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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――
第034話 ―― 役に目る
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【前回のあらすじ――。ヘイミルは襲撃者である黒仔羊の死体を増産するも、相手の魔法の炎で包囲される。昏倒したメリアを背負うノックは精霊の助言に従い、里に帰ってきたところで、父親ダロンと遭遇し、斧の刃のない箇所で額を殴られた】
仕事道具兼凶器で暴挙に及んだダロンは、その犠牲者である我が子を見下ろし平然とした口調で話しかけた。
「どうしたんだその娘さん。たしか、ヘイミルさんの孫娘の……。ええっと……、具合でも悪くなったのか?」
「そう思えるだけの判断力があるなら人を背負ってる相手を殴るな害獣クソ親父ッ」
ダロンは厳しい表情に回帰し、今度は拳を持ち上げ、頭出せ……、と命令する。
「そうして欲しけりゃ、ゲクラン金貨10万枚差し出しやがれ!」
ノックは頭を引っ込める。
彼の肩には少女の頭が据え置かれており、下手な攻撃では彼女に飛び火する恐れがあった。
ダロンは苦虫を噛み潰す。
「病人を盾にするような真似しやがって。この卑怯もんが! 誰に育ててもらった!」
「桶に水を張って覗き込め! それによく他人を卑怯者なんて言えたもんだ! 病人背負って逃げる手段が限られた相手を容赦なく斧で攻撃する卑劣漢が! お前みたいな蛮族この里から消えろ!」
「てめえの親父になんて口の利き方だ!」
「死刑を言い渡さないだけましだと思え! 俺の家はただの木工の血筋で、お貴族様と違って吹けば飛ぶような軽い命で、その上お前は人の括りに入れるような見た目でも中身でもない。けど、お慈悲で命までは取らないでやるって言ってんだ。ありがたく思って二度と人様に姿を見せんな、この化け豚!」
この野郎ォオオ! その言葉だけで怒りの程が察せられるダロンは、握り締めた拳を震わせるものだからより一層臨場感たっぷりに感情を演じる。
しかし、その怒りの矛先である倅は挑発的な笑みを変えない。
傍から見ていた老人は口を押えて笑いを隠した。
「あのぉ……もうそろそろ……、やめませんか?」
突如、口を開く少女が面を上げて、青くなった顔色を晒す。
親子はいがみ合っていたことも忘れて、弱った人間に注意を揃えた。
大丈夫かメリア? と騒ぎの一員であるノックがしれっと慮る。
「えぇ……なんとか、ただ、声が頭に響いて……」
「悪かった悪かった。気を付ける。でも、呪いの影響とかないのか? 昔……コレボクの元に似たような状態になった人が来たときは、熱中症みたいな感覚って言ってたけど……。最悪、コレボクに診せないとな……」
ノックは少女の陰に隠れたと思われる精霊を思ったが、人前ではその気配すら窺がえない。
ダロンが、何があった? と少女を気遣い尋ねる。
「ちょっと、その……、危険があって、コレボクからもらった呪いを使ったら」
息子の言葉に一気に表情が緊張するダロンは、大きく口を開いて怒鳴りを発する、つもりだったが少女の状態を思い出し、変な音声が喉から転び出るに止め、抑えた声で詰め寄った。
「お前、何やってんだ。馬鹿なことしやがって……ッ」
「仕方がなかったんだ……。本当に危ないと思ってつい……。いきなりのことが続いて何が起こるか分からなくて……。相手も、恐ろしい力を秘めてるって言ってたし……。ふざけたわけじゃない……ッ」
「恐ろしい力を秘めてるって、言ってた?」
ダロンは証言の内容に疑問が湧く。
