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夏休み
トワイライトゾーンへ
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お嬢が消えた広場の奥を暫く黙って見つめていたオヤジは、踵を返すと
「さてと、お嬢とも会ったし、息子は無事に守人になったし、これでここにはもう用はないな」
と肩の荷が下りたかのように言った。
「え? もう帰るん?」
僕は思わず聞き返した。あまりにも唐突過ぎる。
「いや、用はないけど、神戸に帰ってもする事無いから、もうちょっとここにおろか?」
オヤジは子供のように笑ってそう言った。
「うん。でも父さん……仕事は?」
「大丈夫や。心配いらん」
と笑って首を振った。
僕はオヤジはいつ仕事しているのかいまだに良く分かっていない。でもちゃんと仕事をしているらしい。
「さて、義雄のおっちゃんの畑仕事でも手伝うか!」
そう言ってオヤジは歩き出した。
「うん」
僕もオヤジの後に続いて歩き出した。
オヤジと僕は二人で元来た小径を戻って行った。
母屋の前まで来ると、さっきオヤジと僕で飲み散らかした跡を片付けている真澄さんが居た。
「あ、真澄さん、ごめん。俺が片付けるから」
とオヤジはそう言いながら早足で縁側まで歩いて行った。
「いやいや。気にせんで」
真澄さんは手際よくお盆に器やコップを乗せて台所へ持って行ってくれた。
「ちょっと悪いことしたなあ……」
とオヤジが珍しく気にしていた。
縁側にオヤジと座っていると真澄さんがまた戻ってきて
「一平、お嬢に会いに行ってたんかのぉ?」
とオヤジに聞いてきた。
オヤジはどう答えるのか? と思って見ていたらあっさりと
「うん。そう。さっき会ってきた。亮平と一緒に」
と答えた。
「そうかぁ。亮平も守人かぁ」
と言って真澄さんは僕の顔を覗き込むように見た。
「そうやね。コイツも見事に守人になりよったわ。ま、これでこの家もまだまだ安泰やね」
とオヤジは軽く答えた。
それを聞くと
「亮平ちゃん、よろしく頼むのぉ」
と真澄さんが頭を下げてきた。
「いえいえ。僕なんかまだなんにも分かってへんし……」
と僕は慌てて首を振った。
「本当は惣領家で守人をやらないといかんのにのぉ」
真澄さんは寂しそうにそう言った。
「まあ、いいんやないの? こうやって守人自体はちゃんと続いているんやから、いつかそっちでも出るでしょう。同じ血なんだから」
とオヤジが気を使って真澄さんを慰めていた。
「そうだのぉ。ましばらくは守人をよろしく頼む。一平」
「へい。任されました」
とオヤジは相変わらず軽い返事だった。
真澄さんは笑いながら
「もうすぐ昼ご飯やから……今日は素麺でもええか?」
と聞いた。
「いいねえ……やはり夏は素麺でしょう」
僕もその意見には賛成だった。
さっき朝ごはんを食べたばかりなのにもうお腹が空いてきたような気がする。
お嬢に会ってエネルギーを吸い取られたか?……なんて考えていた。
結局、オヤジの田舎には五日間居た。
もっとオヤジはここで遊んでいたそうだったが携帯電話に仕事先から何度か連絡が入って、そうも言っていられなくなっていた。
温泉三昧の生活は楽しかった。僕も本当はもう少し居たかった。
親戚の子達とも、もっと遊びたかった。
結局、夜は五日間ともオヤジと一緒に露天風呂に入った。
そして空を見上げて星座の話をしてもらった。
本当にオヤジは子供の頃は天文小僧だったようだ。
「子供の頃は『月と星座』という本を毎月買って読んでいた」
と言って自慢していた。
オーストラリアで見た南十字星の話も面白かった。
若い頃からオヤジは世界の色々な国の色々な街に旅をしていたようだ。
それとオヤジは本家の話もしてくれた。
どうやら、本来惣領家として継ぐべきだった僕の曾祖父さんが継がずに、義雄のおっちゃんに遷ったので、まだ負い目に感じているようだと。
