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Ⅰ‐ⅳ.僕とあなたの高まり
51.燻る不穏分子——ジルヴァント視点
しおりを挟む魅力的な誘いに対する断りの言葉と共に花を贈る。
こんなことを自分がするとは、フランに出会うまで考えたこともなかった。
去っていく侍従の背をなんとなく眺めながら、フッと笑う。
こうして変わっていく自分は嫌いではない。愛する番であるフランに影響されてのことならば、喜ばしいとも言える。
「よろしいのですか? 朝もお断りになっていたのですよね」
マイルスが書類を仕分けしながら首を傾げる。
俺の答えがわかっているのに聞いてくるのだから、こいつはいい性格をしている。それだけ親しい仲だからこそ、最も信頼できる相手なのだが。
「この惨状を見て言っているのか。俺だって、執務に責任感くらいは持っている」
執務机の上では、書類の束が山を成していた。それは補佐用の机にも続き、正直『よく崩れないな』と感心してしまいそうになる光景だ。
それをさせたのが俺なのだから、いくらフランに会いたくとも、この状況を放っていけるわけがない。
「フラン様が早速良い影響をもたらしてくださったようで、執政官たちも感涙していましたよ」
「それは仕事が増えたことに対する絶望の涙ではないのか」
「私には歓喜しているように見えましたが」
くすっ、と微笑んで宣うマイルスの言葉は信じてはいけない。
俺が指示を出した後、どこかの部屋から「過労死するー!」という叫びが聞こえてきたのは、幻聴ではないはずだから。
……たまには執政官たちに休みをやろう。
それは、この問題が片付いてからになるが——。
「それにしても、杜撰な予算管理をしている場所は、予想以上に多かったんだな……」
俺が孤児院から戻ってきてすぐに出した指示は、『公金を財源にして運営されている団体・事業者の金のやり取りの詳細をまとめろ』というものだった。
孤児院の運営状況だけを問題視して終わらせて良いものではない。なにより、フランに負担を掛けておいて、俺がなにもしないというのは恥ずかしいだろう。
そうして指示を出した結果、早々に報告書が大量にやってきて、フランとの時間を邪魔されることになろうとは、予想さえもしていなかったが。
「——はぁ。俺だって、フランとゆっくり過ごしたいんだが」
「ゆっくり……隠語ですか?」
「深い意味はない」
マイルスをジロッと睨む。涼しい顔で受け流されて、鬱憤が溜まるだけだった。
乳兄弟という関わりの深さと、元々優れた洞察力をあわせ、あっさりと俺とフランの関係の進展に気づいたらしい。それで主人を揶揄ってくるとは、いい度胸だ。
「実際問題、そろそろ褥に連れ込んでもいいのでは?」
「……お前は、数字が羅列されているような書類を精査しながら、よくそんな話題をできるな?」
マイルスの精神構造はおかしいのではないか。
真剣にそう思ってしまった。俺にはできない芸当である。書類を読み込む作業が止まってしまうが、マイルスを見据えて目を細めた。
今のように忙しい時に、マイルスがただの戯言で時間を消費させるほど無駄を好む性格ではないとわかっている。
一体なにを言おうとしているのか。
「私にとっては、殿下の閨事も仕事の話題ですので」
「情緒がかけらもない」
「殿下がそれを言いますか」
思わず口を噤んだ。これまで物事に対して感情を抱かず、冷たいと言われて当然だった自分の態度を思い返すと、否定できる部分がないのはわかっていた。
マイルスは微笑み、言葉を続ける。俺の返答は初めから求めていなかったのだろう。
「——フラン様からアルファの匂いがあまりしないことで、勘違いしている者がいるようですよ?」
「なんだと」
眉を顰める。
マイルスが言う『勘違い』とは、俺がフランを寵愛しているのは嘘だ、というものだろう。
贈り物は欠かさずしているが、それだけでは寵愛を信じない——いや、信じたくないと考える者が一定数いることは、元々予想していた。
「殿下は、嫁ぎ先として魅力的でしたから。イリスのように、目の保養というだけの意識を向けている者は少ないです」
苦笑しながら放たれた言葉に、俺も苦々しい思いで奥歯を噛み締めた。
フランの侍女、あるいは侍従を決めるにあたっては、随分と苦労した。フランを主人として心から仕えられると判断できる対象者が、あまりに少なかったのだ。
この城内で侍従・侍女として仕えている貴族出身者の大半が、俺や高位貴族に見初められる可能性を求めてやってきている。
俺が唯一を定めたとなれば、どんな思いを抱くか想像するのは容易い。
イリスは出身の家は低位で財政状況も良くなく、本来ならば俺の番の侍女に選ぶことはできない。
だが、俺や高位貴族に色目を使って媚びることなく、かつ、ある程度の礼儀作法ができているという条件下で、最終的に決定された。
そこに至るまでの候補者が三人、とマイルスに教えられた時は、正直『貴族の子息子女はもっと自立して、庶民のように仕事をする意識を持ってもいいのではないか』と思った。番や夫に頼ろうとしすぎだろう。
爵位を継げない者は、貴族であり続けたいと願って必死なのだろうか。
王族という楔から外れたとしても、その先にあるのは大公か公爵という身分でしかない俺には、正直共感できない考えだった。
王族の血を庶民に混ぜるわけにはいかないから、俺が王侯貴族という立場から解放されるのは、死した場合だけだ。
……良い環境にいるがゆえの悩みだと、多くの者に眉を顰められるかもしれないが、『庶民として自由に生きてみたかった』と思うのは、偽らざる俺の本心だった。
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