我が子の顔には申し訳なさよりも、ほかに手段がなかった、という思いが読み取れた。
老人が近づいて、その娘さんは? と尋ねる。
ダロンは目を上に向けて説明に窮する。
ラーフとヒースさんの客人だよ……、とノックが即答した。
納得した老人。
「何か知らんが、相当具合が悪そうだぞ? 水でも飲ませて寝かせたほうがいいんじゃないか?」
メリアの秀麗な顔の各部位の形が溶ける。それは勿論、錯覚の類だが。そう思わせるだけの不調を表現する顔色だった。
しかし、本人は。
「お構いなくぅ……さっき食らった魔法が……、お2人の怒声と混ざり合って……、頭の中で一緒に踊り狂っているだけですのでぇ……」
それを聞いた野郎共3人は顰め面になる。
しかしダロンは何かに気づいて口に出す。
「そりゃいけねぇ……、さっさとノックから離れな。そんでこの爺さんの家で休んでけ」
勝手に決めるな……、と老人は少女にいささかの恐れを抱いている様子だ。しかし。
「でも、婆さんに聞いてくるから、ちょっと待ってなさい」
大丈夫ですよぉ~、などと告げる少女は明らかに、大丈夫と今生の別れでもしたくらい病的な空気を纏い、頭の位置を定めぬまま動き出す。
慌てて腰の位置を下げるノックの腕から足を離すメリアは、地面に降りるつもりだった。
すると、ダロンは指の関節を鳴らして息子に凶悪な笑みを注いだ。
ノックは理解した。
庇護していたと同時に、自分もまた庇護されていたことに。
「てめえ……」
黙って笑みを浮かべる父に対峙するノックの危機はさておき。
持ち前の2本の足で立ち上がったメリアは、その場で左右に揺れながら回って見せて、ノックの目の前に迷い出て、仰向けに倒れる。
転倒を阻止しようとノックは両腕を広げるが、実際に少女を抱えたのはダロンだった。
2人は、少女の危機を回避できたことで胸を撫で下ろす。
ちょうど、家から老夫婦が出てくる。
2人とも気後れが顔に浮かんでいた。
老人夫婦のうち老爺が心配そうに尋ねる。
「どうだ様子は? 呪いは大丈夫なのか?」
ノックは。
「呪いというか……。守りのお呪いに、ちょっと触れただけだから……誰にも害はない、と思う」
そうか……、と一応答える老爺の表情には、半分ほどの信用しか感じられず、夫婦で不安を目で交わす。
ダロンは太い腕で少女を軽々と抱え、老夫婦の家に向かう。しかし、一歩目で足が止まった。
なぜなら息子に腕を掴まれ、待て……、と上からな口ぶりをされたからだ。
ダロンは険しい形相を我が子に向け、なんだッ、と低く吠える。
ノックは老夫婦に目を向けながら耳打ちした。
「2人とも不安がってる。きっと、メリアの不調の原因が、悪い呪いかなんかと勘違いしてるんだ」
「じゃあ、勘違いだって言えばいいだろ。危なくないんだろ? だから背負ってきたんだろ?」
「そうだけど。安心できないだろ。どっちもさ……」
「私のことは~お構いなくぅ~」
変に間延びした声を発するメリア。
初顔合わせの老夫婦の不信感は、より顔に顕著となる。
少女を少なからず知っていたノックは、彼女の異常さに胸を痛める。
そして、老夫婦に対して、努めて呑気な口調で告げた。
「やっぱりヒースさんのところに連れてくよ。まあ、休めば問題ないと思うけど。紋章使いなら、何か解決策を知ってるかもしれないし」
それを聞いて老夫婦の顔が晴れる。しかし、すぐに気まずさが目に出た。
親父……、とノックは呼びかけてメリアを受け取ろうと手を差し出す。
「いい。俺が運んでいく」
とダロンが答えるが。
仕事があるんだろ? そう言ってノックは老人たちに視線を送ってから、建物を見た。
意図を読み取った老爺が言う。
「いやいや、まずは病人を運んでやってくれ。ヒースの家に行くなんてすぐだろ。部屋の扉……、と玄関の方は、あとでいいから」
