王子様と運命の恋

秋月真鳥

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運命を決めるのは自分

小さな恋人 1

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 アスター家はイギリスの貴族の家系で、長く続いてる。
 その当主、クラレンスがその座に就いたのは、16歳のときだった。イギリスでは結婚できる年とはいえ、あまりにも若い当主に、親戚の反対がなかったわけではない。
 しかし、クラレンスは望まざるとも当主にならねばならなかった。
 その理由が父親と、その運命の相手である。
 クラレンスの父親は、母親と幼い頃から許嫁同士で、お互いに納得して結婚した。愛があったのかどうかは今となっては分からないが、母親は父親を人として尊敬していた。
 それなのに、結婚して20年目の年、長子のクラレンスが15歳、次子のアンジェラが母親のお腹にいる状態で、父親は運命の相手を見つけたからと駆け落ちしていってしまったのだ。ショックを受けた母親は、産後体調を崩して、アンジェラを残して逝ってしまった。
 運命を信じないわけではない。
 世界中にたった一人、運命の相手がいて、その相手との性行為はたまらなく悦(よ)くて、その相手と結ばれれば幸せになれる。そんな都市伝説のようなものが実しやかに流れるこの世界。
 父親の一件があって以来、クラレンスにとっては、運命とは己で勝ち取らなければ、母親のように翻弄されて命すらも奪われるものという認識になっていた。それもこれも、全て最低な父親が悪いのだ。
 産まれたばかりの妹、アンジェラを抱えて仕事と、当主としての役割を担うことは容易ではなかったが、クラレンスは妹のためにも、自分のためにも努力は怠らなかった。
 そうして、18歳のときに出席した貴族の集まりで、出会った相手を、クラレンスは運命と決めた。例え神が他に決めた運命の相手がいようとも、絶対にその運命を手放す気はないし、覆す気もない。
 自分の運命は自分で決める。
 強い意志で決めた相手は、黒髪に黒い目で、菫色のドレスを着せられて、お人形のように椅子に座らされていた。体が小さすぎて、椅子から一人で降りることもできないその子は、小さな両手でドレスのスカートを握りしめて、歯を食いしばって、涙を堪えていた。
 可憐な幼子の座る椅子の猫脚の近くに、数字の書かれたプレートが目立たないように置いてある。
 そもそも、クラレンスがその集まりに呼ばれたのが、見合いのようなものだった。
 見合いには興味はないが、クラレンスは幼い頃からダンスを習っていて、13歳のときからプロとしてダンサーを仕事にしている。名前を売ることも、顔を覚えてもらうことも仕事のうちで、スポンサー絡みで断れずにその集まりに出席することになったのだ。
 プラチナブロンドの髪に菫色の瞳という美しい容姿につられて近付いてくる相手全てを無視して、会場の隅に逃げたところで、その幼児に気が付いたのだ。
 初めは誰かの子どもが、お見合いの間、大人しくしているように言われて我慢しているのかと思って、それならばクラレンスもアンジェラを預けずに連れてくれば良かったと後悔したのだが、どうやらそうではない雰囲気である。
 飲み物を持って休んでいるふりをしてそれとなく様子を伺っていると、泣き出しそうな幼児の頬に無遠慮に触っていくものがいたり、目を覗き込んでいくものがいたり、それらが同じ相手ではなく、性別も年齢もバラバラなことが気にかかった。
 こういうときに、クラレンスは自分の直感を信じる方だ。誰に頼ればいいかも、ちゃんと分かっていた。
 クラレンスが当主を継いだときに、唯一心配して駆け付けてくれた、遠縁の貴族のハワード家の当主夫妻、ヘイミッシュとスコット。どちらも男性の夫婦で、警察関係者なので、頼りになることは確かだ。
 会場にいる彼らにそっと声をかける。
「ヘイミッシュ卿とスコット卿に、見ていただきたいものが」
「アレでしょう? 大丈夫よ、把握してるわ」
「その捜査のために今日は入り込んだようなものでね」
 あの幼児のことを伝えれば、安心できる回答が返ってきて、クラレンスは安堵した。それにしても、こんな場所で人身売買とは大胆なものだ。
 結局、貴族の集まりに幼児を紛れ込ませていた人身売買組織は捕まって、幼児は保護されたが、協力した礼ということで、ヘイミッシュとスコットから、クラレンスはその子の情報を手に入れた。
 普通、黒い目といっても、虹彩はダークブラウンなのだが、その子はメラニズムの兆候があるのか、虹彩が真っ黒で、瞳孔との境目に一筋金冠が取り巻いている、特殊な目の持ち主だった。その眼球をコレクションするために、悪趣味な貴族が金を出してその子を競り落とし、眼球を摘出してホルマリン漬けにしようとしていたらしい。
