悪魔に憑かれた男

大松ヨヨギ

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受胎告知

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  その暗く狭い部屋は、防音のせいか外の音が一切漏れない。床にはこびり付いた黒い染みが、壁には爪で引っ掻いたような傷が無数に付けられている。
 
 そこは元々敵兵やテロリスト共を拷問する時に使われていたいわく付きの部屋だが、監視プログラムも設置されていないので密談には都合がいい。
 
 休憩所に使ってください、と壁沿いに置かれた三つのベンチは満席になる事など絶対にありえない。
 
「遅かったわね」
 
 扉を開けて正面のベンチに足を組み座るローレン・クロウリーは、不機嫌を隠すことなどなくそのヒールをカンカンと踏み鳴らす。
 
 そこに呼び出されたノエルはいつもの無表情のままだ。
 
 「虚偽の申告をしたらどうなるか、想像できなかったとでもいうの?」
「虚偽、…なんの事ですか」
「そう言うと思ったわ。」

 第一声からノエルの嘘を見抜いた彼女は言い訳をさせない為に証拠を集めていたようだ。
 ローレンは映写ペンを内ポケットから取り出すと、爪痕だらけの壁に証拠を映し出した。
 
 空き地に転がった六つの死体、それはノエルの記憶に新しい。「…身に覚えありません」と吐かした男にまだすっとぼけるつもりか、と片眉を上げた彼女は言い逃れ出来ぬよう次を見せつける。
 
『じゃあそいつにこの空き地を案内したんだな?』
『うん』
『黒髪、以外に特徴は?』
『…たしか左頬にホクロがあった』
 
 その取り調べ室には、見覚えのある小汚い少年がちんまりと椅子に座っている。強面の警察官二人に詰め寄られ言われるがままに情報を吐き出すのだ。
 
「黒髪にホクロ、ねぇ。…言い訳、聞いてあげる」
「…。」
 
 その女にいくら言い訳しても全て証拠を出されるだろう。なのでノエルの出来る事といったら揚げ足を取る事くらいだ。
 
「どう見ても萎縮している子供が無理やり言わされた事を信じるんですね」と何食わぬ顔で言ってやる。彼女が呆れようがこの際どうでもいい。どうせ正直に言おうがローレンは同じ態度を取っただろう。
 
「…はあ、捜査部の連中もあなたを疑ってる。『ゾンビ男』の情報を共有しなかった、…それは全体の捜査に関わることよ。」
 
 機密部隊の情報だけを当てにしている訳ではないだろうが、捜査部隊としても『虚偽報告』で足踏みするのは当然だがあってはならない。
 
「俺が見たのは王国打倒委員会らしき人間達です。あの男じゃない。我々の目的は男を見つけ出すことで、連中が死んでようが何してようが関係ありません」
 
 その詭弁を鼻で笑う余裕が彼女にはある。
 
「サコダがエレモアシティーで男を発見した。更にその男が王国打倒委員会に拘束されているという情報もね」
 
 最低最悪の成績の同僚の思わぬ活躍にノエルは視線を汚い床に向ける。瞼がピクピクと跳ねるのは、動きの鈍い表情筋へ感情の抵抗だ。使えない奴が使わなくて良いところで能力と運を発揮させる、それはノエルを不愉快にさせた。
  
「正直、このままだと昇進は難しい」と残念そうに俯いた彼女が今回の任務にノエルとサコダを上に推薦してくれたことは、聞かずとも明白だ。
 
「まあ、あなたに連携は無理だと初めからわかっていたのだけれどね。」
「…ご期待に添えず申し訳ありません。」
「もしかして降りるつもりでいる?残念だけどそうはさせない」
 
 ベンチから立ち上がったローレンは意地の悪い笑みを浮かべる。
 
「…俺は何をすれば?」
 
 あの古い拳銃では、いくら不死身でも為す術が無かっただろう。ノエルがあの時拘束していればそうはならなかったはずである。
 
「男を救出、保護する。そしてここへ連れてくる…ただそれだけよ。あなたの大嫌いな報告も、仲間も必要のない。詳しい情報はデータベースに入れてあるわ。優秀なあなたには簡単な任務でしょ」

