香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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3旅路 触れ合う心

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旅立ちのとき、汽車の駅には次兄が来てくれた。外泊続きだった兄とあったのは数週間ぶりだ。
いつもはおしゃれに整えた髪も若干適当になっている。兄なりに焦って色々準備をしてくれたのだろう。

父はホテルに夜まではいてくれたが、セラフィンと母を心配し屋敷に帰っていった。

「すまなかったな、こんなことになっていたとはな…… ちっとも知らなかった」

若干ひねくれたところのある兄だが、今朝は素直にそういって別邸と自宅から身の回りのものを集めて持ってきてくれた。

「当座の荷物だ。残りは商会経由でお前に送るようにするから。辛くなったらイオル兄さんのとこに行けばいいと俺は思う。外国にでも逃げて何年かしたら、そのうちセラも落ち着くんじゃねえかな。なにも一人で南の僻地に行かないでもいいのにな」

兄なりに気を使ってくれているのか普段より饒舌だ。そしてちらちらと気になるのかラグのことを見上げている。

「あんた、フェル族じゃないか?」

「そうだ」

聞き慣れない単語にソフィアリはラグを見上げる。
昨晩拘束時に伸ばし放題だったひげを剃り、服装を整えたラグは初対面の時よりずっと若く見えた。

身体の方は軍人とひと目でわかる体型にあった黒の上下になめし革のベスト。
荒削りだが全体の作りは整っていて野性味あふれる男前といってよかった。

「フェル族っていったらあの事故の……」

少しだけ表情の変わらぬラグの太い眉が動いた。
険しげに見えたことに空気を読んだ兄はそれ以上話をする事をやめる。

汽車の出発時刻が迫っていた。二人は臙脂の布張りの立派な客室に乗り込む。駅のホームに立つ兄を探して手を振ると、兄は近くまでよってきてくれた。

「ま、俺はいつでもフラフラ出歩いてるからセラぐらいまけるし、遊びに行ってやるからな」

軽い調子で別れの手を振る兄が今は逆に嬉しかった。

「バルク兄さんお元気で!」

だからソフィアリも元気な声を出して、金髪が朝日に輝く兄に向け、汽車の窓を大きく開けて手を振った。




父の指示通りの順路でもってハレへの街を目指した。寝台列車で一晩寝ないと目的の駅にはつかないが、身体の大きなラグは、一等客室の寝台でも狭くて、座ったまま仮眠をとっている。
軍隊生活で慣れているから本人いわく全く辛くはないのだそうだ。

ラグのことを知りたいとは思っていたが、流石にゆっくり話をするにはまだまだ色々な心の整理がつかなくて。

初めての長い汽車の旅、線路沿いに立つ木々やまだ青い小麦畑の景色が流れていくのをぼんやりと眺めていた。

汽車は先程一度長く駅に止まって再び走り出した。
ラグが席を外したなと思っていたら、手にパンやお菓子、冷えた果物などいっぱいぶら下げて帰ってきた。駅に降りてホームにいたその土地の売り子たちから買ってきたようだ。

ラウンジがついていてそこで食事も取れるので不思議に思っていると、それらを無言でソフィアリに差し出してきた。

「あ、ありがとう」

(食べろってことかな)
正直そんなにお腹は空いていなかったが、冷えた小さな見慣れない果物を指でつまむ。
どう食べるのか考えていたら、大きな指が器用に動いて皮をツルンと剥ぎ取ってくれた。
見慣れない翡翠色の果肉がつるんと出てきた。
それを親切に口元に運んでくれる。

恐る恐る口に入れるとぷちっと弾けて甘みと僅かな酸味が口いっぱいに広がった。

「美味しい」

昨日から泣いたり表情をこわばらせてばかりのソフィアリが、初めてのラグの前でニッコリと笑った。

その顔は女神の御使いもたるやといった美しく年相応に可愛らしい顔で、ラグのほうも相好を崩した。
あ、この人穏やかに笑うんだなとソフィアリも思った。

一緒に旅を続けると無骨で強面の軍人かと思っていたラグは実は気配りの行き届いたとても優しい男なのだと気づかされた。愛されているのかもしれないと錯覚する程慈しむような眼差しでソフィアリを見守ってくれる。旅慣れぬ身で動くことを考慮し、だいたいこのあたりで疲れが出てくるというのを見越して適切に休憩を入れてくれた。

