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リナリアを胸に抱いて

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 手にした急ごしらえの、小さなブーケ。
 紫色のフリージアが束ねられただけの簡素な花束。
 初めて透を見かけた日。彼は純白の薔薇の花に嬉しそうに触れていた。透の柔らかな指先で、自分の代わりに優しくこの花に触れて欲しいと思った。
 薔薇は兄と透の恋の象徴のように思えて、今の自分では覆せない。だから別の花を贈る。
 紫色のフリージアを選んだのはたまたまだった。家に出入りする花屋が持ち込んだ花々の中で、それが一番、雷の目に留まったからだ。
 花屋にフリージアだけ余分に貰い、幼い頃によく菓子を包んで持ってきてくれた、一番年配の使用人の女性にナプキンを分けてもらった。

「坊ちゃん、あちらでもお元気で。聡明な坊ちゃまならどこに行っても大丈夫だと、私達は信じておりますよ」

 その人は雷の両手を握って泣いていた。しわしわだけど温かな手だった。誰からも愛されていないと思っていたが、ここにもきちんと、愛はあった。雷は周りが見えず、気にも留めていなかった。
 自分は一人でここまで大きくなったわけではない。母も母なりに、雷を気遣っていた。
 家を出るならば、雷も置いて行けと親族から矢のように糾弾されていたらしい。しかし雷はこの家では幸せになれないと啖呵を切って、連れ出してくれる準備をしていたらしい。
 父も兄も、母のいうことに反論はしなかった。それももしかしたら愛の形の一つなのかもしれない。

(透さん。貴方のおかげで、僕は沢山のものを受け取れるようになった。そんな貴方にどうしたらこの想いを、重荷にせず返せるのだろう)

 色々考えて、花を贈ることにした。
 花言葉というものがあることは知っていたが、調べたのは初めてだった。最初に気になった花、紫色のフリージア。

「『憧れ』か……」

 透に対して抱いた思いに相応しい言葉だ。だが別にもう一つ、この気持ちを言い表す言葉がある。しかしそれは、古くから叶わぬものと伝えられている。
 花壇から一本だけ切り取ってきたリナリアの花を、雷は手にしたままだった。黄色のそれは一つ一つが小さな金魚の様に愛くるしく、明るい光を放っている。花束にいれるか迷って、でも結局いれることは出来なかった。

(叶わない、なんて絶対に思いたくない)

 この気持ちは雷にとっては永遠に胸に抱いておきたい、大切な思い出と共に。

「あんな不器用な兄さんのこと、まだ一途に好きなんだね。そこだけは共感できないけど、俺は、透さんのそういうところ、嫌いじゃない。むしろ好きだよ」 

 自分のものにはならない人。愛のようなものを初めて与えてくれた人。

(苦労するよ。きっと兄は家を捨てられない)

 だからといって雷が兄の身代わりに家の犠牲になろうとは思わない。
 ベッドサイドに小さなブーケを置いて、雷は透の涙を拭うように瞼に口づける。

「ばいばい、透さん」

 黄色の小花を美しい透の顔に翳して微笑んだ。

「……いずれ、その時が来たら、必ず貴方の前に現れるから」

 忘れないで。紫色のフリージア。
 貴方に捧げた、たった一つの想いを。
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