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エピローグ ずっとあなたが好きだった
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あれから6年近くが過ぎて、近畿県内のとある総合病院で麻酔科専門医の資格を取得した私は間もなくしてお金を貯めて引っ越した。
母とは半ば絶縁状態のままでも毎月10万円の仕送りを続けていて、今の私にはそれぐらいのお金はどうということもない。
引っ越しの前に本当に久々に母に電話をかけて、今も滋賀県内の実家にいる母は恐る恐る電話口に出た。
『光瑠、久しぶり……』
「お母さん、元気にしてた? ごめんね、仕事が忙しくてなかなか電話できなくて」
『そんなこといいのよ、いつも仕送りありがとうね。それで、今日はどうしたの……?』
母とは特にゆっくり話すつもりもないので、私は手短に用件を伝えることにした。
「私、今度広島に引っ越すの。広島市内の総合病院が常勤の麻酔科医を募集してて、専門医になったばかりの私でも雇ってくれるっていうから。私立病院だからお給料すっごくいいんだよ」
『それはよかったわね。でも、どうして広島なの?』
「あのね……」
もっともな疑問を口にした母に、私は笑顔を浮かべて告げた。
「好きな人に、会いに行くの」
そのまま返事も聞かずに通話を切って、私は荷物をまとめたトランクを持って空になった下宿を後にした。
これから私が近畿圏内に戻ってくることはもうないだろう。あるとすれば母が亡くなった時ぐらいだろうか。
あの人がもし母に会いたいと言ったなら、その時は分からないけど。
広島市内のマンションに引っ越して、新しい常勤先の私立病院では近畿からわざわざ来てくれた若手の麻酔科専門医としてスタッフの皆さんから歓迎して貰えた。
この病院の麻酔科は定時を過ぎたら後は非常勤の医師にバトンタッチして帰宅できる体制で、こんなに労働環境がいい病院も中々ないだろうと思った。
誰も私のことを知らないこの街で、私は初めて自由に生きていける気がした。
しばらくして広島での麻酔科医生活にもすっかり慣れて、私はあの人に会いに行く心の準備ができた。
総合病院の常勤医にとって数少ない1日休みの日曜日に私はバスに乗り込んで、広島市内の外れにある住宅を訪れた。
診療所に併設された大きな平屋建ての一軒家のインターホンを押すと、玄関口からは70歳ぐらいに見えるけど健康そうな男性が顔を出した。
「こんにちは。どちら様でしょうか?」
「はじめまして、嶋田先輩の研修医時代の後輩だった医師の日比谷光瑠と申します。今度こちらに引っ越してきたので、久しぶりに嶋田先生に挨拶させて頂けないかと思いまして」
「なるほど、あなたが……。ええ、息子も喜ぶと思います。おーい興大、お客さんだぞ」
目の前の年配の男性は嶋田産婦人科の院長を務める開業医だということを私は知っていて、嶋田先輩が市内の総合病院に常勤の産婦人科医として勤務しながら実家の診療所で二代目院長としてアルバイトをしていることも事前にリサーチしていた。
先輩はかつて幼い頃にお母さんを病気で亡くしたと話していたから、今はお父さんと二人で実家で暮らしているのだろう。
先輩がまだ独身で恋人がいないということも、私は当然事前に調べてきている。医者の世界は本当に世間が狭いから。
ラフな外出着で私の前に出てきた嶋田先輩は研修医時代より少しだけ痩せていて、私はそのまま先輩の自宅に通された。
突然現れた私に何から話を切り出せばいいのか分からない先輩を見て、私は嶋田先輩とゆっくり話したいので二人にしてくださいとお父さんにお願いした。
もうすぐ40歳が見えてくる年齢の医者なのにまだ独身の息子に配慮してか、お父さんはしばらく家を出ておくのでゆっくりしていってくださいと言ってくれた。