馬車を借り商会のある街まで来る道中は、御者よりも自分のほうがうまいと操縦を買ってでて、結果運賃も安く済んだという。馬も不思議とラグの言うことのほうがよく聞くのだ。

それは道端の猫でも犬でもあるいは人でさえも。ラグに親し気な態度をとってくる。これはすごい才能だと思った。

こんなに大きな身体で厳ついともいえるのに、不思議と相手に安心感を与えるようなのだ。
泣きじゃくったあとのソフィアリを落ち着かせた時と同じ静けさの魅力。
深い森の中のような落ち着きをもたらす瞳のなせる技なのかもしれない。
キドゥの街につく頃は、ソフィアリはラグにすっかり心を許していた。



キドゥは国の中でも、最南の方に位置する。太陽は少し傾いて来ていたが思ったよりも気温が高い。

「暑い…… 思ったより暑い……」

「ハレへは更に南下するから同じぐらい暑いぞ。乾燥した暑さは俺には過ごしやすいほどだが中央育ちには暑く感じるだろう」

革のベストはかばんに入れたが、黒ずくめのラグはしかし、全く汗をかいていない。

「なんでラグは全然暑くなさそうなんだ。兄さんのいってたフェル族ってのとなにか関係があるのか?」

旅の間にだいぶ慣れ、遠慮のない話し方になってきたソフィアリだった。
眩しい日差しを浴びているが、いい日陰を作ってくれるラグの影の中はだいぶマシだ。
空気もだいぶ土っぽく、生えている植物の緑すら濃く感じ、中央から離れたなあと思う。

「フェル族は汽車で話したとおり、祖先が獣人だったといわれている。今でも隣の大陸には獣人の国があるらしいが、そちらからきたとも、そちらにいかなかった者たちだともいわれている。だからまあ、暑さ寒さに獣並みに強い」

「ふーん。便利だな」

ソフィアリを見下ろしながら二人分の大きな荷物をすじの浮き出た腕で軽々と担いでやりニヤリと笑う。
雑多に人々が行き交う街中でも立派な体躯は一際目立つ。はぐれづらくて良さそうだ。

「音も大分遠くから聞き分けられるし、匂いの嗅ぎ分けも人よりは得意だな。普段は意識して鈍くなるようにしている」

聞けば聞くほど興味深い男だ。
往来を行く人を見ると服装が明らかに二人と違っていて、ラグはまだしも中央貴族の坊っちゃんらしい服装のソフィアリはすっかり浮いている。そしてこの厚手の衣服のせいで熱気を逃せず暑いのだとよくわかった。
往来をちらちらみながら、ソフィアリは若干甘えるような口調でラグにねだった。

「サト商会に行く前に涼しい服を買いに行きたい。でも俺、一人で既製の服買ったことがない!」

「だろうな」

くしゃっと髪を撫ぜられ、市場のある方へ歩きだした。
キドゥはハレへの隣町だが、この街は領地自体も境なのだ。

「このあたりは夏場は特に雨が少ない地域だからこうした市場が発達している。ハレへも似た雰囲気だろうが海があるのが違うな」

「海は見たことはない。湖ならあるけど。似たようなものだろ?」

「自分の目で確かめてみるといい」

毎分毎秒ワクワクすることばかりで、ソフィアリはしばし家族のこともこれからの不安も忘れていた。

服は自分で買った事などなかったのでソフィアリはそれにも胸の高鳴りを覚える。中央にいたころは一家でお抱えのサロンがあり、採寸され母の選んだデザインのものをだいぶ大きくなるまで双子お揃いできていた。
この土地の衣服は中央より布が薄手で、つるっというよりザラッとした感じ。そして色とりどりだ。

市場の先には路面店を構えているところもあるのでそちらにラグは行こうとしたが、市場のテントの下に所狭しと置いてある安っぽいが色彩豊かな小物やアクセサリー、花や果実、香ばしい肉の焼ける匂い、束になった花々などに目移りしてしまってなかなか前に進めないソフィアリだ。

「ソフィアリ、離れるな」

ソフィアリから大きなラグのことはよく見えるがラグからソフィアリの姿は隠れやすい。色とりどりの吊るされた布たちの間からいたずらっぽく顔を出し、同じく吊るしてあった鮮やかな青い服と白いズボン手にとってラグに手渡す。

