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3,異星人で異性人
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青空が広がっていた。小高い丘から見える緑の大地と空の境界が濃い緑色なのは、豊かに茂った木々の色である。俺は吹き上げる気持ちの良い風と、緑の大地に咲いた花々の香りの中にいた。とても気持ちがよい場所であった。
「気持ちいいーーー」
幼い俺は歓声を上げながら。風に向かい両手を広げた。
「全く、何もない本当に辺鄙な場所ですこと」
文句を言いながらも、きらきらと瞳を輝かせ、花冠を作る手を止めようとしない金髪の女の子がそこにいた。年の頃は五歳ぐらいであろうか、意志が強そうな瞳に、明らかに歓喜の色を浮かべながら、先程から花冠を作るのに熱中している。
「それが、我が国の良いところだ」
金髪の女の子の後ろで、黒髪を風になびかせた女の子が、如何にも慣れた手つきで花冠を作っていく。出来の善し悪しで言えば、金髪の女の子の何倍も出来がよい。しかし、何よりも金髪の女の子の方は出来など気にもせずに、楽しそうに花冠を作っている。口では田舎だ、辺鄙だと言いながらも、その楽しんでいる姿に俺も楽しくなってしまう。
「貴方もそう思いますわよね、こんな辺鄙な場所にいたら、とっても退屈だと思いますわよね。全くエノラステインってば、学術農業国家とか言いながら、実態はただのど田舎なだけなのですから」
そう言いながら、満面に楽しさを湛えている金髪の女の子が、俺に花冠を差し出してきた。花冠というよりか、茎冠と表現した方が良さそうな出来だが、如何にも一所懸命作りましたという感じがした。
俺は礼を言いながらそれを受け取ると、場面が変わった。
青空が広がっていた。高い位置から見る街の景観は、荘厳とも言えた。青い海の向こうに見えるウオーターフロントの高層ビルよりも高い位置まで観覧車のゴンドラが上がると、日の光に輝くビルの窓がきらきらと光りとても綺麗だった。
「全く、なんてごみごみとした町並みなんだ」
文句を言いながらも、黒髪の女の子が、ゴンドラの窓枠を握りしめて、きらきらと瞳を輝かせながら、町並みに見入っていた。
意思が強そうな瞳に、明らかに歓喜の色を浮かべながら、先程から町並みに見入っている。
「人が集まると言うことは、そういうことですわ」
金髪の女の子は、ゴンドラのシートに座り、如何にも見飽きた光景だと言わんばかりに、ほおづえをついている。
「貴方もそう思わない?こんなごみごみしたな場所にいたら、体に悪いと思いますよね。全くノーラステインってば、商業国家とか言いながら、実態はただの公害都市なだけだから」
そう言いながら、満面に楽しさを湛えている黒髪の女の子が俺を振り向いた。
「貴方は、ノーラステインとエノラステイン、どちらが気に入りました?」
黒髪の女の子が聞いてきた。この質問には、金髪の女の子も興味を示し、俺の方に身を乗り出してきた。エノラステインと答えれば、黒髪の女の子が、ノーラステインと答えれば、金髪の女の子が喜ぶのを俺は知っていた。
俺は少しだけ考えて。答えた。
「両方好き」
ああ、昔の夢を見ているんだなとぼんやりと分かった。黒髪の女の子に答えた後、俺はアミアミ姉ちゃんの膝の上に座っていた。
砂浜で青い海を見ながらアミアミ姉ちゃんが俺に話しかけていた。
アミアミ姉ちゃんは将来の夢を俺に話していた。何でも教師になるのが夢なのだそうだ。なんで先生なのかと問いかけた俺にアミアミ姉ちゃんは、欲張りだからと答えた。アミアミ姉ちゃんは欲張りで自分がとても好きだから、そんな自分の知識や考え方を他人に与えることで、その他人を自分の分身にしたいと考えたそうだ。もしかしたら、その他人は自分が教えたことを、自分が考えたこともない方法で利用するかも知れない。それは、かつての自分の可能性であり、その知識を使い、今の自分からは想像も付かない、もう一人の自分に出会うことが出来るかもしれないからだと答えた。
何のことを言っているのか全く理解が出来ていない俺は小首を傾げた。
そんな俺にアミアミ姉ちゃんが微笑みかけてきた。
また場面が変わった。
不用意に繰り出される拳が執拗に繰り出される。風を切り、腕が道着をはたく音と共に六名ほどの野次馬の声が聞こえる。
逃げてばかりが、お前の流派かよと卑下したヤジが飛ばされるが、俺には気にもならない。どちらかと言えば目の前の体育教師に俺は戸惑いを感じていた。身長は二メートル近くあり、体格も良い。筋肉の付き方はかなり偏っている。そこそこ名の知れた実践空手の師範代クラスだと言っていたので練習試合に同意したのだが、その体捌きは俺の知っているその実践空手の師範代にはほど遠いものであった。力任せに拳を振るうその姿は形こそ似てはいるが、単なる素人門下生としか思えない。
その拳に当たれば、素人ならそこそこのダメージは貰うだろうが、実践を名乗るには貧弱としか言いようがない。そもそもその目つきが、獲物をいたぶる光に満たされているところが素人である。組んだこともない相手になぜぞれほど自身が持てるのかが理解出来ない。しかも練習試合が始まって三分近く経過しているが、目の前の教師の拳や蹴りは俺に当たっていない。全て俺がよけきっているからである。この事実を理解せずに、なぜこんなにも自身満々でいられるのかが理解しがたかった。
