私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第029話 ―― 接して触れて

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【前回のあらすじ――。ノックは森の中で結界に閉じ込められた精霊セレスタンと遭遇し、壊さないように結界を解く、という精霊の要望のために、メリアと結界の作成者と知り合いのノックが連れてこられたことが明かされた。そして、精霊は呪具という品の所在についてノックに尋ねる】










「魔法霊器……いや、新しい人の気配を感じなかったから間違いなく、何らかの呪具が起点となってるはず。となると、きっと木の札とか獣骨、藁細工わらざいくとか、ここらへんでは珍しくない素材で作ってると思う。もしかすると石を使ってる可能性もある。まあ、加工の手間と呪詛じゅそを浸透させるのに時間がかかるから、よっぽど組織的つ、明確な対象がない限り、石で用立てないと思うけど……」

「石は分からないけど。木の札なら……。札というか、木の板で作ったものなら。危険なものだから、注意をおこたるなって言われたものがあって」

「場所は?」

 ノックは周囲を見回して、1本のトウヒの上を指さした。
 精霊はさっそくそちらに近づくが、濃密に漂う光の糸に行く手を阻まれた。

「まったく、忌々いまいましい。壊せるほどに脆弱ぜいじゃくなくせに他人様ひとさまの感覚を阻害してくれちゃって……。ノック、ちょっと見てきなさい」

 メリアが口を開く。

「お待ちを。それならばメリアが……」

「あんたは黙って突っ立ってなさい。見た目と裏腹にどんくさいんだから」

 どんくさい……、と少女は暴言を小さく復唱する。
 精霊いわく。

「あたしは、この安い結界を維持してあげようって思ってるの。あんたが手を出したんじゃ、壊れないものもぶっ壊れちゃうでしょ」

 優しさの欠片もない言葉にメリアは無表情に陰を降ろす。

 一方のノックは精霊に命じられるまま白い燐光を宿すきりと漂う糸屑いとくずが構成する壁に辿り着いた。
 それを突破しないと目的を達成、どころか出発地点に立つこともできない。

 振り返る少年に救いを求めるような眼差しを向けられた2名のうち、声を上げたのは精霊だった。

「あんたには何の影響もないから、さっさと出て木に登って」

 信用しきれていない面持ちのノックは、壁に向き直り、唾を飲み込むと、まずは慎重にゆっくりと足先を突き出した。
 靴の形状に合わせて、霧が形を変えて流れを曲げる。そして、今度は左手のゆb

「早く!」

 ノックは、美しい造形の恐怖の拍車はくしゃに尻を蹴られて一気に霧の壁を突破し、四つんいになる。
 少年の臀部でんぶを足蹴にした精霊は鼻を鳴らす。

 無様な平身低頭から顔を上げるノックの目の前には、薄暗いが見慣れた林が広がっていた。
 振り返ると、瓜二つの景色の真ん中にメリアが立っている。
 直前の実体験と今見ている現実の齟齬そごまばたき以外できないでいると、間抜けになった顔に突風が襲う。
 るノックは、思わず閉じた目を再び開けると、あの白い景色があらわになる。
 再び心臓を掴まれたような驚きを味わうノックだが、さっきと見え方が違う。
 異質な景色と通常の林が重なったような眩暈めまいを覚える光景が広がっていた。

『とっとと行きなさい。早くしないと結界壊して殺すわよ』
 
 精霊の宣告せんこくに慌てて立ち上がるノックは、手足を預けていた地面の木の葉を巻き散らして木に向かう。

 光の天蓋てんがいの中にいるメリアは精霊にささやく。

「やはりメリアが行ったほうが早かったのでは?」

「言ったでしょ……、例え呪具じゅぐ、いや、話を聞く限り護符ごふ? なんでもいいけど、あんたは大雑把で不器用だから、品が鉄製でもぶっ壊しかねない。それに品自体、この土地の人間を守るために用意されたもの……。精霊であるあたしには害もなければどうでもいいけど。部外者の人間が勝手に触るのは、分を超えるんじゃないの? それに……」

 あんたにもしものことがあったらクソじじいにどんな顔すればいいのよ……、と言う言葉は、より小さな声でありながら、深い思慮が込められているのが分かる。

 祖父の顔を思い出すメリアは、自分の浅慮せんりょを恥じて顔を下げる。
 木を見上げる精霊は。

「まあ、あんたは適任者を連れてきた時点で十分働いたわ。ほら」

 精霊があごで示した先では、少年が両手両足で抱えるようにして、既にトウヒを登っていた。
 太腿ふとももみきを挟んでいる間、上のほうに抱き着き密着し。今度は足を上に引っ張る。それを瞬く間に繰り返し枝の上に到達した。

