王子様と運命の恋

秋月真鳥

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帝王と妖精の恋

帝王の恋 6

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 次回公演は無理をしないようにと代役が立てられたわけだが、有名なダンサーでその技術力も身体能力も申し分ないはずなのに、ヴァンニは手応えのなさを感じていた。
 リュシアンならばもっと表現力豊かに踊る。リュシアンのジャンプはもっと高い。リュシアンは表情まで演技を怠らない。リュシアンならばもっと高いリフトに挑んでくる。
 どうしても全てリュシアンと比べてしまうことに、相手の方も気付いてはいるようだった。
「役不足かもしれないけど、今回の公演は私と組むんだから我慢してくださいよ」
「分かってる。最善は尽くすつもりだ」
 頭では理解しているのだが、リードする手がついリュシアンを意識してしまう。
 始めの四週間は負荷をかけないでのリハビリを行うということで、リュシアンはジムでプールに通ったりしていた。最低限の荷物を持って転がり込んできたヴァンニの家で、リュシアンは最初は遠慮していたようだった。
「何か食べられないものはあるのか?」
「料理はあまりしないから……。ヴァンニは料理ができるんですね」
「最低限、自分で食べるくらいはな」
 パスタやサラダやスープに鶏のソテーなど作って振る舞うと、リュシアンはテーブルの上の皿を見て驚いていた。
「こんなに食べるんですか?」
「踊るのにはエネルギーも使うし、筋肉の保持には良質なタンパク質が必要だろ」
「ヴァンニといると太りそうです」
 食べられる量だけで構わないと取り分けた皿の上のものは、リュシアンは全部食べた。
「いつ頃から違和感があったんだ?」
「ソロ公演の最後の方からでしたけど、公演を休むわけにはいかなくて」
 痛み止めで誤魔化して踊っていたが、イギリスに戻ってマネージャーと相談して正式に検査をして休みをもらうことにしたという。まだダンサーとしては若いし、先があるので、しっかりと休んで完治してから次の舞台に立てばいいと舞踏団主催の先生も言ってくれたらしい。
「そういえば、柔軟ばかりして、俺と組まなかったな」
 まだ演目が本決まりでなかったのもあったが、リュシアンはソロ公演から帰ってからヴァンニと組んでの稽古はしていなかった。
「さすがのあなたでも、一緒に踊ったら気付くでしょう」
 僕には興味がないとしても、ダンスのパートナーとしては興味があるだろうから。
 自嘲気味な呟きは、リュシアンが踊れないという状況を考えれば仕方のないことだが、凛とした強い眼差しの彼を知っているヴァンニには戸惑いもあった。雄の中の雄と言われるヴァンニを抱いたリュシアンが、自分の目の前で弱っている。
「治ればまた踊れるんだろう」
「もちろん、また踊りますよ」
 それでも、一時期でもヴァンニのパートナーの座を他の相手に明け渡したのが悔しいと呟くリュシアンに、優越感のような不思議な感覚がわいてきた。今のリュシアンには、完全にヴァンニの方が優位を取れる。
 家でも柔軟をしたりしてリハビリに余念のないリュシアンと一緒に、ヴァンニも柔軟をする。男性にしては体は柔らかい方だが、筋肉が付いている分、リュシアンの方がしなやかで脚の開きや股関節の柔軟さが違う。細身で無駄のない筋肉の付いているリュシアンの体に、その白い肌を伝う汗に、心臓が跳ねるのは気のせいではない。
 妙な気持ちになるのは、禁欲生活が長いせいだとヴァンニは結論づけていた。
「あなたの方が稽古が忙しくなるから、食事くらい作ります」
「ソーセージの外を炭、中を氷にする奴がか?」
「あれは、解凍の仕方を知らなかったからです」
 なんでもできそうな器用に見えて、リュシアンが料理が全然できないと知ったのも、ヴァンニにとっては弱点を見つけたようで愉快だった。