俺は学校の施設である武道場の板の間をゆるゆると動きながら悩んでいた。俺と教師の回りには、わざと着崩した道着を身にまとった者達が六名ほどにやつきながらしゃがみ込んでいる。
武道場には俺と目の前の教師、そしてその六名の姿しか無かった。どうやら空手部の部長や副部長はここにはいないようである。
そして五分も経過した辺りで、目の前の教師の行動が明らかに変わった。急所を突いてくるのである。
股間や顔面、その他もろもろの急所。
この教師の流派の試合では意識していなくてもそこに当てた場合は失格になる。意識して急所を外すのがその流派の極意だからである。しかし、急所を意識して攻撃してくること自体は、俺にとっては当たり前の事である。祖父の道場では逆に急所を狙う事を教えられるからだ。しかし、一般にこれは武道ではあり得ない行為である。
後ろに下がったところで、しゃがみ込んでいた一人が足払いを仕掛けてきたが、それは既に予想していたことである。半歩だけ体をずらすと、ローキックを放ってきた教師と空手部員の足が交差した。
中途半端に攻撃を仕掛けた者と、本気で潰そうと思っている者の違いが出た。
蹴られた部員の体が半回転して、武道場の床に頭をたたきつけそのまま動かなくなった。
脳震盪でも起こしたらしい。しかし、その光景を目の当たりにした五名の部員達は、仲間の脳震盪を俺のせいにしたようである。口々に不穏な言葉を発しながら、俺に殴りかかってきた。
それを見て俺は、そろそろ潮時であると感じていた。
俺は半歩を踏み出した。
良い香りで目が覚めた。
香水の香りはあまり好きではないが、この香りは心地よさを感じさせるものであった。
首を巡らせると、備え付けの椅子に座り、緑茶をすすり、草餅を口に運びながら静かに雑誌に視線を向けているエスターがいた。
夢を見ていたような気もするが、その内容を覚えてはいなかった。
なんか楽しい夢と嫌な夢を同時に見たような気もする。
「ん?起きたか?」
「今何時?」
「二時だ」
「夜の?」
「昼だ」
と言うことは二時間程寝たことになる。
「予定では十二時間寝るつもりだったんだが」
「そんなに寝てどうする」
さぁと首を傾げた俺に呆れ顔のエスターがお茶をすすった。
「そんなに寝ると言うことは、この菓子を全部私に食せということか?」
見ると、テーブルには俺が買った菓子類が置かれていた。
「少なくとも、抹茶アイスと、草餅はエスターに食べて貰おうと思っていた」
「抹茶アイス二個に草餅四個か?お前は私に太れといっているのか?」
「いや、そんなつもりは毛頭無い、でも普段の運動量と食の細さを考えると、もう少し食べても良いかなとは思う」
「そうか、しかし、この草餅は美味いな」
「購買部にあった。まさか祖母が好きな店のやつが有るとは思わなかった。いつぞや送ってきたやつあっただろ、あれと同じ店だ」
「ほう、そうなのか、道理で食したことがあると思った」
「その店、俺の友達の実家」
「それは良い友達を持ったな」
「いや、俺、甘い物そんなに好きじゃないから」
「しかしなぜ草餅なのだ?」
俺は実家からの差し入れの時の話をした。
話し終わると、エスターが耳元まで真っ赤になった。
「そ、そんなに物欲しそうにしていたか?」
「物欲しそうというか、さっきも言ったけど、寂しそう?」
「お、同じ事だ・・・・しかしそうか、それでお前は取っつきにくいと言われていた私でもやっていけると思ったのか。天然の割には細かい所まで見ているな」
「俺、天然じゃないと思うんだけど・・・・」
「そうか?ブラッゲやマリネルだけではなく、ペイゼルもそう言っていたぞ、もしかして、お前、自分が奴に目の敵にされた切っ掛けがその天然な所だって、気が付いていないのか?」
「え?」
初耳です。
エスターが笑った。やっぱりなと笑いながら、急須の中の茶葉を茶葉入れに捨てて、新しい茶葉でお茶を煎れた。
「飲むだろ?」
「ああ、もらう」
俺はエスターから湯飲みを受け取り、熱さを確かめながら、お茶をすする。
「聞いたぞ、私が不機嫌になったので、慌てて購買部で機嫌を直すための貢ぎ物を買い漁ったと」
俺はむせた。誰だ、ちくったのは。祐子さんかテリエさんか・・・・・・・・・・どちらもちくりそうです。
「しかしお前は、大きな勘違いをしている」
「何を?」
「お前の常識では、女が拗ねたら男が機嫌を取り持つのだろうが、私達は逆だ。拗ねた男の機嫌を取り持つために女があれこれ悩むんだ」
「あ、あーー」
俺は頭を抱えた。そうだよ、男と女の立場が逆だって分かっていたじゃないか。
「しかしそれで、私も理解した。お前の常識は私の非常識で、逆に私の常識はお前の非常識な訳だとな」
それはいつぞや聞いた言葉だった。
「この雑誌も買う者が本当にいたとは驚きだ。これも私にとっては非常識の部類に入る」
エスターは先程まで読んでいたステイン星系ガイドを、差し出して来たので、俺はそれを受け取った。
「俺には役に立つ知識が詰まっていると思ったけど。まぁ、当事者にとってはそうかもね、俺も日本のガイドブックなんか買った試しがない」
「・・・私は買ったがな、地球ガイドと日本ガイド」
「・・・・・・」
あーやっぱり買っていましたか・・・
「役に立つ知識とは、どの辺りだ?」
エスターの質問に俺はステイン星系の歴史を簡単に纏めた記事を見せた。
その記事によると、第二種人型生命体連合に所属する人型生命体の勢力は、今のところ七つあるらしい。ちなみにこの勢力の中には地球レベルの文明勢力は含まれていない。
