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コンクールの二人
山吹先生
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先生の家は駅前の商店街を抜けた先の住宅街に建っていた。二階建ての一軒家だが、玄関前にはこじんまりとした庭もあった。
僕が玄関の前で家を見上げていると
「この家は親戚の家を安く売って貰ったんだ」
と教えてくれた。
先生が玄関の扉を開けて、僕を先に家の中へと導いてくれた。
「すぐに練習する?」
と山吹先生は聞いてきた。
「はい」
僕もそのつもりだったので先生の後に続いてレッスン室に入ろうとしたら
「なにやってんのよ。まずは一息入れてからにしなさいよ」
とリビングから奥さんの典子さんが顔を出した。
「あ、初めまして。今回はお世話になります」
僕は慌てて挨拶をした。
「いらっしゃい。待っていたわ。遠慮しないで自分の家だと思ってくつろいでね」
典子さんは優しい笑顔でそう言ってくれた。
――はい。絶対にそこまでくつろげません――
と思いながらも
「はい。ありがとうございます」
と僕は笑顔で応えていた。
初めて典子さんに会ったが山吹先生と似た気さくな雰囲気を感じて、僕は内心ほっとしていた。
「そっかぁ……そうだな。まずはお茶でも飲んでからにしよう」
と山吹先生は頭を掻きながら僕の荷物を持ってリビングに入って行った。
僕は先生と向かい合うように応接ソファに座った。
「食事は?」
と先生は聞いてきた。時間はもう夕食の時間をとっくに過ぎていた。
「はい、空港で取りました」
もし僕が食事を取っていなかったら、それも用意するつもりだったのだろう。この先生夫妻に色々と気を使って貰ていることを僕は感謝した。
「そうか……ところで、今は渚君に教わっているんだって? 伊能先生から聞いたけど」
山吹先生は話題を変えて僕に渚さんの事を聞いてきた。
「はい。そうなんです」
「ふむ。やはりそうなんだ。あの渚君がねえ……」
「渚さんをよく知っているんですか?」
「まあね。まだ彼女が留学する前は僕が彼女のピアノを見た事もあったし」
「え? そうなんですか?」
僕は驚いて聞き返した。
「うん。彼女の音は留学してから一気に花開いた感があるなぁ。なんというか力強さが増したというか」
「あ、それ分かります。あの体力はどこから来るんだろうか? って思います」
「だろう?」
僕と山吹先生は一緒に笑った。
「でもねえ……渚君が人を教えるなんて思わなかったなぁ」
と意外そうな表情で言った。
「そうなんですかぁ?……そう言えば、僕以外には誰にも教えていないかも……」
「なんだ? 呑気な事言っているなぁ」
山吹先生は少し呆れたように笑ったが話をそのまま続けた。
「うん。彼女が弟子を持ったり人に教えたりするって言うのを初めて聞いた。心境の変化でもあったのかな」
「さあ? どうでしょう?」
僕には全く分からない事だった。
「さ、紅茶が冷めない内にどうぞ」
と典子さんが僕の前にティーカップを置いた。
「あ、どうも済みません」
この頃、珈琲ばかり飲んでいたので久しぶりの紅茶はなんだか新鮮だった。
「クッキーも焼いたから食べてね」
と皿に盛ったクッキーを差し出された。
「自家製ですか?」
「そうだよ。うちの家内はこう見えてもお菓子作りが得意でね」
と典子さんが返事をする前に、何故か山吹先生がドヤ顔で教えてくれた。
「いつも主人があなたの事を話しているので、初めて会った気がしないわ」
と先生の言葉を全く聞いていないかの如く典子さんは言った。多分、山吹先生は奥さんを紹介する時はいつもこの話を振るのだろう。
奥さんからしたら『それはもう聞き飽きた』という事なんだろうな。
先生本人はそれに全く気が付いていないのだろうけど……そんな夫婦の空気が伝わってきた。
それにしてもそんなにも僕の話題がこの夫婦の間でされていたとは意外だった。
「え? そうなんですか?」
と僕が聞き返すと
「ええ。『彼が本気になってくれたら面白いピアニストになるだろうなぁ』ってことあるごとに聞かされていたわ」
「そうなんですか……先生……他に話題は無いんですか?」
他に話題なんていくらでもあるだろうにと、夫婦の会話でいつも僕の事を聞かされていたという奥さんに僕は同情した。
「この人はいつもピアノの事ばかり考えているような人だからねぇ」
と奥さんは半ば諦め気味に山吹先生を見ながら言った。でもそれは先生を責めている訳ではないのはすぐに判った。奥さんはそんな先生が好きなんだろうなと僕は感じていた。
――こんな夫婦は良いなぁ――
と僕は素直にそう思った……と同時にオヤジとオフクロが夫婦だった時はこんな感じだったのかな? と何故か思ってしまった。
「そんな事はないと思うけどなぁ」
と先生は頭を掻きながら言い訳していたが、僕も奥さんと同意見だった。
暫く先生夫妻と話をした後、僕はレッスン室のピアノの前に座った。
「時間を気にせずに弾いてくれて良いんだけど、明日寝不足にならない様に気をつけるんだよ」
「はい」
僕は息を軽く深呼吸をしてから、鍵盤に指を置いた。
山吹先生は黙って聞いていた。
結局、この日は軽く指慣らし程度に弾いた後は先生と色々とピアノの事などを語り合った。久しぶりに会った先生にはこれまでの経緯とか話す事はいくらでもあった。しかしコンクールに関する話とか僕のピアノの演奏に関する話は全く出てこなかった。