 彼女は「結果を出しなさい」と辛辣な一言を残し、踵を鳴らしてさっさと退室した。
 不気味な部屋に残されたノエルは、ボリボリと頭を搔いて座り心地の悪いベンチに腰掛ける。
 
 帝国警察がただ不死身の男を参考人として保護する?…それは絶対にありえない。彼らは何かしら使い道を考えている。
 
(かといってあの王国打倒委員会とかいう連中もろくでもない。…いやそもそも何故俺があの男の最善を考えなければならないのか)
 
 毎日に嫌気が差して、ほんの出来心で見逃しただけ。あの『ありがとう』に恥ぬ行動を、等とお人好しな事は考えていない。そう自分自身に暗示を掛けてノエルは早速与えられたデータを元に任務に取り掛かるとする。
 
 どちらに転んでもあの不死身の男は何かしらに利用される運命なのだ。…思うところは置いておいて救出してから考えることにする。
  

 
「もー!最悪ー!」

 乱れた髪を指で梳かし、タバコに火をつける彼女は、今日も今日とてやさぐれている。身体中に出来た痣は乱暴な客を相手にしたからだ。
 
 
「あいつ出禁に出来ないの?」 
「そうは言っても…お得意様だろうから…」
 
 散乱した汚物を片付けている男にそのような事が出来るとは誰も思っていない。彼はただのフロア清掃員なのだから。サッと汚いベッドのシーツを引き剥がし、清潔なものへと交換する。
 
「アイツらあたし達が王国民だからって何でもしていいと思ってるクズよ。ほんと大っ嫌い!」
 
 それにうんうんと頷いた男はそのシワだらけのシーツを片手に彼女達の不平不満を聞いてやる。少しでも心が軽くなるならば同胞としてやれる事をしたい、というのが男の考えだ。
 
「…後で何か冷やせるものを持ってくるよ。隣の部屋片付けてくる」
 
 その為にはまずこの臭うシーツを洗濯室へ持っていかなければと彼は扉に手をかけた。
 
 がちゃりと開いた扉の先、待っていたのは見慣れぬ男達が向ける銃口だ。
 
「―…え?」
 
 ずるりとシーツが腕から滑り落ち、容赦なく浴びせられる鉛玉に抵抗する余地などない。どすんと倒れ込んだ男の目の前には薬莢がカラカラと音を立てて落ちてくる。
 
「い、いや!!な、!?…な、何なのアンタ達!」
 
 悲鳴を上げ逃げ惑う彼女の背中に何度も何度も発砲する男達は人を殺すことに抵抗がない。
 
 「こいつらだけか?貰ったデータは四人になってるが」
「ああ。残りの二人はお休みだってよ。ま、他の連中が殺るだろうよ」
 
 そのうちの一人は転がった死体にペッ、と唾を吐きかけ「王国民の分際で」と腹を蹴り上げる。シーツに滲んだ血液がその面積を拡大していくのだ。その行動を咎めるものはここにはいない。
 
「この死体はどうしろって?」
「ここの社長さんが処分するから問題ねぇってよ」
「ひでぇ社長だな。…まあ王国民はどこに行っても邪魔者だってことだわな」
 
 その痛みで気を失ったのではない。あまりに酷い彼らの言い草に気を失ったのだ。

 

 
 
 
 

 
  『エレモアシティー上部駅に残り五分三十秒で到着致します。』
 
 機械的なアナウンスは、船を漕いでいたノエルの意識を引き戻した。
 
「ありがとう、少し急いでいるんだ。早めに頼む」
 
 スキープカーのナビにそう告げると、スピードのメーターがぐんぐんと上昇する。それを片目で確認して再び座席に背中を埋めると、真上の空の青さに心の空白を自覚させられる。
 
(昔は晴れの日は好きだったのに)と感傷的になるのは二時間も狭い空間に座りっぱなしだからだろう。
 
 窓から見えるその巨大円盤のシールドは、毎日の電力を賄う為大量のソーラーパネルが設置されている。外から中は覗けない、それは色々な物を隠したい政治家たちには都合が良い。
 