ノックは首を横に振る。
「いや、仕事は仕事だ。偉そうに言えた立場じゃないが、それでも途中で投げ出すのはよくない」
我が子の名を呟くダロン。
ノックは微笑む。
「それに、こいつのことだから、さっさと仕上げないと、途中で仕事の内容を忘れかねないし」
ダロンは怒りに燃え表情を険しくする。
それでも、ノックにメリアを差し出し。
「支えられるんだろうな?」
「大丈夫……。ええっと……。背負っていい?」
「おかまいなぅ~」
少女は一瞬立たされたがノックが引き寄せ胸で受け止める。
あらま……、と老婆が茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
しかしノックは少女に背中を向けてさっさと負んぶする。
「はあ……痛てて」
腰でも悪くしたんか? と老爺が尋ねた。
いや鎧が……、とノックが答えると老夫婦は眉を顰める。
少女の草臥れた外套からは、確かに脛当てや装甲の類が確認できた。
しかし、気を取り直した老爺が。
「ヒースのところに行くなら差し入れでも持っていこう。見ると、どこかのお偉いさんのご息女、とかだろ?」
親子は顔を見合わせ、ノックだけが苦笑いになる。
「そんなことない……と思う。少なくとも貴賤で人を量るような人間じゃない。でも、差し入れなら喜ぶよ。きっと、虫でも……」
うぇあ? 文字で表記すれば、その三文字を下顎を前に突き出しながら喉を鳴らす程度の気量で発声した老爺。健全な思慮を取り戻すと背筋を正す。
「そんな無体なことはせん」
「それなら普段食べてるものでいいから、こいつに恵んでやってくれ。今すぐじゃなくていい。しばらく、モンラの家に厄介になってるから……気が向いたら、声をかけてくれ。こいつ上等な見た目によらず、俺たちより苦労してんだ」
老爺には計り知れなかったが、よく知る少年の笑顔をとりあえず信じて、分かった……、と頷いた。
遠ざかる少年の背中を見送り、老婆は声を落として、悪いことしたかねぇ……、と伴侶に呼びかけた。
なんとなく夫婦の懺悔が耳に届いたダロンは離れていく我が子に駆け寄る。
「おい、本当に、その、大丈夫なんだよなその子。もしよかったら、家に……」
「こっから坂を上るのは大変だ」
「けど、確か今逗留してるのはヒースの親戚の家だろ? まあ、そっちに運んでも、来る途中見たが人の気配はなかったしな……。でもヒースの迷惑も考えねぇと。家に行けば母ちゃんが……」
「いや、セ……メリア曰く、いったんヒースの家に行きたいんだってさ」
どうして? と父親はついに横に並び詰問する。
ノックは精霊の言葉を思考の中だけで反芻すると顔にやつれを出した。
「とりあえず、そうしろって言われたから。そうするんだよ。呪いに関しては、俺たち素人が玄人の言葉を無視していいことないだろ?」
けどな……、と反論のための枕詞を口走るダロンだが、いまいち突破口が見当たらない。
ノックは。
「本当はコレボクに見せたほうが安心なんだろうけど。あの爺さん、いつも森にいて。しかも今は、隣の山にいるらしいから直ぐに会えない。けど、この前、エカに聞いたときは……、あ……、やっぱ遠いな。なら、紋章だって持ってるヒースさんの家に運んだほうがいい。魔法に関しては、ある程度知識があるから……。ということで、いいだろうか?」
「うぃ……」
ノックが同意を求めると少女の口から不完全な応答が発せられる。
ダロンの顔では懸念の色が濃くなる。
「でも、ヒースの野郎が呪いを作ってるところなんて見たことないぞ?」
「それでも、俺の家に運んでも、できることは横にして水飲ませて、声援を送ること以外は……」
「おかゆ……チーズ……」
と少女が突如、弱々しい声で口走る。
少し鈍い表情になるノックは。
