北野坂パレット

うにおいくら

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お正月の頃の物語

トルコ行進曲

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「あんたもこのアホを図に乗せるな!」
冴子の声が僕の一瞬の安息を引き裂いた。
 怒りの矛先が宏美に向いてしまいそうだったので僕は、もう少し冴子が納得するような曲を弾くことにした。

「分かった。じゃあ、ちゃんと弾くわ」
この場の約一名にこの曲は全く受けなかった。洒落の分からん奴だ。

 とはいうものの、曲が浮かばない。
僕はまた少し考えた。
そして僕はモーツァルトのピアノソナタ 第11番 イ長調 K.331 第3楽章 『トルコ行進曲』を弾くことにした。

 同じモーツァルトなら冴子の好きなピアノソナタ第8番 イ短調 K.310 第1楽章も考えたが、冴子が好きな曲を弾くのは媚びを売っているみたいに思えたのでその選択肢は消した。

 この明るくて華やかな可愛い曲『トルコ行進曲』なら何となく、正月の上田家の応接間で弾いても問題なく合うような気がした。

冴子の顔を横目で盗み見るように見たが、今度は怒っていなかった。

 安藤さんの店で弾いた時の様に鍵盤から伝わる想いというモノは無かったが、弾いていると色々な情景が浮かんできた。

 このピアノの前で幼い僕達……冴子と宏美と僕が仲良く三人で鍵盤を叩いている情景が浮かんだ。
そう、ここでこのピアノはいつも僕たちのおもちゃだった。いつも低音から僕・冴子・宏美の順番で座っていた。
ハノンを弾くのもツェルニーを弾くのも一緒だった。

 ああ、懐かしい……そう言えばこの三人の中で最初に『トルコ行進曲』を弾いたのは僕だった。
そう、この部屋でこれを弾いたら冴子が悔しそうに怒っていた……いや、違う。違うぞ。冴子は怒っていなかった……怒っていたのは宏美の方だった。

 冴子は大きな瞳がさらに大きくなって「亮ちゃんすごい!! すごい!」と連呼していた。
それに反して宏美はとても悔しそうに「私が最初にそれを弾くの!」と半泣きになっていた。

 あれ? いつ記憶がすり替わったんだろう?
でも、あの当時は冴子も僕に優しかったんだ。

 僕は思わず笑みがこぼれて冴子を見てしまった。
冴子は片目を開けて『なんだ?』という顔で僕を睨み返した。

 曲の中盤まで来るとシゲルを先頭に鯉川筋を歩いている僕と冴子と宏美の姿が見える。いや他にも和樹やらの姿も見える。みんなでなんか元気に歩いている。

 子供はいつも元気だ。懐かしさでいっぱいになりながら僕はピアノを弾いた。
あれは小学校の放課後の風景だ。多分、県民会館で遊んだ後だろう。懐かしい情景が次から次へと浮かんできた。

 ほどなく僕は『トルコ行進曲』を弾き終わった。
弾き終わってから冴子を見ると明らかに不機嫌な顔をしていた。

「あんた、なんちゅう音出すんや?」

「なにが?ちゃんと弾いたやん」
一体冴子は何が不満だというんだ。

「ちゃう、今までの正確無比な音。譜面通りの面白くもなんともない音。あの音はどこへ行ったんや?」
冴子の嫌味は聞き慣れている。

「知らんがな。なんなん一体?」

「宏美、あんたどうやこの音聞いて?」

「今まで聞いてた亮ちゃんの音とちゃうような気がする……」
宏美まで冴子と同じ事を言い出した。

「そんな事ないで、いつもの通り弾いたつもりやけど」

「アホ、あんたの音を何年聞いてきたと思ってんねん」
そう言うと冴子は顎に手をやり黙って考え込んだ。

 暫くしてから顔を上げると
「じゃあ、今度はあんたの得意なリスト弾いてぇや」
と言った。

「リスト? カンパネラでええんか?」
と僕は聞き返した。
この曲なら冴子と弾き比べをした事もある。

「うん。それ弾いて」

  僕は冴子の表情から彼女の憤りの理由を探ろうとしたが分からなかった。
ただ、彼女の戸惑いだけがなんとなく伝わってきた。
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