(…しかし、この情報を鵜呑みにしていいものか)
 
 ノエルは与えられた情報を自分の頭の中で簡単に整理した。
 
 ある娼婦の常連客が偶然王国打倒委員会のメンバーで、偶然不死身の男を拘束する場面に立ち会い、偶然不死身であると知った。そしてその情報を偶然リク・サコダが入手した。
 
 
 サコダの集めた情報を嘘だとは言わないが、ノエルはその"偶然"に納得がいっていない。普段仕事の出来ない同僚に嫉妬した、という感情も含まれているだろうが。
 
 
 スキープカーがトンネルに侵入すると、青空は満天の夜空に切り替わり、その極彩色が前後左右から車内に射し込んだ。景色が見えるようにと窓が大きなこの車はエレモアシティーには絶対的に向いていない。
 
 やがて減速を始めると、目の前に上部駅のゲートが現れる。どこそこ監視プログラムの赤い光がギラギラと点滅し通行人の質を選別して、残念ながら弾かれた車両達はワンランク下の駅へのルートに誘導される。
 
『エレモアシティー上部駅に到着致しました。』
 
 無事ゲートを潜ることを許されると、その声と同時に扉が開く。車外へ凝り固まった体を放ち、スキープカーを見送った。
 
 無駄を極限まで排除したその駅は、ガチャガチャとした色も、耳を塞ぎたくなるような爆音も何も無い。広告ポスターすらそこには存在しないのだ。いるのは黙々と床を掃除するロボットくらいである。
 自分の足音が響くほど静かな駅に、ノエルは居心地の悪さを感じてさっさとその長い通路を通り過ぎるのだ。
 
 
 
 
 その駅を出ると、直ぐに騒がしいネオンが目を刺激する。だがそこを行き交う人々は派手な服で着飾る事もなく、クダを巻いて騒ぐ事もない。ゴミ一つ落ちていない道は、本当に以前訪れたエレモアシティーなのか?と疑いを持つほどだ。
 
 ノエルが目的地へ迷わずに済むのは、その巨大な女神像のお陰だろう。そのはだけ乱れたドレスと妖艶にくねったポーズは"性の"女神といったところか。
 
『デリカロッド』はその女神像を掲げ、多くの娼婦を抱える高級娼館だ。天まで伸びんとする高いビルは、黒光りして禍々しい。
 
 ノエルはこの娼館で働く情報提供者の女に詳しい話を聞くためやってきたのだ。
 入口にはやはり赤い点滅が入店者を選別すべく光っている。
 
 その扉の前に立ち、点滅が青色になるのを待った。難なく扉が開くと、高級を売りにしている通り黒とゴールドを基調とした洗練されたフロントが待ち構えている。
 
 ノエルは受付でその娼婦を指名し、『505』のカードを受け取って口を開けて待っているエレベーターに乗り込んだ。
 
 
 
  
 ほんのりと甘い香りは、人間の性を刺激するよう振り撒かれている。そのふかふかのベッドはそれらを発散させる為のものだがノエルは全くその気がない。その広々としたスペースはスイートルームに負けず劣らず豪華だ。彼はソファーに腰を下ろし、娼婦が来るのをじっと待つ。
 
 テーブルに飾られる美しい薔薇は、この部屋の黒に赤を差している。これを挟んで娼婦とゆっくり喋れる、恋人ごっこ付きというわけだ。

 
(…遅い)
 
 十五分程経過しても女は現れない。さっさと情報の真偽を確かめ、不死身の男を救出しなければならないという焦りが苛立ちを加速させた。待ちきれず行動に移そうとした時、がちゃりと扉が開かれる。
 
 
 ノエルは文句の一つでも付けてやろうと思ったが、その口が開いたまま固まった。
  
 
「すまない、待たせてしまったな」
「…ッ!?お前は…」
 
 扉の前に立っているのは、王国打倒委員会に拘束されているはずの不死身の男本人だ。何がどうなっているのかと戸惑うノエルに「座って話そう」と提案する。それに反抗する意味もないので大人しくソファーに腰掛けると、彼はバラを挟んで向かい側に座った。
 
