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伴奏
今だから出せる音
しおりを挟む「ああ……今のお前にそれを意識せぇというのは無理やと思うけどな。でも多分、十年後のお前はまた違う音色を求めとうと思うわ」
「え? そうなん?」
と聞き返したが、言われてみればそう思う。十年後も同じ音を出している事はあり得ない。それは僕が全く成長していない証だからだ。考えるまでもない。
――じゃあ、その十年後の僕の音と今の音は何が違うんや? 技術か? 間違いなく何かは違う。それは一体なんや?――
想像ができない。僕が考え込みそうになっていると、そんな事に全く気付いていないオヤジは
「多分な。知らんけど」
と言って笑った。
「父さんはどうやったん?」
「ん? 俺かぁ……どうやったかなぁ……確かに俺の音ってあった様な気がするけどなぁ……でも、それが俺がピアノを弾く目的でもなんでもなかったからなぁ……」
とオヤジは過去の記憶の引っ張り出してきたように言った。
「え? そうなん?」
――だったらオヤジは何のためにピアノを弾いていたんだ?――
と少しオヤジのピアノに興味が湧いた。少し詳しく聞きたくなった。
しかしオヤジはそれを見透かしたように
「ああ、あとは自分で考えや。俺の真似をする必要なんかないんやからな」
とオヤジはカウンターに肘をついて、安藤さんが新しいグラスにグレンリベットを注ぐのを黙って見つめていた。
そして独り言のように
「でもな。こういう悩みもな、みんな亮平の音となっていくんや……ええのぉ」
と呟いた。その呟きはなんとなく楽しそうな響きを含んでいるように感じた。
それと同時にオヤジはこれ以上僕の問いに答える気持ちは全く無いというのも伝わって来た。
後は自分で考えろという事なんだろう。
「そうなんや……」
と僕は生返事しか返せなかった。今の僕にはオヤジの言葉の意味を全ては理解できなかった。
――今出せる僕の音色かぁ……そんなもんあるんやろうかぁ……――
今この場で最高の音を出す事はいつも考えていたが、『自分の音』と言われるとよく分からない。
――そんなものを出す意味なんてあるのだろうか? 単なる自己満足じゃないのか? と言うか自分の音ってなんだ? タッチの事か?――
考えが纏まらない。でも今まで意識していた『この場で最高の音を出す』という事だけでは、僕はもう満足できていないというのは、はっきりと自覚していた。
この前のコンクールのファイナルで弾いたピアノ。あれを弾き切った時、いつもと違う感覚を覚えたのはまだ記憶している。確かに『この場で出せる最高の音を出した』と言う実感はあった。
あの時僕は何かを掴みかけた様な気がしていたが、『それは錯覚だろう』とそれ以上考える事を放棄していた。でもそれは錯覚では無いとうすうす理解してもいた。
ただ、それを認めると底無しの迷宮に迷い込んでしまうような気がしていたので考える事を止めた。
――だからオヤジに『頭でっかち』なんて言われるんやろうな――
と自分に言い聞かせてそれ以上考えないようにしていた。しかし表現力に関してまで考えを放棄はしていなかった。
オヤジの目の前にロックグラスが置かれた。
グレンリベットの淡い琥珀色が氷に映えてとてもきれいに感じた。
「それにしても冴子は、今度はヴァイオリンでファイナルかぁ……それはそれで凄いな」
と安藤さんは改めて感心したように言った。このひとことで話題が変わって、僕は少しほっとした気分になっていた。
――今、ここで考えたところで答えは出んわ――
と割り切れた。
「まあな。ちゃんと去年公言した通り今年はヴァイオリンで全国行きよったわ。それだけでもホンマに凄いわ」
とグラスを持ち上げてると軽く口を付けた。
オヤジもさっきの台詞が無かった事のように、同じように安藤さんと会話を始めた。
「どんな演奏するのか楽しみやなぁ……」
「ホンマにな。亮平とどんな掛け合いすんのか楽しみやな」
オヤジは本当に楽しそうに笑って言った。
「それな」
安藤さんもオヤジと同じレベルで楽しみにしている。
この気楽そうなオッサン二人の会話が何故か腹立たしい。
――気楽なオッサンやな。ジジイになるとなんも悩みは無くなるんか――
「まるで漫才でもやるような言い方すんの止めてんか。それよりもまた見に来るんとか言い出すんとちゃうやろうな?」
と僕が聞くと
「行くに決まっとるやろが」
とオヤジが即答した。
カウンターの中で安藤さんも深く何度も頷いた。
「はぁ……暇なんか……このオッサン連中は」
と僕の口からため息が漏れた。
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