「とか、食い物を傍に置くくらいだ。励ましならヒースさんのほうがよっぽど説得力があるし、飯だって向こうでも作れる。それと今、宿に連れて行っても、メリアの爺さんは出かけてるから、メリア1人になる」
「そうか。出かけてるって……。いったいどうして?」
ノックは不用意な発言を自覚し、一瞬、背筋に寒気を覚えたが、俺たちのため? と咄嗟に付け加える。
その言葉にダロンの表情は違う険しさを作る。
「もしや、獣のことか? よっぽど状況がまずいのか? まさか、お前が出くわした危険って……」
「いや……、多分、話題の獣とは違う。なんというか。俺が出くわしたのは精霊……の類だ。しかも、いい精霊」
精霊ッ? とダロンは思わず大きな声を出すと、回りを気にしてしまう。
ノックは。
「けど、命に係るような危険はなかったし、こうして2人とも逃げる、というか無事だったんだ」
「獣は? 出会わなかったのか?」
「ああ獣は見てない。けど、実際……、さっき森で、噂の獣と思う奴に追いかけられて怪我した人と出くわした。その人は、一応、転んだ以外は問題なかった」
「まさか……それ。いや、無事でよかったな……」
「うん。その人にも忠告された。だから俺たちは、なるべく里にいたほうがいい。獣のほうは、ヘイミルさんが……探ってると思うし、邪魔をしないためにも俺たちはあまり森に出かけないほうがいいと思う。母ちゃんにも気を付けるよう伝えたほうがいいな。あの人、話は聞いて覚えてるだろうけど、心してるか別だから……」
そのことについてはダロンも迷いなく頷いて、足を止める。
「なら……今日は家に帰ってこい。そして、母ちゃんに謝るんだぞ」
ノックも立ち止まる。
「……」
「返事は?」
は~い……、とメリアが手を振った。
「いや、お前さんじゃなくて……」
少女が気を使って反応してくれたのだろうか。
分からないが、それでもノックに一呼吸置く猶予をくれたことには変わりなかった。
胸の息を吐いて。
「わかったよ……」
答えてから歩きだす我が子の背中に向かって、ダロンはもう一言告げようと口を開くが、ゆっくりと顎を閉じ。唇を固く結ぶと、踵を返して自分の役割を果たしに戻った。
仕事道具兼凶器で暴挙に及んだダロンは、その犠牲者である我が子を見下ろし平然とした口調で話しかけた。
「どうしたんだその娘さん。たしか、ヘイミルさんの孫娘の……。ええっと……、具合でも悪くなったのか?」
「そう思えるだけの判断力があるなら人を背負ってる相手を殴るな害獣クソ親父ッ」
ダロンは厳しい表情に回帰し、今度は拳を持ち上げ、頭出せ……、と命令する。
「そうして欲しけりゃ、ゲクラン金貨10万枚差し出しやがれ!」
ノックは頭を引っ込める。
彼の肩には少女の頭が据え置かれており、下手な攻撃では彼女に飛び火する恐れがあった。
ダロンは苦虫を噛み潰す。
「病人を盾にするような真似しやがって。この卑怯もんが! 誰に育ててもらった!」
「桶に水を張って覗き込め! それによく他人を卑怯者なんて言えたもんだ! 病人背負って逃げる手段が限られた相手を容赦なく斧で攻撃する卑劣漢が! お前みたいな蛮族この里から消えろ!」
「てめえの親父になんて口の利き方だ!」
「死刑を言い渡さないだけましだと思え! 俺の家はただの木工の血筋で、お貴族様と違って吹けば飛ぶような軽い命で、その上お前は人の括りに入れるような見た目でも中身でもない。けど、お慈悲で命までは取らないでやるって言ってんだ。ありがたく思って二度と人様に姿を見せんな、この化け豚!」
この野郎ォオオ! その言葉だけで怒りの程が察せられるダロンは、握り締めた拳を震わせるものだからより一層臨場感たっぷりに感情を演じる。
しかし、その怒りの矛先である倅は挑発的な笑みを変えない。
