私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第033話 ―― 憂い慮う

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【前回のあらすじ――。祖父の援護に向かおうとする少女メリアを押し止めるため、精霊は力の片鱗を見せつける。恐れを抱いたノックはメリアを助けるつもりで、コレボクより授かった呪符を使い精霊を払おうとしたが、巻き添えでメリアが昏倒し、ノックが責任をもって里に運ぶこととなった。一方、ラーフは、天気の変化を感じ取りつつ、森の中で幼い日の記憶を思い出し、シャフルに寄り道を提案した】










 苦笑いにしても微妙な表情を続けるノックは精霊に話しかける。

「メリアは、かしこいと思うので、暴力を使わなくても……言葉だけで説得できたんじゃ……」

「分かってないのよあんたは。この娘もあのじじいくらい強情ごうじょりで、一族の例に漏れず、というか一族切ってのイノシシなんだから……」

「猪ですか……」

「そうよ。猪よ、猪!」
 
「本物の猪は臆病な動物ですけどね……。あいつら、自分のねぐらに人間が来ただけで塒を変えますもん。メリアは、逆だ……」

「よく知ってるわね……。大工の息子のくせに」

 知り合いの猟師が言ってました……、ということなのであながち間違いじゃないらしい。
 セレスタンは。

「でもね、猪だって、子供を守るためなら、命懸けで猛獣に立ち向かうのよ……。鋭い牙を武器にして」
 
 セレスタンはにぶにごった空を見上げる。

「この世界は……、強いだけじゃ生きていけない。賢く選び、機会を掴んだものが生き残る」

 それから、眠る少女の顔を覗き込む。

「だから……、守りたいなら、全てをけないとね……何を犠牲ぎせいにしても……」






 闇が囲う中。
 木の葉の絨毯じゅうたんに倒れ伏すのは、黒仔羊クロコヒツジであった。

 ありふれた形状で、柄にもつばにもなんの飾り気もない無骨な剣がひるがえり、研がれた刃に伝う赤い筋が飛ぶ。
 凶器を手中にするヘイミルの片目は、血光を宿し、取り囲む闇に潜む者共を射貫く。
 老兵の周りには、黒仔羊が複数人倒れ伏し。中には、ありふれた服を着た首のない女性の亡骸や、同じく首はないが使いこまれた革の防具を身に着けた屈強な男の亡骸もあった。

「ひドい奴ダな……。男も女も関係なしカ……」

 誰の誣告ぶこくの声か。
 とりあえず身構える黒仔羊の誰かが発したことは確かで、ヘイミルは剣を動かすことなく振り向く。

「よもや、仲間を殺されていきどおったか?」

 老兵は表情こそ変えないが、声にあざけりを乗せる。
 それを感じ取ったのか、黒仔羊の面々から、怒気が黒い薄煙となって立ち昇る。

「この身を闇に捧げたとテ、我々も人の子……」

同胞はらカらがあたら命を散らしテ、無感情で済ませるほど外道に落ちた覚えはなイ」

「奪っタ分……代償を払ってもらおうカ……ッ」

 取り囲む声の音色は様々だったが、低くうなるような声質と含んでいた怒りは共通していた。
 ヘイミルは両手で掴んだ剣を上段に構え、わずかに前後に足を開き、にらみをかせる。

「ぬかしおる。れ者共め……ッ。お前らが闇に引きずり、奪っていった命と平穏と比べれば……、今転がるむくろなど、砂粒ほどにも釣り合わぬだろうよ」

 闇の奥で低い声が呪詛じゅそを吐いていた。

かばの木、ふいご、羽、北風……ッ」

 ヘイミルが振り返る。
 彼の目に飛び込むのは、闇のとばりの手前に漂う薄く黒いきりに浮かぶ炎。
 それは、闇でった装束に身を包む人形ヒトガタの両手に抱えられていた。
 炎が照らし出すのは持ち主の全て。
 黒い闇に塗られたそですそも広い装束、今まで戦ってきた黒仔羊の仮面をより大きくしきのこの傘の形状に仕立てた被り物。

こずえ、石の器……熱なき炎は心臓……思慮は奴隷……」

 その言葉がつむがれた時には、ヘイミルが外套がいとうを翻し、晒した胸甲きょうこうかる革帯に格納する大きなやじりを左手の3本指で2つ抜き取る。
 握ろうとすれば少し手に余る刃物を投擲とうてきする準備が瞬く間に整った。
 その背後に別の黒仔羊が迫る。
 それどころか、四方から一気にたたみかけてきた。
 これ以上ない飽和攻撃。
 あと1人の入る隙間もなく迫る黒仔羊。
 その手は、暗黒の爪に覆われており、肥大した獅子の足先か、鋭い牙を剥き出しにする潰れた獣の頭と形容できる。
 手首にたてがみごと棚引たなびく闇が、老兵の視界を奪うことに一役買い、奥にいる呪術者を隠す。
 老兵は鏃にささやきかける。