その時の先代は僕の曾祖父さんの兄貴で子供が居なかった。
若いうちに神戸に出ていた曾祖父さんは、本当なら戻って惣領家を継がねばならなかったのだが、田舎に戻るのが嫌で家を継がなかった。
それで一番末の弟だった義雄のおっちゃんが継ぐハメになったという事だ。
本来なら僕の家が曾祖父ちゃん、爺ちゃん、オヤジそして僕と引き継がれる総領家の本家筋なので、今の本家がうちに気を遣うのはそう言う理由だからだ。
「曾祖父さんの我儘で跡目を継いで貰ったんだから、義雄のおっちゃんが負い目を感じる筋合いは無い」とオヤジが珍しくまともな事を言うのだが、「これが惣領家に代々伝わる歴史の重さというものなんだろうな」とも言っていた。
僕の曽祖母さんは義雄のおっちゃんからしたら、自分のお兄さんの奥さんなので「姉さん」になる。
だから曾祖父さんが亡くなった後でも本家に集まる時は曾祖母さんがいつも上座に座っていたらしい。曾祖母さんはそれを嫌がっていたのだが、仕方なくそこにいつも座っていたそうだ。
だから本来の本家筋のうちの家に守人が出るのは、まだ義雄のおっちゃんの家が認められていないと気を遣っているそうだ。
オヤジは「その通りなんやけど、それをあからさまには言えんからなあ……。まあ、おっちゃんや真澄さんは分かっているけどな」と言っていた。
それもオヤジや爺ちゃんが実家に近寄らない理由の一つだと言っていた。
親戚に気を遣われるのはあまり居心地のいいものではないのは僕でも判る。
「でも、たまには来たらな、お嬢が寂しがるからなあ……。また来年も来よか」とオヤジはポツリと言った。
「うん。爺ちゃんも連れて来てあげたら?」
と僕が言うと
「そうやな。今度はあのクソじじいも連れてきてやるか」
オヤジはそう言って笑った。
僕はこの露天風呂での五日間の話を決して忘れないだろう。十六年間会う事もなくまともに話もした事が無いオヤジと、ほとんど一日中一緒に居るという状況自体が新鮮だった。
自分で言うのもおかしいが、これまで十六年間会えなかった分を取り返しているような気にさえなって来ていた。もしかしたらオヤジもそんな事を思っていたのかもしれない。
オヤジと一緒にヒノキの風呂に浸かりながら、『僕もいつかこうやって家の話を子どもに伝えることがあるのだろうか……』なんてことも考えたりしたが、まだ子供の僕がそれを考えるのは早すぎると自分でも思う。
そんな露天風呂に後ろ髪引かれぱなしのオヤジだったが、仕事に戻ると決めたら潔かった。オヤジはちゃんと仕事をしているという事が分かって少し安心した。
「明日は午前中に帰る事にするわ」
とオヤジが言うと義雄のおっちゃんも真澄さんも残念そうな顔をして引き止めた。
「いや、本当に仕事があるもんで。また来るし……今度はもうちょっとゆっくりできるように来るんで。お嬢とも約束したし」
本家からしたらオヤジは家の幸せを運んでくる人に見えるんだろう。
基本的にはオヤジはお嬢の言ったことを伝えるだけのようだけど……。
でも、次に来る時も僕も一緒に来たい。またお嬢に会いたい。今度はもっとお嬢と話をしたいと思った。
オヤジは車に荷物を積んで、田舎で採れた野菜を土産にもらって嬉しそうだった。
義雄のおっちゃんにオヤジが
「うちのクソじじいに食わしてやりますわ」
と言うと
「そのクソじじいにたまには顔を出せと言っといてくれんかの。わしもいつまで生きているか、分からんのでのぉ」
と言っていた。
「今度は首に縄をくくりつけてでも連れてくるわ」
とオヤジも笑いながら言っていた。
オヤジや爺ちゃんは親戚と仲が良いようだ。
もっと早く来たかったなぁ……と思ったが、なんとなくだが、これはオフクロには言わない方が良いような気がした。
でも考えたら、オフクロはここに来た事がないのかな?
結婚の時にオヤジは来たと言っていたけど、その時に一緒に来たんじゃないのかな?