第二種人型生命体連合にステイン星系は一つの星系国家として登録されているのだが、二つの国家で一つの代表枠であり、ご多分にもれずどちらが代表となるかで揉めたそうである。
結果から言えば、エノラステインが、代表になった。これは第二種人型生命体連合から提示された条件を満たした国という判断基準から双方の王族が協議した結果であるが、これに不満を持つ者達も沢山いたそうである。
国の経済規模から言えばエノラステインはノーラステインの三割程度の規模しか無く、ノーラステイン主導と考えていた者達がいても当然と言えば当然なのだが、ノーラステインでは代表国としての基準を満たせないため、その様な輩が出ることは承知で決定された事柄であるらしい。
そもそもエノラステインとノーラステインこの二つの国は、元々一つの惑星国家であったそうである。
エノラステインの植民地として、ノーラステイン惑星が整備され、長い統治の時を経た後に、独立戦争が起き、ノーラステインはエノラステインの統治から独立した。
このような経緯から互いの国家は当初、とても仲が良いとは言えなかったが、それは時間が解決し、今では互いの国家がそれぞれの生活基盤を支え合い、どちらの国家が崩壊しても、片方の国家も同じように崩壊するだろうと書かれている。
例えばノーラステインは商業が盛んであり、ステイン星系の流通のほとんどを掌握している。対して、エノラステインは農業と学術が盛んで、ステイン星系の食料と優秀な技術者の育成を行っている。出身がエノラステインだか、ノーラステインの会社で働くという者達は今では半ば当たり前のことになりつつあり、何人ものエノラステイン出身者がよりよい生活を求めてノーラステインに帰化しているそうである。
「・・・そんなことまで知らなかったのか、お前は・・・」
少しだけ驚いた顔でエスターが呟いた。
「知る訳無いだろ・・・昨日までステイン星系なんて知らなかったんだから」
どことなく哀れんだような声音のエスターに、俺は憮然としながら答えた。
「もしかして、お前は、特技科がエノラステイン国営だということも知らないのか?」
初耳です。
「では、私達が所属しているクラスの名は?」
「私立奥名瀬高校・特別専門技術養成科・ノーラステイン機動装甲特科救助部隊員養成クラス・・・」
ノーラステイン?
「やはり不思議に思ったか?特技科はエノラステインの所属になるが、ノーラステイン機動装甲特科救助部隊員養成クラスはその名の通り、ノーラステインが特技科から完全独立で運営している。教職員や生徒を含めてシミュレータ施設全てがノーラステイン国家の管理にある」
「なんで?」
「エノラステインでは、救助部隊員養成を行っていないからだ」
「なんで?」
俺の全く同じ言葉にエスターが薄く笑った。
「単純な話だ。ノーラステインはいわば商業の国だ、と言うことはそれだけ物資輸送の船が多いと言うことだ。船が多ければ当然の結果として、遭難や海賊に遭遇する機会も多い。この十年間でエノラステインの船が遭難したのは全体の二割に満たない。だからエノラステインではノーラステインに対して救助部隊員養成支援を行うのに留まっている」
確かに単純な話である。単純な話であるが、それをあのガイドブックから読み取れというのも無理な話なのかも知れないと俺が考えていると、エスターがその考えを否定する言葉を口にした。
「そのガイドにも書かれていることだが、そこまではまだ読んでいないようだな」
「え?書いてあるの?そんなことが」
「特技科については多くは書いてないが、救助部隊員養成については詳しく書かれている。如何せん、第二種人型生命体連合規定により設置を義務付けられた特殊団体に分類されるからな、どこの国のガイドにも大抵、救助部隊員養成についての記事は書かれているはずだ」
「そんなに有名というか、名のある分野なのか?救助部隊員というのは」
エスターが頷いた。
「国境を越え、たとえ敵対している国の者でも救助を行うのが救助部隊員だが、これは宇宙空間の船に限った話ではない。他国での突発的なアクシデントに対する事柄、例えば、旅先の国で犯罪に遭遇した場合の駆け込み寺的な役割も担っている」
「大使館とかないの?」
「役人に人の痛みは分からない」
「・・・・王族には分かるの?」
俺の言葉にエスターがまた笑った。
「流石に言い過ぎだな。大使館員の中にはそういった者もいるが、公務に追われて一般の旅人の面倒を見る時間がないというのが真実だ」
なるほど、エスター達とスムーズに会話するのならば、このガイドブックを最後まで読まなければならないようである。そう思いながら、エスターが示した場所を優先的に読むと、確かに救助部隊員についての記述もあり、特技科についても書かれていた。ステイン星系はかなり大きな勢力を持っており、特技科は全部で十校有るらしい。その内の一つが地球にあると書かれている。
エスターが足を組み替えて、テーブルに肘をつくと俺を見つめてきた。
ガイドブックを読みふける俺を、じっと見つめてくるエスターの視線が感じられた。
「・・・・・私はお前を手放したくない」
「は?」
俺がエスターの言葉に顔を上げると、エスターは何かに気が付いたように、顔を真っ赤にさせた。
「そ、そういう意味ではない、いや、決してお前をどうこうしたいとかいう話ではなくてだな何というのか、こう、あれだ、ほら、あれだ」
耳元まで朱に染め、あれあれと繰り返すエスターに俺は草餅を手渡した。