「《飛ベ鉄屑ヴィリディス・ウルトラ》……ッ」

 言葉を吹きかけられた鏃は、剛腕の投擲に振るわれ、1つは右前方の敵の腹に突き刺ささり、もう1つは右側面から来た敵の胸に刺さる。
 
 相手はひるむ様子さえ見せなかった。だが。
 鏃の根元の穴、本来なら矢柄やがらと言う棒が差し込まれるべき穴から、壮絶な風が噴出し、吹雪めいた白銀の光を放った。
 それは只の鏃に推進力を与え、黒い帯を巻いた胴体を貫く。
 投擲の延長で竜巻のごとく回るヘイミルは、一瞬だけ剣を強く握り、振り払って、背中を狙って延ばされた敵の腕を刈り取る。
 そして直前まで左前方に捉えていた敵に背中を晒す。

 老兵の背中をもらい受ける気持ちで、両手の爪を振り下ろそうとした黒仔羊は、外套が瞬く間に迫り、伸ばした爪は老兵の横を過ぎ去る。
 ヘイミルが反転すると、引っ張られた外套が爪に裂かれ、物損の下手人の胴体をさや代わりにした剣が、ヘイミルによって刺突の構えで掴み直される。
 襲った4名は、腕を刈られたもの以外、動きを失う。
 同じく、呪詛は終わる。

燎原りょうげんを渡れ、円環の終息を図る指向性……《イグナ・ルニトイデス》ッ」

 呪詛を吐く黒仔羊の手で煙なき炎は、目が覚めるような黄色と目を潰すような赤色を束ねた渦となり、天を突き破らんばかりの勢いで飛び上がる。
 宙に舞った炎は翼を広げ、槍の穂先と見紛みまごう炎熱のくちばしを老兵へ向けて飛んでいく。
 
 ヘイミルは術者に向かって剣を向けるが、実際は刃で貫いた亡骸なきがらを突き出すこととなり、途中で舌打ちすると亡骸の腹を蹴りつけ引き下がる。
 刃は中心を走る溝から空気を取り込み、血を排出し、素直に胴体から抜ける。そして、襲い来る炎の猛禽もうきんの姿を映した。
 炎の猛禽は広げた翼を傾げて急旋回し、飛び退く老兵を追いかける。

 老骨の舞踏を一部も見逃さない術者の手を炎が包み、2つの手の動きによって、撹拌かくはんされる炎は、水飴のように形状を変え、小さな竜巻の模型となる。

「貴様とテ、鉄を溶かすほどの熱に包まれれバ無事ぶジではむまイ!」

 術者か他の同胞か……、それとも炎の猛禽がのたまったか。
 低き声がとどろくと、術者の両手は風に舞う木の葉のように旋回を続け、その動きで炎の竜巻を丸めた。

 同じく老人を中心に旋回する炎の猛禽は尾羽から炎熱を引き延ばし、空間を染め上げる。
 炎の軌跡は灼熱の反物たんものとなってヘイミルを囲っていくと、やがてそこに炎の猛禽も突入し、牢獄と化す。

「紋章は頂くぞ……ッ! 救世ぐぜの英雄!」

 闇の舞台の中心に炎のまゆが誕生し、それは太陽の如く熱い光と陽炎かげろうを方々に振りまいた。



 セレスタンは立ち上がって振り返る。

 どうしました? とノックが若干上を向く。
 頭動かすな……、と頭上に居座る精霊に命じられて。すみません……、とノックは謝罪する。

「あの馬鹿……。なに手間取ってんのよ……」

 精霊は独り言のつもりなのだろうが、頭頂部を貸すノックには近すぎて、囁き声に秘めた不満あるいは憂慮めいたものが読み取れてしまった。

「その……もし、精霊様が俺たちと関わることで里に何らかの危機があるなら。それこそ、ヘイミルさんの方に行ったほうがいいのでは? 全てを迅速に解決するために……。メリアのことが心配なら俺が背負ってついていきますよ?」

「いや……、アイツなら……」

 精霊は沈黙し、少女に一瞥いちべつを向ける。

じじいなら1人のほうが心置きなく戦える。それこそ多勢に無勢だろうと。むしろ、敵が望んでいるのはあたしたち2人を一か所に集めること。いや、メリアを守るものを引き離すこと……かもしれない。2人のほうが一瞬でけりがつくけど。2人で力を合わせなきゃいけない敵が来たら、それこそあのじじいが呼ばない訳ない。けど呼ぶ気がないなら、それまでは敵の対処は爺に任せるわ」

 ノックは視線を前に戻し、微笑んだ。

「信じてるんですねヘイミルさんのこと」

 胡坐あぐらをかいたセレスタンは、座布団代わりにしていた少年の頭を殴った。
 イダイ! とノックは屈む。
 腕を組み、赤くなったほほを膨らませるセレスタンは、いきなり降下した少年の頭に、ゆっくりと降りていく。

