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貴方のダンスが見てみたい6
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「ご忠告感謝します」
「ラグ……」
腕の中からソフィアリの小さな声がして鈍色のジャケットの袖を引っ張られる。長いまつ毛に覆われた青い瞳にはいつも通りの強い意志が宿り、目線で自分を下ろすように伝えてきた。
ラグは番にしかわからぬ程度に眉を顰めたがゆっくりと彼の背を支えながら丁寧に床におろしてやる。
「お見苦しいところをおみせました。今後とも私同様ハレへ・キドゥの街へも関心をお寄せください。必ず南部10州の中で最も輝く街にしてみせます。若輩者の私に今後もお力をお貸しください」
そう言って腰まで伸びた艷やかな黒髪が絹糸のようにさらりと溢れ下がるほど、優雅に頭を垂れた。
「そういうところはお前の父によく似ているな。清廉潔白で、何でも真正面からくる良い男だ。ジブリールのことが無ければ俺も信奉者の一人だっただろう」
そう返す声はもう、なんのからかいも含まれていなかった。ただほんの少し寂しげな愁いを帯びた顔つきで、愛し支え合う番同士の姿を見返していた。
ランバートが去るまで頭を上げなかったソフィアリだが、緊張の糸が切れたのか前のめりにゆっくりと倒れ込みかけ、即座にラグが両肩を抱いてすぐに抱えあげた。
ラグの腕に抱かれたまま、ソフィアリは微睡むように笑みを浮かべて気をやってしまった。
頬に風が当たる感覚に気がついたとき、不思議なことに頭上には大きな月と瞬く星空が広がっていた。柔らかなものに横たえられた身体は、動いていないのにたまにゆらゆらと動く心地がしている。
身体は首元までとろんと柔らかく暖かな寝具に包まれて快適だったが、顔に当たる夜風は涼しい。
これはどうしたことだろうと思って上半身を起こすと、どうやらここは暗い海に浮かぶ見知らぬ船の上ようだ。
目線を動かすとランタンが置かれ、その近くで夜釣りをするラグの背中を見つけてホッとする。
見回すとそう遠くない距離に港の街の建物からと思しき明かりが見えていた。暗い海を領主の館から眺めることはあるが、逆は新鮮でとても幻想的に目に映る。灯台の位置や大きさから察するにここは会議をしたサレへの街だろう。大きな造船所がある方の港ではなく、小さな入り江から自然に作られた生活に即した船着き場の、少しだけ沖だ。
この船はハレへに来たばかりの頃たまにお遊びでラグと漕ぎ出して入り江で遊んできたときのような小舟ではない。動力もついているようだし、今いる簡易的なベッドのようにふかふかしたマットの置かれた甲板も広くて真新しい。操舵室も続く部屋もちゃんとあるのがみえた。
かなり立派な船のようだがどうしてここに停泊しているのか。
他に乗っているものもいなさそうだがラグは船も動かせるのだろうか。そもそもこの船は誰のものなのか。次々に疑問が湧いてきた。
「起きたか?」
声をかける前に気配に気がついたラグが振り向く。大好きな低くてもよく通る声にそれだけで撫ぜられた子犬のように嬉しくなる。
「ラグ、ここは?」
「船だな」
「知ってるよ!」
冗談めかす広い背中に飛びつくと、船の縁に腰を掛けていたラグは流石に焦って釣り竿を落としそうになっていた。
「おい、危うく竿が落ちかけたぞ」
そんなことを言うが筋肉の鎧で覆われた分厚い体格はソフィアリがぶつかったぐらいではびくともしないのだ。
「どうしたの? この船」
「ああ。お前が正式に領主に就任する祝いに驚かせようと思って買ったんだ。前にここに来たときにはもうでき上がっていたが、港で預かってもらっていた。これにお前を載せて帰ろうと思ってたが、一晩ぐらいこうして船に泊まるのも良いかと思ってな。今は館に帰ると中々二人きりにはなれない。日が昇ったらハレへに帰ろう」