 涙を堪えて震えていた幼児の愛らしい瞳を、抉り出してコレクションしようなど、気が知れない。今回は難を逃れても、その子はその目を持っている限り、それに価値を付けるクズに狙われかねない。
「私がその子を引き取ろう」
 思わず申し出ていたが、クラレンスもまだ18歳の成人したばかりで、ダンサーとして成功しているとはいえ、里親になれる資格がない。
 最終的に、ヘイミッシュとスコットが後見人になって、クラレンスは婚約者として、その子をアスター家に迎えた。女の子だし、妹のアンジェラと仲良くできるだろうと考えていたのだが、ひしっと抱き着いて離れないその子のオムツを替えたときに、大きな間違いに気付いた。
 女の子の格好をさせられていたが、その子は男の子だったのだ。
「宇野海直(うの みちか)、2歳……アンジェラと1歳差か」
 ふくふくと丸い頬のアンジェラよりもかなり小さく見える海直は、2歳とは思えない体の小ささだった。
「私はクラレンス。君の運命の相手だよ?」
 それが真実でなくても、海直に別の運命の相手が現れたとしても、クラレンスは手放す気などない。自分の人生なのだから、運命の相手を自分で決めて何が悪いのか。好事家には垂涎の特殊な目を持つ海直には、誰か権力のある人物の保護が必要で、クラレンスには愛する対象が必要だった。愚かな父親のせいにして、自分の恋愛や結婚を諦める気は更々ない。
「くあんつ?」
「クラレンスだ。こっちは妹のアンジェラ」
「ちゅあんちゅ? あんじゃ?」
「……クレアでも良いよ?」
「くえあ!」
 難しそうに眉間に皺を寄せていた海直が、パッと笑顔になったので、クラレンスはその呼び方で呼ばれることを許容した。
 まずは海直の保育園の手配と、男の子用の服を用意すること。
「くえあ、らっこ!」
 両腕を広げて、クラレンスに抱っこを求める海直を抱き上げると、脚元にアンジェラがしがみついてくる。
「にーさま、だっこ!」
「順番でね」
 3歳のアンジェラと2歳の海直。
 抱っこから降ろすと海直は可愛い顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまう。だからといって、妹のアンジェラを抱っこしないわけにはいかない。順番で抱っこしていられる日は良いが、クラレンスも稽古場に通わなければいけない。
 保育園の手配をして、預けるときには、アンジェラは慣れた様子で「ばいばーい」と行ってらっしゃいをしてくれるのだが、初めての海直は保育士の手に引き渡された時点で号泣だった。
「くえあー! やぁー! くえあー! くえああああああ!」
 誘拐犯にでも捕まったのかという如くに泣き喚いて、保育士の手を逃れようと仰け反る海直に、クラレンスがそばにいると大泣きするだけだというのは、アンジェラを初めて預けたときに経験しているので、額にキスをして稽古場に行ったが、稽古中も海直の泣き声が耳を離れなかった。
 稽古が終わって急いで迎えに行くと、アンジェラはさっさとお帰りの用意をするが、海直は一日中泣いていたようで、目を腫らして、ぐったりとして息も絶え絶えだった。話を聞けば、給食もおやつも一切手を付けていないという。
「海直、帰ろうか」
「くえあ……? くえあ!」
 泣くことで疲れ果ててぐったりしていたのに、クラレンスを見ると起き上がってよれよれと歩み寄ってくる海直。競売にかけられて、売られかけていた子どもなのだ、保育園でどれだけ保育士が心を砕いても、クラレンスから捨てられたのかと思ったのかもしれない。
「おいで、海直。私は、仕事がある日は海直を毎日ここに預けるけれど、必ず迎えに来る。私は約束を破らない」
「やくちょく!」
「そうだよ。私の大事な妹のアンジェラも一緒だろう? 二人とも私の大事なひとだからね」
「らいじ? みぃ、らいじ?」
「海直は私の運命だから、唯一無二の大事なひとだよ」
 それが正しい運命でなかろうとも、クラレンスは譲る気など少しもない。自分好みの『運命』を自分で育てるのもまた、自分の人生の舵取りを誰にも任せる気のないクラレンスの信念だった。
「うんめー! みぃ、とくべちゅ?」
「そうだよ、私の可愛い海直」
 小さな額にこつんと額を合わせて囁くと、白い頬がぽうっとピンク色に染まる。
「にーさま、わるいおかお」
 察しのいいアンジェラがクラレンスを見て言ったとしても、クラレンスは少しも気にならない。一目見て気に入った海直が運命でないのならば、クラレンスは運命など必要ないし、無理矢理にでもこの出会いを運命にしてしまうだけの強引さがあった。
 稀少な瞳を持つ、可愛い海直。
 小さな婚約者で、クラレンスの初めての恋人だった。
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