「まぁ、とりあえず、落ち着け」
俺の言葉にエスターは、う、うむ、と頷き、草餅に口を付ける。
「あれって、あれか?チームメイトとして、俺を手放したくないと言いたいのか?」
草餅を咥えたエスターが何度も頷いた。
「お前の持つ技術は、はっきり言って驚愕だ。あの独特な勘といい、物事に対しての取り組み方といい、私はお前という仲間を失いたくない。そのためには、多少強引なやり方でも私は躊躇せずに最善の方法を選択する」
「それって、失うことを前提に話している様に聞こえるんだが」
エスターが溜息をついた。
「お前、天然なんだか鋭いんだか、分からない奴だな」
「鋭い方で」
「笑えない冗談だな?」
俺は肩をすくめた。
「例のシミュレータ停止の件?」
「ああ、そうだ、少々厄介な事になってきたようだ」
「調べてたんだ」
「誰かさん達は私が拗ねて部屋に閉じこもったと思っていたらしいがな、その間に私は隣の部屋で、情報の収集を行っていたのだ。お前達には知られてはならない王族特権コードを使用しての収集だ、誰も部屋に入れることは出来なかったのだ」
俺は、ベッドに倒れた。はなっから空回りしていたのかよ、俺ってば・・・
「あ、し、しかし、あの時は怒っていたぞ、それは確かだ。う、うん、祐子にお前が慌てていたと聞いて、その、なんだ・・・う、嬉しかったぞ・・」
「フォローされればされるほど惨めになる・・・」
「そ、そうか」
俺はゆっくりと起き上がる。
「多少強引なやり方って何?」
俺の質問に、しばらくの間エスターが黙り込んだ。
「・・・・・その前に、一つ確認したいことがある」
「なに?」
「お前は、今回のことで、どうしたいんだ?」
「?」
エスターの言葉の意味が解らなかった。
「お前は、今回のことについて、自分の意見を述べていない。これは珍しいことだ。例えばお前以外の誰かがこのような事になった場合、お前なら、全力で自分の出来ることを探す筈だ。所が今までのお前は完全に傍観者としての立場を取っている。なぜだ?」
「・・・・・・・・」
エスターが俺の顔を見つめてきた。それは何時ものエスターよりも冷たい瞳であった。明らかに感情を押し殺しているように見えた。
「・・・・・・・・・・」
俺は考え込んだ。
確かにエスターの言う通りである。退学処分になるのが、マリネルだったら職員室に殴り込みを掛けるぐらいはやっているかもしれない。
なぜか俺は草食動物系に見られるが、それは間違っている。大人しい性格の人間は祖父の道場には存在しない。冷静且つ、過激。それが祖父の道場のモットーであり、俺はそれを骨の髄までたたき込まれているのだ。所が今回は何もせずに傍観者の立場にいる。なぜだ?なぜ俺は受け身でいるのだろう?
・・・・・・・・
・・・・・・・・あ、そうか・・・・・
気がついてしまった。
俺が他人事のような態度を取っていたその理由に俺は気がついてしまった。
それは決して愉快な理由からではなく、どちらかと言えば、あまり思い出したくもない理由である。
いや、はっきり言えば、忘れ去りたい記憶である。
鳩尾の辺りがざわめき、重く感じられる。嫌なことを思い出すと、このようになるのが俺の常である。もっと超然とした感性で物事に動じない人間になりたいとは思っているのだが、今のところはそれはあくまでも理想の自分でしかない。生憎と俺の実態はこのように弱い精神構造の単なる子供である。
俺は知らずの内に、腹を撫でていた。
エスターは俺の言葉を待ち、静かに俺を見つめていた。
「俺は・・・・・・」
俺はエスターから視線を外して、ゆっくりと口を開いた。
その理由はやはり、俺が前の学校を退学になったことである。
俺が退学になった切っ掛けとなった練習試合だが、いつの間にか俺が空手部に殴り込みを掛け、無抵抗な教師と部員に暴力をふるったことになっていた。
驚いた俺は、それは事実と異なると教師達の前で弁解したが、校長が【彼のような立派な教師が、そのような事をするはずがない。誰が嘘をついているかは、明白であり、この場においてまでも、反省するどころか、その嘘をあたかも事実のように主張する様な人物を我が校に於いては認めるわけには訳にはいかない】と教師達の前で語ったのである。
学校も縦割りの運営がなされている。この校長の言葉で、教師達は八割方俺の退学を承認したのだ。
俺は中学時代に、どれだけこの高校に憧れて、必死に勉強をしたのかを話した。中学時代に無理だと教師に言われていた俺は人一倍に頑張ったのだ。中学時代の教師達もそれを認めてくれて、最後には、応援もしてくれた。
俺の言葉に耳を傾ける教師はいなかった。最後に校長が【所詮は我が校には相応しくない、恥知らずな人間だ】と冷笑した。
俺の退学はその場で決定した。
その日の内に、教室からは俺の机が運び出された。
俺は愕然とした。
そんな俺に教師の一人が俺が叩きのめした教師の素性を教えてくれた。
教師としては最低で、女子生徒に手を出しているという噂もあるが、教育委員会に強いコネを持ち、親類縁者に政治家もいる男で、校長はそれの傀儡である。俺が語ったこの学校の校風は既に過去のものであり、今ではまるで軍隊か何かのように、上の者からの命令は絶対であり、それに逆らった教師や生徒はことごとく放校にされた事などである。今では表だってあの教師に逆らう者はいないと言われた。だから、諦めろとその教師は言った。
諦めろと言われて諦められるのならば、教師達の前で弁解などしない。
