翠さんが私の服の片袖を引っ張り、社殿の脇にある通用口の方へ足を踏み出す。
意外と彼の力は強く、有無を言わさず私が連行されている間に、嘉月さんは神威さんから私の鞄を受け取ってこちらに向かってきた。
「あの、嘉月さん……鞄、自分で持ちます」
「主命ですので」
左様でございますか。
「はいはい、こっちこっち」
そのまま翡翠さんに片袖を引かれ、私はパンプスを脱いで社殿の脇から中に上がった。
通用口から木張りの床上に上がると、清浄な気をたたえた神社の社の内部が目の前に広がる。そのまま廊下を進み、いくつかある部屋の前を通過して、私たちは一番奥の突き当たりにある、部屋の襖を開けた。
一見、何の変哲もない畳敷きの和室だ。家具は一つもなく、あるのは正面の大きな押し入れのみ。
「はい、じゃあ屋敷へお帰り」
翡翠さんがずんずんと和室の奥へと歩いていき、勢いそのままに襖の取っ手に手をかけてがらりと両側に引き開ける。
すると、その向こう側には。
私が一ヶ月ほど前から住まわせてもらっている屋敷――神威さんの実家である園山家の一室が広がっていた。
「いやあ、何度見ても不思議ですよねこれ。全然違う場所にある建物同士が繋がってるだなんて! これなら青宝神社にいても、屋敷に帰ったも同然ですね!」
「彩梅さん、説明口調で誤魔化そうとしても無駄です。大人しく帰りなさい」
「うっ……」
にべもない言葉が嘉月さんから返ってきた。私は恨めしく、青宝神社の社殿と園山家の屋敷を繋ぐ襖を睨みつける。
「さあ、これを」
「あ、ありがとうございます……」
嘉月さんから鞄を返してもらう私の背を、翡翠さんが「じゃあ、一足先に帰ってて」と押す。社殿内の和室から屋敷の和室への境界線をまたいだ私の前で、翡翠さんは襖を閉めていく。
「彩梅ちゃん」
「はい?」
私が振り返ると、彼はにっこりと笑いながら言葉を続けた。
「見つけてあげて。多分、寂しがってると思うから」
「……はい?」
謎の言葉とともにぱたんと襖が閉まり、私は屋敷側の和室に一人取り残される。
今の言葉は、いったい何だったのだろう。
「目的語、完全に抜けてたな……」
欲を言えば、もう少し情報を寄越してほしい。翡翠さんがああいう話し方をするのは結構いつものことで、慣れつつあるけれど。
まあ、もし危ないことなら神威さんたちは事前に忠告してくれるはずだし、大丈夫だろう。たぶん。
私は少し不安になりつつも、自分にそう言い聞かせた。
とりあえず、お休みをもらったとはいえ屋敷にいるのだから何かしなければ。でないとただの下宿人になってしまう。
私は一度、自分に割り当てられた和室に行って鞄を置いてから、屋敷の掃除を始めることに決めた。
「そういえば、この屋敷に一人なのは初めてかも」
黒いパーカーと灰色のスウェットに着替えた私は、廊下を歩きながらそう呟く。一人きりでこの屋敷にいるのは少し……いやだいぶ心もとない。
そう、園山家の屋敷は広すぎるのだ。
その外見はまるで老舗の旅館のよう。周りは石垣が取り囲み、庭には橋が架かるレベルの大きな池があり、木々があり、灯篭もある。
部屋はいくつあるのかも分からない。数えようとしたことはあるけれど、物置部屋を含め十を超えた辺りでしんどくなってやめた。
なぜこんなに無駄に部屋があるのだろうと不思議に思う。これじゃ掃除もやり切れないんじゃないか。
「ともかく、やれるところから掃除しなきゃ」
木目の廊下を踏みしめ、私は一番よく使われている畳敷きの大広間に向かう。そしてその襖に手をかけ、がらりと引き開け――。
「え?」
一瞬、私は自分の目を疑った。足を止めて、まじまじと和室の中心部を見つめてみる。念のため目をこすってみてからもう一度見直してみても、結果は変わらず。
「……だ、誰?」
大広間の真ん中にある座卓の前に、知らない子供がちょこんと座っていた。
その姿はちんまりと可愛らしい。白い水干に緋色の狩袴、そして艶やかな黒髪を後ろで一つにくくっている、小さな子だった。平安時代の貴族の子息みたいな格好だ。
ツンととがった顎に、妖精のようにあどけない顔立ち。可愛らしいけれど、きりりとした眉と凛とした目、シャープな顔の輪郭からは、少年らしさも窺える。
