北野坂パレット

うにおいくら

文字の大きさ
212 / 439
コンクールの二人

亮平の焦り

しおりを挟む
 これを聞いて僕はどんな演奏をすればいいのだ? 軽く頭の中が混乱している。いや思考が止まっている。

 いつものように正確無比な譜面通りの演奏か? これなら自信がある。
しかしそんな演奏をした日には冴子になんて言われるか? それよりもオヤジと二人して
「守りに入ったか!?」
なんて意味不明な蔑みを受けかねない。

 確かにそれは芸が無さすぎるし、二人の嘲笑する姿がありありと目に浮かぶ。
僕も今更そんな演奏をする気はさらさらない。

 だからと言ってオヤジの演奏をそのままやるのはもっと芸が無い。
これもそれこそ二番煎じだ。

 冴子の演奏が終わったら、間に一人だけ挟んで僕の番だ。
そんなすぐに同じような演奏をしたら、間違いなく同じ系統の音だと思われてしまう。
それも腹立たしい。

 僕には今本来この会場で鳴るべき音、鳴らすべき音の粒は聞こえる。今まで僕はそれを忠実に再現しようと弾いていた。この頃は場所によってわざと弾き方を変える事さえもできるようにもなってきた。しかしそんな弾き方を、この会場でしたところで冴子の二番煎じにしか見えないという事は弾かなくたって分かる。

 そもそもそれらの音は厳密に言うと僕の音ではない。美しい音だが言ってしまえばコピーだ。だからそれを弾いた時に僕はいつも音のどこかに、微かなよそよそしさを感じていた。

僕の音ではない。どちらかと言えばオヤジの音に近い。そして物まね特有にの嘘くささみたいなものを僕は感じていた。まるで他人のふんどしで相撲を取っているような居心地の悪さを心のどこかで感じていた。

そう、僕はあとなにか少しだけ物足りなさを感じていた。

――この音ではオヤジの音の物まねだ――

という思いが払しょくできないでいた。

だから今ここで弾かねばならないのは僕の音だ。それだけは間違いない。
そう僕だけのタッチの音の粒。自分だけの音の繋がり。

 そう思って聞くと冴子の音は確かにオヤジの音の粒に近いが、それではない。
冴子の音が良くも悪くも残っている。それは冴子の個性だと言えないくも無いが、まだ完全に自分のものにはなっていない音の粒だった。

冴子と長年一緒に居た僕だから判る音の違いかもしれない。明らかに冴子もまだそこまで自分のものにしきれていない音の揺らぎがあった。

 それでも冴子の演奏を聞きながら僕は焦っていた。
そんな揺らぎを差し引いても彼女の演奏は僕の魂を揺さぶる。

 冴子の演奏を聞くまでは、いつものように一音一音を大事に弾けば良いみたいな気楽な発想で居たのが、あと十数分で自分の音を絞り出さねばならなくなった。

――あれ? 僕はいつも何を考えて弾いていたっけ? ――

ここに来て、そもそも僕はいつもどんな風にピアノを弾いていたのか? それさえも分からなくなってきてしまっていた。

――ダメだ! 考え過ぎだ! ――

焦りは焦りを生む。
だが冴子のピアノの音は聞こえている。

 冴子の演奏は更に凄みを増してきた。ファンファーレからの音の粒は怒涛の良な勢いでやってきた。
まさに鬼気迫る音の粒だった。
冴子の弾くピアノの音の粒が跳ねている。
まるで僕を急かす様に目の前を飛び跳ねている。

 なのに冴子の肩は軽やかに音を奏でている。全く力みが無い。

――演奏を楽しんでやがる。忌々しい――

冴子は完全にコンクールだという事を度外視しているようだ。

――これっていつもの俺か……冴子はいつもこんな思いをしながら俺の演奏を聞いていたのか?――

 僕はちょっと腹立たしかった。
こんな嫌がらせのような演奏をした冴子にもそれを仕組んだオヤジにも、そしてなによりもここに来るまで何も考えていなかった自分自身に憤りを感じていた。

――僕が逆の立場ならこれぐらいの事は平気でやっただろう――

冴子がいけずなお嬢様である事を僕は忘れていた。

――ふん! 身体中に乳酸が溜まれば良いのに……疲れ果ててしまえ――
そんな不埒な事も僕は考えていた。

しかし冴子には悔しいほど力みは無い。

 今この会場でオヤジと鈴原さんは一緒に冴子の演奏を聞いているんだろう。
どうせオヤジの事だ、にやけながら聞いているに違いない。

鈴原さんは驚いているんじゃないのかな? 
自分の娘の奏でるピアノ音が横に座っている親友の弾くピアノの音とそっくりである事は、日頃、娘と一緒に居ない父親だとしても気が付いているだろう。

「なんや? お前の音とそっくりやんか?」

「良く分かったな」

「そりゃ分かるやろう。高校時代にどれだけ聞いてきたと思ってんねん」

「案外、記憶力ええな」

等と小声で話しているに違いない。

「さて亮平はどうする?」
なんて楽しんでいるんだろう……悪趣味なオヤジだ。

しかし、本当にどうするよ俺? 

 このままではオヤジと冴子の思うつぼだわ。
半端でない詰んだ感が僕を包む。

彼女の最後のピアノ演奏は僕を容赦なく追い込んでいく。

――これがコンクールで戦うという事か!?――

 コンクールでこんな思いをしたのは初めてだった。この気持ちをどう処理していいのかも分からなかった。

 冴子の腕が高く上がった。余韻が会場に響き渡る。最後の一音まで力を抜かずに冴子は弾き切った。
彼女のコンクールが今終わった。もう二度とコンクールのステージで鍵盤の上に指を置くことはないだろう。

――なんちゅう演奏をするんや――

 全てを解き放って放心状態にしか見えない冴子をしり目に、僕は舞台袖から離れてさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
会場からは盛大な拍手が聞こえる。観客は腹立たしいぐらいに素直で正直だ。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~

黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった! 「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」 主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!

生贄巫女はあやかし旦那様を溺愛します

桜桃-サクランボ-
恋愛
人身御供(ひとみごくう)は、人間を神への生贄とすること。 天魔神社の跡取り巫女の私、天魔華鈴(てんまかりん)は、今年の人身御供の生贄に選ばれた。 昔から続く儀式を、どうせ、いない神に対して行う。 私で最後、そうなるだろう。 親戚達も信じていない、神のために、私は命をささげる。 人身御供と言う口実で、厄介払いをされる。そのために。 親に捨てられ、親戚に捨てられて。 もう、誰も私を求めてはいない。 そう思っていたのに――…… 『ぬし、一つ、我の願いを叶えてはくれぬか?』 『え、九尾の狐の、願い?』 『そうだ。ぬし、我の嫁となれ』 もう、全てを諦めた私目の前に現れたのは、顔を黒く、四角い布で顔を隠した、一人の九尾の狐でした。 ※カクヨム・なろうでも公開中! ※表紙、挿絵:あニキさん

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

処理中です...