しかし一介の高校生である俺には何も出来やしなかった。
謝る事も出来たかもしれないが、それは俺を構成している根幹的な思想に反する事であり、それだけは出来なかった。
「気持ちいいーーー」
幼い俺は歓声を上げながら。風に向かい両手を広げた。
「全く、何もない本当に辺鄙な場所ですこと」
文句を言いながらも、きらきらと瞳を輝かせ、花冠を作る手を止めようとしない金髪の女の子がそこにいた。年の頃は五歳ぐらいであろうか、意志が強そうな瞳に、明らかに歓喜の色を浮かべながら、先程から花冠を作るのに熱中している。
「それが、我が国の良いところだ」
金髪の女の子の後ろで、黒髪を風になびかせた女の子が、如何にも慣れた手つきで花冠を作っていく。出来の善し悪しで言えば、金髪の女の子の何倍も出来がよい。しかし、何よりも金髪の女の子の方は出来など気にもせずに、楽しそうに花冠を作っている。口では田舎だ、辺鄙だと言いながらも、その楽しんでいる姿に俺も楽しくなってしまう。
「貴方もそう思いますわよね、こんな辺鄙な場所にいたら、とっても退屈だと思いますわよね。全くエノラステインってば、学術農業国家とか言いながら、実態はただのど田舎なだけなのですから」
そう言いながら、満面に楽しさを湛えている金髪の女の子が、俺に花冠を差し出してきた。花冠というよりか、茎冠と表現した方が良さそうな出来だが、如何にも一所懸命作りましたという感じがした。
俺は礼を言いながらそれを受け取ると、場面が変わった。
青空が広がっていた。高い位置から見る街の景観は、荘厳とも言えた。青い海の向こうに見えるウオーターフロントの高層ビルよりも高い位置まで観覧車のゴンドラが上がると、日の光に輝くビルの窓がきらきらと光りとても綺麗だった。
「全く、なんてごみごみとした町並みなんだ」
文句を言いながらも、黒髪の女の子が、ゴンドラの窓枠を握りしめて、きらきらと瞳を輝かせながら、町並みに見入っていた。
意思が強そうな瞳に、明らかに歓喜の色を浮かべながら、先程から町並みに見入っている。
「人が集まると言うことは、そういうことですわ」
金髪の女の子は、ゴンドラのシートに座り、如何にも見飽きた光景だと言わんばかりに、ほおづえをついている。
「貴方もそう思わない?こんなごみごみしたな場所にいたら、体に悪いと思いますよね。全くノーラステインってば、商業国家とか言いながら、実態はただの公害都市なだけだから」
そう言いながら、満面に楽しさを湛えている黒髪の女の子が俺を振り向いた。
「貴方は、ノーラステインとエノラステイン、どちらが気に入りました?」
黒髪の女の子が聞いてきた。この質問には、金髪の女の子も興味を示し、俺の方に身を乗り出してきた。エノラステインと答えれば、黒髪の女の子が、ノーラステインと答えれば、金髪の女の子が喜ぶのを俺は知っていた。
俺は少しだけ考えて。答えた。
「両方好き」
ああ、昔の夢を見ているんだなとぼんやりと分かった。黒髪の女の子に答えた後、俺はアミアミ姉ちゃんの膝の上に座っていた。
砂浜で青い海を見ながらアミアミ姉ちゃんが俺に話しかけていた。
アミアミ姉ちゃんは将来の夢を俺に話していた。何でも教師になるのが夢なのだそうだ。なんで先生なのかと問いかけた俺にアミアミ姉ちゃんは、欲張りだからと答えた。アミアミ姉ちゃんは欲張りで自分がとても好きだから、そんな自分の知識や考え方を他人に与えることで、その他人を自分の分身にしたいと考えたそうだ。もしかしたら、その他人は自分が教えたことを、自分が考えたこともない方法で利用するかも知れない。それは、かつての自分の可能性であり、その知識を使い、今の自分からは想像も付かない、もう一人の自分に出会うことが出来るかもしれないからだと答えた。
何のことを言っているのか全く理解が出来ていない俺は小首を傾げた。
そんな俺にアミアミ姉ちゃんが微笑みかけてきた。
また場面が変わった。
不用意に繰り出される拳が執拗に繰り出される。風を切り、腕が道着をはたく音と共に六名ほどの野次馬の声が聞こえる。
逃げてばかりが、お前の流派かよと卑下したヤジが飛ばされるが、俺には気にもならない。どちらかと言えば目の前の体育教師に俺は戸惑いを感じていた。身長は二メートル近くあり、体格も良い。筋肉の付き方はかなり偏っている。そこそこ名の知れた実践空手の師範代クラスだと言っていたので練習試合に同意したのだが、その体捌きは俺の知っているその実践空手の師範代にはほど遠いものであった。力任せに拳を振るうその姿は形こそ似てはいるが、単なる素人門下生としか思えない。
その拳に当たれば、素人ならそこそこのダメージは貰うだろうが、実践を名乗るには貧弱としか言いようがない。そもそもその目つきが、獲物をいたぶる光に満たされているところが素人である。組んだこともない相手になぜぞれほど自身が持てるのかが理解出来ない。しかも練習試合が始まって三分近く経過しているが、目の前の教師の拳や蹴りは俺に当たっていない。全て俺がよけきっているからである。この事実を理解せずに、なぜこんなにも自身満々でいられるのかが理解しがたかった。
俺は学校の施設である武道場の板の間をゆるゆると動きながら悩んでいた。俺と教師の回りには、わざと着崩した道着を身にまとった者達が六名ほどにやつきながらしゃがみ込んでいる。
武道場には俺と目の前の教師、そしてその六名の姿しか無かった。どうやら空手部の部長や副部長はここにはいないようである。