「これにする。綺麗だし」

「……これは」

女物では?とラグが言葉を紡ぐ前に、店の女が立ちはだかるようにやってきた。
「あら! 旦那さん いい趣味だわ。この子に着させればいいのね」

と、ソフィアリは瞬時に年配の女の店主に手を引かれ試着用のテントの中へ引きずり込まれる。

ラグが後を追おうとすると、もう一人の女に止められた。

「ちょっとあんた。あの子と親子ってわけじゃないでしょ? まあ、いいとこのおぼっちゃんとお付きの人って感じ? それにしちゃあんた、いい身体してるわね」

派手派手しい化粧をしている女はするっとラグの胸元に手を這わせて色目を使う。

「あんたみたいないい男、なかなかいない…… ねえ、夜に会わない?」

「いや、俺は……」

「あんな子どものお守りばかりじゃつまらないんじゃないの?」

囁かれて真っ赤な紅をつけた唇が誘い、胸元を腕に擦り寄せられる。
女性に対して乱暴に扱うことはできず、どうしたものかと考えていると。

「ラグ!」

砂色のテントの中から勢いよくソフィアリが飛び出してきた。

瞳の色によく似た濃い青の薄い布製で、胸元が広く開いた腰丈のブラウスと、裾の広さが緩やかなで縮の加工が施された白のパンツ。細い腰は白い紐に白い貝殻のビーズをところどころあしらったサロペットで締め上げられていて、とても涼しげだ。
裾から覗く二の腕や首筋の真っ白な肌や、肩口までの黒髪によく映えている。

胸元には勝手につけられたのであろう、白や青のガラスでできた細いビーズのネックレスとシルバーの細い鎖とともに3重につけられ、お揃いのブレスレットと共に華やかさを添えた装いだ。足は靴から細いベルトの革のサンダルに履き替えられていた。華奢な白い足に彩色されていない革が巻き付き繊細な美しさだ。

向こうが透けて見えるほどの紗の布地でできた刺繍入りの檸檬色のショールも手渡されいて、良い金づるだと思われたのだろう。されるがままに着替えたようだ。

それよりも息を呑むのは日の中に立つとそれらの薄絹は透け、まろい優美な体の線が顕になる。中性的で儚げな雰囲気と相まって独特の色香のようなものを醸し出している。

そう黙ってさえいればやはり彼はオメガなのかもしれないと思わせる、危う気な美貌の持ち主だ。
少しはにかんでラグを見上げる涙ぼくろのある顔をみると悪くない気分になった。

子どもをだしに使うのは良くないと思ったが、ラグはソフィアリへ手を差し出し、ソフィアリが他意なく微笑みながらショールごと伸ばした手を取り、ゆっくりと引き寄せて胸に抱き止めた。

「ラグ?」

そして思わせぶりに言い寄ってきた女に目線をやりながら、ソフィアリにはわからぬように頭の天辺に口づけを落としてからつぶやく。

「よく似合っている。とても美しい」

広い腕の中でソフィアリは照れ、びっくりして顔を赤くしてしまった。

言い寄ってきた女はそれをみて顔色を変えたが、着替えさせてくれた女の方は着替えた服をがっしりと掴んで持っていたのでそれを取り返すためにも代金は弾んで支払ったラグである。

「行こう」

ソフィアリの指の長い優美な手をとったまま、どちらともなく促して歩く。

「あのおばさんすごい顔で睨みつけてきたけどラグなんかしたのか?」

ラグはわずかに微笑み、何も言わずに先を急いだ。

早く商会へ行き、夕刻前にはこの雑多な街で宿をとってしまいたかった。
ハレへは落ち着いた港町らしいが、海への街道沿いでまだ隣の領地であるこの街は色々な人種で溢れ賑やかだが、子どもに良い環境とは言えないものもありそうだ。

サト商会へは紹介状と地図を頼りにたどりついた。
元々はハレへの街で水揚げされた魚介類をこのキドゥの街へ卸ろす仕事をしていたとのことだった。そこから街道の流通を一手にに引き受けているのだそうだ。中央からソフィアリたちがやってきたルートを使い、保存のきく干した貝や魚、そしてハレへの街の香水やオイルなども中央まで運んでいる。

