君は僕の運命、僕を殺す定め

秋月真鳥

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後日談 (受け視点)

2.手記を見せるとき

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 廊下で何か話して来たアルトゥロとフリーダが戻ってきたが、アルトゥロはルイーゼの眠っているベビーベッドを覗き込むだけで手を出してきたりはしない。赤ん坊に触れることを怖がっているのだろうか。

「この子はミヒャエル様の大事な娘です。ミヒャエル様に認められていないあなたが触れていい子ではありません」
「俺の娘ですよ?」
「ミヒャエル様を孕ませて苦しませただけで、あなたは父親らしいことをしましたか?」
「これからします」
「子どものあなたに赤ん坊の面倒が見られるとは思いません」

 フリーダの方もアルトゥロがルイーゼの面倒を見られるか疑問に思っているようだ。ずっと英雄として神聖視してきたが、アルトゥロはミヒャエルが考えていたよりも子どもっぽいようだ。

「やっと眠ったところなんだ。アルトゥロ、騒がないで」
「すまない……」

 ルイーゼが起きてしまうからと人差し指を唇に当てて静かにしてくれるように頼むと、アルトゥロは黙ってくれる。ミヒャエルによく似たルイーゼはアルトゥロにしてみれば望んだ娘ではないかもしれないが、フリーダと共にルイーゼを育てることくらい許して欲しい。どうしてもアルトゥロがミヒャエルとルイーダを見るのが嫌なら出て行くしかないのかとミヒャエルは悩む。

「別の部屋でお茶を飲みながら話をしましょうね。ミヒャエル様、きつくないですか?」
「大丈夫です。ちょうど喉が渇いてきたところです」

 優しいフリーダはミヒャエルのことを気遣ってくれていた。娘のルイーゼの眠りを妨げたくはなかったし、ルイーゼのことは乳母に任せて、ミヒャエルはアルトゥロとフリーダとリビングに移動した。ソファに腰かけてこれからのことを考える。
 母屋に暮らすことを許して欲しいのだが、アルトゥロに反対されたらミヒャエルはここから出て行かなくてはいけないかもしれない。
 本来ならばミヒャエルの方が嫡子で、ミヒャエルの産んだルイーゼは間違いなくハーマン家の嫡子となるはずだが、ミヒャエルにはアルトゥロに負い目があった。ディーデリヒと結婚して将来は国王の配偶者となる道をミヒャエルはアルトゥロから奪った。そのことを持ち出されればミヒャエルの立場は弱かった。
 紅茶にミルクをたっぷりと入れて飲んで心を落ち着かせるが、ミヒャエルの胸中にはさざ波のように不安が押し寄せて来ていた。

「母上、俺はミヒャエルと大事な話があるのです」
「ミヒャエル様がお疲れなのを見て分からないのですか? そんなだから、あなたはミヒャエル様に腹いせに抱いたなどと言われるのですよ」

 フリーダがミヒャエルの隣りに座って、アルトゥロは斜めのフリーダの前に座っているのも意味があるのだろう。正面からミヒャエルを見たくないという意志表示かもしれない。
 ティーカップをソーサーに置くとミヒャエルは口を開いた。

「僕に関して責任を感じることはないんだ。君がディーデリヒ王太子殿下と結婚するはずだったのに、僕はそれを壊してしまったんだから」
「もう予言の話はしなくていいだろう? 終わったんだ、ミヒャエル」
「僕はずっとあの物語に添って生きて来た。人生の指針だったんだ。それがなくなったら、僕はどうやって生きればいいのか分からない」

 定まった未来のない生活をミヒャエルはしたことがない。不安を口にすれば、アルトゥロが不思議そうな顔で見つめてくる。

「ミヒャエル、あなたは予言ができるわけではないのか?」
「その話を、僕は君にしていなかったね。叔母上にも関わりのあることだ。聞いて欲しい。少し待っていて」

 話すときが来たのだとミヒャエルは覚悟を決めてソファから立ち上がった。二階に上がってベッドサイドのテーブルの引き出しに入っていた手記を持ってくる。豪華な分厚い表紙のそれは、何度も何度もミヒャエルが読み返したので、端が擦り切れている。

「母上はこの世界に生まれて来る前に、別の世界で生きたことがあったと言っていた。そのときに読んだ英雄譚の内容が、この世界と全く同じだったのだと」

 幼い頃からミヒャエルが語られてきた物語がその手記には書かれている。ルイーゼの覚えている限りのことはすべて書いてあるから、手記は何冊にも及んでいた。
 アルトゥロとフリーダがそれぞれに手記を手に取っている。

「お姉様の文字ですわ。懐かしい」
「ここに書いてあることは実際にアルトゥロに起こったことです。起こる前から母上には全て分かっていた」
「お姉様は生まれる前の記憶があったのですね」
「僕が19歳で魔王の依り代になって死ぬと分かっていたので、延命治療を受けずに、少しの時間でも僕のそばにいてくれるようにしてくれました」

