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九章 クリスタちゃんの婚約と学園入学

23.熟れたトマトとわたくしの顔

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 辺境伯家の昼食はサラダと、魚介とトマトの冷製パスタと、冷製スープだった。
 何も遮るものがない外に比べれば辺境伯家は涼しいし、楽な格好に着替えていたのだが、それでも暑くないわけではない。涼しい昼食はわたくしたちの火照った体を冷やしてくれた。
 サラダには白身魚のカルパッチョが乗っていて、魚介とトマトの冷製パスタは魚介の旨味が出てとても美味しい。上に乗っている海老がぷりぷりとして冷たくて心地よくてどれだけでも食べられそうな気がする。

 お腹がいっぱいになったふーちゃんとまーちゃんは眠くなっていた。
 もう五歳と四歳になっているのでお昼寝はしないことが多いのだが、今日は長旅で疲れたようだ。うとうととしているふーちゃんとまーちゃんをヘルマンさんとレギーナが客間に連れて行っていた。

「ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下は、明日から来て三日間滞在すると知らせが来ています」
「ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下も滞在の許可が下りたのですね」
「エリザベート嬢に憧れたラウラ・ヒューゲル嬢が独立派のリストを教えてくれて、会合の場面を狙って捕らえたおかげで、辺境伯領が落ち着いて、王族の方も招けるようになりました」
「ラウラ嬢は中央のドレスを着て嬉しそうに過ごしているようです」

 エクムント様とカサンドラ様から説明を受けて、わたくしは大人のラウラ嬢がわたくしのような子どもに憧れて独立派の父を裏切ったことがまだ信じられないような気分でいた。
 中央のコルセットも使わない、スカートも膨らませず丈も床につかないモダンなドレスを着たわたくしが、ラウラ嬢には眩しくて、ラウラ嬢はコルセットを使った、床につくくらいの丈のスカートを膨らませた古風なドレスを着ていた自分を「猿のようだ」と自嘲するくらい眩しく見つめてくださっていた。
 中央の学園に通っている婚約者がいるのだから、その婚約者に釣り合うようになりたいと思うのは当然のことだろう。

 中央の学園に子息を送り出している婚約者の両親は、オルヒデー帝国との融和派に違いないし、ラウラ嬢が独立派を続けていれば婚約の見直しも有り得たかもしれないのだ。
 ラウラ嬢はその婚約者を慕っている様子だったし、婚約の見直しなど絶対に嫌だっただろう。

 独立派の一掃は成すべくして成ったのだとわたくしは思っている。

「エリザベートがお役に立てたのならば幸いですわ」
「エリザベートにはどこに出しても恥ずかしくない装いと礼儀作法を身に着けさせているつもりです。それが辺境伯領の貴族の心を動かしたのでしたら、嬉しい限りですね」

 謙遜することなくわたくしを褒める両親に、わたくしは恥ずかしくてフルーツティーの紅茶色の水面を見詰めてしまう。
 美徳としては謙遜するものなのかもしれないが、わたくしの両親は自分の娘や息子に甘いところがあった。

「エリザベート嬢は美しくなられました。何より、私はエリザベート嬢の強さを評価しているのです」
「エリザベートの強さですか?」
「そうです。八歳で私の婚約者に選ばれたとき、エリザベート嬢は怖じることなく真っすぐに顔を上げて婚約式に臨んでいました。八歳にしてエリザベート嬢は辺境伯の妻となる覚悟を決めてくれているのだと私は思ったのです。あのとき、エリザベート嬢の隣りに立つ私が腑抜けではいけないと、私も辺境伯になる覚悟を決めました」

 その話はわたくしも初めて聞くものだった。
 八歳の時点でわたくしはカサンドラ様にお願いをされて辺境伯家の婚約者となったわけであるが、婚約式のときのことはあまり覚えてはいない。それくらい緊張していたのだ。
 それがエクムント様にはそのように見えていただなんて初耳だ。

「エクムント殿はエリザベートを大事にしてくださると信じています」
「エリザベートも辺境伯の妻に相応しい女性になるために勉強しています」

 両親に言われてエクムント様が微笑む。

「最初からエリザベート嬢は辺境伯の妻に相応しい方だったのですがね」

 なんということでしょう。
 口説くようなことを無意識に口にするなと言われたエクムント様が、またわたくしに甘い言葉を囁いて来ている。
 冷静を装ってフルーツティーを飲みながら、わたくしはデザートのチョコレートケーキが胸がいっぱいになって入らなくなってしまった。