当然朝早くからハレへへいく馬車が出るため魚を積まない行きの馬車に載せてもらうことも、他の荷を運ぶ馬車を借りることもいくらでも可能とのことだった。

「よく来てくれた! この街あての電信なんて滅多にないから領主の館から直々に連絡が入って驚いたよ。まさか中央貴族のご子息がリリオン様のお客様とは驚きましたよ」

日に焼けた顔をしたサト商会の会長はちょうどラグと同じ年相応というところだった。

年頃の娘というのを仕切りにソフィアリにすすめて来るのだけど、それを少し心苦しく思ったソフィアリだ。

ソフィアリの大量の荷物やラグの僅かな残りの荷物も、本人たちと同じ速度で届けてくれていて、ラグも感心していた。

数年前には他国との戦争が、そして広い国内の混乱もようやく治まりこれからはこういった物資を運ぶ流通網を制し、経済を回すことは必要だなとラグはつくづく感じた。

会長の家に招かれたが、明日早くの出発となるので、丁重に辞して二人は宿をとるとソフィアリは疲れから少し眠ってしまった。
そのため遅い時刻に近くの賑やかな酒場で夕食を取ることにした。

ラグは頼んでもいないのにいきなり木桶のように大きなカップに並々と赤いワインを注がれてしまった。ホールに出てきた若い女がウィンクしがてらおいていった。

「ラグ、そんなに飲んで大丈夫なの?」

自分でここの賑やかさに引かれて入りたがったくせに、ソフィアリは周りに呑まれやや小さくなってちびちびと水を飲んでいる。

「この程度は水と同じだ。酔わん」

身体に似合わぬ豪快な飲み方ですぐに酒を減らしていった。

その後はおすすめだという、野菜と魚介を煮込んだものとニンニクを刷り込んで炙られたパンが運ばれてきた。
あまりに豪快な皿の大きさとすり込まれたニンニクの匂いに、ソフィアリは目を回しそうになる。

「食べられるだけ、無理するな」

そういって小さなボールに取り分けてくれる。
こんなに厳つい容姿なのになんでこんなにも細やかで優しいのだろう。我が子にするように接してくれるのだが、ここまでしてくれるのは父が一族の恩人というやつだからだろうか。

出会ってまだ、三晩目。まだまだ込み入った話をするべきではないのか…… そして自分たちの関係性もよくわからないままだ。

恩を返すためにソフィアリとともにいる。
曖昧であやふやな……
食事をひとしきり食べると店の中の喧騒が逆に子守唄のようになって、うつらうつらしてきた。

ラグはそんなソフィアリのあどけない姿に、黒髪の幼い子供の姿を重ねていた。

向かいあわせに座っていたのを席を移動し、膝に抱きあげ片腕で支えながら、ソフィアリが大方食べられなかったパンや煮込みの残りを食べていると、後ろから男に声をかけられた。

「やあ、あんた。市場でみかけたよ」

にやけた顔の中年の男だった。腕のなかでソフィアリも薄目を開けた。

「おい、無視すんなって。これからハレへにいくのか? その子供、オメガだろ?  俺、わかるんだよ、そういうの。奇麗な子だなあ」

瞬時に覚醒したソフィアリが男を睨みつけるとラグは何も言わずに左の手でソフィアリの顔を覆うようにし抱き込み、男から隠すようにした。
更に無視するが男はソフィアリの真っ白な手足をチラチラ舐めるように見ながらいった。
よく日に焼けた肌を持つこの地域の中ではより艶かしく映るのだろう。

「なあ、アスターの農園にそのオメガを連れてくんなら、この街でもっといい仕事紹介するから、そっちに連れていけよ。農園なんかで働かせても仲介料もあるわけでないし、ここの仕事ならそれだけ奇麗な子なら、沢山客がつくし、あんたにも沢山金が入るよ」

腕の中でソフィアリがビクリと震えた。
ラグは落ち着かせるように指で後頭部を撫ぜてやるとソフィアリは身を固くして様子を伺っていた。

「何が言いたいんだお前」

低く唸るような声を出すラグの身体に力が入っていき、いつでも動けるように力が漲っていくのが抱かれているソフィアリにはわかった。

「だからさあ、俺が紹介するからそのオメガ、アルファ専用の店にさあ、売らな……」

言葉を言い終わる前に男の顎を砕く勢いでラグの熊のように大きなてのひらが顔半分を掴みあげた。

「あががっっ」

「またくだらないことを話しかけてみろ。二度と無駄口叩けないようにしてやるぞ」

ラグの瞳の金色の環が広がり、ランプの火に爛々と輝く。
獣のような野生の美を宿し、輝く瞳。男は本能的に恐れを抱いた。

男をそのまま軽く腕をふるった程度で床に投げ飛ばすと金をテーブルの上に置き、ソフィアリを抱き上げて店の外に出た。

しかしすぐに顔を抑えながら追ってきた男とその仲間が3人ほど後ろからついてきて囲まれてしまう。

夜も更けてきて、ただでさえまばらだった往来の人は、皆関わり合いになりたくないとばかりに潮が引くようにいなくなった。

「そのオメガを置いていけ。そうしたらお前のことは見逃してやる」

味方がきて気を取り直した先程の男が、顎を抑えながらラグに向かって怒鳴り散らす。

ソフィアリは恐ろしくてラグの太い首にかじりついた。
中央では運動の一環で剣の授業など受けたソフィアリだが、武器もなければ実践経験もなくただ震えることしかできない。