 あいつ本当に人間? とセレスタンは鼻で笑うが、少年が枝に手を伸ばすので声を張った。

「待って! そこに護符ごふがあるの?」

「護符? ええ、はい! ここにあります」

「なら、慎重に持ち上げて」

 わかりました……、とノックは、枝の根元にある小さな麻袋をずらし、太い枝の根本を支えに幹にひもくくりつけられた木の板を言いつけ通り、自分なりの慎重な動作で持ち上げる。
 細く裂いた繊維で木の板を2枚束ねた間には、蜜蝋みつろうが詰め込まれ、まるで炭に宿る火種のような細やかな光を放っている。
 持った? と精霊に聞かれて。
 はい! と答えるノック。

「なら、少し持ち上げてみて」

 こうですか? とノックが実行した瞬間、結界内で光の糸が風のように激しく逆巻いた。
 セレスタンはメリアのそばに退避し、もっと慎重に! と告げる。
 ノックは手を止め、慎重に持ち上げた。
 そうよ……、とセレスタンは言うが、注目するのはノックも突破した天蓋とその表面に突如現れる蜘蛛の巣を思わせる光のひずみ
 歪は霧の中で縦横無尽に偏在へんざいしながら、その端は、少年の手元にある品に向けて収束するように見えた。

「本当によくできたクソのろいね……。風雨や動物のせいで位置が変わった時のことも考慮してこしらえてある」

 セレスタンは少年を見上げた。

「もういいわ。元の位置に護符、呪具、ああ、どっちでもいいか……、とりあえず元に戻して、戻ってきて」

 ノックは足に力を入れて、両手を使えるようにする。そして言われていないが慎重に護符を紐と樹皮の間に差し込んで、袋を元通りに被せ、さっさと幹を滑り降りた。

 再び、霧の壁に対峙するが、一瞬の躊躇ためらいの中で精霊の鋭い視線を浴びた気がして意を決し、突入した。
 
 おかえりなさい……、とメリアに言われて。
 ただいま……、と一息ついて暖かい空気を肌で実感するノック。
 少年の目に見えるようになった精霊の不満も熱を帯びる。

「ふん! クソ忌々いまいましい! きっと、作った奴は霊界の法則をかじったひねくれ者でしょうね! じゃなきゃ、あたしが力を制限してる状態とはいえ、護符の位置が分からないなんてこと普通ありえないわ。まあ、結界をほんの少し壊せば、すぐに場所をあぶりだせたでしょうけどね」

 とセレスタンはあくまでも自身の実力を誇示する。
 そうなんですか? と口を開く少女と不興顔ふきょうがおの精霊の注目を浴びるノックは、分からないです……、と横に振った首を最後は下げる。
 嘆息たんそくに帰結したセレスタンは、まあいいわ……、を枕詞に話をする。

「それじゃあ、今度は2人で協力して結界を解いてもらおうかしらね」

 俺たちが? と漠然とした恐怖にかられる少年に。そうよ……、と断言するセレスタン。
 いよいよノックは窮地に立たされた思いにとらわれ、改めて結界を見渡した。
 セレスタンは言う。

「安心なさいな。見たところ結界の本体である護符ですら、なんののろいもほどこされてなかった。おそらく結界自体も人間にさわりはないはず」

「でも、俺、薬草師でも魔法使いでもないし」

「だからあたしが加護かごを与えて、こうして目で見て触れられるようにしてあげたんでしょうが!」

 ノックはいちいち精霊の言葉に圧倒されて委縮する。
 平静を崩さないメリアは粛々と尋ねた。

「具体的にどうすればよいのでしょうか?」

 簡単よ……、とセレスタンは突き立てた指の直上に漂う光の糸を目でも示す。

「この漂っている“呪力腺じゅりょくせん”をちゃちゃっと手でほぐして、あたしが十分通れる出口を作ってほしいの」

 そう言ってセレスタンは2人の間を過ぎ去り、霧と光の糸が構築する天蓋に向かって息を吹き付ける。
 妖精の小さな唇から出た吐息は、白銀のきらめきをちりばめた風となって、幻想の壁に広がり、染み渡る。
 すると、今まで姿が背景と紛れていた光の糸屑いとくず、呪力腺と呼ばれるものが、まるで荒く織った縦糸と横糸の如く鮮明にあらわになる。
 一本一本が生き物のように不均一に活動し、震えて、角度を変えて移動する。しかし、呪力腺同士はお互いの幅を離すも、緩やかな格子こうしたもって、光の霧を内包する。
 メリアは呪力腺を指さし、精霊に尋ねた。