傍から見ていた老人は口を押えて笑いを隠した。
「あのぉ……もうそろそろ……、やめませんか?」
突如、口を開く少女が面を上げて、青くなった顔色を晒す。
親子はいがみ合っていたことも忘れて、弱った人間に注意を揃えた。
大丈夫かメリア? と騒ぎの一員であるノックがしれっと慮る。
「えぇ……なんとか、ただ、声が頭に響いて……」
「悪かった悪かった。気を付ける。でも、呪いの影響とかないのか? 昔……コレボクの元に似たような状態になった人が来たときは、熱中症みたいな感覚って言ってたけど……。最悪、コレボクに診せないとな……」
ノックは少女の陰に隠れたと思われる精霊を思ったが、人前ではその気配すら窺がえない。
ダロンが、何があった? と少女を気遣い尋ねる。
「ちょっと、その……、危険があって、コレボクからもらった呪いを使ったら」
息子の言葉に一気に表情が緊張するダロンは、大きく口を開いて怒鳴りを発する、つもりだったが少女の状態を思い出し、変な音声が喉から転び出るに止め、抑えた声で詰め寄った。
「お前、何やってんだ。馬鹿なことしやがって……ッ」
「仕方がなかったんだ……。本当に危ないと思ってつい……。いきなりのことが続いて何が起こるか分からなくて……。相手も、恐ろしい力を秘めてるって言ってたし……。ふざけたわけじゃない……ッ」
「恐ろしい力を秘めてるって、言ってた?」
ダロンは証言の内容に疑問が湧く。
我が子の顔には申し訳なさよりも、ほかに手段がなかった、という思いが読み取れた。
老人が近づいて、その娘さんは? と尋ねる。
ダロンは目を上に向けて説明に窮する。
ラーフとヒースさんの客人だよ……、とノックが即答した。
納得した老人。
「何か知らんが、相当具合が悪そうだぞ? 水でも飲ませて寝かせたほうがいいんじゃないか?」
メリアの秀麗な顔の各部位の形が溶ける。それは勿論、錯覚の類だが。そう思わせるだけの不調を表現する顔色だった。
しかし、本人は。
「お構いなくぅ……さっき食らった魔法が……、お2人の怒声と混ざり合って……、頭の中で一緒に踊り狂っているだけですのでぇ……」
それを聞いた野郎共3人は顰め面になる。
しかしダロンは何かに気づいて口に出す。
「そりゃいけねぇ……、さっさとノックから離れな。そんでこの爺さんの家で休んでけ」
勝手に決めるな……、と老人は少女にいささかの恐れを抱いている様子だ。しかし。
「でも、婆さんに聞いてくるから、ちょっと待ってなさい」
大丈夫ですよぉ~、などと告げる少女は明らかに、大丈夫と今生の別れでもしたくらい病的な空気を纏い、頭の位置を定めぬまま動き出す。
慌てて腰の位置を下げるノックの腕から足を離すメリアは、地面に降りるつもりだった。
すると、ダロンは指の関節を鳴らして息子に凶悪な笑みを注いだ。
ノックは理解した。
庇護していたと同時に、自分もまた庇護されていたことに。
「てめえ……」
黙って笑みを浮かべる父に対峙するノックの危機はさておき。
持ち前の2本の足で立ち上がったメリアは、その場で左右に揺れながら回って見せて、ノックの目の前に迷い出て、仰向けに倒れる。
転倒を阻止しようとノックは両腕を広げるが、実際に少女を抱えたのはダロンだった。
2人は、少女の危機を回避できたことで胸を撫で下ろす。
ちょうど、家から老夫婦が出てくる。
2人とも気後れが顔に浮かんでいた。
老人夫婦のうち老爺が心配そうに尋ねる。
「どうだ様子は? 呪いは大丈夫なのか?」
ノックは。
「呪いというか……。守りのお呪いに、ちょっと触れただけだから……誰にも害はない、と思う」
そうか……、と一応答える老爺の表情には、半分ほどの信用しか感じられず、夫婦で不安を目で交わす。