男たちは手に棒やナイフのようなものを持っている。はじめから市場でみかけた美しいソフィアリのことを狙っていたようだ。

「ソフィアリ。大丈夫だから目をつぶっていろ」

月が雲間に隠れて暗く、男たちの姿は夜目がきく方の青い目のソフィアリでも姿を捉えにくい。

しかし獣の目を持つラグには3人の他に更に控えている一人の動きまで手に取るように見えていた。
ラグは素手な上に片手にソフィアリを抱えたまままの不利な姿勢から先制攻撃を繰り出す。

巨体からこんなにも俊敏な動きをするのは思わなかったのだろう。棒を振りかざしてきた男は明らかに虚をつかれた。
ラグはその棒を蹴り折り、振り向いて正拳でナイフの男の胸をつき、吹き飛ばすようにして転倒させる。
折れて自分に向かい飛んできた棒をぱんっと掴み、顎を押さえていた男の顔にダメ押しで投げつけると、一瞬の出来事に腰を抜かした残りの二人は出鼻をくじかれへなへなとその場にへたりこんだ。

「俺たちが街を出るまで二度と近づくんじゃないぞ。近づいたら、その棒みたいにしてやるからな」

ソフィアリは目をそらしたつもりはないが、あっという間にことがすみ、圧倒的なラグの強さに思春期の男子らしく目を輝かせてすっかり心酔してしまった。

「すごい!! 俺もこんなふうにやっつけられるようになりたい!」

無邪気なソフィアリをみて、思ったよりも心が傷ついていないことにラグはほっとした。

アルファと思って育ってきた子がオメガとして春を売る店に売られそうになるなどと、考えだけで精神が病みそうだ。
見かけと違い案外タフな心を持っているのかとしれない。

男たちを振り向きもせず、夜風に吹かれながら宿に向かって歩き出した。

ラグの腕は強く、熱く、どこまで力を抜いてもしっかりと支えてくれる。心も身体も安心感でいっぱいになりソフィアリは縮こまらせていた手足をグーンと伸ばした。

「ラグ、すごい強いんだな。かっこよかったよ」

そういって今度は逞しい首に巻きつけなおした腕をきゅっとさせ、ソフィアリはラグの硬い頬に頬ずりした。

やわらかな頬がラグのそれをかすめていったとき、不意にふわっと甘やかで爽やかで少しだけ官能的な香りが漂い、お互いにそれを感じて視線が交錯した。

「これはラグの香り? ラグはアルファなのか?」

ソフィアリは驚いて零れそうなほど青い大きな瞳を見ひらく。

まさか父がよりによってアルファに自分を任せるなんて考えられなかった。 
離れようして腕から落ちかける身体を引き寄せて抱え直す。

「恐れなくていい。フェル族は同族のオメガのフェロモンには強く反応するが、それ以外にはたとえオメガでもフェロモンに反応しにくい。だから俺がおまえを守るのにさらに都合がいいと思ったのだろう」

「でも…… 俺は感じるよ…… すごくいい香り」

眠気も手伝ってとろんとした艶やかな表情を見せたソフィアリに、ラグは苦笑する。

「もういいから、眠れ。明日は早いぞ」

素直な細い身体からさらに力が抜けていった。すっかりラグの腕の中で安らぐように眠りに落ちる。

たった3日でこれほど懐くとは思っていなかった。ラグは何か悪さをしようとは思わないがこれほど無防備だと逆に心配になる。

乾いた埃っぽい風を浴びながらふと思う。

……失った故郷の代わりに誰かを今度こそ守り抜けたら、この胸に開く風穴に何かを満たすことができるのだろうか。

見ず知らずの子供を守るということが、あの日永遠に手放した命の代わりになるのだろうか……

ただ腕の中の暖かな存在がラグの孤独な心に心染み入る、確かな手応えがあった。





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