210 / 439
コンクールの二人
会場へ
しおりを挟む翌朝、典子さんが作ってくれた朝食をとった後、軽く先生の前でピアノを弾いてから僕は先生と一緒に会場に向かった。玄関を出る時に先生は
「朝から良い感じで音が出ていたよ。今日は大丈夫だな」
とひと言励ましてくれた。
会場に到着したのは昼前だった。先生とはロビーで別れて僕は控室に向かった。
冴子は既に控室で譜読み中だった。
「おはよう。早いな」
そう言って僕は冴子の肩を軽く叩いた。
「あ、亮ちゃん。おはよう」
冴子は顔を上げて僕の顔を見た。頬にほんのりと赤みがさしていた。彼女の緊張感が僕にも伝わってきた。
敢えてその事には触れずに
「お父さんと一緒に来たん?」
と僕は聞いた。
「うん。そう。あ、そう言えばあんたのお父さんも来とうはずやで」
「え? 嘘? そんな事言ってなかったのに……」
「ここに来る前に、お父さんが携帯であんたのお父さんとそんな話をしとったで」
冴子は表情も変えずにそう言った。
「そうかぁ。 父さんも見に来てくれとるんやぁ」
僕は冴子の話を聞いて嬉しかった。僕が中学生の時に出たコンクールの時も来てくれていたから今回も来てくれるのではないかとは想像していたが、冴子の口からそれを聞くと思った以上に喜んでいる自分に少し驚いてもいた。
「わざわざ東京まで来んでも良いのに……」
と敢えて僕は自分の感情を抑えるように素っ気なく言った。
「ふん。多分ね。ちゃんと来るって聞いた訳やないからね」
冴子は僕の顔を横目で見ながらぶっきら棒にそう答えた。
「そっかぁ」
そう言いながら僕はオヤジは間違いなく見に来ると確信していた。
「ところで、お前は何番目なん?」
「うちは最後から三番目。亮ちゃんは?」
「何やそんなに変わらんな……俺は最後」
「え? トリなんや?」
「そうや」
「それって緊張せぇへん?」
「いや、そうでもないけどなぁ……お前もそんなに変わらんやん」
「いや、『トリ』と『最後の方』とでは全然ちゃうわ」
「そうかぁ?」
「当たり前やんかぁ」
「なんでぇな。出番を待つのダルいやん……それまでヒマやなぁとかは思うのは一緒やろ? 大して変わらんやん」
「全然ちやうわ。そんなん言うのはあんただけや。ほんまにあんたは緊張感のない奴やな」
と冴子はいつものように吐き捨てるように言ったが、実際にそうだったので何も言えずにその場しのぎの愛想笑いでごまかした。
「何をへらへら笑っとんや」
と冴子は更に見下すように言った。どうやら冴子の琴線にいたく触れたようだった。いや、この場合は逆鱗に触れたが正解か? どうでも良い事だけど。
「へらへらしてへんわ」
別に緊張していない訳ではなかったが、今更緊張しても仕方ないよなぁと腹を括ったらそれ以上余計な緊張感は無くなっていた。冴子にしてみればその態度自体が気に食わないのだろうけど。
「ふん! あんたにこんな話をした私がバカやったわ」
と鼻を鳴らして冴子は再び楽譜に目を落とした。
今は緊張より憤りの方が優っているようだったが、冴子が感じていた緊張感は僕にも理解できてはいた。
最後のコンクールだというのに僕達はいつもと同じノリだったが、それでも冴子の緊張具合はいつもより僕には強く伝わってきていた。
『いつも通り弾けば良いんだよ』
と声を掛けたくなったが、そんな事は言われなくても冴子は重々承知していると思い直して黙って僕は冴子の隣の椅子に座った。
しばらくして冴子の名前が呼ばれた。
黙って冴子は立ち上がった。そして係員の顔を確認してから「はい」と応えた。
見上げる僕に視線を落とすと
「じゃあ、行ってくる」
とひと言を残して冴子は舞台そでに向かったが、直ぐに立ち止まり振り返った。
僕の顔をじっと見つめて何かを言いかけたが、思い直したように
「じゃあ」
とだけ言って冴子は舞台そでに歩いて行った。
「何だったんだ?」
と気にはなったが、僕は大人しく控室で自分の名前が呼ばれるのを待つことにした。
ほどなくして、冴子の演奏が始まる前に僕の名前が呼ばれた。
僕は立ち上がって舞台袖に向かった。そして冴子と同じようにそこで出番を待った。
舞台袖にはすでに四名のコンテスタントが自分の出番を待っていた。
冴子は目を閉じて椅子に座っていた。指が膝の上で微かに跳ねていた。どうやら彼女はイメージトレーニングで忙しいらしい。僕に気が付かつかずに……というか気づいたところで同じ事だったろうけど……一心不乱に指を動かしていた。
神経質な奴が隣に座っていたらイラつくレベルの動きだった。
僕はその様子を見ながら黙って椅子に腰かけた。
僕と冴子の間に座る女性と目があった。軽く会釈をされたので僕も軽く頭を下げた。
どうやら彼女は神経質では無いようだ。
僕が勝手にホッとしている間に、冴子の名前が呼ばれた。
小さい声で「はい」と返事をして冴子は立ち上がった。
冴子は横目で僕を見た。視線が重なった。冴子は黙って頷くとステージに向かって歩き出した。
僕はその姿が舞台袖のカーテンで見えなくなるまで彼女を目で追った。
――こんなに緊張している冴子も珍しいな――
やはり最後のコンクールともなると、流石の冴子も緊張を隠せないのかもしれない。
もう冴子の姿は見えないが、彼女の緊張感をそう感じていた。
今冴子がピアノの前で指を軽く伸ばしながら鍵盤を黙って見つめている姿が目に浮かぶ。
何度か軽い深呼吸もしているだろう。
この静かな空白の時間に、僕は彼女の緊張感と客席の期待感とのせめぎ合いを感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~
黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった!
「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」
主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
生贄巫女はあやかし旦那様を溺愛します
桜桃-サクランボ-
恋愛
人身御供(ひとみごくう)は、人間を神への生贄とすること。
天魔神社の跡取り巫女の私、天魔華鈴(てんまかりん)は、今年の人身御供の生贄に選ばれた。
昔から続く儀式を、どうせ、いない神に対して行う。
私で最後、そうなるだろう。
親戚達も信じていない、神のために、私は命をささげる。
人身御供と言う口実で、厄介払いをされる。そのために。
親に捨てられ、親戚に捨てられて。
もう、誰も私を求めてはいない。
そう思っていたのに――……
『ぬし、一つ、我の願いを叶えてはくれぬか?』
『え、九尾の狐の、願い?』
『そうだ。ぬし、我の嫁となれ』
もう、全てを諦めた私目の前に現れたのは、顔を黒く、四角い布で顔を隠した、一人の九尾の狐でした。
※カクヨム・なろうでも公開中!
※表紙、挿絵:あニキさん
耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー
汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。
そこに迷い猫のように住み着いた女の子。
名前はミネ。
どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい
ゆるりと始まった二人暮らし。
クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。
そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。
*****
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※他サイト掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる