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三章 バーデン家の企みを暴く

12.辺境伯家のカサンドラ様

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 キルヒマン侯爵家のお茶会が開かれる。
 花手毬を箱に入れて入れたパーティバッグを持ってわたくしは参加することにした。
 髪を纏めてもらっているときに、隣りの部屋と繋がっている窓からクリスタちゃんの声が聞こえる。

「お姉様、今日はお揃いの薔薇の髪飾りにしましょう?」
「いいですよ。マルレーン、今日は薔薇の髪飾りを使います。持ってきてくれますか?」

 簡単なハーフアップなら自分でできるようになったが、お茶会に参加するときにはマルレーンに髪を結んでもらうことにしている。自分でやるのはまだ手が小さいので時々ぐしゃっとなってしまうことがあるのだ。
 前世の記憶が朧げにあるだけに、自分のこの手を小さいと思ってしまう。

 髪をハーフアップに纏めてもらって、空色の薔薇の髪飾りをつけてもらう。ドレスも空色の夏用の涼しいものを着る。背中のチャックは自分ではなかなか上げられないが、半分まで上げてもらうと残りは自分でできた。よく磨かれたストラップ付きの革靴を履いて、準備は終わった。
 隣りの部屋でクリスタちゃんは髪を三つ編みにしてもらって、前髪も編み込んでもらったようだ。クリスタちゃんのふわふわの金髪には三つ編みがよく似合う。
 部屋から出て玄関の方に向かうと、両親も準備を終えて玄関前で待っていた。

 父の両手で掴めるくらいの細いウエストにふんわりとしたスカートのドレスを纏った母はとても美しい。社交界では子どもは髪を下ろしていても構わないのだが、大人の女性は基本的に髪を上げる。
 母もクリスタちゃんによく似た金色の髪を結い上げていた。

「お母様、綺麗……」
「ありがとう、クリスタ」

 思わず漏らしたクリスタちゃんの感想とわたくしの感想は同じものだった。

 馬車でキルヒマン侯爵家に行く。
 エクムント様は馬に乗って馬車に並走していた。護衛の意味も兼ねてついてきてくれるのだ。
 しかし、今日はそれだけではないとわたくしは知っている。エクムント様はキルヒマン侯爵夫妻に会う日でもあるし、辺境伯に会う日でもある。
 護衛の名目でついてきていながら、エクムント様は未来の養母になる辺境伯に会い、両親であるキルヒマン侯爵夫妻に会うのだ。

 馬車がつくとキルヒマン侯爵夫妻が出迎えてくれる。
 キルヒマン侯爵は灰色の髪に金色の目だが、キルヒマン侯爵夫人は褐色の肌に黒髪に黒い目だ。辺境伯領では褐色の肌のひとが多いと言うから、キルヒマン侯爵夫人もそうなのだろう。

「今日はようこそお越しくださいました」
「エリザベート様とクリスタ様の演奏を楽しみにしていました」
「前に演奏してもらったときに、ディッペル公爵夫人がいつでもと仰ったのでお言葉に甘えました」
「クリスタ様のお誕生日の演奏が見事だったので」

 これだけ手放しに褒められて歓迎されるとわたくしも悪い気はしない。クリスタちゃんなど嬉しそうに頬を染めて、鼻息を荒くしている。

「今日はよろしくお願いします。拙い演奏ですが」
「わたくし、一生懸命頑張ります!」

 気合いたっぷりのクリスタちゃんに、キルヒマン侯爵夫妻は微笑んでいた。
 貴婦人たちの中に一際背の高い女性がいる。その方が女性だと分かったのは、真っ赤な髪を結い上げていたからだ。その髪がなかったら女性だとは気づかなかっただろう。
 それもそのはず、その方はドレスではなく軍服を着ていたのだ。

 男性は薄手のスーツ、女性は半袖のドレスと、涼しい格好をしている中で、詰襟の軍服を着ているその方はとても凛々しく見える。
 辺境伯に違いないとわたくしはその方の前に出た。

「ディッペル公爵家のエリザベートです。お初にお目にかかります」
「ヒンケル辺境伯家のカサンドラだ。初めまして、お嬢さん?」

 声もどことなく低くて格好よさが増している。お嬢さんと呼ばれてわたくしは少しも嫌な気分にはならなかった。

「わたくしもディッペル公爵家のクリスタです。初めまして、ヒンケル辺境伯」
「カサンドラと呼んでほしい。堅苦しいのは苦手なんだ。辺境伯領から出てこないのもそれでね。こうやって堅苦しく挨拶をされると肩が凝ってしまう」

 公の場で敬語を使わない女性など初めて見たかもしれない。わたくしは心底驚いていた。カサンドラ様はそれにしても格好よかった。
 年のころは五十代くらいだろうか。そうは見えない鍛え上げられた体付きに、軍服がよく似合う。
 腰の剣も飾りではないとわたくしには感じられた。

「エクムント、ディッペル公爵家でよく学んでいるか?」
「カサンドラ様、お久しぶりです。ディッペル公爵家ではよくしていただいています」
「私にはお前に授けてやれる教育がない。ディッペル公爵家でしっかりと学べよ」
「はい、心得ました」