そして五分も経過した辺りで、目の前の教師の行動が明らかに変わった。急所を突いてくるのである。
股間や顔面、その他もろもろの急所。
この教師の流派の試合では意識していなくてもそこに当てた場合は失格になる。意識して急所を外すのがその流派の極意だからである。しかし、急所を意識して攻撃してくること自体は、俺にとっては当たり前の事である。祖父の道場では逆に急所を狙う事を教えられるからだ。しかし、一般にこれは武道ではあり得ない行為である。
後ろに下がったところで、しゃがみ込んでいた一人が足払いを仕掛けてきたが、それは既に予想していたことである。半歩だけ体をずらすと、ローキックを放ってきた教師と空手部員の足が交差した。
中途半端に攻撃を仕掛けた者と、本気で潰そうと思っている者の違いが出た。
蹴られた部員の体が半回転して、武道場の床に頭をたたきつけそのまま動かなくなった。
脳震盪でも起こしたらしい。しかし、その光景を目の当たりにした五名の部員達は、仲間の脳震盪を俺のせいにしたようである。口々に不穏な言葉を発しながら、俺に殴りかかってきた。
それを見て俺は、そろそろ潮時であると感じていた。
俺は半歩を踏み出した。
良い香りで目が覚めた。
香水の香りはあまり好きではないが、この香りは心地よさを感じさせるものであった。
首を巡らせると、備え付けの椅子に座り、緑茶をすすり、草餅を口に運びながら静かに雑誌に視線を向けているエスターがいた。
夢を見ていたような気もするが、その内容を覚えてはいなかった。
なんか楽しい夢と嫌な夢を同時に見たような気もする。
「ん?起きたか?」
「今何時?」
「二時だ」
「夜の?」
「昼だ」
と言うことは二時間程寝たことになる。
「予定では十二時間寝るつもりだったんだが」
「そんなに寝てどうする」
さぁと首を傾げた俺に呆れ顔のエスターがお茶をすすった。
「そんなに寝ると言うことは、この菓子を全部私に食せということか?」
見ると、テーブルには俺が買った菓子類が置かれていた。
「少なくとも、抹茶アイスと、草餅はエスターに食べて貰おうと思っていた」
「抹茶アイス二個に草餅四個か?お前は私に太れといっているのか?」
「いや、そんなつもりは毛頭無い、でも普段の運動量と食の細さを考えると、もう少し食べても良いかなとは思う」
「そうか、しかし、この草餅は美味いな」
「購買部にあった。まさか祖母が好きな店のやつが有るとは思わなかった。いつぞや送ってきたやつあっただろ、あれと同じ店だ」
「ほう、そうなのか、道理で食したことがあると思った」
「その店、俺の友達の実家」
「それは良い友達を持ったな」
「いや、俺、甘い物そんなに好きじゃないから」
「しかしなぜ草餅なのだ?」
俺は実家からの差し入れの時の話をした。
話し終わると、エスターが耳元まで真っ赤になった。
「そ、そんなに物欲しそうにしていたか?」
「物欲しそうというか、さっきも言ったけど、寂しそう?」
「お、同じ事だ・・・・しかしそうか、それでお前は取っつきにくいと言われていた私でもやっていけると思ったのか。天然の割には細かい所まで見ているな」
「俺、天然じゃないと思うんだけど・・・・」
「そうか?ブラッゲやマリネルだけではなく、ペイゼルもそう言っていたぞ、もしかして、お前、自分が奴に目の敵にされた切っ掛けがその天然な所だって、気が付いていないのか?」
「え?」
初耳です。
エスターが笑った。やっぱりなと笑いながら、急須の中の茶葉を茶葉入れに捨てて、新しい茶葉でお茶を煎れた。
「飲むだろ?」
「ああ、もらう」
俺はエスターから湯飲みを受け取り、熱さを確かめながら、お茶をすする。
「聞いたぞ、私が不機嫌になったので、慌てて購買部で機嫌を直すための貢ぎ物を買い漁ったと」
俺はむせた。誰だ、ちくったのは。祐子さんかテリエさんか・・・・・・・・・・どちらもちくりそうです。
「しかしお前は、大きな勘違いをしている」
「何を?」
「お前の常識では、女が拗ねたら男が機嫌を取り持つのだろうが、私達は逆だ。拗ねた男の機嫌を取り持つために女があれこれ悩むんだ」
「あ、あーー」
俺は頭を抱えた。そうだよ、男と女の立場が逆だって分かっていたじゃないか。
「しかしそれで、私も理解した。お前の常識は私の非常識で、逆に私の常識はお前の非常識な訳だとな」
それはいつぞや聞いた言葉だった。
「この雑誌も買う者が本当にいたとは驚きだ。これも私にとっては非常識の部類に入る」
エスターは先程まで読んでいたステイン星系ガイドを、差し出して来たので、俺はそれを受け取った。
「俺には役に立つ知識が詰まっていると思ったけど。まぁ、当事者にとってはそうかもね、俺も日本のガイドブックなんか買った試しがない」
「・・・私は買ったがな、地球ガイドと日本ガイド」
「・・・・・・」
あーやっぱり買っていましたか・・・
「役に立つ知識とは、どの辺りだ?」
エスターの質問に俺はステイン星系の歴史を簡単に纏めた記事を見せた。
その記事によると、第二種人型生命体連合に所属する人型生命体の勢力は、今のところ七つあるらしい。ちなみにこの勢力の中には地球レベルの文明勢力は含まれていない。
第二種人型生命体連合にステイン星系は一つの星系国家として登録されているのだが、二つの国家で一つの代表枠であり、ご多分にもれずどちらが代表となるかで揉めたそうである。