「……おぬし」
その少年は私に気づくとぽかんと口を開け、手に持っていた豆大福を机の上に落とした。
私が机の上に視線を移すと、翡翠さんが今朝十個ほど作って置いてあった豆大福が、あらかた姿を消していた。
しばらく私と見つめ合った後、彼は手元に目を遣り、軽く悲鳴を上げる。
「あああ、落としてしもうた」
大福をゆっくりと拾い上げた後、無言でもすもすと食べ始めた少年に対し、私はやっとのことで声を絞り出した。
「ど、どちら様ですか?」
「……ふむ。ようやく、儂のことが見えるようになったか」
大福を食べる手を止めず、少年は、私の方向を見てはっきりとそう言った。
「おぬし、青宝神社の新入りだろう」
どうやら相手は、なぜだか私のことを知っているらしい。私は恐る恐る頷く。ここは頷くしかない。こちらが固まっていると、彼はやっと食べる手を止めて言った。
「人に尋ねる前に、まず名乗るのが礼儀ではないか?」
「の、野一色彩梅と、言います」
「ほう。得体の知れぬ存在相手に、本名を偽りもせずに答えるとは」
聞いてきたのはそっちじゃ……。
「おぬし、少しは警戒心を持った方が良いぞ。これは助言だ。名前は、大事だぞ」
そう言った直後、彼はぴくりと顔を上げ「む、来客だな」と呟いた。
「雨童か」
彼の口から飛び出てきた名前を聞いて、私は目を丸くする。
「雨童……さん?」
「おう。なんだ、何度か会うておるだろう?」
「いや、それはそうなんですけど」
雨童。雨を司る、あやかしの中でも最高位の層に属するあやかしだ。
私が雨童と初めて出会ったときには、嫌悪の感情を向けられ、拉致されたり無理難題を出されたりと色々あったものの――駆けつけてきてくれた神威さんたちと私で、彼女の『思い出のメニュー』を作って一緒に食べたことで、和解したのだった。
今ではふらりと私たちのところまで立ち寄ってきて、私に料理を作ってくれと頼んでくるレベルには打ち解けている……のだけれど、今はそんなことよりも。
「なんで分かるんですか?」
まだ雨童の姿は見えていないのに。訝しむ私に向かい、少年はニッと笑う。
「儂は何でも知っておる。知れる範囲は、狭いがな」
「はい?」
「ほれほれ、早く行ってこい」
しっしっと追い払うように手を振られる。私は何が何やら分からぬまま、ひとまず玄関口に急ぎつつ、必死に頭を巡らせた。
――あの子、絶対人間じゃない。
青宝神社でアルバイトをするようになって『あやかし』たちと交流することが増えた私の直感だ。あの目は、ただの小さな男の子の目じゃなかった。あまりに落ち着き払っていて、堂々としていて。
「雨童さんのことも知ってるみたいだったし」
「わらわがどうかしたか?」
声とともに、今まさに開けようとしていた玄関の引き戸が目の前で開く。
「うわあ⁉」
「なんじゃ、その驚き方は。見舞いに来てやったというのに」
藍色の着物に身を包み、艶やかな黒髪と透けるような白い肌をした美女が、ぺしりと私の頭に扇子を載せる。
「ほ、本当に雨童さんだ……」
さっきの子が言ってた通り。
そのあやかしは、ほんのりと紅く色づいた小さな口の両端をにんまりと吊り上げた。
「なんじゃ。わらわに会いとうて、幻でも見たかの?」
「いや、『本当の』じゃなくて、『本当に』です。助詞が一個違います」
「……つまらんな」
不服そうにしながら、雨童は勝手知ったる様子で下駄を脱ぎ、屋敷に上がり込んだ。そして迷わずすたすたと歩き始める。
「あの、どちらへ」
「大広間じゃよ。ここには何度も来ておるから、この屋敷の構造はよく知っておる」
「そ、そうなんですね」
なるほどと私が頷いていると、彼女は足を止めてこちらを振り返った。
「で? 『本当に』とは、どういう意味じゃ」
「いえ、さっき会った子が言ってた通りだなあって」
「会った子? そなた以外に誰かおるのか。今日は全員、出払っていると聞いておったが。そなた、強制的に休まされたそうじゃな」
情報の把握が早すぎる。いったいどこから漏れたのかと訝しく思いつつ、私は雨童の藍色の着物の袖を軽く引いた。
「ええとあの、この屋敷に、知らない小さな男の子がいたんです」
しどろもどろになりながら、私は説明してみた。