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ダロンは険しい形相を我が子に向け、なんだッ、と低く吠える。
ノックは老夫婦に目を向けながら耳打ちした。
「2人とも不安がってる。きっと、メリアの不調の原因が、悪い呪いかなんかと勘違いしてるんだ」
「じゃあ、勘違いだって言えばいいだろ。危なくないんだろ? だから背負ってきたんだろ?」
「そうだけど。安心できないだろ。どっちもさ……」
「私のことは~お構いなくぅ~」
変に間延びした声を発するメリア。
初顔合わせの老夫婦の不信感は、より顔に顕著となる。
少女を少なからず知っていたノックは、彼女の異常さに胸を痛める。
そして、老夫婦に対して、努めて呑気な口調で告げた。
「やっぱりヒースさんのところに連れてくよ。まあ、休めば問題ないと思うけど。紋章使いなら、何か解決策を知ってるかもしれないし」
それを聞いて老夫婦の顔が晴れる。しかし、すぐに気まずさが目に出た。
親父……、とノックは呼びかけてメリアを受け取ろうと手を差し出す。
「いい。俺が運んでいく」
とダロンが答えるが。
仕事があるんだろ? そう言ってノックは老人たちに視線を送ってから、建物を見た。
意図を読み取った老爺が言う。
「いやいや、まずは病人を運んでやってくれ。ヒースの家に行くなんてすぐだろ。部屋の扉……、と玄関の方は、あとでいいから」
ノックは首を横に振る。
「いや、仕事は仕事だ。偉そうに言えた立場じゃないが、それでも途中で投げ出すのはよくない」
我が子の名を呟くダロン。
ノックは微笑む。
「それに、こいつのことだから、さっさと仕上げないと、途中で仕事の内容を忘れかねないし」
ダロンは怒りに燃え表情を険しくする。
それでも、ノックにメリアを差し出し。
「支えられるんだろうな?」
「大丈夫……。ええっと……。背負っていい?」
「おかまいなぅ~」
少女は一瞬立たされたがノックが引き寄せ胸で受け止める。
あらま……、と老婆が茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
しかしノックは少女に背中を向けてさっさと負んぶする。
「はあ……痛てて」
腰でも悪くしたんか? と老爺が尋ねた。
いや鎧が……、とノックが答えると老夫婦は眉を顰める。
少女の草臥れた外套からは、確かに脛当てや装甲の類が確認できた。
しかし、気を取り直した老爺が。
「ヒースのところに行くなら差し入れでも持っていこう。見ると、どこかのお偉いさんのご息女、とかだろ?」
親子は顔を見合わせ、ノックだけが苦笑いになる。
「そんなことない……と思う。少なくとも貴賤で人を量るような人間じゃない。でも、差し入れなら喜ぶよ。きっと、虫でも……」
うぇあ? 文字で表記すれば、その三文字を下顎を前に突き出しながら喉を鳴らす程度の気量で発声した老爺。健全な思慮を取り戻すと背筋を正す。
「そんな無体なことはせん」
「それなら普段食べてるものでいいから、こいつに恵んでやってくれ。今すぐじゃなくていい。しばらく、モンラの家に厄介になってるから……気が向いたら、声をかけてくれ。こいつ上等な見た目によらず、俺たちより苦労してんだ」
老爺には計り知れなかったが、よく知る少年の笑顔をとりあえず信じて、分かった……、と頷いた。
遠ざかる少年の背中を見送り、老婆は声を落として、悪いことしたかねぇ……、と伴侶に呼びかけた。
なんとなく夫婦の懺悔が耳に届いたダロンは離れていく我が子に駆け寄る。
「おい、本当に、その、大丈夫なんだよなその子。もしよかったら、家に……」
「こっから坂を上るのは大変だ」