結果から言えば、エノラステインが、代表になった。これは第二種人型生命体連合から提示された条件を満たした国という判断基準から双方の王族が協議した結果であるが、これに不満を持つ者達も沢山いたそうである。
国の経済規模から言えばエノラステインはノーラステインの三割程度の規模しか無く、ノーラステイン主導と考えていた者達がいても当然と言えば当然なのだが、ノーラステインでは代表国としての基準を満たせないため、その様な輩が出ることは承知で決定された事柄であるらしい。
そもそもエノラステインとノーラステインこの二つの国は、元々一つの惑星国家であったそうである。
エノラステインの植民地として、ノーラステイン惑星が整備され、長い統治の時を経た後に、独立戦争が起き、ノーラステインはエノラステインの統治から独立した。
このような経緯から互いの国家は当初、とても仲が良いとは言えなかったが、それは時間が解決し、今では互いの国家がそれぞれの生活基盤を支え合い、どちらの国家が崩壊しても、片方の国家も同じように崩壊するだろうと書かれている。
例えばノーラステインは商業が盛んであり、ステイン星系の流通のほとんどを掌握している。対して、エノラステインは農業と学術が盛んで、ステイン星系の食料と優秀な技術者の育成を行っている。出身がエノラステインだか、ノーラステインの会社で働くという者達は今では半ば当たり前のことになりつつあり、何人ものエノラステイン出身者がよりよい生活を求めてノーラステインに帰化しているそうである。
「・・・そんなことまで知らなかったのか、お前は・・・」
少しだけ驚いた顔でエスターが呟いた。
「知る訳無いだろ・・・昨日までステイン星系なんて知らなかったんだから」
どことなく哀れんだような声音のエスターに、俺は憮然としながら答えた。
「もしかして、お前は、特技科がエノラステイン国営だということも知らないのか?」
初耳です。
「では、私達が所属しているクラスの名は?」
「私立奥名瀬高校・特別専門技術養成科・ノーラステイン機動装甲特科救助部隊員養成クラス・・・」
ノーラステイン?
「やはり不思議に思ったか?特技科はエノラステインの所属になるが、ノーラステイン機動装甲特科救助部隊員養成クラスはその名の通り、ノーラステインが特技科から完全独立で運営している。教職員や生徒を含めてシミュレータ施設全てがノーラステイン国家の管理にある」
「なんで?」
「エノラステインでは、救助部隊員養成を行っていないからだ」
「なんで?」
俺の全く同じ言葉にエスターが薄く笑った。
「単純な話だ。ノーラステインはいわば商業の国だ、と言うことはそれだけ物資輸送の船が多いと言うことだ。船が多ければ当然の結果として、遭難や海賊に遭遇する機会も多い。この十年間でエノラステインの船が遭難したのは全体の二割に満たない。だからエノラステインではノーラステインに対して救助部隊員養成支援を行うのに留まっている」
確かに単純な話である。単純な話であるが、それをあのガイドブックから読み取れというのも無理な話なのかも知れないと俺が考えていると、エスターがその考えを否定する言葉を口にした。
「そのガイドにも書かれていることだが、そこまではまだ読んでいないようだな」
「え?書いてあるの?そんなことが」
「特技科については多くは書いてないが、救助部隊員養成については詳しく書かれている。如何せん、第二種人型生命体連合規定により設置を義務付けられた特殊団体に分類されるからな、どこの国のガイドにも大抵、救助部隊員養成についての記事は書かれているはずだ」
「そんなに有名というか、名のある分野なのか?救助部隊員というのは」
エスターが頷いた。
「国境を越え、たとえ敵対している国の者でも救助を行うのが救助部隊員だが、これは宇宙空間の船に限った話ではない。他国での突発的なアクシデントに対する事柄、例えば、旅先の国で犯罪に遭遇した場合の駆け込み寺的な役割も担っている」
「大使館とかないの?」
「役人に人の痛みは分からない」
「・・・・王族には分かるの?」
俺の言葉にエスターがまた笑った。
「流石に言い過ぎだな。大使館員の中にはそういった者もいるが、公務に追われて一般の旅人の面倒を見る時間がないというのが真実だ」
なるほど、エスター達とスムーズに会話するのならば、このガイドブックを最後まで読まなければならないようである。そう思いながら、エスターが示した場所を優先的に読むと、確かに救助部隊員についての記述もあり、特技科についても書かれていた。ステイン星系はかなり大きな勢力を持っており、特技科は全部で十校有るらしい。その内の一つが地球にあると書かれている。
エスターが足を組み替えて、テーブルに肘をつくと俺を見つめてきた。
ガイドブックを読みふける俺を、じっと見つめてくるエスターの視線が感じられた。
「・・・・・私はお前を手放したくない」
「は?」
俺がエスターの言葉に顔を上げると、エスターは何かに気が付いたように、顔を真っ赤にさせた。
「そ、そういう意味ではない、いや、決してお前をどうこうしたいとかいう話ではなくてだな何というのか、こう、あれだ、ほら、あれだ」
耳元まで朱に染め、あれあれと繰り返すエスターに俺は草餅を手渡した。
「まぁ、とりあえず、落ち着け」
俺の言葉にエスターは、う、うむ、と頷き、草餅に口を付ける。
「あれって、あれか?チームメイトとして、俺を手放したくないと言いたいのか?」
草餅を咥えたエスターが何度も頷いた。