そして、私は先輩の実家の自室で嶋田先輩と二人きりになった。
広々とした先輩の自室はあの惨劇が起きた2LDKのファミリー向けマンションと同様に驚くほど片付いていて、この人はこれで生活力のある男性なのだろうと改めて思った。
これから一緒に過ごす中で、もっとこの人の魅力に気づいていきたい。
お互い座布団に腰掛けて、しばらく黙っていた先輩はゆっくりと口を開いた。
「あの、日比谷先生……」
「はい」
「その……あの時は本当にすみませんでした」
「どの時ですか?」
「相変わらず意地悪ですね」
「そういう性格です」
私が軽口を叩くと、嶋田先輩は初めて笑顔を浮かべてくれた。
そんな先輩を見て心が一杯になって、私は本題を切り出すことにした。
「嶋田先輩」
「はい」
「私から逃げられると思ったんですか?」
「思ってませんでした」
「ですよね!」
お互いのツボにはまったのか、それから私と先輩は向かい合ったまま一しきり笑った。
あの時から今までの話を思う存分に交わして、私はこの人とこれからはずっと一緒にいられるという事実に安堵した。
私はきっと、この日のためだけにこれまで生きてきたのだ。
「私、先輩のせいで大変な目に遭いました」
「僕もある意味、日比谷先生のせいで大変な人生でした」
「責任取ってください。いや、お互いに責任を取りましょう」
「ということは?」
「好きです。私と今日からお付き合いしてください」
「久々に首を絞めて頂いても?」
「もちろんです!」
それから私は嶋田先輩を広々としたベッドに押し倒して、笑い声を上げながら先輩の首に両手を突き立てた。
先輩もうめき声を上げながら首を絞められて喜んで、私はそんな先輩の姿をこの世の誰よりも愛しく思った。
私は嶋田先輩のことが好きだ。
いつか、この人と素敵な家庭を作りたいとさえ思う。私は素敵な家庭で育つことができなかったから。
もし将来子供が生まれたら、どうか先輩の変態性欲は遺伝しませんように。
こんなに気分が晴れた素敵な日には。
先輩の、首を絞めたい。
(完)
母とは半ば絶縁状態のままでも毎月10万円の仕送りを続けていて、今の私にはそれぐらいのお金はどうということもない。
引っ越しの前に本当に久々に母に電話をかけて、今も滋賀県内の実家にいる母は恐る恐る電話口に出た。
『光瑠、久しぶり……』
「お母さん、元気にしてた? ごめんね、仕事が忙しくてなかなか電話できなくて」
『そんなこといいのよ、いつも仕送りありがとうね。それで、今日はどうしたの……?』
母とは特にゆっくり話すつもりもないので、私は手短に用件を伝えることにした。
「私、今度広島に引っ越すの。広島市内の総合病院が常勤の麻酔科医を募集してて、専門医になったばかりの私でも雇ってくれるっていうから。私立病院だからお給料すっごくいいんだよ」
『それはよかったわね。でも、どうして広島なの?』
「あのね……」
もっともな疑問を口にした母に、私は笑顔を浮かべて告げた。
「好きな人に、会いに行くの」
そのまま返事も聞かずに通話を切って、私は荷物をまとめたトランクを持って空になった下宿を後にした。
これから私が近畿圏内に戻ってくることはもうないだろう。あるとすれば母が亡くなった時ぐらいだろうか。
あの人がもし母に会いたいと言ったなら、その時は分からないけど。
広島市内のマンションに引っ越して、新しい常勤先の私立病院では近畿からわざわざ来てくれた若手の麻酔科専門医としてスタッフの皆さんから歓迎して貰えた。
この病院の麻酔科は定時を過ぎたら後は非常勤の医師にバトンタッチして帰宅できる体制で、こんなに労働環境がいい病院も中々ないだろうと思った。
誰も私のことを知らないこの街で、私は初めて自由に生きていける気がした。
しばらくして広島での麻酔科医生活にもすっかり慣れて、私はあの人に会いに行く心の準備ができた。
