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コンクールの二人
隣に座る者
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ふと僕は隣に座っている冴子の次の奏者に目をやった。
――そうだ。まだ考える時間はある。焦るな――
兎に角、一度気持ちを切り替えて落ち着かなければならない。
隣に座っているのは、長いストレートの髪が綺麗なドレス姿の女子高生だった。
心なしか横顔が引きつっているように見えたが、あの冴子の演奏を聞いた後ではそうなっても仕方ないだろう。
この彼女の気持ちが今の僕には痛いほど良く分かる。
普通はこんな気持ちでここに座っているもんなんだろうな。他人の演奏を聞いて自分を追い込んでしまうコンテスタントの話はよく聞く。
僕は他人の演奏で追い込まれたことはない。どちらかと言えば素直にそれを楽しんで聞いている。しかし今日の僕は冴子の演奏を聞いて明らかに動揺しているし、平常心でいようとあがいている。
ただ、こんな焦っている自分自身を少し楽しんでいる自分がいる事を僕は感じていた。とても新鮮な気持ちでもあった。もっともそんな事を言っている場合でない事も重々承知していたが……。
――ホンマに焦ってんでぇ。笑ってまうな。俺もこんなに焦ることがあるんや――
と自分に言い聞かせているのか、今の状況を皮肉っているのか訳の分からない状態になりながら隣の女子高生にまた視線を移した。
冴子の演奏はもう終わっている。そんな事も気が付いていないような顔つきだった。
冴子の演奏に打ちのめされてしまったようだ。まさか自分のすぐ前であんな演奏をされるとは思ってもいなかったのだろう。しかし、この彼女もファイナリストである事は間違いない。自信をもって弾いてもらいたいと僕は密かに思っていた。それでないと折角のドレスが台無しだ。
そんな事を考えていたら、思わず声を掛けてしまった。
「大丈夫。あんないけずな演奏に負けずにガンガン弾いたらええねん」
いや、それは僕の独り言だったかもしれない。それにては少し声が大きすぎた。
その子は驚いたような表情で僕の顔を覗き込んだ。
まだ演奏もしていないのに既にとんでもないミスをしたような表情をしている。
――これってやっぱり冴子の演奏に打ちのめされたって事なのかな?――
「今演奏終わって、拍手喝さいを受けているバカは僕の友人なんやけど、あんなもん気にしてもしゃぁないやん。ここまで来たら自分の演奏をする事だけを考えたらええんとちゃう?」
と本当は自分に言い聞かせたい台詞だったが、その見ず知らずのただ単に隣に座って順番を待つ者同士だけの関係の彼女に僕は顔もまともに見ずに言った。
それにしても余計なお世話な一言だったか? と言った後に後悔した。
「バカ?」
彼女は怪訝な顔をしながらも聞き返してくれた。
「うん。いけずなバカ」
そう言って僕は隣に座っている彼女の顔を改めて見直した。
長いまつげの瞳が激しく瞬いていた。
「あんたもここまで、まぐれで来たわけやないんやろ?」
彼女は黙ったまま僕の顔じっと見つめていた。
「普通に自分の演奏をしたらええやん。でも、今の自分の顔は『もうすべてが終わった』みたいな顔してんで」
「え?」
彼女は驚いたように小さく声を上げた。
「なんや? 気が付いてなかったん?」
「う……うん。 ちょっとあの演奏を聞いて怯んでいたわ」
彼女は正直に今の心境を僕に語った。
僕から話しかけておいてなんだが、一応僕はあなたのコンペチタ―なんですけど……とツッコミを入れてやろうかと思うぐらい彼女は素直に自分の不安な感情を見せた。
「あんないけずなバカの演奏を聞いて、怯むなんてそれこそあのバカの思うつぼや」
と僕は敢えて口元を緩めながら言った。
「そうかぁ……」
「そうでしょう……まだ自分の演奏も終わってないのに……そんな顔をあのバカが見たら『しめしめ』と鼻で笑うと思う」
「しめしめ……?」
「うん。性格の悪さは天下一品やから」
「それは癪だわ……とっても……そうよね。いけずなバカは気にしないでいいのよね」
彼女の表情が少しだけ和らいだ。どうやら僕の言葉は彼女が立ち直るきっかけぐらいにはなったようだ。
――他人の演奏に振り回されるのは愚かな行為だわ――
と彼女の顔にはそう書いてあった。
「うん。俺はいつもそうしている」
と言いながら今回は思いっきりそのバカを気にしていた。そのバカに一撃食らってしまっていた……そして、まだ立ち直っていないと全世界の人々に告白したいぐらいだ。
「うん」
彼女はそう言うと立ち上がって大きく息を吸って自分の名前を呼ばれるのを待った。
舞台袖に戻って来た冴子が彼女とすれ違った瞬間、僕の顔を見るなり
「ふん!」
と言って通り過ぎていった。
しかし精も根も尽き果てたのか足元が少しおぼつかないように見えた。
――あれは全てを出し切ったって顔やな――
腹が立つけど今日の冴子の演奏は鬼気迫るものが確かにあった。
その冴子を横目で見ていた女子高生は振り返り、そのまま冴子の姿を目で追った。
「本当に鼻で笑われたわ」
と少し驚いたように言った。
「でしょう?」
僕は笑った。本当に冴子は分かり易い奴だわ。でも笑ったのは僕に対してであって、この彼女へ向けたものではない。
「でもあなた達は仲が良いのね」
とその彼女も軽く笑いながら言った。どうやら彼女もその事は分かっているようだ。
「まあね。そう見られる事を否定はしない」