「エクムント様、そういうところですよ」
「エクムント、まだ分かっていないようだな?」
「何がですか? 私は正直な思いを述べたまでです」
「それがいけないと言っているのだ」
「嘘を吐けと仰るのですか?」
「そうではないのだが……エリザベート嬢すまない、エクムントが」

 カサンドラ様に謝られてしまった。

「とんでもないです。エクムント様のお気持ちを知ることができてとても嬉しく思います」

 嬉しいと同時に両親の前でそんなことを言われてしまった恥ずかしいし、動揺するし、わたくしはもう必死だった。
 クリスタちゃんは「お姉様、大丈夫ですか?」とわたくしの顔を覗き込んでくるし、両親もわたくしを見ている気がする。

「とても美味しかったですわ。わたくし、食べ過ぎてしまったようです。デザートまで食べきることができませんでしたわ」
「エリザベート嬢のお口に合ったのなら幸いです。本日は私も政務があるのでこれで失礼しますが、また夕食のときにお会いしましょう」

 ミントティーを飲み干してエクムント様が立ち上がる。わたくしもクリスタちゃんも両親も立ち上がって客間に戻った。
 客間に戻って扇で顔を仰いでいると、母がわたくしに近寄ってくる。

「エリザベート、さっきは行儀作法は完璧でしたが……」
「わ、わたくし、なにかやらかしてしまいましたか!?」

 レーニちゃんのお誕生日のような失態は二度と犯すまいと思っていたのに、わたくしは何かしてしまったようだ。内密に母が知らせてくれるのもそのことだろう。

「顔が熟れたトマトのように真っ赤でした」
「きゃー!?」

 恥ずかしさにわたくしは扇を取り落とし、両手で頬を押さえる。
 平静を装って話をしていたし、やり取りも、食事の所作も何一つ失敗はしなかったのに、顔が赤くなるのだけは止められなかった。

「エクムント様が、あのようなことをお父様とお母様の前で仰るんですもの」
「エリザベートは悪くありません。顔色だけはどれだけ頑張っても変えることができませんからね」
「お母様、ああいうときはどうすればいいのですか?」
「わたくしは扇で顔を隠したり、先に白粉おしろいを濃い目に塗っておいて顔色の変化を見えないようにしていましたね」
「お母様も?」
「お父様があの通りの方でしょう?」

 謙遜を知らない父は、母に対しても甘い言葉を惜しまないひとだったようだ。母もかつては真っ赤になる顔に困っていたようだ。

「わたくし、白粉を持っていません」
「エリザベートはまだ若いのでお化粧をしっかりする必要はないのですが、このようなことなら、白粉も必要かもしれませんね」

 辺境伯領の女性は肌の色が濃いので特別な色の白粉があるのかもしれないが、わたくしの肌は白いのでオルヒデー帝国で使われている一般的な白粉が使えるだろう。

「今年のお誕生日には白粉をプレゼントしましょうね」
「ありがとうございます。わたくし、それより前に顔が真っ赤にならないでしょうか?」
「エクムント殿次第でしょうね。でも、愛されていることは幸せですよ。妹のようにしか思っていないと言いながらも、エクムント殿はしっかりとエリザベートを妻にする将来を見据えています。エリザベート、もっと自信を持っていいのですよ」

 自信がないから顔も赤くなるし、動揺もしてしまう。もっと大らかに構えていられたら、エクムント様の甘い言葉に対しても受け流せるのかもしれない。
 口説かれるようなことをされてしまうと、どうしても顔が赤くなるのは仕方がないのだが、母に「熟れたトマトのように真っ赤」とまで言われてしまうと、なんとか対策を練らねばいけないような気がする。

「エクムント様がお姉様を大事に思っているのは分かりましたわ。わたくし、エクムント様にならお姉様を譲れそうです」
「譲る? わたくしはクリスタのものではありませんが」
「わたくしの大事な大好きなお姉様です。わたくし以上の愛がない相手には例えエクムント様でも指一本触れさせられません!」

 クリスタちゃんまで妙なことを言い出しているが、これは昔からなのであまり深く考えないでいいだろう。
 何より、クリスタちゃんもエクムント様を認めているのは間違いないのだ。

「それにしても、自覚はしてほしいですわね」

 クリスタちゃんの言葉に、わたくしは深く頷いた。

「それは、切実に!」
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