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第1章 神官になった少女
国教歴史研究所(4)
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ユリアはこの日も図書館と研究室の往復だった。
両手いっぱいに抱えて持って来た本を返却窓口に返すとすぐに本棚へ向かった。
いつも通りポケットに入れていた紙片を取り出すと、それを見て本の背表紙を確認してはもう片方の手にのせていく。
「これで終わりね」
数冊の本を抱えれば顎のあたりの高さ。
貸し出しの手続きを終えると、なんとか視界を確保しながら図書館の外へ。
扉の外には数段の階段がある。踏み外さないように、そろそろと足を下ろしていたのに、結局踏み外してしまい……。
「きゃっ!」
本を抱いたまま足が宙を舞った。このまま転べば後ろ頭を強打だ。
それでも貴重な本を落とすわけにはいかないと目を瞑って観念した。
「おっと、危ない」
後ろ頭に感じた衝撃は、思いの外柔らかいものだった。
石の階段のものとは違う感触に、ユリアはぎゅっと固く閉じていた瞼を開けた。
「こんなにたくさん本を抱えていては大変だ。それで怪我をしては元も子もない」
頭の上から降ってきた低音に、ユリアは飛び上がって体を離そうとした。すると、そのはずみで肩肘が後ろの相手の体のどこかに当たったような気がした。
「うっ……」
うめき声に慌てて振り返ると、相手は脇腹を押さえて蹲っている。
「ご、ごめんなさい!」
見ると、相手は軍服姿。細身の剣を腰に帯びていた。
顔から血の気が引くのを感じながら、ユリアは彼の前に膝をつくと、もう一度あやまった。
「い、いや、なかなかいい肘鉄だった。君、素質あるね」
「ほ、本当にごめんなさい。助けていただいたのに、私ったら……」
「いや、大丈夫、大丈夫。君の細腕くらい受け止められないで、何が軍人か」
茶目っ気たっぷりに言って、その人はニッと笑った。
どうやら彼は怒ってはいないらしいとわかってホッとした。
「気を付けて階段を下りていたつもりだったのですけど……。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたユリアに、彼も「ほんとに何事もなくて良かったあ。いや、俺はあったか」と、また脇腹を押さえた。そして、ユリアの反応を見るように上目づかいに。
するとユリアは彼が思う以上に青ざめていたらしい。
「お、おう。冗談だ、冗談。あんたがあんまり真面目な反応するものだから、ちょっとからかいたくなっただけでさ。本当は、もう全然痛くないんだぜ」
「……でも」
「ほんとに大丈夫だから。からかって悪かった」
そこで、ようやくユリアの頬に赤みが戻った。
「よし、立つぞ!」
階段の縁に腰を下ろしていた彼が勢いよく言って立ち上がった。
それにつられてユリアも立つと、彼はユリアよりも頭二つ分ほど背が高い偉丈夫で。黒髪を後ろに撫でつけ、きりっとしているのかと思えば、軍服の前ボタンは全部開けて、すっかりはだけてしまっている。精悍な顔には、頬の所に戦闘で負ったものか、古い傷跡があった。
「アイザック・ガーシュインだ。いつもは北方の国境警備にあたっている」
そう言って、右手を差し出した。
「あ……ユリア・タズハです。今年神官になったばかりです」
手を握り返すと、自分の物とは違う肉厚で大きな手に、ユリアはびっくりしてすぐに手を引っ込めた。
「初心いな」
アイザックはすこぶる愉快そうだった。
「あの……危ない所を助けていただいて、本当にありがとうございました。では、これで失礼いたします」
男の人の手があんなに大きいとは知らなかった。
どぎまぎする気持ちを隠すように、ユリアは顔を俯かせたまま立ち去ろうとした。
「待てよ、ユリア・タズハ。所属先だけでも教えてくれ」
大きな体で行く手を阻まれてしまっては答えるしかない。
「国教歴史研究所……です」
「アラン・カームか!」
アイザックは参ったとでもいうように撫でつけた髪をくしゃっと掴んだ。
(アラン様、そんなにいわくありな人なのかしら……)