「何言ってんのよ馬鹿ガキ! 訳知り顔で言ってんじゃないわよ。これだからガキは嫌いよ!」

「す、すみません……」

 ノックは頭を抱えることも、患部かんぶを撫でることも叶わず、とりあえず涙目をさらす。
 まだ人里は遠く、しかし懸念すべき獣の気配もない。
 背負っている少女の顔は肩に乗り、意識もない。
 頭上の精霊を除いて、誰が彼を嘲笑おうか。

 セレスタンは。

「あたしは面倒が御免ごめんだから里に行きたいの。もし今この森で襲われたら、隠れる敵を探すのは造作もないけど、それこそ、返り討ちにするために、ここら一帯の木をあたしの力で根こそぎぎ倒しかねない。そんなことしたら、あんたら人間はともかく動植物の生活が脅かされる。それは自然を体現するあたし達精霊の本分に反する。だから、もしもの時に更地さらちにしても心が痛まない人里に行こうと思ってるのよ」

 そんな……、とノックは精霊の魂胆に怖気づく。

「まあ、里のほうが生命の気配が若干薄くなって、今まで見てきた人と区別すれば、おのずと敵の位置も分かるし、あいつらだって人に姿を晒して、覚えられたくないでしょうし。そもそも、あたしにちょっかいをかける意味があるとは思えない。きっと、爺と戦ってるのも、爺の足止めが目的。なら、それくらいのことは容赦してあげる。あの爺が帰ってくるまで、あんたの友人、ラーフだっけ? そいつの家を借りるわ」

「え? 宿として使ってる家じゃなくて?」

「そうよ。あたしが姿を出せない間、小娘に十分な養生ようじょうを与えられる人間がそばにいる環境が好ましい。それに、あの宿は気に入ったわ。だから、宿にいるときに襲われたら嫌じゃない? というわけで、それ以外の場所に身をひそめる。何なら、どこでもいいのよ。ただし、あんたの家以外」

 ノックは目をまたたかせた。
 それからしばらく歩き続け、木々の間から里が見えてくると、セレスタンはノックに語りかけた。

「あたしは姿をくらますから、くれぐれも、あたしのことを他の人間に話さないように」

「分かってます。多分面倒になりますもんね」

「そ! もし、あたしのことばらしたら、あんたの頭を引っこ抜いて尻穴に突っ込んであげるから覚悟なさい」

「分かりましたよ……。ただし、俺のせいじゃないけどばれた場合は……」

「そん時は……舌を引っこ抜くだけで勘弁してあげる」
 
 こくな宣告を聞かされてノックは絶句を表情で体現し、相手の顔を目で追う。
 しかし、精霊はメリアの外套がいとうに隠れてしまうと、髪の毛1本の痕跡も残さなかった。
 精霊の気配が消えると、少女を背負っている途中だが、肩から力が抜けるノック。
 森の境界から里の領域に入ると、ますます心が落ち着く。
 腐葉土と落ち葉と木の根っこが織りなす不安定で時折堅い感触から、羊たちが食事で剪定した芝生しばふを進み、踏み固められた土の道の平坦な感触を靴越しに足裏で味わう。

 ようノック……、と道端の岩に腰掛ける老人が手を振ってくるので会釈した。

かどわかしたんか?」

「余計なこと言うなじいさん。でないとあんたが死神に拐されるぞ?」

 年相応に老いた先達は、若造の返答に笑って見せると背後の家に振り返り、ほがらかに言った。

「おーいダロン! お前のせがれが来たぞぉ! ぶっ殺せぇ!」

「ノックゥウウウッ!」

 建物の奥から全てが瓦解したような壮絶な騒音と怒声が鳴り響き、突き破られたかと思うほどの勢いで解放された扉から斧を掲げる直立二足歩行の熊が飛び出す。
 盛大に溜息ためいきを吐くノック。

「いつからこの里は人外跋扈じんがいばっこする魔境になり果てたんだ……」

 向かってくる父親のたけくるう怒りの様相をいつものことだと呑気のんきに待ち構えていたノックは、振り下ろされる斧の刃に映る自分と目が合い。やっと、危機を察知した。
 老人が、待てダロン! と慌てて手を伸ばす。
 少年は、逆! を連呼し身を引いた。
 振るった斧が我が子の顔面を割断する、一歩手前でダロンは我に返る。

「あっぶね、刃の部分で殴るとこだった……」

 そうして手中で斧を回転させる。
 ノックは声を荒げた。

「いや! 斧は殴るもんじゃねギャッ!」

 話の途中で斧の刃の真逆にある柄を収めた構造を額に叩き込まれるノック。
 軽い衝突だが、膝を支えられなくなるほどの苦痛が襲った。









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