「あの糸をどうすればいいのですか? そもそも、糸を移動させるくらいセレスタン様でも簡単にできるのでは?」

 壊していいならね……、とあっさり述べるセレスタンは、手を腰に当てて前のめりで2人に告げる。

「言っとくけど。壊そうと思えばこんな悪戯いたずら程度の呪いなんて、それこそあめ細工くらい簡単に壊せたわよ! でもよこしまな計略でしつらえたものじゃなさそうだし。浅学菲才せんがくひさいな善意の産物で、気休め程度には役立っているのに、台無しにしたら、弱い者いじめみたいで、あたしの名利めいりけがすことになる。そこらの凡骨ぼんこつにとっては、こんな呪詛じゅそでも有難ありがたいんでしょ? それを簡単に、まるで枯れ葉を握り潰すように一瞬で粉微塵こなみじんにしちゃったら不憫ふびんと思って、こうして踏み潰すのを我慢してあげたの!」

 最後の握り潰すとか粉微塵やらの文言は、合掌がっしょうした手をこねくり回し、平手を執拗に拳で殴打することで演じて見せた。
 それを終えると今度は、2人を退しりぞけるように片手で扇ぐ。

「感謝しなくていいわよ。あんたらつまらない人間の崇敬すうけいなんて落ちた果実にたかありくらいどうでもよくて何なら気持ちが悪いわ。それより早く作業に取りかって」

 少年少女は互いに目を見合わせるが。
 メリアが真っ先に作業にいた。
 そして、目の前に横たわり恥ずかしそうに身をくねらせる呪力腺に触れた。
 少女の白磁はくじのような指に撫でられた腺は恥じらっているつもりか、柔軟に踊る。
 ノックは、少女の背後から、覗き込むように作業を見守っていたが、やがて意を決し、隣に並ぶと、大丈夫か? と心から心配する。
 メリアは腺を持ち上げたり押し下げたりして、はい……、と述べる。
 精霊は周囲を見渡しながら言った。

「安心なさい。さんざん言ったけど、これを作ったクソ薬草師は同族には優しいようだから。食べても平気よ」

 けど食べちゃだめよ……、と精霊は即座に前言撤回する。
 ノックは少し精霊にれたのか疲れた面持ちで、食べませんよ……、と答え。なぁ? と少女に振り返り同意を求めた。
 メリアは両手で持った呪力腺を大きく開けた口に近づけた状態で硬直していた。
 表情を失うノックは冷静に尋ねる。

「セレスタン様。この糸はどういったものなんですか?」

「これは……例えるなら、織物の糸、もう見たまんまだけど。けど、ただの糸じゃなくて、これ自体が、あらゆる超常の源であると、そのイーコルを制御する骨格である金枝ディンギルを内包して、それらの配置を操る運び手であり指揮官でもあるの」

 とりあえずノックはうなずき、なるほど……、と言ってみる。
 わかってないわね? と精霊は鋭く図星を射抜く。
 盛大に溜息を吐くセレスタンは言った。

「とりあえず触ってみなさいな」

 その言葉にノックは目を大きくする。

「え、でも、下手に触って、大丈夫なんですか? あ、俺じゃなくて、この、なんだっけ? 結界、自体が……」

「乳臭い小僧が触って壊れるようなものなら、そもそも役に立たないでしょう? 安心なさい。壊したら壊したで全部あんたの責任になるだけだから」

「えぇえぇ……」

 なおざりとおざなりが唖然とする無責任な言葉に愕然がくぜんとするノックが目にする腺は、一見すると朝露あさつゆの玉を連ねた蜘蛛くもの糸だが、玉の連なりは二重の螺旋らせんとなって、螺旋の間には拡縮を絶えず繰り返す花弁の形を呈する粒子が2つ一組となって列を成し、まるで踊るように回転し、互いの距離を近づけては離す。
 粒子は実に小さく、目の錯覚さっかくかもしれない、と不安にさせるほどで、微細な活動が繰り返されていた。

 ノックの手は、見えない手袋をめたように光の糸を支える。

「こんなに触れられるものだったとは……」

 感動にひたっていることを自覚していない少年に。
 セレスタンは年長者の微苦笑を浮かべる。









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