"推したい"婚約者

烏賊

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2章_番外編『泣き虫毛玉』

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年末年始。
アンジュ・ブルナーは仕事のため、実家ブルナー家には戻らなかった。
同じく中央に勤めている彼女の次兄、セオドアもである。
国の治安を守る軍に所属する彼女たちにはしょうがないことだ。それに彼女だけでない。この時期働いてくれている皆様のおかげで、我々は心地よい時間を過ごせた。ありがとう。

とは言っても、納得できないものもいる。
もちろん働いている本人でもあるだろうし、恋人、彼らの家族かもしれない。

「ピィッ…ピィッッ…」

この話の主人公である小さな毛玉は、不服を抱く1匹である。大きな赤い瞳にたっぷりと涙が浮かび、長い耳は元気なく垂れ下がっている。口は泣き声を耐えるのも厳しいほどに震えている。

「大丈夫だヌフ。アンジュもセオドアも帰ってくる」

「今年はお仕事当番なの。先は長いけど、休みをとって必ず帰って来るわ」

ライオネルにセレスト、彼らの母親、祖父母、さらにはポエテランジュらも必死に、懸命に毛玉を慰めている。
べそをかいているのはポエテランジュの9番目の子、ヌフだ。姉弟で1番の寂しがりで、泣き虫ちゃんだ。ただの泣き虫なら良かったのだが、厄介な事にヌフは声に魔力を乗せることができる。それも無意識に。今のように泣いてしまうと、泣き声に振動し、これが大声になれば魔力の勢いも重なり、鼓膜どころか屋敷倒壊の恐れがある。

つまり、新年早々西区・ブルナー領は危機に瀕していた。

さて、なぜ彼女は涙を浮かべているのか。
冒頭で述べたように、アンジュとセオドア、そして彼女の兄アフが帰ってこなかったからである。ヌフはアンジュたちが帰ってくるのを心待ちにしていた。耐寒の日には戻って来たのだから、新年も当然戻ってくると信じきっていた。コトレットも屋敷で過ごしていたし、何より一緒に過ごすのが当たり前なのだから。

『皆、今年はアンジュ新年も仕事だって。セオドアも。また休みの日に帰ってくるよ』



はーい

うん!わかった

社会人はいそがしいな



しかしアフから届いた伝言は、期待を裏切るものであった。ヌフはとても、とても残念な気持ちになった。



そっか、かえってこないんだ…



しかし次の休みには帰ってくる。ヌフはへこむ気持ちを持ち上げた。
…お気づきだろうか。ライオネルが伝えた”休みの日”とは、次にアンジュたちが繰り越しで取れる休暇のことで、それがまだいつとるかは決まっていない。しかしヌフは”また休みの日”を”次の休み”だと誤解してしまった。当然、週末が来ても目当ての人たちは帰ってこない。待っているうちに、コトレットもフィも仕事だと、また離れてしまった。



いつかえってくるんだろう



ヌフはアンジュたちを思い描く。いっそ会いに行こうかとも思ったが、仕事で忙しいなら邪魔をしちゃいけないと屋敷で待つ事に決めていた。決してアンジュたちは邪魔だとは思わないのだが、優しい彼女の気遣いであった。
彼女も必死に寂しさを晴らすために、姉たちや領地にいるブルナー家族に甘えた。
それが今夜。窓から差し込む光の色に、アンジュを思い出した。ふと2度と帰ってこないのではないかと考えが行き着いてしまったヌフは、気持ちが抑えきれなくなった。



ジュちゃんはもう帰ってこないの?

もう会えないの?

テちゃんは?にいちゃんは?

コトちゃん!トにいちゃん!!