そんな事を考えていたら出発の時間がやってきた。
「それじゃ」
と言ってオヤジと僕は車に乗り込んで神戸への帰途についた。
暫くすると
「楽しかったか?」
と運転しながら横目でオヤジが聞いてきた。
「うん。露天風呂が良かった」
あの露天風呂にはもう一度入りたい。僕はそう思いながらオヤジの問いに応えた。
「露天風呂かぁ……確かに良かったが、お前が言うのはちょっとオッサン臭ないか?」
と言ってオヤジは鼻で笑った。
「そうかなぁ? でも露天風呂は最高やったわ」
「案外、渋い趣味しとるなぁ。亮平は」
とオヤジは満足そうな笑みを浮かべながら言った。
「まあ、あとお嬢にも会えたしね。不思議な体験やったわ」
「ああ、そうやな。普通はないな、あんな経験。他の人には言いなや。危ない奴だと思われんで」
とオヤジは真顔で言った。
「言わんわ。そんな事」
この話は元々言われるまでもなく誰にも言うつもりはなかった。
「でも、母さんはお嬢の事を知っとうの?」
そう、僕はオフクロにはどういようか迷っていた。
「ああ、知っとるな。結婚前に本家に連れて行ったからな。その時に言うたわ。お母さんはお嬢には会ってないけどな。会っても多分見えへんやろうし……。でもお嬢の事を聞いてどう思ったのかまでは知らんけどな」
ハンドルを握りながらオヤジは教えてくれた。
「そうかぁ……母さんも知っとんや」
どうせ家に帰ったら聞かれるだろうけど、聞かれたら正直に答えよう……そう思った。
「でも、お母さんはあんまり興味ないやろうな。そんな事は」
とオヤジが僕の考えを見透かしたように言った。
「そうかもね」
僕もなんとなくそんな気がした。
「あ、それからね。お嬢に『我が名は八色の姓って言われたんやけど、どういう意味?」
僕はオヤジに聞こうと思って忘れていた事を思い出した。
「ああ? それも聞いたんか? 案外、色々話をしたんやな。お前もお嬢に気に入られたみたいやな」
とオヤジは少し驚いたように言った。
「そうなんかな?」
「まあ、そうやろうな……八色の姓って言うのは大君から貰った名前っていう事や」
とオヤジは教えてくれた。
「大君?」
「そう、帝やな」
「え? そうなん?」
気が付くと車はインターチェンジから中国縦貫道路へ入って行った。
「そうや。帝から名前を貰った家やから、めっちゃ古い時代からある家やって事や」
オヤジは運転しながら話を続けた。
「そういう事かぁ……」
「はっきり言ってその姓も時代が下がると、大抵は同じ姓を名乗っていたから珍しくもなんともなくなるんやけどな」
「え? そうなん?」
「そうや。貰った当時はありがたかったかもしれんけど。まあ、今じゃ歴史が古いだけの家や。今の時代あんまり意識する事はないで。本家の人間は意識しているみたいや。なんせ墓守やからなぁ」
オヤジは言葉をいったん切ると
「第一うちの本家にしても、その家系からしたら単なる分家筋やからな。もうどうでもええ話や……」
と言った。
オヤジにとって歴史のある家系と言うのは何も興味も湧かないどうでも良いような事なんだろう。
オヤジの口ぶりからではそんな風にしか伝わってこなかった。
それにしても本当に曾祖父さんは、面倒な事を義雄のおっちゃんに押し付けただけのような気がする。とんでもない爺さんだ。
しかし守人だけは逃げ切れずにうちの家が継いでいるわけだ。
なんか先祖の怨念みたいなモノを感じる。
言ってみれば曾祖父さんからオヤジに至るまで、この守人と言う役目からも逃げまくっていた訳だ。本当に似た者親子の連鎖だ。
これもある意味先祖代々引き継いだ『逃げのDNA』なんだろうか?