「お前の持つ技術は、はっきり言って驚愕だ。あの独特な勘といい、物事に対しての取り組み方といい、私はお前という仲間を失いたくない。そのためには、多少強引なやり方でも私は躊躇せずに最善の方法を選択する」
「それって、失うことを前提に話している様に聞こえるんだが」
エスターが溜息をついた。
「お前、天然なんだか鋭いんだか、分からない奴だな」
「鋭い方で」
「笑えない冗談だな?」
俺は肩をすくめた。
「例のシミュレータ停止の件?」
「ああ、そうだ、少々厄介な事になってきたようだ」
「調べてたんだ」
「誰かさん達は私が拗ねて部屋に閉じこもったと思っていたらしいがな、その間に私は隣の部屋で、情報の収集を行っていたのだ。お前達には知られてはならない王族特権コードを使用しての収集だ、誰も部屋に入れることは出来なかったのだ」
俺は、ベッドに倒れた。はなっから空回りしていたのかよ、俺ってば・・・
「あ、し、しかし、あの時は怒っていたぞ、それは確かだ。う、うん、祐子にお前が慌てていたと聞いて、その、なんだ・・・う、嬉しかったぞ・・」
「フォローされればされるほど惨めになる・・・」
「そ、そうか」
俺はゆっくりと起き上がる。
「多少強引なやり方って何?」
俺の質問に、しばらくの間エスターが黙り込んだ。
「・・・・・その前に、一つ確認したいことがある」
「なに?」
「お前は、今回のことで、どうしたいんだ?」
「?」
エスターの言葉の意味が解らなかった。
「お前は、今回のことについて、自分の意見を述べていない。これは珍しいことだ。例えばお前以外の誰かがこのような事になった場合、お前なら、全力で自分の出来ることを探す筈だ。所が今までのお前は完全に傍観者としての立場を取っている。なぜだ?」
「・・・・・・・・」
エスターが俺の顔を見つめてきた。それは何時ものエスターよりも冷たい瞳であった。明らかに感情を押し殺しているように見えた。
「・・・・・・・・・・」
俺は考え込んだ。
確かにエスターの言う通りである。退学処分になるのが、マリネルだったら職員室に殴り込みを掛けるぐらいはやっているかもしれない。
なぜか俺は草食動物系に見られるが、それは間違っている。大人しい性格の人間は祖父の道場には存在しない。冷静且つ、過激。それが祖父の道場のモットーであり、俺はそれを骨の髄までたたき込まれているのだ。所が今回は何もせずに傍観者の立場にいる。なぜだ?なぜ俺は受け身でいるのだろう?
・・・・・・・・
・・・・・・・・あ、そうか・・・・・
気がついてしまった。
俺が他人事のような態度を取っていたその理由に俺は気がついてしまった。
それは決して愉快な理由からではなく、どちらかと言えば、あまり思い出したくもない理由である。
いや、はっきり言えば、忘れ去りたい記憶である。
鳩尾の辺りがざわめき、重く感じられる。嫌なことを思い出すと、このようになるのが俺の常である。もっと超然とした感性で物事に動じない人間になりたいとは思っているのだが、今のところはそれはあくまでも理想の自分でしかない。生憎と俺の実態はこのように弱い精神構造の単なる子供である。
俺は知らずの内に、腹を撫でていた。
エスターは俺の言葉を待ち、静かに俺を見つめていた。
「俺は・・・・・・」
俺はエスターから視線を外して、ゆっくりと口を開いた。
その理由はやはり、俺が前の学校を退学になったことである。
俺が退学になった切っ掛けとなった練習試合だが、いつの間にか俺が空手部に殴り込みを掛け、無抵抗な教師と部員に暴力をふるったことになっていた。
驚いた俺は、それは事実と異なると教師達の前で弁解したが、校長が【彼のような立派な教師が、そのような事をするはずがない。誰が嘘をついているかは、明白であり、この場においてまでも、反省するどころか、その嘘をあたかも事実のように主張する様な人物を我が校に於いては認めるわけには訳にはいかない】と教師達の前で語ったのである。
学校も縦割りの運営がなされている。この校長の言葉で、教師達は八割方俺の退学を承認したのだ。
俺は中学時代に、どれだけこの高校に憧れて、必死に勉強をしたのかを話した。中学時代に無理だと教師に言われていた俺は人一倍に頑張ったのだ。中学時代の教師達もそれを認めてくれて、最後には、応援もしてくれた。
俺の言葉に耳を傾ける教師はいなかった。最後に校長が【所詮は我が校には相応しくない、恥知らずな人間だ】と冷笑した。
俺の退学はその場で決定した。
その日の内に、教室からは俺の机が運び出された。
俺は愕然とした。
そんな俺に教師の一人が俺が叩きのめした教師の素性を教えてくれた。
教師としては最低で、女子生徒に手を出しているという噂もあるが、教育委員会に強いコネを持ち、親類縁者に政治家もいる男で、校長はそれの傀儡である。俺が語ったこの学校の校風は既に過去のものであり、今ではまるで軍隊か何かのように、上の者からの命令は絶対であり、それに逆らった教師や生徒はことごとく放校にされた事などである。今では表だってあの教師に逆らう者はいないと言われた。だから、諦めろとその教師は言った。
諦めろと言われて諦められるのならば、教師達の前で弁解などしない。
しかし一介の高校生である俺には何も出来やしなかった。
謝る事も出来たかもしれないが、それは俺を構成している根幹的な思想に反する事であり、それだけは出来なかった。
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