 相手が弱っていると、ひとは優しくしたくなるものなのかもしれない。食事を作って一緒に食べたり、時間があるときには車でジムに送ったりしているのが、不思議とヴァンニは嫌でも面倒でもなかった。自分を抱こうとしないリュシアンは、そばにいる分には美しく上品で、高級な猫でも飼っている気になる。
「買い物くらいはしてきますよ」
「どれが新鮮な野菜か分からないのに?」
 ダンスだけを必死にやっていたというリュシアンの生活力のなさは、意外でもあったが、その年でここまで登り詰めたのだから、おかしくはなかった。イタリア系のせいか、食事に拘りのあるヴァンニが、独身男性なのに料理ができる方がリュシアンにとっては納得がいかないのかもしれない。
「教えてください」
 殊勝に教えを請うリュシアンと、スーパーに出かけて、キッチンに立って。二人での暮らしは居心地が良かった。時折、リュシアンが熱っぽい瞳で自分を見ていることに気付いていたが、それに体が疼くのも、溜まっているからだと勝手に結論付けた。
 拍子抜けするくらいに恋愛のことは口にせず、体も求めてこないままに、リュシアンの療養期間は終わって、少ない荷物を纏めて彼は家に戻って行った。
「一人で過ごしていたら、自暴自棄になっていたかもしれません。本当にありがとうございました」
 その感謝が心からのものであると分かっていると同時に、リュシアンのいなくなることが寂しいと思っている自分もいて、それなのにまだ居ていいとは言えず、ヴァンニはリュシアンを車で家まで送って行った。
 稽古場でもリュシアンの姿を見るようになったが、今回の公演には出ないで、基礎からみっちりと鍛え直すのだと稽古場の端で踊っている姿を見るともなしに視界に入れていた。
「やっぱりリュシアンさんが気になるんですか?」
「それは……彼は良い踊り手だからな」
 あくまでもダンスのパートナーとして気になると、代理で組んでいるパートナーに告げるのは酷なような気もしたが、気になるものは仕方ない。
「ヴァンニさん、結構乱暴ですもんね。ついていけるのは、リュシアンさんしかいないですよ」
 臨時のパートナーの彼に苦笑されて、ヴァンニはふとリュシアンの脚を痛めた理由を聞いていなかったことに気付く。疲労骨折は若い成長期のスポーツマンに多いというが、リュシアンが17歳から組んでいるのはヴァンニで、無理をさせたとしたら自分しかいない。
 臨時のパートナーに言われた言葉が気になって、公演が休みの日にリュシアンを食事に誘うと、嬉しそうに光沢のあるロングジャケットと細身のスラックスにボートネックのシャツという出で立ちで、彼は現れた。
「話ってなんですか?」
 白い頬を紅潮させて、料理が運ばれてくるまでの間に、ブラッドオレンジジュースで唇を湿らせて問うリュシアンに、ヴァンニは躊躇いながら口にした。
「その怪我は、俺のせいじゃないのか?」
「……そんなこと、考えてたんですか?」
 明らかにがっかりとした顔をさせてしまってから、ヴァンニはリュシアンがこれをデートだと思って来たことに気付いた。気付いたところで、もう遅い。
「そうだとしたら、責任でも取ってくれるつもりだったんですか?」
 きらきらと幸せそうだった顔が、不機嫌に曇ったのを目の当たりにして、ちくちくとヴァンニの胸が罪悪感に苛まれる。
「俺は乱暴だと言われた……」
「誰にですか? 僕が踊れなくて落ち込んでたら、掬い上げてくれたのは、あなたですよ。他の誰かにとっては乱暴かもしれないけど、僕には優しい愛しいひとです」
 穏やかで真摯な眼差しに、ヴァンニは他人の言葉に左右された自分を恥じた。テーブルの上でヴァンニの手を握るリュシアンの手の熱さに、心臓が煩く鳴り響く。
「今日は、あなたの部屋に行っても良いですか?」
 濡れたほの赤い唇と、熱っぽい緑の瞳。
「好きです」
 囁かれて、どうしても拒否できない自分がいることを、ヴァンニは認めざるを得なかった。
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