なんだかオヤジを見ているとその言葉がとても腑に落ちる。
なんか、自分の人生から世界から何か分からないが、敢えて逃げているような気がする。
逃げている割には結局対決しなきゃならなくなって、やらざるを得なくなる……そんな人生を歩んでいるような気がする。
このオヤジが本気出して勝負したら凄い事をしそうな気がするが、その姿はどうも想像できない。
この適当でエエ加減なオヤジがやっぱり一番絵になっていると思ってしまう。できればこのままでいてほしいとさえ思う。
僕は息子なんだからもっと父親をシビアに見ても良いんだろうけど、そんな気にはならない。不思議だけど。
オフクロはどう思っているんだろう。少し気になる。
そんな世間を斜めに見ているようなオヤジだけど、鈴原のお父さんや安藤さんはこのオヤジを頼りにしているようだ。
「生まれる時代を間違えた天才」
とまで言っていた。
我がオヤジながら不思議なオヤジだ。
そんな事をオヤジの運転する車の助手席でツラツラ考えていたら、いつの間にか寝てしまった。
夢の中でお嬢が出てきた。
一言
「また来るのじゃ」
そこで目が覚めた。
気が付いたら車は中国縦貫道路を降りていた。
「よく寝てたな」
オヤジは運転しながら僕に話しかけた。
結局、往復オヤジが一人で車を運転していた。
――僕が免許を取ったら、代わってあげられるのにな。十八歳になったら自動車の免許を取りに行こう――
寝起きのボーとする頭でそんな事を考えていた。
窓の外を何も考えずに見ていたら、オヤジは車の速度を落として僕に聞いてきた。
「次の交差点の角に立っている女の人見えるか?」
「うん?……ああ、あの道の反対側に立っている黄色いワンピースの人?」
「そうそう。見えるか?」
「見えるけど、知り合い?」
「いや、見えていたんやったらそれでええわ……そっかぁ……お前にも見えるんやぁ……流石やな……」
と何故か楽しそうに呟いた。
オヤジはその女性に目をやる事もなく、車は加速してその女性の横を通り抜けていった。
「もしかして……」
オヤジは助手席に座っている僕を横目でチラッと見て
「ようこそ、トワイライトゾーンへ」
とニヤッと笑った。
慌てて振り返った僕の目にはその女性の姿は見えなかった。霞のように消えていくのが見えた。
「さてと、お嬢とも会ったし、息子は無事に守人になったし、これでここにはもう用はないな」
と肩の荷が下りたかのように言った。
「え? もう帰るん?」
僕は思わず聞き返した。あまりにも唐突過ぎる。
「いや、用はないけど、神戸に帰ってもする事無いから、もうちょっとここにおろか?」
オヤジは子供のように笑ってそう言った。
「うん。でも父さん……仕事は?」
「大丈夫や。心配いらん」
と笑って首を振った。
僕はオヤジはいつ仕事しているのかいまだに良く分かっていない。でもちゃんと仕事をしているらしい。
「さて、義雄のおっちゃんの畑仕事でも手伝うか!」
そう言ってオヤジは歩き出した。
「うん」
僕もオヤジの後に続いて歩き出した。
オヤジと僕は二人で元来た小径を戻って行った。
母屋の前まで来ると、さっきオヤジと僕で飲み散らかした跡を片付けている真澄さんが居た。
「あ、真澄さん、ごめん。俺が片付けるから」
とオヤジはそう言いながら早足で縁側まで歩いて行った。
「いやいや。気にせんで」
真澄さんは手際よくお盆に器やコップを乗せて台所へ持って行ってくれた。
「ちょっと悪いことしたなあ……」
とオヤジが珍しく気にしていた。
縁側にオヤジと座っていると真澄さんがまた戻ってきて
「一平、お嬢に会いに行ってたんかのぉ?」
とオヤジに聞いてきた。
オヤジはどう答えるのか? と思って見ていたらあっさりと
「うん。そう。さっき会ってきた。亮平と一緒に」
と答えた。
「そうかぁ。亮平も守人かぁ」
と言って真澄さんは僕の顔を覗き込むように見た。
「そうやね。コイツも見事に守人になりよったわ。ま、これでこの家もまだまだ安泰やね」
とオヤジは軽く答えた。
それを聞くと