総合病院の常勤医にとって数少ない1日休みの日曜日に私はバスに乗り込んで、広島市内の外れにある住宅を訪れた。
診療所に併設された大きな平屋建ての一軒家のインターホンを押すと、玄関口からは70歳ぐらいに見えるけど健康そうな男性が顔を出した。
「こんにちは。どちら様でしょうか?」
「はじめまして、嶋田先輩の研修医時代の後輩だった医師の日比谷光瑠と申します。今度こちらに引っ越してきたので、久しぶりに嶋田先生に挨拶させて頂けないかと思いまして」
「なるほど、あなたが……。ええ、息子も喜ぶと思います。おーい興大、お客さんだぞ」
目の前の年配の男性は嶋田産婦人科の院長を務める開業医だということを私は知っていて、嶋田先輩が市内の総合病院に常勤の産婦人科医として勤務しながら実家の診療所で二代目院長としてアルバイトをしていることも事前にリサーチしていた。
先輩はかつて幼い頃にお母さんを病気で亡くしたと話していたから、今はお父さんと二人で実家で暮らしているのだろう。
先輩がまだ独身で恋人がいないということも、私は当然事前に調べてきている。医者の世界は本当に世間が狭いから。
ラフな外出着で私の前に出てきた嶋田先輩は研修医時代より少しだけ痩せていて、私はそのまま先輩の自宅に通された。
突然現れた私に何から話を切り出せばいいのか分からない先輩を見て、私は嶋田先輩とゆっくり話したいので二人にしてくださいとお父さんにお願いした。
もうすぐ40歳が見えてくる年齢の医者なのにまだ独身の息子に配慮してか、お父さんはしばらく家を出ておくのでゆっくりしていってくださいと言ってくれた。
そして、私は先輩の実家の自室で嶋田先輩と二人きりになった。
広々とした先輩の自室はあの惨劇が起きた2LDKのファミリー向けマンションと同様に驚くほど片付いていて、この人はこれで生活力のある男性なのだろうと改めて思った。
これから一緒に過ごす中で、もっとこの人の魅力に気づいていきたい。
お互い座布団に腰掛けて、しばらく黙っていた先輩はゆっくりと口を開いた。
「あの、日比谷先生……」
「はい」
「その……あの時は本当にすみませんでした」
「どの時ですか?」
「相変わらず意地悪ですね」
「そういう性格です」
私が軽口を叩くと、嶋田先輩は初めて笑顔を浮かべてくれた。
そんな先輩を見て心が一杯になって、私は本題を切り出すことにした。
「嶋田先輩」
「はい」
「私から逃げられると思ったんですか?」
「思ってませんでした」
「ですよね!」
お互いのツボにはまったのか、それから私と先輩は向かい合ったまま一しきり笑った。
あの時から今までの話を思う存分に交わして、私はこの人とこれからはずっと一緒にいられるという事実に安堵した。
私はきっと、この日のためだけにこれまで生きてきたのだ。
「私、先輩のせいで大変な目に遭いました」
「僕もある意味、日比谷先生のせいで大変な人生でした」
「責任取ってください。いや、お互いに責任を取りましょう」
「ということは?」
「好きです。私と今日からお付き合いしてください」
「久々に首を絞めて頂いても?」
「もちろんです!」
それから私は嶋田先輩を広々としたベッドに押し倒して、笑い声を上げながら先輩の首に両手を突き立てた。
先輩もうめき声を上げながら首を絞められて喜んで、私はそんな先輩の姿をこの世の誰よりも愛しく思った。
私は嶋田先輩のことが好きだ。
いつか、この人と素敵な家庭を作りたいとさえ思う。私は素敵な家庭で育つことができなかったから。
もし将来子供が生まれたら、どうか先輩の変態性欲は遺伝しませんように。
こんなに気分が晴れた素敵な日には。
先輩の、首を絞めたい。
(完)
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