先日のキールの反応と言い、何だかとても不安になる。
「そうか、そうか。奴の部下になったか。それで、その大荷物なんだな」
すごく憐れまれている。
「手伝ってやりたいところだが、俺も先を急いでいるからなあ」
「いえ、大丈夫です。毎日のことですから」
恐らく、アイザックはアランに会いたくないのだろう。
「では、私はこれで……」
「あ、ちょっと」
まだ何かあるのだろうか。
いい加減重いんですけど。この本。
「研究所には行けないけど、また会えるだろうか? その……この辺りで」
何を考えているのかよく分からない変わった人だ。
ユリアは神官なのだから、当然この辺りをいつもうろうろしている。
「ええ。図書館には毎日通っていますし」
それでもユリアは丁寧に答えた。
「そうか。了解。じゃあ、俺も行くかな。と、俺に会ったことは、アランには内緒な」
もちろんユリアも会えて話題に出すつもりはなかった。
頷くと、ぺこりと頭を下げて、その場を立ち去った。
ユリアの頭を覆う長いベールが、風にあおられてふわりとなびいた。
アイザックは立ち去ることなく、それを見守っていた。
「純粋培養の神官さんは反応が面白いな」
そんなことを呟きながら。
***
研究所に戻って来たユリアは、いつものように本をどさっと机の上に置いた。
そして抜き出し箇所をまとめるために帳面を開くと。
「ああ、今日はその前に、この本に目を通しておいてくれ」
珍しく席を立ってユリアの側まで来たアランが、積み上げらた本から一冊取り出してユリアに差し出した。
「一冊、全部ですか?」
「そうだ」
「一冊、全部、まとめますか?」
「いや。これは読むだけでいい。メモは取るな。それから内容は一切口外しないこと」
今までの指示とは全く逆だった。
ユリアは戸惑いながらも頷いた。
「ああ、その本を読了するまで、しばらく図書館通いは中止する。今まで、ご苦労だったな」
つまりは待遇が一歩前進したということなのだろうか。
少しホッとしながら、ユリアはその本を机に置き椅子に腰かけた。
そして、重厚な装丁の表紙を開く。
アイザック・ガーシュインが心配するまでもなく。
その時にはもうユリアの頭の中からは、彼のことはすっかり抜け落ちていた。
両手いっぱいに抱えて持って来た本を返却窓口に返すとすぐに本棚へ向かった。
いつも通りポケットに入れていた紙片を取り出すと、それを見て本の背表紙を確認してはもう片方の手にのせていく。
「これで終わりね」
数冊の本を抱えれば顎のあたりの高さ。
貸し出しの手続きを終えると、なんとか視界を確保しながら図書館の外へ。
扉の外には数段の階段がある。踏み外さないように、そろそろと足を下ろしていたのに、結局踏み外してしまい……。
「きゃっ!」
本を抱いたまま足が宙を舞った。このまま転べば後ろ頭を強打だ。
それでも貴重な本を落とすわけにはいかないと目を瞑って観念した。
「おっと、危ない」
後ろ頭に感じた衝撃は、思いの外柔らかいものだった。
石の階段のものとは違う感触に、ユリアはぎゅっと固く閉じていた瞼を開けた。
「こんなにたくさん本を抱えていては大変だ。それで怪我をしては元も子もない」
頭の上から降ってきた低音に、ユリアは飛び上がって体を離そうとした。すると、そのはずみで肩肘が後ろの相手の体のどこかに当たったような気がした。
「うっ……」
うめき声に慌てて振り返ると、相手は脇腹を押さえて蹲っている。
「ご、ごめんなさい!」
見ると、相手は軍服姿。細身の剣を腰に帯びていた。
顔から血の気が引くのを感じながら、ユリアは彼の前に膝をつくと、もう一度あやまった。
「い、いや、なかなかいい肘鉄だった。君、素質あるね」
「ほ、本当にごめんなさい。助けていただいたのに、私ったら……」
「いや、大丈夫、大丈夫。君の細腕くらい受け止められないで、何が軍人か」
茶目っ気たっぷりに言って、その人はニッと笑った。
どうやら彼は怒ってはいないらしいとわかってホッとした。
「気を付けて階段を下りていたつもりだったのですけど……。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたユリアに、彼も「ほんとに何事もなくて良かったあ。いや、俺はあったか」と、また脇腹を押さえた。そして、ユリアの反応を見るように上目づかいに。