ラベンダー畑のアスター達の農園近くに建てた新居は、大抵いつでも誰かがいて賑やかで楽しいが、以前のようにゆっくりと二人きりになれる時間は持ちづらい。嫌ではないがたまにはこうして二人きりに成れるのもいいなあとソフィアリも同感した。
「ラグ船の操縦できるの?!」
するとラグは照れたように頭をかいた。ランタンの明かりで見る顔はなんだか日頃よりも寛いで見える。
ソフィアリがこの会議を気にしていたように、ラグも思っていたよりソフィアリのことで気を張っていてくれていたのかもしれない。
「海での戦闘もあったから、このぐらいの船の操縦は少しだがしたことはある。といってもまともに教わったのはメルトにこっそり特訓してもらったり、ここに出張するたび船乗りに教わった程度だがな」
「俺がずっと自分の船に乗りたいって言ってたからでしょ? 嬉しい! 今度俺にも操縦教えて!」
音が立つほど勢いよくラグの頬に口付けると、すこしだけ潮風でベタついている気がしてソフィアリはふふっと笑った。
ラグは首にまわされた番の腕をゆっくりと解くと、竿を船に固定して立ち上がる。
「手を洗って食事を準備してやるからあっちで待っていろ」
元いたあたりを指差すラグに、ソフィアリは満面の笑みで頷いた。夜風に弄ばれる髪さえ煩わしくなく高揚した気持ちを緩やかにあやしてくれた。
「分かった」
ランタンを持っていかれたら月が大きいおかげでなんとか周りが少しみえるが急に暗くなる。途端に心細さにソフィアリは足先を蹲るように引き寄せながら、自分を腕で抱きしめた。
「ラグ…… 離れないで」
珍しく心細気な声を出した番のもとに早く戻ってやりたくて、ラグはランタンをもう一つ増やすと先にソフィアリの隣においてやる。
甘えたな様子でラグを見上げて優美な手を伸ばそうとしたので、ラグは操舵室とそこにつながる部屋にいき、手早く支度をすると用意してもらってた簡単な食料の入ったバスケットを片手に甲板のソフィアリのもとに戻った。
簡易的なマットの身体の上に自らも腰掛け、足の間にソフィアリを座らせる。包み込むようにしてやると、ようやく細い背中からこわばりが取れた。
そのまま口元に果物やパンを運んでやる。
ソフィアリは小鳥のように少しずつ食べてはたまに振り返って素直に愛らしくにっこりとした。
ここ数日は会議出席への緊張からか顔色も優れずにいたが、今はとても良い顔で笑う。
「今日はよく頑張ったな」
「倒れるなんて、らしくないよね」
自嘲気味に落ち込んだ声色で吐息をつくが、慰めるようにラグが指の背で頬を撫ぜあげ、羽のような甘い刺激にソフィアリはうっとりとする。
「体調がおかしくなっているのは、発情期が近づいてきているのかもしれないぞ。辛い時期によく耐えた」
忙しくて気が付かなかったがもうそんな時期らしい。このところ会議のことや街の人にとって大切な夏の終わりの祭りの実行にも初めて関わることでやることが格段に増えていた。それもこれも最近床から起き上がれることが減ってきたリリオンに、いつでも領主を継いでも大丈夫という姿をみせて安心させたいという思いがあったからだ。
「ラグ、お医者さんみたいだ。俺のことを何でも知ってる」
背中に触れる硬い筋肉に覆われた胸に頬ずりすると、ぎゅっと背中から腕を回して抱きしめられた。
ラグは甘く爽やかなフェロモンがあふれるソフィアリの首筋に口付けると、呼応するようにまた香りが強くなる。
「あ……」
しなだれかかるようにラグの腕に包まれてソフィアリは小さく甘い声を漏らした。
「お前のことは何でもよく知っておきたい。俺の我儘だ。一番気を張ることが終わって、あとは夏のまつりを待つだけだな。お前の友人たちに会えるのが楽しみだ。俺の知らない中央でのお前の話をとくと聞いてみたい」
「楽しみだな。みんな…… 来てくれるかな?」