 ずっとこの英雄譚に添って生きていくのだと思っていた。ミヒャエルの運命はそう決まっているのだと。魔王の依り代となってミヒャエルが殺された後のことはほぼ書かれていないから、ミヒャエルは今後の人生の指針となるものがなくなってしまっている。

「伯母上だったのか、予言の主は」
「これ以上何も書いていない……僕はこの英雄譚を頼りに生きて来たのに、ここから先が分からないんだ」

 これまで未来が分かることが当然だったので、それが急になくなることは不安なミヒャエルに、アルトゥロが力強く言う。

「ミヒャエル、俺と一緒に生きよう。未来は分からないし、何が起きるかも分からない。でも、みんなそうなんだ。みんなそうやって生きている」

 そんなことを言われても、これまでずっと英雄譚に導かれて生きて来たのだから、今更変わるといっても対応できない。何よりも、一緒に生きるというアルトゥロの言葉が信じられない。

「僕に同情することはない。僕はルイーゼと生きていける」
「わたくしもおりますからね。アルトゥロ、あなたは大事なことをミヒャエル様に言っていないのでしょう? そんなあなたにミヒャエル様といる資格はありません」

 フリーダの言っていることは分からないが、アルトゥロは何かミヒャエルに言っていないことがあるようだ。

「俺は、ミヒャエルを……」

 何かを言おうとしているアルトゥロをじっと見つめるが、アルトゥロは言い淀んでしまう。ミヒャエルの方が悪いような気がしていたが、もしかすると悪いのはアルトゥロの方なのではないだろうか。
 ふつふつとミヒャエルの中で怒りがわいてくる。
 アルトゥロこそが英雄譚を捻じ曲げてしまって、ミヒャエルになかったはずの未来を与えてしまった。

「母上、外してくれませんか? ミヒャエルと二人きりで話したいのです」
「嫌です」
「はいぃ?」
「二人きりにしたら、あなたがミヒャエル様に無体を働かないとも限りません。ミヒャエル様の安全のためにも、あなたとミヒャエル様を二人きりにすることはできません」

 アルトゥロとフリーダが何か言い争っているのもミヒャエルにはよく聞こえない。フリーダがアルトゥロを見詰めて、ミヒャエルはアルトゥロを見詰めて、アルトゥロの方が難しい顔でミヒャエルを見つめ返している。

「ミヒャエル、俺はあなたを愛している」

 突然の告白にミヒャエルは驚いてしまった。

「愛している? そんな嘘はつかなくていい」
「本当だ。あなたがこの世に未練が残るのならば、子どもができた方がいいと思って抱いた。抱いたのだって、愛しているからだ」
「お、叔母上の前で何を言っているんだ」

 抱いた、抱かれたなど、自分の母親であるフリーダの前でアルトゥロは急に何を言いだしているのだろう。愛しているなどという世迷言を口にしただけでなく、アルトゥロがミヒャエルを抱いたのは愛していたからだとか言い出す。

「母上のことは気にするな。俺はミヒャエルを愛している」
「ほ、本当に……?」
「本当だ」

 信じられないことだが、アルトゥロは本当にミヒャエルを愛しているという。愛しているのならばどうしてあんなに酷く抱いたのか、ミヒャエルが母屋にいてアルトゥロが離れの屋敷にいるという同じ敷地内にいたのに気付きもしなかったのか、色々と怒りがミヒャエルの中で決壊した。

「それなら」

 立ち上がってミヒャエルはアルトゥロにも立ち上がるように促す。立ち上がったアルトゥロの前に立つと、やはり顔はいいし、体格もいい。これで英雄としてミヒャエルを好き勝手したことは許せない。

「一発、殴らせろ!」
「へ?」

 アルトゥロが抵抗したら殴る余地もないだろうから、ミヒャエルは即座に拳を固めてアルトゥロの顔を殴った。殴られても顔がいいなんて英雄は狡い。唇の端から血を流している気がするが、それも見なかったことにする。

「抱かれて、僕は死ぬかと思ったんだぞ! 君に殺されるはずだったけど、抱き殺されるなんて冗談じゃない! その上、避妊もしないで、子どもを作ろうと思っただと? 英雄譚に書かれた日までに子どもが生まれてなくて、叔母上の助けもなかったら、僕はルイーゼをどうしようもなかったんだからな!」

 一気に不満を噴出させると、アルトゥロが俯いたのが分かった。反省したのかと、ミヒャエルは長く息を吐く。

「君は本当に馬鹿だな……ディーデリヒ王太子殿下との結婚を捨てて、僕を選ぶなんて」

 呆れて呟いた言葉に、アルトゥロが少し笑っているように見えるのが不思議だった。
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