「ほう? 間者や部外者はこの屋敷には入って来れぬはずだろうに」
「え、そうなんですか?」
「むしろ知らんかったのか? それでよくそこまで落ち着いていられるな。普通もっと騒ぐだろう」
「いや何となく、人間じゃないだろうなと思いまして」
それに、雨童のことも、私が青宝神社の新入りだということも知っているようだし。雨童か青宝神社の面々のうち、誰かの顔見知りなのかもしれないと思ったのだ。
「ふむ。まあ、見てみるか」
あっさりと頷き、雨童は悠々と歩を進める。
流石は最高位に属するあやかしだ。怖いものなどないといったその様子に、私はほっと胸をなで下ろした。他人頼みで申し訳ないけれど、とてつもなく心強い。
「失礼する」
そう一声かけた後、雨童は躊躇うことなく大広間の襖をがらりと引き開けた。
「おお、雨童。久しいな」
ひょいと立ち上がり、ぱたぱたとこちらに走り寄ってくる、先ほどの少年。
「……そなた」
雨童が、目を丸くして少年をじっと見つめる。
「そなた、はく……」
「おっと、しばし待て」
何かを言いかけた雨童に向かい、少年が左手のひらを突き出して『待った』をかける。雨童はそのまま口をつぐんだ。
なんだろう、この光景。傍目には年上のお姉さんに見える雨童が、素直に彼の言葉に従っている。
「彩梅と言ったか? この少女に、まだ儂の名を明かす訳にはいかぬ」
「え」
なぜに。私が固まっていると、彼は片眉を上げて私を見た。
「儂はここに居るものよ。おぬしよりもずっとずっと前からな。故に」
言葉を切った彼は、その鋭い目で私を見つめた。
「あの人神――神威が認めようとも、儂はまだおぬしを見定めておらぬ。よって、現時点ではおぬしを、ここの同居人として認める訳にはいかぬ」
唐突な言葉に、私は一瞬、思考を停止する。
今、何て言われた?
「彩梅、しっかりせい」
雨童に肩を揺さぶられ、私は何とか思考を保とうとした。つまり、この少年はこの屋敷に昔からいる存在で、神威さんたちのことを知っていて、私のことを認めないと言っていて……。
「ここに住みたければ、一つ条件がある」
「ちょ、ちょっと待ってください」
私は突然の展開についていけずに待ったをかける。
「なんだ」
「ええと……」
何と言えばいいのだろう、これは。どうすればよいのかも分からないけれど。
――もしかして、同居人として認めてもらえないのなら、ここから追い出されることもあり得るのでは?
「み、認めてもらうにはどうすれば」
追い出されるのは、今の私にとってどうしようもなく怖いことだ。
それは、嫌だ。
「ふむ。そうだな」
私がおずおずと聞いた質問に、少年はさっきよりも薄い笑みを浮かべ、小首を傾げた。それはとても厳かな仕草で。
「儂の正体がどんなモノであるか、当ててみよ」
当ててみよと言われても。判断材料が皆無で、どうしようもない。
無茶振りに悩みつつ、私の肩を掴んだままの雨童を見上げようと頭を動かすと「言っておくが、他人に手助けをしてもらうでないぞ」と言われてしまった。
「……差し出がましいことを言うようで申し訳ないがの」
先ほどまで黙っていた雨童が、眉根を寄せながら口を開く。
「何も情報を与えずにただ『当てろ』と言うだけでは、無理を言うにも程があるぞ」
「雨童さん……」
こちらが言いたくても言えなかったことを言ってくれて、私は心の底から感謝する。
「まあ、それもそうだな」
意外とあっさり少年は頷き、「条件を与えてやろう」と右手の指を三本立てた。
「条件は三つ――その一。儂に、八つまで質問を許そう」
少なすぎないか、と思ったものの。それを言って逆に怒らせ、質問数を減らされてしまったらと思うと何も言えない。私は黙って頷く。
「その二、答えるまではここに居てもよいが、青宝神社の面々や雨童たちから手助けをもらってはならぬ。雨童や神威たちは甘いからな……儂の正体をそのまま喋られては、意味がない」
「……てことは、雨童さんも神威さんも、あなたの正体は知ってるってことですよね?」
私がそう聞くと、彼は少しむっとしたように眉根を寄せた。
「それは、質問一つ分と数えてよいか?」
「いえ、やっぱりいいです、すみませんでした……」
危ない、と私は冷や汗をかきつつ首を振る。
