桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎(くちき おうさい)

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第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)

第58話 トートロジー

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「まどろっこしいのはなしだ、ウツロ。最初から全力で行かせてもらうぜ?」

「アルトラを使う気か。好きにするがいい」

 氷潟夕真ひがた ゆうまの宣言を、ウツロは軽くいなした。

「吐いた唾、飲まないでよね?」

 刀子朱利かたなご しゅりは不敵に笑う。

「それはおまえたちのほうになるかもな」

 ウツロ・ボーグも不遜な態度で返した。

「では行くぞ、ウツロ」

 氷潟夕真は姿勢を落とし、両腕を顔の前でクロスさせる。

「アルトラ、ライオン・ハート……!」

 たちどころに毛並みが生えそろい、彼は獅子の姿をした戦士へと変貌を遂げた。

「かかってこい、氷潟。いまの俺の実力、ぞんぶんに試したい」

「ふん――っ!」

 目にもとまらない速さで、氷潟夕真はウツロ・ボーグの間合いを取った。

 矢継ぎ早に連撃が繰り出される。

 しかし――

「なっ……」

 刀子朱利はあぜんとした。

 獅子の猛烈なラッシュが、まるでハエでも振り払うようにはじかれつづける。

「くっ……!」

 氷潟夕真は焦った。

 以前とはまるで比べものにならない。

 これほどのパワーとスピードが通用しないとは……

「どうした氷潟? 退屈すぎて眠くなってきたぞ?」

 ウツロ・ボーグはいたって余裕の表情だ。

「はっ――!」

 獅子は一気に体勢を落とし、下段への回し蹴りを放つ。

 足をすくうのが狙いだ。

「ふっ」

 しかし甲殻の脚が、それを軽々と受け止める。

「うわっ――」

 そのまま足首を引っかけ、くるりと回転させられた。

 中空に浮き上がった獅子の戦士は、完全に無防備となってしまう。

「夕真っ!」

 刀子朱利が叫んだ。

「ふん――っ!」

「がっ――」

 みぞおちにかかとを落とされ、地面へと叩きつけられる。

「……」

 白目をむいていた。

 かつてウツロを敗北せしめた氷潟夕真も、魔堕ちしたウツロ・ボーグにかかり、このように完膚なきまでに叩きのめされてしまったのである。

「夕真! てめえ、ウツロ――!」

 うしろのほうで南柾樹みなみ まさきが吼える。

「――っ!?」

 上空。

 そこには刀子朱利が――

 強烈が蹴りが上段から繰り出される。

 だがウツロ・ボーグの腕が、その攻撃すらももらすことのなく受け止めた。

「氷潟の敵討ちか? 危ない危ない」

「くっ……」

「体術家としてはおまえのほうが上だと思っていたが、しょせんはこの程度だな」

「わっ――」

 ウツロ・ボーグは刀子朱利の脚を外側へ弾く。

 さきほどの氷潟夕真と同様、中空で無防備な体勢になってしまった。

「バカ丸出しだな、刀子!」

 とどめの一撃、しかし。

「そりゃてめえのほうだろ?」

 赤毛の少女はニヤリと笑う。

「なっ――」

 口からヘドロのような液体が吐き出され、ウツロ・ボーグの全身に降り注ぐ。

 アルトラ、デーモン・ペダルの能力を使ったのだ。

「これ、は……」

 体から白い煙が上がる。

 強酸性の成分が、彼の細胞を溶かしている。

「ははっ、ムカデの毒だよ。しかも、このときのために胃の中でとびっきり熟成しておいた、とっておきのね」

「ぐ……体、が……」

 甲殻の表皮がどんどんとただれてくる。

「きゃははは、ウツロ! そのままドロドロに溶けちゃいなよ!」

「……」

 落ち着いている、ウツロ・ボーグは。

 全身が溶解している状況だというのに。

「刀子」

「は?」

「前々から思っていたが、おまえ、本当に頭が悪いよな?」

「な、に……」

 ダメージを受けた部分が、まるでプラモデルのパーツでもはずすようにはじけ飛んだ。

「な……」

 すぐさま新しい外皮が復元され、あっという間にもとの姿に再生される。

「俺に脱皮の能力があることを忘れたのか? それにそもそも、毒虫である俺に毒が効くとでも思ったのか? あまつさえ、ムカデの能力しか持たないおまえが。あらゆる虫を使役できる俺に、かなうとでも思ったのか?」

「くっ……」

「消え失せろ、一芸女・・・!」

「がっ――!」

 たかがパンチ一発で、うしろまで吹き飛ばされてしまった。

「朱利っ!」

 星川雅ほしかわ みやびがとっさに受け止める。

 抱きかかえられた刀子朱利、彼女は気絶していた。

「ウツロ、あんたってやつは……!」

 理性的な星川雅も、さすがにこの仕打ちには激高を禁じえない。

「ウツロ、どうやら、本当に越えちゃあならねえところを越えちまったみてえだな」

 南柾樹も静かに憤っている。

「先鋒はまず、やっつけたというところか。だが正直、肩慣らし程度にもならなかった。ふふ、それほどに俺が強くなったということなんだろうがな」

 ウツロ・ボーグは首をコキコキと鳴らしている。

「さ、次はおまえたちが戦うんだろ? 俺の目を覚ましたいって言ってたよな? ま、覚ますのはおまえたちのほうになるわけだが。無理やりにでもな」

 彼の肩口に数匹の毒虫が這っている。

 ダンゴムシが数倍になったような見てくれだ。

「こいつらをおまえたちの頭の中へ埋めこめば、ふふ……おまえたちはそう、俺の意のままに動く傀儡人形となる」

「――!?」

「最高だぞ? 頭がからっぽになるというのは。何も考えなくてもいい、何も苦しまなくてもいい。それこそ理想の世界だ。みんなは俺の人間論に服従し、俺を神として崇め奉る。ふふ、そして世界は平和になるんだ」

 ウツロ・ボーグは自分の「スピーチ」に陶酔している。

 狂っている……

 本当にウツロなのか?

 どこへ行ってしまったんだ。

 あの愚直な、しかし高潔な精神の持ち主だったウツロは……

 トートロジー。

 そんな単語が脳裏をよぎった。

 人間論を構築し、アップデートしつづける彼が、その思想自体に取りこまれてしまったというか。

 いずれにせよ、とんだ論理崩壊だ。

 そんなふうに一見どうでもよいことを、放心した仲間たちは考えてしまった。

「ウツロ、おまえ……」

 南柾樹のほほを滴が裂いた。

 ほかのみんなも同様だ。

 これで心を折るなというほうが無理である。

 苦しみも喜びも、みんなでわかちあったのに。

 それをすべて否定するとは。

 あの楽しい日々は、全部嘘だったのか?

 そんなふうに頭がぐちゃぐちゃになった。

「どうしたの、みんな? 感動して言葉を失って――」

「ウツロおおおおおおおおおおっ――!」

 一番うしろで、真田龍子さなだ りょうこが絶叫した。

「わたしが相手だ――!」
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