さみしいぃぃぃぃ



一度抱いた不安は解消するのに時間がかかる。今回は溜まり溜まった負の感情が大きくなってしまった。
ヌフが突然泣き始め、ライオネルたちはヌフが安心するようにたくさん言葉をかけて、抱きしめる。異変に気づいたセレストも、屋敷に駆けつけた。
大好きな人たちにいっぱい慰められても、あやされてもヌフの涙は止まらない。むしろいない彼女らが恋しくてしょうがない。

「ウビュッ…ビッ…ウグッウゥゥゥ」

決壊は崩れかけている。嗚咽は大きくなり、涙の流れも止まらない。



ジュちゃんにあいたい、あいたいよぉぉ



「ああヌフ、大丈夫。アンジュは帰ってくる。君が不安に思うことは起こらない」

ぽた。
ヌフの瞳から、とびきり大きなに涙こぼれ落ちた。

(あ、まずい)

予感的中。耐えきれなくなったヌフは口を大きく開けた。

「ビエッッッ」










ヌフが姿を消した。
取り残された面々は、ただ呆然と立ち尽くしていた。静かになりすぎた応接間に、ライオネルがぼそり「あ、あんじゅが呼び出したんだ」と呟いた。





彼の予想通り。
ヌフが口を開けた瞬間、その時。

コンコンコン。コンコンコン。コンコンコン。

覚えのある音が聞こえて来た。自分を呼ぶノック音。
ヌフは音が鳴る方へ、我慢せず転移した。

「おわっと!」

慌てた声と、身体を受け止められる感覚。思わずつぶっていた瞼を上げると、会いたくてしょうがなかったアンジュがいた。申し訳ないと眉を下げ、同じ真っ赤な瞳は慈愛に満ちている。

「気がつくのが遅れてごめんね。久しぶりヌフ」

泣き出す寸前に肥大化した魔力に、就寝中のアンジュは目が覚めた。ヌフの気配だ。すぐに呼ぶべきだと判断した彼女は、借家にかけていた遮音や耐久性魔術を起動すると共に、とりあえず近くにあった机を叩いた。

「あぁ、鼻赤くなっちゃったね」

「…チュ?」

「そう。ジュちゃん。アンジュだよ。本物」

アンジュの指が、涙で濡れ切ったヌフの頬を撫でる。手入れされていつもはツヤツヤでフカフカな毛も、今は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。鼻も目元も真っ赤だ。

「チュ…チュ」

「ごめんね。本当。こんなに我慢させちゃって」

「チュ…ビィェェェェェ」

会えた喜びに、悲しみがごちゃ混ぜになり、ヌフは怒り泣きながら暴れ始めた。腕をぐるぐる回し、ペチペチとアンジュの手のひらをたたく。全く痛くないが、ヌフの怒りや寂しさが強く伝わってくる。アンジュは誠意を持って

「大丈夫。私はいるよ」
「寂しかったよね。手紙も出せずにごめんなさい」
「一緒に過ごそう?ほら、ベッド。ゴロゴロしよう?」
「一緒にいようね」

大量の涙をこぼしながら、小さな毛玉は頷く。暴れるのを止めたヌフは、アンジュの頬に顔を寄せる。鼻水がひっつく気配はするも、今は寂しくさせたお詫びをしなければ。

リンゴーン。

夜も遅いというのに、玄関ベルが鳴った。警戒心したアンジュだったが「ギューッッ!」とアフの鳴き声が聞こえ、来訪者を向かい入れることにした。

「…ねむようアンジュ。久しぶりだな、ヌフ」

「ねむようセオドア兄さん、アフ」

「チ、ピッ!」

中央の頼もしい助っ人、ブルナー兄妹の3番目セオドアとアフの登場だ。彼らはアンジュ同様、ヌフの泣き出す気配を察知した。毛玉の気配がアンジュの借家に移り、慌ててアパートを飛び出してきたのだ。
会いたかったセオドアとアフも現れ、ヌフはさらにご機嫌になる。求めるように両手を広げた。

「ピィッ!」

「キッ!」

そんなヌフの額を、アフが軽く叩いた。ぺちんと間抜けなほど軽快な音が鳴る。



もう良い歳なんだからビャービャー泣くな!