とはいえ、これではっきりした。雨童の様子を見ていても思ったけれど、彼女にはこの謎の少年の正体が分かっているということだ。そしてこの言いっぷりを見るに、神威さんたちも。それを知ることができただけでも、良かったかもしれない。
身元が全く不明のあやかしや神様と対峙している、という訳じゃない。彼らの知り合いだというだけでも、妙な安心感がある。正体の見当はまるでつかないけれど。
「その三。今日すぐに答えよとは言わぬから、今日を含めて三日間猶予をやる。それまでに答えを出せ」
「す、少ない……」
思わずぼそりと言うと、少年からぎろりと睨まれてしまった。
「何か言ったか? ……もっと減らすか?」
「い、いえ、三日間でお願いします」
交渉の余地はなさそうだ。私は肩を落としながら仕方なく頷く。
「……悪いのう、彩梅。事情があってな、わらわはあやつに強く出られんのじゃ」
「いえ、こちらこそ力不足ですみません」
雨童が申し訳なさそうに言う言葉に、私は首を振る。
もし私がもっと立派でちゃんとしていたら、この男の子に認めてもらえていたのだろうか、なんて考えがちらりと頭をよぎる。
「その顔、また卑屈な考えになっておるな。力不足なんて訳がなかろう」
ぺしぺしと扇子で私の肩をつつきながら、雨童が言う。
「そなたはここに居らねばならん存在だしの。堂々と胸を張って挑めば大丈夫じゃ」
「あ、ありがとうございます……」
私は雨童の言葉を受けて、自分の頬をべしりと叩く。
そうだ、とりあえず呆けている場合じゃない。質問に答えるとは言ってくれているのだから、まず自分にできることをしなければ。
「じゃあ、まずは最初の質問いいですか」
「よいとも。してみるがいい」
鷹揚に頷く少年相手に、私はごくりと唾を呑み込んで質問を絞り出す。
「ええと……あなたのお名前は?」
「ふむ」
彼は数秒考え込んだ後、静かに微笑んで腕を組んだ。
「それは一番最後に答えよう。回数にはそのとき含めてやるから、実質あと七回だな」
「うう……分かりました」
答えが保留されてしまった。私は頑張って次の質問を考える。ああ、もっと頭がよければ……!
「じゃあ、いつからここにいらっしゃるんですか?」
「百年よりもずっとずっと前。おぬしにとっては気の遠くなるくらい昔からだな」
今度は即答だった。だいぶぼんやりした答えだけれど、それは仕方がない。どのくらい精度のある答え方をしてくれるのか、先に聞くべきだった。
「あの、ちなみにもうちょっと具体的に答えていただく訳には……?」
「うむ、そこは儂の気分次第だ」
「そうですか……」
あっさり要望をかわされ、私はうなだれる。
「まあ、その代わりといっては何だが、聞かれた質問には嘘をつかんと約束しよう」
「あ」
そうか、嘘をつかれるという可能性もあったのか。私、間抜けすぎる。
「全く想定外だったという顔だな」
「そうじゃな。まったく彩梅は人が良すぎるというか、頭が足りないというか……」
私のことを褒めてるんだか貶してるんだか分からないことを言いながら、雨童が少年とひそひそやりとりしている。
「あの、そこ聞こえてるんですけど」
「お、おお。すまんな、続けてくれ」
ごほんと咳払いをしながら、少年が次を促す。
「そうですね……じゃあ、あなたは神様とあやかし、どちらですか」
「純粋な神話の神でもないな。あやかしということもできよう」
どちらなのかは分からなかったけれど、やっぱり人間ではなかったらしい。あとは何を聞くべきか、と悩んでいた私ははたと思いついた。
「……『誰そ彼時に、通りゃんせ』」
そうだ、このまじないがあったじゃないか。
これは、青宝神社の面々が使う『まじない』の言葉の一部分だ。
『誰そ彼』と尋ねるのには、夕闇で判別できない相手に『あなたは誰ですか』と問う意味の他に、相手を見極める防犯の意味もあった。
ここでは、その言霊に呼応し、答えとして元の姿が現れてくるはずで――。
「ほう、例のまじないか。効かぬ、効かぬ」
からからと、余裕そうな態度で笑う少年。本来このまじないで正体は明らかになるはずなのに、何も変わらない。
「……意味なかった……」
「意味がないというより、儂は元よりこの姿よ。効く訳がなかろう」