「亮平ちゃん、よろしく頼むのぉ」
と真澄さんが頭を下げてきた。
「いえいえ。僕なんかまだなんにも分かってへんし……」
と僕は慌てて首を振った。
「本当は惣領家で守人をやらないといかんのにのぉ」
真澄さんは寂しそうにそう言った。
「まあ、いいんやないの? こうやって守人自体はちゃんと続いているんやから、いつかそっちでも出るでしょう。同じ血なんだから」
とオヤジが気を使って真澄さんを慰めていた。
「そうだのぉ。ましばらくは守人をよろしく頼む。一平」
「へい。任されました」
とオヤジは相変わらず軽い返事だった。
真澄さんは笑いながら
「もうすぐ昼ご飯やから……今日は素麺でもええか?」
と聞いた。
「いいねえ……やはり夏は素麺でしょう」
僕もその意見には賛成だった。
さっき朝ごはんを食べたばかりなのにもうお腹が空いてきたような気がする。
お嬢に会ってエネルギーを吸い取られたか?……なんて考えていた。
結局、オヤジの田舎には五日間居た。
もっとオヤジはここで遊んでいたそうだったが携帯電話に仕事先から何度か連絡が入って、そうも言っていられなくなっていた。
温泉三昧の生活は楽しかった。僕も本当はもう少し居たかった。
親戚の子達とも、もっと遊びたかった。
結局、夜は五日間ともオヤジと一緒に露天風呂に入った。
そして空を見上げて星座の話をしてもらった。
本当にオヤジは子供の頃は天文小僧だったようだ。
「子供の頃は『月と星座』という本を毎月買って読んでいた」
と言って自慢していた。
オーストラリアで見た南十字星の話も面白かった。
若い頃からオヤジは世界の色々な国の色々な街に旅をしていたようだ。
それとオヤジは本家の話もしてくれた。
どうやら、本来惣領家として継ぐべきだった僕の曾祖父さんが継がずに、義雄のおっちゃんに遷ったので、まだ負い目に感じているようだと。
その時の先代は僕の曾祖父さんの兄貴で子供が居なかった。
若いうちに神戸に出ていた曾祖父さんは、本当なら戻って惣領家を継がねばならなかったのだが、田舎に戻るのが嫌で家を継がなかった。
それで一番末の弟だった義雄のおっちゃんが継ぐハメになったという事だ。
本来なら僕の家が曾祖父ちゃん、爺ちゃん、オヤジそして僕と引き継がれる総領家の本家筋なので、今の本家がうちに気を遣うのはそう言う理由だからだ。
「曾祖父さんの我儘で跡目を継いで貰ったんだから、義雄のおっちゃんが負い目を感じる筋合いは無い」とオヤジが珍しくまともな事を言うのだが、「これが惣領家に代々伝わる歴史の重さというものなんだろうな」とも言っていた。
僕の曽祖母さんは義雄のおっちゃんからしたら、自分のお兄さんの奥さんなので「姉さん」になる。
だから曾祖父さんが亡くなった後でも本家に集まる時は曾祖母さんがいつも上座に座っていたらしい。曾祖母さんはそれを嫌がっていたのだが、仕方なくそこにいつも座っていたそうだ。
だから本来の本家筋のうちの家に守人が出るのは、まだ義雄のおっちゃんの家が認められていないと気を遣っているそうだ。
オヤジは「その通りなんやけど、それをあからさまには言えんからなあ……。まあ、おっちゃんや真澄さんは分かっているけどな」と言っていた。
それもオヤジや爺ちゃんが実家に近寄らない理由の一つだと言っていた。
親戚に気を遣われるのはあまり居心地のいいものではないのは僕でも判る。
「でも、たまには来たらな、お嬢が寂しがるからなあ……。また来年も来よか」とオヤジはポツリと言った。
「うん。爺ちゃんも連れて来てあげたら?」
と僕が言うと
「そうやな。今度はあのクソじじいも連れてきてやるか」
オヤジはそう言って笑った。
僕はこの露天風呂での五日間の話を決して忘れないだろう。十六年間会う事もなくまともに話もした事が無いオヤジと、ほとんど一日中一緒に居るという状況自体が新鮮だった。
自分で言うのもおかしいが、これまで十六年間会えなかった分を取り返しているような気にさえなって来ていた。もしかしたらオヤジもそんな事を思っていたのかもしれない。