 わたくしとクリスタちゃんと両親の後ろに控えているエクムント様にも気軽に声をかけてくるカサンドラ様に、わたくしは勇気を出してパーティバッグから箱を取り出した。

「カサンドラ様、お近付きの印です。受け取っていただけると嬉しいです」
「これは何かな?」

 箱を手にしたカサンドラ様が無骨な手に似合わぬ繊細な手付きで箱を開ける。箱の中には花手毬が入っている。

「これは見事だな。辺境伯領では折り紙が流行っている。エリザベート嬢も折り紙がお好きかな?」
「難しいところもありますが、折り紙をするのは楽しいです。異国から取り寄せた折り紙の本を訳しながら折って行っています」
「これは一人で作り上げたのかな?」
「いいえ、クリスタが手伝ってくれました。最後の仕上げは難しくて、エクムントに手伝ってもらいました」
「エクムントはエリザベート嬢に折り紙を教えているのか」
「授業でも補佐についてもらって教えてくださいますし、分からないところがあると聞きに行ったら教えてくださいます」

 エクムント様の優しさをわたくしが語れば、カサンドラ様は「ふむ」と顎を撫でた。

「エクムントとエリザベート嬢との関係は?」
「わたくしが生まれたころに、エクムントは進路に迷っていたと聞きます。キルヒマン侯爵夫妻からその相談を受けたのが両親で、そのときに生まれたばかりのわたくしを連れて行って、エクムントはわたくしを抱っこして庭を歩いてくれました」
「覚えているのかな?」
「朧げに。もう少し大きくなってから、エクムントに抱っこされて庭を歩いているときに、何度も帽子を嫌がって落としてしまって、エクムントが何度落としても拾って被せてくれたのを覚えています」

 あれはわたくしにとって大事な記憶だった。
 カサンドラ様に話せば、カサンドラ様が微笑んでいる。

「エクムントは優しい男だと聞いている。子どもの扱いなど私は分からないが、エクムントは得意なのだな」
「いつも優しくしてくれます」
「おままごとにも、お茶会ごっこにも、先生ごっこにも、来てくれるんです」

 クリスタちゃんの言葉にカサンドラ様が目を丸くしている。

「エクムントはおままごとをするのか」
「わたくしたちが無理やり付き合わせているのです」
「いいえ、私も楽しんでやっています。エリザベートお嬢様とクリスタお嬢様と遊ぶのは楽しいですよ。乗馬の指南役もやらせていただいていますし、授業の補佐もやらせていただいています」
「なるほど。ディッペル公爵家ではいい経験をさせてもらっているようだな。安心した」

 カサンドラ様に言われて、クリスタちゃんがおままごとのことを持ち出したときには冷や冷やしたが、エクムント様が笑われたり、馬鹿にされたりしていないようで安心した。

 カサンドラ様にご挨拶をするとわたくしとクリスタちゃんはピアノの方に招かれる。
 ここで連弾と歌でもカサンドラ様にアピールしなければいけない。

「クリスタ、一緒に頑張りましょうね」
「キルヒマン侯爵夫妻が褒めてくださるかしら」
「きっと褒めてくださいます」

 ピアノの椅子をクリスタちゃんの分も高さを合わせてあげて、二人並んで椅子に座る。お互いの目を見て弾き始めたのだが、クリスタちゃんが気が逸ってしまったのか、ピアノがどんどん早くなってしまう。
 このままではクリスタちゃんは弾けなくなってしまう。

 わたくしは一度演奏を止めた。

「お姉様?」
「もう一度、最初からやりましょう。クリスタはとても上手です。だから気負わなくて大丈夫ですよ」

 声をかけるとクリスタちゃんの肩から力が抜けるのが分かる。
 もう一度弾くと、リズムも安定して上手に弾くことができた。
 連弾が終わると、ピアノの前に立って歌う。伴奏は母が弾いてくれた。クリスタちゃんの声がよく響くように、コーラスを伴奏の音に耳を澄ませて歌えば、大広間の高い天井に声が響き渡るようだった。

 歌が終わると拍手が巻き起こる。

 キルヒマン侯爵夫妻がやってきて、わたくしとクリスタちゃんに声をかける。

「とても素晴らしい演奏でした」
「ピアノの連弾も、歌もとても素敵でした」
「お願いしてよかったです、ありがとうございました」

 褒められてクリスタちゃんが誇らしげに胸を張る。わたくしはチラリとカサンドラ様の方を見ていた。カサンドラ様は大きな手でしっかりと拍手を送ってくれている。

「お姉様、喉が乾きました」
「それではお茶にしましょうか」

 演奏を終えて安心しているわたくしとクリスタちゃんの元にカサンドラ様がやってくる。

「よろしければ、私とお茶をしないかな?」
「いいのですか、カサンドラ様?」
「わたくし、立って食べられないのです。椅子に座ってもいいですか?」
「椅子に座ってお茶をしよう」

 カサンドラ様に誘われて、わたくしとクリスタちゃんはケーキやサンドイッチを取り分けて、大広間の端の椅子の方に向かっていた。
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