するとユリアは彼が思う以上に青ざめていたらしい。
「お、おう。冗談だ、冗談。あんたがあんまり真面目な反応するものだから、ちょっとからかいたくなっただけでさ。本当は、もう全然痛くないんだぜ」
「……でも」
「ほんとに大丈夫だから。からかって悪かった」
そこで、ようやくユリアの頬に赤みが戻った。
「よし、立つぞ!」
階段の縁に腰を下ろしていた彼が勢いよく言って立ち上がった。
それにつられてユリアも立つと、彼はユリアよりも頭二つ分ほど背が高い偉丈夫で。黒髪を後ろに撫でつけ、きりっとしているのかと思えば、軍服の前ボタンは全部開けて、すっかりはだけてしまっている。精悍な顔には、頬の所に戦闘で負ったものか、古い傷跡があった。
「アイザック・ガーシュインだ。いつもは北方の国境警備にあたっている」
そう言って、右手を差し出した。
「あ……ユリア・タズハです。今年神官になったばかりです」
手を握り返すと、自分の物とは違う肉厚で大きな手に、ユリアはびっくりしてすぐに手を引っ込めた。
「初心いな」
アイザックはすこぶる愉快そうだった。
「あの……危ない所を助けていただいて、本当にありがとうございました。では、これで失礼いたします」
男の人の手があんなに大きいとは知らなかった。
どぎまぎする気持ちを隠すように、ユリアは顔を俯かせたまま立ち去ろうとした。
「待てよ、ユリア・タズハ。所属先だけでも教えてくれ」
大きな体で行く手を阻まれてしまっては答えるしかない。
「国教歴史研究所……です」
「アラン・カームか!」
アイザックは参ったとでもいうように撫でつけた髪をくしゃっと掴んだ。
(アラン様、そんなにいわくありな人なのかしら……)
先日のキールの反応と言い、何だかとても不安になる。
「そうか、そうか。奴の部下になったか。それで、その大荷物なんだな」
すごく憐れまれている。
「手伝ってやりたいところだが、俺も先を急いでいるからなあ」
「いえ、大丈夫です。毎日のことですから」
恐らく、アイザックはアランに会いたくないのだろう。
「では、私はこれで……」
「あ、ちょっと」
まだ何かあるのだろうか。
いい加減重いんですけど。この本。
「研究所には行けないけど、また会えるだろうか? その……この辺りで」
何を考えているのかよく分からない変わった人だ。
ユリアは神官なのだから、当然この辺りをいつもうろうろしている。
「ええ。図書館には毎日通っていますし」
それでもユリアは丁寧に答えた。
「そうか。了解。じゃあ、俺も行くかな。と、俺に会ったことは、アランには内緒な」
もちろんユリアも会えて話題に出すつもりはなかった。
頷くと、ぺこりと頭を下げて、その場を立ち去った。
ユリアの頭を覆う長いベールが、風にあおられてふわりとなびいた。
アイザックは立ち去ることなく、それを見守っていた。
「純粋培養の神官さんは反応が面白いな」
そんなことを呟きながら。
***
研究所に戻って来たユリアは、いつものように本をどさっと机の上に置いた。
そして抜き出し箇所をまとめるために帳面を開くと。
「ああ、今日はその前に、この本に目を通しておいてくれ」
珍しく席を立ってユリアの側まで来たアランが、積み上げらた本から一冊取り出してユリアに差し出した。
「一冊、全部ですか?」
「そうだ」
「一冊、全部、まとめますか?」
「いや。これは読むだけでいい。メモは取るな。それから内容は一切口外しないこと」
今までの指示とは全く逆だった。
ユリアは戸惑いながらも頷いた。
「ああ、その本を読了するまで、しばらく図書館通いは中止する。今まで、ご苦労だったな」
つまりは待遇が一歩前進したということなのだろうか。
少しホッとしながら、ユリアはその本を机に置き椅子に腰かけた。
そして、重厚な装丁の表紙を開く。
アイザック・ガーシュインが心配するまでもなく。
その時にはもうユリアの頭の中からは、彼のことはすっかり抜け落ちていた。
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