オヤジと一緒にヒノキの風呂に浸かりながら、『僕もいつかこうやって家の話を子どもに伝えることがあるのだろうか……』なんてことも考えたりしたが、まだ子供の僕がそれを考えるのは早すぎると自分でも思う。
そんな露天風呂に後ろ髪引かれぱなしのオヤジだったが、仕事に戻ると決めたら潔かった。オヤジはちゃんと仕事をしているという事が分かって少し安心した。
「明日は午前中に帰る事にするわ」
とオヤジが言うと義雄のおっちゃんも真澄さんも残念そうな顔をして引き止めた。
「いや、本当に仕事があるもんで。また来るし……今度はもうちょっとゆっくりできるように来るんで。お嬢とも約束したし」
本家からしたらオヤジは家の幸せを運んでくる人に見えるんだろう。
基本的にはオヤジはお嬢の言ったことを伝えるだけのようだけど……。
でも、次に来る時も僕も一緒に来たい。またお嬢に会いたい。今度はもっとお嬢と話をしたいと思った。
オヤジは車に荷物を積んで、田舎で採れた野菜を土産にもらって嬉しそうだった。
義雄のおっちゃんにオヤジが
「うちのクソじじいに食わしてやりますわ」
と言うと
「そのクソじじいにたまには顔を出せと言っといてくれんかの。わしもいつまで生きているか、分からんのでのぉ」
と言っていた。
「今度は首に縄をくくりつけてでも連れてくるわ」
とオヤジも笑いながら言っていた。
オヤジや爺ちゃんは親戚と仲が良いようだ。
もっと早く来たかったなぁ……と思ったが、なんとなくだが、これはオフクロには言わない方が良いような気がした。
でも考えたら、オフクロはここに来た事がないのかな?
結婚の時にオヤジは来たと言っていたけど、その時に一緒に来たんじゃないのかな?
そんな事を考えていたら出発の時間がやってきた。
「それじゃ」
と言ってオヤジと僕は車に乗り込んで神戸への帰途についた。
暫くすると
「楽しかったか?」
と運転しながら横目でオヤジが聞いてきた。
「うん。露天風呂が良かった」
あの露天風呂にはもう一度入りたい。僕はそう思いながらオヤジの問いに応えた。
「露天風呂かぁ……確かに良かったが、お前が言うのはちょっとオッサン臭ないか?」
と言ってオヤジは鼻で笑った。
「そうかなぁ? でも露天風呂は最高やったわ」
「案外、渋い趣味しとるなぁ。亮平は」
とオヤジは満足そうな笑みを浮かべながら言った。
「まあ、あとお嬢にも会えたしね。不思議な体験やったわ」
「ああ、そうやな。普通はないな、あんな経験。他の人には言いなや。危ない奴だと思われんで」
とオヤジは真顔で言った。
「言わんわ。そんな事」
この話は元々言われるまでもなく誰にも言うつもりはなかった。
「でも、母さんはお嬢の事を知っとうの?」
そう、僕はオフクロにはどういようか迷っていた。
「ああ、知っとるな。結婚前に本家に連れて行ったからな。その時に言うたわ。お母さんはお嬢には会ってないけどな。会っても多分見えへんやろうし……。でもお嬢の事を聞いてどう思ったのかまでは知らんけどな」
ハンドルを握りながらオヤジは教えてくれた。
「そうかぁ……母さんも知っとんや」
どうせ家に帰ったら聞かれるだろうけど、聞かれたら正直に答えよう……そう思った。
「でも、お母さんはあんまり興味ないやろうな。そんな事は」
とオヤジが僕の考えを見透かしたように言った。
「そうかもね」
僕もなんとなくそんな気がした。
「あ、それからね。お嬢に『我が名は八色の姓って言われたんやけど、どういう意味?」
僕はオヤジに聞こうと思って忘れていた事を思い出した。
「ああ? それも聞いたんか? 案外、色々話をしたんやな。お前もお嬢に気に入られたみたいやな」
とオヤジは少し驚いたように言った。
「そうなんかな?」
「まあ、そうやろうな……八色の姓って言うのは大君から貰った名前っていう事や」
とオヤジは教えてくれた。
「大君?」
「そう、帝やな」
「え? そうなん?」
気が付くと車はインターチェンジから中国縦貫道路へ入って行った。