「けど、確か今逗留してるのはヒースの親戚の家だろ? まあ、そっちに運んでも、来る途中見たが人の気配はなかったしな……。でもヒースの迷惑も考えねぇと。家に行けば母ちゃんが……」
「いや、セ……メリア曰く、いったんヒースの家に行きたいんだってさ」
どうして? と父親はついに横に並び詰問する。
ノックは精霊の言葉を思考の中だけで反芻すると顔にやつれを出した。
「とりあえず、そうしろって言われたから。そうするんだよ。呪いに関しては、俺たち素人が玄人の言葉を無視していいことないだろ?」
けどな……、と反論のための枕詞を口走るダロンだが、いまいち突破口が見当たらない。
ノックは。
「本当はコレボクに見せたほうが安心なんだろうけど。あの爺さん、いつも森にいて。しかも今は、隣の山にいるらしいから直ぐに会えない。けど、この前、エカに聞いたときは……、あ……、やっぱ遠いな。なら、紋章だって持ってるヒースさんの家に運んだほうがいい。魔法に関しては、ある程度知識があるから……。ということで、いいだろうか?」
「うぃ……」
ノックが同意を求めると少女の口から不完全な応答が発せられる。
ダロンの顔では懸念の色が濃くなる。
「でも、ヒースの野郎が呪いを作ってるところなんて見たことないぞ?」
「それでも、俺の家に運んでも、できることは横にして水飲ませて、声援を送ること以外は……」
「おかゆ……チーズ……」
と少女が突如、弱々しい声で口走る。
少し鈍い表情になるノックは。
「とか、食い物を傍に置くくらいだ。励ましならヒースさんのほうがよっぽど説得力があるし、飯だって向こうでも作れる。それと今、宿に連れて行っても、メリアの爺さんは出かけてるから、メリア1人になる」
「そうか。出かけてるって……。いったいどうして?」
ノックは不用意な発言を自覚し、一瞬、背筋に寒気を覚えたが、俺たちのため? と咄嗟に付け加える。
その言葉にダロンの表情は違う険しさを作る。
「もしや、獣のことか? よっぽど状況がまずいのか? まさか、お前が出くわした危険って……」
「いや……、多分、話題の獣とは違う。なんというか。俺が出くわしたのは精霊……の類だ。しかも、いい精霊」
精霊ッ? とダロンは思わず大きな声を出すと、回りを気にしてしまう。
ノックは。
「けど、命に係るような危険はなかったし、こうして2人とも逃げる、というか無事だったんだ」
「獣は? 出会わなかったのか?」
「ああ獣は見てない。けど、実際……、さっき森で、噂の獣と思う奴に追いかけられて怪我した人と出くわした。その人は、一応、転んだ以外は問題なかった」
「まさか……それ。いや、無事でよかったな……」
「うん。その人にも忠告された。だから俺たちは、なるべく里にいたほうがいい。獣のほうは、ヘイミルさんが……探ってると思うし、邪魔をしないためにも俺たちはあまり森に出かけないほうがいいと思う。母ちゃんにも気を付けるよう伝えたほうがいいな。あの人、話は聞いて覚えてるだろうけど、心してるか別だから……」
そのことについてはダロンも迷いなく頷いて、足を止める。
「なら……今日は家に帰ってこい。そして、母ちゃんに謝るんだぞ」
ノックも立ち止まる。
「……」
「返事は?」
は~い……、とメリアが手を振った。
「いや、お前さんじゃなくて……」
少女が気を使って反応してくれたのだろうか。
分からないが、それでもノックに一呼吸置く猶予をくれたことには変わりなかった。
胸の息を吐いて。
「わかったよ……」
答えてから歩きだす我が子の背中に向かって、ダロンはもう一言告げようと口を開くが、ゆっくりと顎を閉じ。唇を固く結ぶと、踵を返して自分の役割を果たしに戻った。
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