ラグが手ずから小さな陶器のコップをソフィアリの口元に差し出す。こくり、と飲んだ水瓶の水さえも甘くとろりと喉に落ちていく。
潮騒の音、緩やかに揺れる船、夏の終わりの円やかな風。安らげる夫の腕の中、ソフィアリは身を任せて幸せだった。
「ねぇ。ラグも…… 食べて?」
はからずも甘えて強請るような声色になっていることをソフィアリは自覚していた。
ラグは口元に運ばれた細づやかな指ごと果物を喰む。ソフィアリはラグの舌先をいたずらに挟んだのち、抜き取った自分の指についた果汁を扇情的な目つきでラグを見上げながら舐めとった。
ラグが発光するように仄白く浮かび上がる番の艶美な貌に引き寄せられるように唇を寄せると、ソフィアリの両手がラグの頭をはさみ、待ちきれないように迎えにくる。
果汁に濡れたソフィアリの唇は普段以上に甘く、今日の緊張感から解き放たれた二人はマットの上にもつれ込んだ。
「ラグ……」
腕の中からソフィアリの小さな声がして鈍色のジャケットの袖を引っ張られる。長いまつ毛に覆われた青い瞳にはいつも通りの強い意志が宿り、目線で自分を下ろすように伝えてきた。
ラグは番にしかわからぬ程度に眉を顰めたがゆっくりと彼の背を支えながら丁寧に床におろしてやる。
「お見苦しいところをおみせました。今後とも私同様ハレへ・キドゥの街へも関心をお寄せください。必ず南部10州の中で最も輝く街にしてみせます。若輩者の私に今後もお力をお貸しください」
そう言って腰まで伸びた艷やかな黒髪が絹糸のようにさらりと溢れ下がるほど、優雅に頭を垂れた。
「そういうところはお前の父によく似ているな。清廉潔白で、何でも真正面からくる良い男だ。ジブリールのことが無ければ俺も信奉者の一人だっただろう」
そう返す声はもう、なんのからかいも含まれていなかった。ただほんの少し寂しげな愁いを帯びた顔つきで、愛し支え合う番同士の姿を見返していた。
ランバートが去るまで頭を上げなかったソフィアリだが、緊張の糸が切れたのか前のめりにゆっくりと倒れ込みかけ、即座にラグが両肩を抱いてすぐに抱えあげた。
ラグの腕に抱かれたまま、ソフィアリは微睡むように笑みを浮かべて気をやってしまった。
頬に風が当たる感覚に気がついたとき、不思議なことに頭上には大きな月と瞬く星空が広がっていた。柔らかなものに横たえられた身体は、動いていないのにたまにゆらゆらと動く心地がしている。
身体は首元までとろんと柔らかく暖かな寝具に包まれて快適だったが、顔に当たる夜風は涼しい。
これはどうしたことだろうと思って上半身を起こすと、どうやらここは暗い海に浮かぶ見知らぬ船の上ようだ。
目線を動かすとランタンが置かれ、その近くで夜釣りをするラグの背中を見つけてホッとする。
見回すとそう遠くない距離に港の街の建物からと思しき明かりが見えていた。暗い海を領主の館から眺めることはあるが、逆は新鮮でとても幻想的に目に映る。灯台の位置や大きさから察するにここは会議をしたサレへの街だろう。大きな造船所がある方の港ではなく、小さな入り江から自然に作られた生活に即した船着き場の、少しだけ沖だ。
この船はハレへに来たばかりの頃たまにお遊びでラグと漕ぎ出して入り江で遊んできたときのような小舟ではない。動力もついているようだし、今いる簡易的なベッドのようにふかふかしたマットの置かれた甲板も広くて真新しい。操舵室も続く部屋もちゃんとあるのがみえた。
かなり立派な船のようだがどうしてここに停泊しているのか。
他に乗っているものもいなさそうだがラグは船も動かせるのだろうか。そもそもこの船は誰のものなのか。次々に疑問が湧いてきた。
「起きたか?」
声をかける前に気配に気がついたラグが振り向く。大好きな低くてもよく通る声にそれだけで撫ぜられた子犬のように嬉しくなる。
「ラグ、ここは?」
「船だな」
「知ってるよ!」