やだやだ!寂しいのやだ!みんないないのやぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁ!



「お前さんね…泣いてる子には優しくしなさいよ」

「ギィギィ!ギッ」

セオドアが諌めると、アフは抗議の意味を強くして鳴く。



甘やかすから泣くんだ!


にいちゃんいじわる!



5歳違いのアフとヌフ。性格の違いもあり、兄妹喧嘩も多い2匹だ。ヌフが泣いていようとアフは気にせず叱り、ヌフが反抗するのが常であった。

「喧嘩はそこまで!早く兄さん入って!」

しかし今やることではない。
ヌフが再び嗚咽を漏らし始め、慌ててセオドアは扉を閉めた。人が多く密集している中央区に魔力をおびた音が響き渡ればどうなるが。ギリギリ声は漏れていないーとすることにしたーが、やたら耳が良い者であれば、この状況もきついに違いない。ヌフを一旦セオドアとアフに預け、アンジュは借家にかけた魔術をさらに強固にする。

「よし完璧!さ、寝ようヌフ」

「ピュイ!」

ヌフがセオドアたちとも一緒に寝たいというので、アンジュの部屋でゴロゴロすることにした。
とは言っても、床にマットレスや毛布を引き、そこでセオドアは寝る。夜中に起こされた反動か、事態が一旦落ち着いたからか、セオドアはうとうとと船を漕ぎながら動いている。たまに足がもつれそうになる兄を、アンジュは支えながら部屋を整えた。

「兄さん寒くない?」

「へいきだよ。それに、どうせあたたかくなる」

「なんで?」

眠気と戦うセオドアの耳には、もうアンジュの疑問も聞こえていないようだ。彼は寝場所ができると、妹たちの頭を丁寧に撫で、すぐに眠ってしまった。

「お疲れだね。私たちも寝よっか」

「ピュイ!」

「ギュイ、ギュイ!」

ヌフがアフの尻尾を掴み、アンジュの胸に飛び込んだ。乱雑な扱いにアフは抗議する。
小さな命を抱きしめながら、アンジュも眠りについたのだった。




















ほら、もっと寄ってあげて

……(ボフン、とセオドアの寝ているマットレスに沈む音)

お、お前も来たのか

折角なので

わたしココ!

あたしはココ

失礼しまーす

………!…?

うーん…おなかいっぱい…

もう兄さんたち!しっかりベッドの上で寝てくださいよ




















「……流石にせまい、か」

翌朝。
冬の寒さに身を震わせ、愛おしい布団としばらく戯れるのが常であるが、今はどちらかといえば暑いぐらいになっていた。布団をかぶるのも蒸し暑く感じる体温のおかげで、目覚まし時計が鳴る前に起きれたのだが。
アンジュは体を起こし、部屋を見渡す。毛と羽の、あったかフカフカ、モフモフが集まっている。その様子は山というべきか、海と表現すべきか悩むところである。
床に引いたマットレスで寝ている次兄を見れば、来訪者を抱き枕にして心地良さそうに寝ている。毛と羽に挟まれているため、確かに寒さなど関係なさそうだ。

アンジュはアラーム設定を止め、部屋をのんびりと眺める。

「………ピ?」

ヌフが起きた。大きなあくびをしながらゆっくりと身体を起こす。手を伸ばしてきたのでアンジュは彼女を抱き上げた。しばらくうとうと船を漕いでいたヌフは、ハッと何かに気づくと目を大きくあけた。首を大きく動かして部屋を見渡す。

「ピ?ピィ!ピィ!」

さっぱり眠気を吹き飛ばし、満面な笑顔を浮かべた。

「ンキュ…キュゥ」

「……」

「ホホーウ」

妹の声を合図に、ふかふかモフモフたちは起き始めた。

「おはよう、みんな。久しぶり」

アンジュの挨拶に、集まったポエテランジュの12匹の子どもたちは元気よく鳴いた。
借家に突如響く鳴き声に、驚いたセオドアは飛び起きたのであった。
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