「そうや。帝から名前を貰った家やから、めっちゃ古い時代からある家やって事や」
オヤジは運転しながら話を続けた。
「そういう事かぁ……」
「はっきり言ってその姓も時代が下がると、大抵は同じ姓を名乗っていたから珍しくもなんともなくなるんやけどな」
「え? そうなん?」
「そうや。貰った当時はありがたかったかもしれんけど。まあ、今じゃ歴史が古いだけの家や。今の時代あんまり意識する事はないで。本家の人間は意識しているみたいや。なんせ墓守やからなぁ」
オヤジは言葉をいったん切ると
「第一うちの本家にしても、その家系からしたら単なる分家筋やからな。もうどうでもええ話や……」
と言った。
オヤジにとって歴史のある家系と言うのは何も興味も湧かないどうでも良いような事なんだろう。
オヤジの口ぶりからではそんな風にしか伝わってこなかった。
それにしても本当に曾祖父さんは、面倒な事を義雄のおっちゃんに押し付けただけのような気がする。とんでもない爺さんだ。
しかし守人だけは逃げ切れずにうちの家が継いでいるわけだ。
なんか先祖の怨念みたいなモノを感じる。
言ってみれば曾祖父さんからオヤジに至るまで、この守人と言う役目からも逃げまくっていた訳だ。本当に似た者親子の連鎖だ。
これもある意味先祖代々引き継いだ『逃げのDNA』なんだろうか?
なんだかオヤジを見ているとその言葉がとても腑に落ちる。
なんか、自分の人生から世界から何か分からないが、敢えて逃げているような気がする。
逃げている割には結局対決しなきゃならなくなって、やらざるを得なくなる……そんな人生を歩んでいるような気がする。
このオヤジが本気出して勝負したら凄い事をしそうな気がするが、その姿はどうも想像できない。
この適当でエエ加減なオヤジがやっぱり一番絵になっていると思ってしまう。できればこのままでいてほしいとさえ思う。
僕は息子なんだからもっと父親をシビアに見ても良いんだろうけど、そんな気にはならない。不思議だけど。
オフクロはどう思っているんだろう。少し気になる。
そんな世間を斜めに見ているようなオヤジだけど、鈴原のお父さんや安藤さんはこのオヤジを頼りにしているようだ。
「生まれる時代を間違えた天才」
とまで言っていた。
我がオヤジながら不思議なオヤジだ。
そんな事をオヤジの運転する車の助手席でツラツラ考えていたら、いつの間にか寝てしまった。
夢の中でお嬢が出てきた。
一言
「また来るのじゃ」
そこで目が覚めた。
気が付いたら車は中国縦貫道路を降りていた。
「よく寝てたな」
オヤジは運転しながら僕に話しかけた。
結局、往復オヤジが一人で車を運転していた。
――僕が免許を取ったら、代わってあげられるのにな。十八歳になったら自動車の免許を取りに行こう――
寝起きのボーとする頭でそんな事を考えていた。
窓の外を何も考えずに見ていたら、オヤジは車の速度を落として僕に聞いてきた。
「次の交差点の角に立っている女の人見えるか?」
「うん?……ああ、あの道の反対側に立っている黄色いワンピースの人?」
「そうそう。見えるか?」
「見えるけど、知り合い?」
「いや、見えていたんやったらそれでええわ……そっかぁ……お前にも見えるんやぁ……流石やな……」
と何故か楽しそうに呟いた。
オヤジはその女性に目をやる事もなく、車は加速してその女性の横を通り抜けていった。
「もしかして……」
オヤジは助手席に座っている僕を横目でチラッと見て
「ようこそ、トワイライトゾーンへ」
とニヤッと笑った。
慌てて振り返った僕の目にはその女性の姿は見えなかった。霞のように消えていくのが見えた。
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※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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