先生からはただ単に昔話や伊能先生の僕の知らない武勇伝などを聞かせて貰っただけだった。お陰で僕は変な緊張もせずにぐっすり眠れた。
僕が玄関の前で家を見上げていると
「この家は親戚の家を安く売って貰ったんだ」
と教えてくれた。
先生が玄関の扉を開けて、僕を先に家の中へと導いてくれた。
「すぐに練習する?」
と山吹先生は聞いてきた。
「はい」
僕もそのつもりだったので先生の後に続いてレッスン室に入ろうとしたら
「なにやってんのよ。まずは一息入れてからにしなさいよ」
とリビングから奥さんの典子さんが顔を出した。
「あ、初めまして。今回はお世話になります」
僕は慌てて挨拶をした。
「いらっしゃい。待っていたわ。遠慮しないで自分の家だと思ってくつろいでね」
典子さんは優しい笑顔でそう言ってくれた。
――はい。絶対にそこまでくつろげません――
と思いながらも
「はい。ありがとうございます」
と僕は笑顔で応えていた。
初めて典子さんに会ったが山吹先生と似た気さくな雰囲気を感じて、僕は内心ほっとしていた。
「そっかぁ……そうだな。まずはお茶でも飲んでからにしよう」
と山吹先生は頭を掻きながら僕の荷物を持ってリビングに入って行った。
僕は先生と向かい合うように応接ソファに座った。
「食事は?」
と先生は聞いてきた。時間はもう夕食の時間をとっくに過ぎていた。
「はい、空港で取りました」
もし僕が食事を取っていなかったら、それも用意するつもりだったのだろう。この先生夫妻に色々と気を使って貰ていることを僕は感謝した。
「そうか……ところで、今は渚君に教わっているんだって? 伊能先生から聞いたけど」
山吹先生は話題を変えて僕に渚さんの事を聞いてきた。
「はい。そうなんです」
「ふむ。やはりそうなんだ。あの渚君がねえ……」
「渚さんをよく知っているんですか?」
「まあね。まだ彼女が留学する前は僕が彼女のピアノを見た事もあったし」
「え? そうなんですか?」
僕は驚いて聞き返した。
「うん。彼女の音は留学してから一気に花開いた感があるなぁ。なんというか力強さが増したというか」
「あ、それ分かります。あの体力はどこから来るんだろうか? って思います」
「だろう?」
僕と山吹先生は一緒に笑った。
「でもねえ……渚君が人を教えるなんて思わなかったなぁ」
と意外そうな表情で言った。
「そうなんですかぁ?……そう言えば、僕以外には誰にも教えていないかも……」
「なんだ? 呑気な事言っているなぁ」
山吹先生は少し呆れたように笑ったが話をそのまま続けた。
「うん。彼女が弟子を持ったり人に教えたりするって言うのを初めて聞いた。心境の変化でもあったのかな」
「さあ? どうでしょう?」
僕には全く分からない事だった。
「さ、紅茶が冷めない内にどうぞ」
と典子さんが僕の前にティーカップを置いた。
「あ、どうも済みません」
この頃、珈琲ばかり飲んでいたので久しぶりの紅茶はなんだか新鮮だった。
「クッキーも焼いたから食べてね」
と皿に盛ったクッキーを差し出された。
「自家製ですか?」
「そうだよ。うちの家内はこう見えてもお菓子作りが得意でね」
と典子さんが返事をする前に、何故か山吹先生がドヤ顔で教えてくれた。
「いつも主人があなたの事を話しているので、初めて会った気がしないわ」
と先生の言葉を全く聞いていないかの如く典子さんは言った。多分、山吹先生は奥さんを紹介する時はいつもこの話を振るのだろう。
奥さんからしたら『それはもう聞き飽きた』という事なんだろうな。
先生本人はそれに全く気が付いていないのだろうけど……そんな夫婦の空気が伝わってきた。
それにしてもそんなにも僕の話題がこの夫婦の間でされていたとは意外だった。
「え? そうなんですか?」
と僕が聞き返すと
「ええ。『彼が本気になってくれたら面白いピアニストになるだろうなぁ』ってことあるごとに聞かされていたわ」
「そうなんですか……先生……他に話題は無いんですか?」
他に話題なんていくらでもあるだろうにと、夫婦の会話でいつも僕の事を聞かされていたという奥さんに僕は同情した。
「この人はいつもピアノの事ばかり考えているような人だからねぇ」
と奥さんは半ば諦め気味に山吹先生を見ながら言った。でもそれは先生を責めている訳ではないのはすぐに判った。奥さんはそんな先生が好きなんだろうなと僕は感じていた。
――こんな夫婦は良いなぁ――
と僕は素直にそう思った……と同時にオヤジとオフクロが夫婦だった時はこんな感じだったのかな? と何故か思ってしまった。
「そんな事はないと思うけどなぁ」
と先生は頭を掻きながら言い訳していたが、僕も奥さんと同意見だった。
暫く先生夫妻と話をした後、僕はレッスン室のピアノの前に座った。
「時間を気にせずに弾いてくれて良いんだけど、明日寝不足にならない様に気をつけるんだよ」
「はい」
僕は息を軽く深呼吸をしてから、鍵盤に指を置いた。
山吹先生は黙って聞いていた。
結局、この日は軽く指慣らし程度に弾いた後は先生と色々とピアノの事などを語り合った。久しぶりに会った先生にはこれまでの経緯とか話す事はいくらでもあった。しかしコンクールに関する話とか僕のピアノの演奏に関する話は全く出てこなかった。
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