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夏合宿
懐かしい顔
しおりを挟む午前中の練習が終わって僕たちは昼食を取るために食堂に向かった。
するとそこには思いがけずに懐かしい笑顔が待っていた。
今春卒業した千龍さん、石橋さんそして彩音さんの三人が笑顔で僕たちを迎えてくれた。
その姿を認めるや否や冴子と瑞穂が
「彩音さん!!」
と声を上げて突進していった。
僕たちも後を追いかけるように続いた。
「お久しぶりです!」
と冴子を筆頭に興奮冷めやらぬように瑞穂や忍が声を掛ける。
まさかこの三人が合宿に来ているとは思ってもいなかったので、僕も驚きながらその輪の中に入っていった。
「何故、先輩たちがここに?」
と興奮気味に瑞穂が聞いた。
「いや、彩音が夏休みにこっちに帰ってきた時に部活に三人で顔を出すつもりやったんや。で、彩音が美奈子ちゃんに連絡したら合宿の事を教えてくれたんや。だからそれに合わせて陣中見舞いに来たという訳や」
と千龍さんが教えてくれた。
そして
「はい。これは俺たちからの差し入れや」
と至極冷静に千龍さんは言うと石橋さんが、抱えていた缶コーヒーが詰まった段ボール箱をテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます!」
と、この先輩たちを知っている二年生・三年生は声をそろえてお礼を述べた。
私服姿の大学生になった先輩たちは大人びて見えた。
先輩たちを交えて昼食を取った後、僕は千龍さんと石橋さんと話し込んでいた。
食後の缶コーヒーを飲みながら千龍さんが
「みんな元気そうでなによりやな。それにしても亮平も先輩らしくなったなぁ。それに部員も増えたし器楽部も部活らしくなってきたんとちゃうん?」
と食堂にいた部員たちを見まわしながら言った。
「そうですかねえ……あんまり先輩になったという自覚はないですけどね。部活は、どうでしょうかねえ……冴子が独裁恐慌政治をしいていますよ」
と僕は笑いながら応えた。
「それは鈴原がちゃんと部を見ているということやな」
と千龍さんはちゃんと部活が回っていることを察してくれたようだった。
なので僕も正直に
「千龍さんの目論見通り冴子がリーダーシップを発揮してまとめ上げています。冴子は怒ると怖いですから」
と最後は少し諦め顔で言った。
「ははは。特にお前は冴子には逆らえんかったからなぁ」
と石橋さんが楽しそうに笑った。
その言葉に反論できない自分が悔しかった。
「いやいや、誰も鈴原には逆らえんやろ?」
と千龍さんが助け舟を出してくれた。
「せやった、せやった」
と石橋さんも納得したように笑った。
懐かしい空気が蘇った。
一年前はこの空気の中に僕はいつも居れたのだ、と思うとその懐かしい空気をこの先輩二人から貰った気分になった。
「ここに着いてから美奈子ちゃんと話をしていたんやけど、あの器楽部でまさか合宿とはな。それもバレンタインの指導付きって……美奈子ちゃんも驚いとったわ」
と千龍さんは驚くというよりも呆れたような表情で言った。
それを聞いて
「ホンマやで。俺も受けてみたかったなぁ……」
と残念そうに石橋さんも呟いた。
「プロの楽団員の指導付きですよ」
と僕は畳みかけた。
「けっ! なんか更に悔しい事を言うてくれるやん」
と石橋さんが凄んできた。やはりこの顔で凄まれると怖い。ちびりそうだ。今度は余計な思い出したくない空気を思い出さされてしまった。
「そ、それなら先輩たちも午後の練習から参加しますぅ?」
と僕は慌てて切り出した。
「え? ええんか?」
と先輩二人は声をそろえて聞き返して来た。
「勿論です」
と僕は胸を張っていった。その上、ドヤ顔で言ったかもしれない。気分が良い。
「部長が許してくれるかな?」
と流石に千龍さんは冴子の立場を気にかけていたが、何の問題もなかった。
実はこの話は冴子から昼食前に相談を受けていて、冴子も彩音さんに『一緒に練習参加しないか?』というつもりだと聞かされていた。なので石橋さんの言葉は僕にとって渡りに船だったわけだ。
「大丈夫でしょう。冴子は彩音先輩とまた一緒に弾きたいっというに決まています」
そう。間違いなくそういうに決まっていた。
僕自身も先輩ともう一度、演奏りたいと思っていた。
「そっかぁ……そうやな。それは楽しみやな。バサ」
と千龍さんは石橋さんに同意を求めるように聞いた。
「いや、言うてみるもんやな」
と石橋さんも嬉しそうだった。
「楽器もありますから大丈夫ですよ」
と僕は冴子の父親が弦楽器を大量に寄付してくれた事を説明した。
勿論、今回の合宿にも人数分以上に予備の楽器を持ち込んでいた。
「久しぶりに拓哉や夕子と一緒に演奏れるな」
と石橋さんは嬉しそうに拓哉に言った。
その瞬間、拓哉の顔が引きつった。
「あ、拓哉は居ませんよ」
と僕が拓哉の代わりに応えた。
拓哉は苦虫を嚙み潰したような顔でうなだれていた。
「なんで? まさか辞めたとか?」
と石橋さんは驚いたような表情で聞き返して来た、
「いえいえ。拓哉は目の前にいるじゃないですか! 辞めてませんよ。実は拓哉は大会が終わるまでは吹部に出稼ぎに行く事になったんです。それも今日から……」
「え? マジで?」
と石橋さんは更に驚いたような顔で拓哉を見た。
拓哉がそれに応えるより先に千龍さんが
「そうかぁ。戻れたんやぁ……それは良かったやん……拓哉。実はな、鈴原には俺もお願いしてたんや。彼女に部長をお願いする時に『出来れば拓哉を吹部に戻してやってくれ』って。ちゃんと俺と富山の願いをかなえてくれたんやなぁ」
と嬉しそうな表情で言った。
「富山さんって吹部の部長だった?」
と僕は聞き返した。
「そうや。あいつらも拓哉の件は気にしっとたからな。できればそうしてもらいたかったんやけど、ちゃんと鈴原はやってくれたんや。本音を言うとそれができるのは鈴原かお前しかおらんと思ってたんや」
と千龍さんはほっとした表情を見せて言った。
それを聞いて拓哉はまたうなだれた。
「お前の事、先輩たちはホンマに心配してくれとったんやな」
と哲也が拓哉に声を掛けた。
拓哉は申し訳なさそうに
「ご心配ばかりかけて、済みませんでした……」
と消え入りそうな小さな声で謝った。
「まあ、戻ったと言ってもこの大会だけのヘルプですけどね」
と僕が付け加えると石橋さんも
「それで充分や。お前も頑張ってくれたみたいやな」
と僕にもひとこと労ってくれた。
「いえいえ。ほとんど冴子や美乃梨や宏美がやった事です。あとは吹部の健人が説得していました」
と僕は昨晩の件を話した。
それを聞いて先輩二人は
「へぇ……お前らも『あおはる』やってんなぁ……」
と呆れたように感動していた。
言われてみたら少し恥ずかしい。いや相当恥ずかしいことを真顔で言ったような気がしてきた。
もうこの話は誰にもしないでおこうとこの時、心に決めた。
拓哉と哲也も同じことを思っていたようで、僕と目が合うと二人同時に何度も頷いていた。
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