 …枯れる。美しいバラなどその男の前では。
 
 ノエルは忽ちたちま目眩を覚え、自我を取り戻すため咳払いをする。

「どういうことだ?お前は王国打倒委員会に拘束されていると…」
「ああ、あれな。私が流したデマだ。」
 
 違和感通り、サコダが得た情報は誘き寄せる為の餌だったという訳だ。
 
「来てくれて本当に良かったよ。お前が来なかったらどうしようかと考えていたんだ」
「…何故そのような事をするのか理解に苦しむ」
 
 ノエルが規律違反してまで逃がしたというのに、それを全て無かったことのようにする意味があるというのだろうか。
 彼はバラの花を一本引き抜いた。ぼんやりとその瞳に映し、直ぐに飽きたのか花弁をぐしゃりと拳で潰した。そしてその花弁が手放されテーブルに散る。
  
「頼れる人間がいなくてね。お前の顔が浮かんだんだ。」 
「…悪いが俺には手伝えない」
「話だけでも聞いてくれないか?お前たちにとっても悪い話じゃないから」
 
 回りくどいやり方でノエルを呼びつけ、助けて欲しいというのは一体どういう事なのか?男は好奇心を刺激する事に長けている。
 
「…………分かった。」
 
 話を聞くだけなら、時間と金を無駄にするだけだ。と、先程まで十五分を惜しんでいた男とは思えぬほどノエルは寛容になった。
 
「ありがとう。…私はウィリアム・ウィルソンだ。差し支え無ければお前の名前を教えてくれ」
 
 自分のことをペラペラ喋るべきではない。機密部の人間として当たり前のことだったが、その再会に舞い上がっていた男は葛藤よりも先に口が動いた。
 
「…ノエルだ」
 
 差し出されたその手を躊躇いながら握る。一度は手錠を掛けた男にしか頼れない、それ程までに追い詰められているのだろう。
 
 
「それで?…話とはなんだ」
「…私をしばらく匿ってはくれないだろうか」
 

 
 
 
 三回ノックをして、「失礼します」と入室する。カンカンとヒールを鳴らし、背筋をピンと伸ばす。堂々としているのはこれからつく嘘を誤魔化すためだ。
 
「遅くなって申し訳ありません」
 
 空間中に映し出された情報の数々は、正しいものから間違ったものまで膨大な量だ。彼はローレンが来たと同時にそれらを全てシャットダウンさせる。
 
「いや、わざわざ忙しいだろうにすまないね。」
 
 目尻に浮かんだシワは彼がよく笑うという証拠だ。白髪混じりの髪を清潔に纏め、その制服には秩序維持課の尾を飲み込む蛇のバッジの他に、胸元の三星の階級章が輝いている。
 
 彼、フェルトマイアー・GFジークフリートは帝国警察 秩序維持課の課長だ。そのゆったりと余裕のある立ち振る舞いはまさに総括に相応しい。
 
「彼に聞いたかな?」
「はい。ノエル・アーサーは確かにあの周辺を捜査していたようですが、王打会との接触は一切なかったと。…例の男の情報もリク・サコダが得たもの以外今のところありません」
 
 ローレンは考えてきた台本通りの台詞を披露する。緊張から暑くもないのに額に汗が滲んだ。
 
「捜査部の情報は貧民区の子供の証言だけ、…信憑性に欠けます」 
「なるほどね。まあ彼は優秀だから虚偽報告するとは僕も思っていない。それに君が更に部下の失態を隠すため虚偽報告をする訳ないもの」

 穏やかにそういったフェルトマイアーは、癖のように笑顔を作る。こちらを疑っているのかいないのか、彼は本心を一切見せない。
 
 
「それにしても君が二人を推薦したのには随分驚かされたよ。何か決め手はあったのかな?まだサコダ君は若いし可能性もある、アーサー君は能力だけで言えば頭一つ突き抜けているけれど、バランスの良い隊員は山ほどいる」
 