「そ、そうですか」
「今のも質問とみなしてあと四回だ」
「うっ」
次の質問、どうしよう。他にもっと聞くべきことがあるのでは、もっと効果的な質問があるのではと思うと、簡単に質問できない。
「ま、おぬしも煮詰まってきたようだしな。一回休憩としようか」
「はい? 休憩?」
「さっきから妙に食べたくてな……ふな焼き、作ってくれんか?」
「……はいい?」
少年からの唐突な頼みに戸惑う私の前で、彼はその幼いながらも整った顔に満面の笑みを浮かべた。
「ただいまー! ……って、なにこれどういう状況?」
「お帰りなさい、三人とも……」
翡翠さんたちが屋敷に帰ってきたとき、私は大広間の座卓の片隅に突っ伏していた。動きやすい浴衣に着替えた男子三人衆が大広間に入ってくるのを横目に、私はゆらりと手を振り、やっとの思いで上半身を起こす。
あの少年は、今ここにはいない。「食後の運動じゃ」と言うなり、どこかへ消えてしまったのだ。どうやら彼は、神出鬼没タイプらしい。
「遅かったのう」
「今日の客が長居気味だったんだ。来てもらってすまなかったな、雨童」
「なんの。お前様と彩梅のためならば、いつでもよいぞ」
私の左隣に居た雨童と会話をしながら、神威さんが私の右隣に座る。そうか、雨童に私の情報を流したのは神威さんか。
「雨童さん、本当にありがとうございます。居てくださらなかったら今頃どうなってたか……」
きっと心が折れていただろう、雨童が居てくれなければ。
「うむ。感謝するがよい」
私が頭を下げると、雨童は扇子を口元に当て、三日月型に目を細めた。
「何があった」
私たちの会話に何かを感じ取ったのか、神威さんが問いかけてくる。私は何から説明すればよいのかと頭を捻った。
屋敷に戻ったら見知らぬ少年が和菓子を食べ尽くそうとしていて、少年に名前を聞かれ、会話しているときに雨童が来て、少年に正体を当てよと持ちかけられて――それならばと質問をいくつかしていたら突然、「ふな焼きを作ってくれ」と頼まれて。
その結果が、今このテーブルの上に広がっている。これはいったいどう説明したものか。
「……やっぱり具合、悪いのか?」
説明に困って口を開けなかった私に向かい、神威さんが眉を顰めて聞いてくる。私は慌てて頭を振った。
「あ、あの違うんです。ちょっと疲れただけで」
「さっきも言ってたろ、それ。疲れただけでこうなるか?」
「いや、これはそうもなるでしょう」
不安げな神威さんの声に、呆れかえったような嘉月さんの声が重なる。顔を上げると、嘉月さんはしかめっ面でテーブルの上を見つめていた。
「どれだけ作ったんですか、ふな焼き」
尾道銘菓、「ふな焼き」。小麦粉を水で伸ばし、クレープ状に薄く焼いた生地にあんこを包んだ、昔ながらのお菓子だ。しっとりした薄皮と、丁寧に練られた上品なあんこを堪能できる一品。
今、私たちの目の前の座卓の上には、それが三十個ほどずらりと並んでいる。
「あれ、僕が今朝作った豆大福は?」
「全部儂が食べたぞ。あれだけでは足りんから、作ってもろうた」
ふわりと私の背中に重みが乗る。水干姿の少年が戻ってきたのだ。
「あ?」「あれれ」「おや」
神威さんと翡翠さんと嘉月さんの、短い声が聞こえた。
そんな反応も意に介さず、少年は私の背中に重くのしかかったまま、私の頭越しに手を伸ばしてふな焼きを取る。そしてあっという間にもぐもぐと平らげてしまった。
「ふむ、いけるいける。美味くなったではないか、よくやった」
「それはどうも……」
私は少年に体重をかけられたまま、どさりと机の上にまた突っ伏す。
「彩梅は作るのが初めてだったそうでな。それはもう一から、頑張ったのじゃぞ。こいつに作れと言われて」
頭上から、雨童が状況説明してくれる声がする。
「最初は酷いものだったがな、まあ良くなった、褒めて遣わす」
「ありがとうございます……」
少年の言葉に、私はため息をともに肩を落とす。
そもそも言いたい。こういうシンプルに見えるお菓子ほど、難しいものはないのだと。まして、初めて作るのならなおのこと。
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