僕がそう応えた瞬間
「石川梨香子さん」
と彼女の名前が呼ばれた。
――そうだ。まだ考える時間はある。焦るな――
兎に角、一度気持ちを切り替えて落ち着かなければならない。
隣に座っているのは、長いストレートの髪が綺麗なドレス姿の女子高生だった。
心なしか横顔が引きつっているように見えたが、あの冴子の演奏を聞いた後ではそうなっても仕方ないだろう。
この彼女の気持ちが今の僕には痛いほど良く分かる。
普通はこんな気持ちでここに座っているもんなんだろうな。他人の演奏を聞いて自分を追い込んでしまうコンテスタントの話はよく聞く。
僕は他人の演奏で追い込まれたことはない。どちらかと言えば素直にそれを楽しんで聞いている。しかし今日の僕は冴子の演奏を聞いて明らかに動揺しているし、平常心でいようとあがいている。
ただ、こんな焦っている自分自身を少し楽しんでいる自分がいる事を僕は感じていた。とても新鮮な気持ちでもあった。もっともそんな事を言っている場合でない事も重々承知していたが……。
――ホンマに焦ってんでぇ。笑ってまうな。俺もこんなに焦ることがあるんや――
と自分に言い聞かせているのか、今の状況を皮肉っているのか訳の分からない状態になりながら隣の女子高生にまた視線を移した。
冴子の演奏はもう終わっている。そんな事も気が付いていないような顔つきだった。
冴子の演奏に打ちのめされてしまったようだ。まさか自分のすぐ前であんな演奏をされるとは思ってもいなかったのだろう。しかし、この彼女もファイナリストである事は間違いない。自信をもって弾いてもらいたいと僕は密かに思っていた。それでないと折角のドレスが台無しだ。
そんな事を考えていたら、思わず声を掛けてしまった。
「大丈夫。あんないけずな演奏に負けずにガンガン弾いたらええねん」
いや、それは僕の独り言だったかもしれない。それにては少し声が大きすぎた。
その子は驚いたような表情で僕の顔を覗き込んだ。
まだ演奏もしていないのに既にとんでもないミスをしたような表情をしている。
――これってやっぱり冴子の演奏に打ちのめされたって事なのかな?――
「今演奏終わって、拍手喝さいを受けているバカは僕の友人なんやけど、あんなもん気にしてもしゃぁないやん。ここまで来たら自分の演奏をする事だけを考えたらええんとちゃう?」
と本当は自分に言い聞かせたい台詞だったが、その見ず知らずのただ単に隣に座って順番を待つ者同士だけの関係の彼女に僕は顔もまともに見ずに言った。
それにしても余計なお世話な一言だったか? と言った後に後悔した。
「バカ?」
彼女は怪訝な顔をしながらも聞き返してくれた。
「うん。いけずなバカ」
そう言って僕は隣に座っている彼女の顔を改めて見直した。
長いまつげの瞳が激しく瞬いていた。
「あんたもここまで、まぐれで来たわけやないんやろ?」
彼女は黙ったまま僕の顔じっと見つめていた。
「普通に自分の演奏をしたらええやん。でも、今の自分の顔は『もうすべてが終わった』みたいな顔してんで」
「え?」
彼女は驚いたように小さく声を上げた。
「なんや? 気が付いてなかったん?」
「う……うん。 ちょっとあの演奏を聞いて怯んでいたわ」
彼女は正直に今の心境を僕に語った。
僕から話しかけておいてなんだが、一応僕はあなたのコンペチタ―なんですけど……とツッコミを入れてやろうかと思うぐらい彼女は素直に自分の不安な感情を見せた。
「あんないけずなバカの演奏を聞いて、怯むなんてそれこそあのバカの思うつぼや」
と僕は敢えて口元を緩めながら言った。
「そうかぁ……」
「そうでしょう……まだ自分の演奏も終わってないのに……そんな顔をあのバカが見たら『しめしめ』と鼻で笑うと思う」
「しめしめ……?」
「うん。性格の悪さは天下一品やから」
「それは癪だわ……とっても……そうよね。いけずなバカは気にしないでいいのよね」
彼女の表情が少しだけ和らいだ。どうやら僕の言葉は彼女が立ち直るきっかけぐらいにはなったようだ。
――他人の演奏に振り回されるのは愚かな行為だわ――
と彼女の顔にはそう書いてあった。
「うん。俺はいつもそうしている」
と言いながら今回は思いっきりそのバカを気にしていた。そのバカに一撃食らってしまっていた……そして、まだ立ち直っていないと全世界の人々に告白したいぐらいだ。
「うん」
彼女はそう言うと立ち上がって大きく息を吸って自分の名前を呼ばれるのを待った。
舞台袖に戻って来た冴子が彼女とすれ違った瞬間、僕の顔を見るなり
「ふん!」
と言って通り過ぎていった。
しかし精も根も尽き果てたのか足元が少しおぼつかないように見えた。
――あれは全てを出し切ったって顔やな――
腹が立つけど今日の冴子の演奏は鬼気迫るものが確かにあった。
その冴子を横目で見ていた女子高生は振り返り、そのまま冴子の姿を目で追った。
「本当に鼻で笑われたわ」
と少し驚いたように言った。
「でしょう?」
僕は笑った。本当に冴子は分かり易い奴だわ。でも笑ったのは僕に対してであって、この彼女へ向けたものではない。
「でもあなた達は仲が良いのね」
とその彼女も軽く笑いながら言った。どうやら彼女もその事は分かっているようだ。
「まあね。そう見られる事を否定はしない」
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と彼女の名前が呼ばれた。
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