 
(何故今その話を…)とローレンは台本以外の質問に嫌な気持ちになる。恐らくフェルトマイアーは敢えてその話題を引っ張り出したのだろう。
 
「…彼らはそれぞれ欠点があります。これを機にその欠点を克服して貰おうと思った迄です」
「僕はてっきり彼らが王国に好みよしがあるから選んだのかと思ったよ。」
 
 ローレンは奥歯を擦り合わせながら「…報告は以上です。仕事に戻ります」と再び一礼してさっさと退室した。笑顔を浮かべる男に背を向けた彼女の表情は鬼のように変化する。
 
(クソッタレ!…ノエル、私に虚偽報告させたのだからちゃんと役に立って欲しいものね)
 
 苛立ちからか、ヒールの踏み鳴らす音が乱暴に廊下に響いた。通り過ぎる人間たちは彼女を避けるように道を開ける。廊下の向こうで全力疾走する人影は、汗をダラダラ流しながら真っ先にローレンの元へと駆け寄った。
 
 
「ローレン部隊長!大変です!捜査部から至急署に戻るよう通達がありました!」  
 
 その慌てぶりからして何か起きたのだろう。彼女はその足を止めることなく冷静にどうしたのかと問いかける。
 

「捜査部の隊員が何者かに襲われ、……その…ぶよぶよに…」

 
 
「おい!何ノロノロ歩いてんだ!!」
 
 バン!とテーブルを感情のままに叩いた男は怒りからかこめかみに青筋がくっきり浮かび上がっている。岩のような顔は鋭い視線を放ち、ノエルを見下すように「このグズが」と罵った。ケイシー・ケンドル、彼は捜査部の隊長だ。
 
 ノエルはその圧力に「すみません」とだけ返して眠そうな顔をしているリク・サコダの隣に座った。
 
「ノエル先輩~、遅いっすよ!めっちゃ心細かったんすから」と小声で弱音を吐く男は言動とは裏腹に色の悪いチキンを食べ始める。その様子を見たローレンが、サコダからそれを奪って彼のカバンにそのまま突っ込んで制止した。
 
「…連絡があったと思うけれど、捜査部隊員二名がエレモアシティー中部区域の『マーリン』という酒場の裏で遺体で発見された。」
 
 

 合同捜査本部が設置され、捜査部からはケイシー・ケンドルとその部下二人、そして我が機密部からはローレンとサコダ、そしてノエルがそれぞれ気まずさを押し殺して対面している。
 
 映し出された映像は、以前見かけたものと同じ風船のように膨れ上がった人らしきものだ。帝国警察の制服と、秩序維持課のバッジがなければ特定出来ないだろう。
 
「彼らは王打会に捕らわれている"例"の男を救出する為行動していたと見られている。」
 
 サコダの得た情報を信じて彼らは王国打倒委員会に直接乗り込んだ。…そこにあの男が居ないとも知らずに。
 
 
「死因は窒息死。…気道が大量の水膨れで塞がれ死亡したのではないか、との事よ。何故体が溶けるのかは不明のまま。…ここにいる皆は分かっていると思うけど、…帝国美術館の犯人の一部に同じ症状が出ていた。」
 
「…不死身の男」と誰かが声を上げた。その言葉にノエルは瞼が痙攣する。
 
 
『匿って欲しい』
 
 ノエルが男の真意を探る前に、ローレンから招集の連絡が入った。彼は『…また後で話そう』と不安そうに呟いてさっさと退室したのだ。後ろ髪を引かれたままノエルはこうしてここに座っている。
 
(俺を利用しようという魂胆か?…いやでもそんな風には見えなかった)
 
 
「あの男が直接手を下したかどうかは分からない。しかし何かしら関わりがあるはずよ」
「じゃあやっぱりあいつを捕まえないといけないんすね。でも王打会の連中は引き渡してくれそうもないし…」
 
 このまま男の存在を隠すべきではない、何度か喉元まで出かけた言葉は彼らの会話の中に入っていけず結局飲み下す。
  
 話の方向性が『男を早急に確保する』という物に纏まりかけた時、捜査部隊長のケイシーはテーブルを再び殴るよう叩いた。
 
「話は終わりか?終わったんならさっさと帰ってデスクワークでもしてな。…あとはウチで片付ける。」  
「勝手な事を言わないでちょうだい。何のための合同捜査本部なの?協力して―」
 「はあ?協力?…お前のところの隊員は虚偽報告しかしてねぇだろ。そんな連中と協力出来るかよ!」
 
 ギロリと向けられた視線はノエルに降り注ぐ。捜査部がノエルの行動を上に密告していたのだろう。機密部に因縁を付けたいだけか、それとも他に理由があるのかは知らないが、監視されているというのは息が詰まる。
 
「特にそこの黒いのは信用出来ない」と吐き捨てた彼の言葉は正しくその通りである。ノエルはこのタイミングで男の事を言うことも出来たはずだ。だが口は一文字に結ばれそれをしない。
 
 話にならない、とケイシーは呆れたように視線を天に仰ぐと部下二人を引き連れ出口に向かって行く。
 
 「我々は捜査部として男を確保する。…機密部は隠蔽工作でもしてればいいさ」とローレンに向かってケイシーは嫌味を残し扉を雑に閉めて去った。
 
 
 
 
 「なーんかめっちゃキレてましたね。それにやな感じ~」
 
 張り詰めた空気から開放されたサコダは、テーブルに体を突っ伏して伸びる。
 
「仲間を失えば誰だって冷静さを失うものよ。」
「まあそうかもだけど、だからって俺らに当たらなくても…。」
 
 ローレンは映像をバツンと消し去ると、右手で額を押さえる仕草をした。彼女は様々な問題に偏頭痛を起こしている。
 
「こうなった以上、こちらも機密部として男を早急に確保しなければならなくなった。」
「なるほど了解っす。アイツらに一泡吹かせてやるために頑張りますよ!」
 
 サコダはバタバタと騒がしい動作で椅子から立ち上がり、「じゃ!お疲れ様です」とさっさと退室する。ノエルもそれに続いて立ち上がると、ローレンに肩をグイッと掴まれ引き止められた。
 
「…報告は?」
「…特にありません」 
「嘘をついている。」
 
 彼女はそう断言してノエルが逃げないよう出入口の前に仁王立ちする。ノエルが正直に話すまで絶対に動かないつもりだ。
 
(全部言ってしまえば何の角も立たず捜査も円滑に進む。)
 
 だがそう出来ないのは、帝国警察が何故男を手に入れたがっているのか、その一点が胸に引っかかっていたからだ。
 
「男を確保して、…その後はどうなるんですか」
「それは言えない。…けどそうね、私の憶測だと恐らく不死身たらしめる理由を徹底的に調べられ、良い研究材料になると思うわ。不死身の化け物、となればやり方は自由よね。人類のため飼い殺しにされる」
 
 想像通りの返答。誰もが考えつく不死身の末路だ。利用し、傷つけられる。男を差し出して得た地位にノエルは喜べない。
 
(…会話もできた、痛みも感じていた。ただ、…ただ不死身なだけの人間だったように思う)
 
 せめて、…男が完全なる悪でノエルが心から嫌悪するほどどうしようもない悪魔だったなら。
 
 
「…報告は無し、という事ね。何かあったら直ぐ連絡しなさい」
   
 ローレンは思い詰めた男に時間を与えることにした。彼女自身それが正しいことなのか分からなかったが、今の最善だと判断したのだ。
 
「ありがとうございます。」と一礼し、ノエルは自分の心に従って行動する。
 全てとはいかなくともある程度ウィリアム・ウィルソンという男を理解してから決定すれば良い。
 
(まずはあの男から詳しく話を聞く必要があるな)
 
 ノエルの虚ろな瞳はほんの少しの正義感と好奇心で輝きを増す。

 
 
 
 
「…心配になるわ。何かを拍子にポッキリ折れそうで」
 
 彼女は生き生きとした部下を見送って、誰もいない部屋を見渡し、静かに消灯した。
 
 

 
  
 
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