冗談めかす広い背中に飛びつくと、船の縁に腰を掛けていたラグは流石に焦って釣り竿を落としそうになっていた。
「おい、危うく竿が落ちかけたぞ」
そんなことを言うが筋肉の鎧で覆われた分厚い体格はソフィアリがぶつかったぐらいではびくともしないのだ。
「どうしたの? この船」
「ああ。お前が正式に領主に就任する祝いに驚かせようと思って買ったんだ。前にここに来たときにはもうでき上がっていたが、港で預かってもらっていた。これにお前を載せて帰ろうと思ってたが、一晩ぐらいこうして船に泊まるのも良いかと思ってな。今は館に帰ると中々二人きりにはなれない。日が昇ったらハレへに帰ろう」
ラベンダー畑のアスター達の農園近くに建てた新居は、大抵いつでも誰かがいて賑やかで楽しいが、以前のようにゆっくりと二人きりになれる時間は持ちづらい。嫌ではないがたまにはこうして二人きりに成れるのもいいなあとソフィアリも同感した。
「ラグ船の操縦できるの?!」
するとラグは照れたように頭をかいた。ランタンの明かりで見る顔はなんだか日頃よりも寛いで見える。
ソフィアリがこの会議を気にしていたように、ラグも思っていたよりソフィアリのことで気を張っていてくれていたのかもしれない。
「海での戦闘もあったから、このぐらいの船の操縦は少しだがしたことはある。といってもまともに教わったのはメルトにこっそり特訓してもらったり、ここに出張するたび船乗りに教わった程度だがな」
「俺がずっと自分の船に乗りたいって言ってたからでしょ? 嬉しい! 今度俺にも操縦教えて!」
音が立つほど勢いよくラグの頬に口付けると、すこしだけ潮風でベタついている気がしてソフィアリはふふっと笑った。
ラグは首にまわされた番の腕をゆっくりと解くと、竿を船に固定して立ち上がる。
「手を洗って食事を準備してやるからあっちで待っていろ」
元いたあたりを指差すラグに、ソフィアリは満面の笑みで頷いた。夜風に弄ばれる髪さえ煩わしくなく高揚した気持ちを緩やかにあやしてくれた。
「分かった」
ランタンを持っていかれたら月が大きいおかげでなんとか周りが少しみえるが急に暗くなる。途端に心細さにソフィアリは足先を蹲るように引き寄せながら、自分を腕で抱きしめた。
「ラグ…… 離れないで」
珍しく心細気な声を出した番のもとに早く戻ってやりたくて、ラグはランタンをもう一つ増やすと先にソフィアリの隣においてやる。
甘えたな様子でラグを見上げて優美な手を伸ばそうとしたので、ラグは操舵室とそこにつながる部屋にいき、手早く支度をすると用意してもらってた簡単な食料の入ったバスケットを片手に甲板のソフィアリのもとに戻った。
簡易的なマットの身体の上に自らも腰掛け、足の間にソフィアリを座らせる。包み込むようにしてやると、ようやく細い背中からこわばりが取れた。
そのまま口元に果物やパンを運んでやる。
ソフィアリは小鳥のように少しずつ食べてはたまに振り返って素直に愛らしくにっこりとした。
ここ数日は会議出席への緊張からか顔色も優れずにいたが、今はとても良い顔で笑う。
「今日はよく頑張ったな」
「倒れるなんて、らしくないよね」
自嘲気味に落ち込んだ声色で吐息をつくが、慰めるようにラグが指の背で頬を撫ぜあげ、羽のような甘い刺激にソフィアリはうっとりとする。
「体調がおかしくなっているのは、発情期が近づいてきているのかもしれないぞ。辛い時期によく耐えた」
忙しくて気が付かなかったがもうそんな時期らしい。このところ会議のことや街の人にとって大切な夏の終わりの祭りの実行にも初めて関わることでやることが格段に増えていた。それもこれも最近床から起き上がれることが減ってきたリリオンに、いつでも領主を継いでも大丈夫という姿をみせて安心させたいという思いがあったからだ。
「ラグ、お医者さんみたいだ。俺のことを何でも知ってる」
背中に触れる硬い筋肉に覆われた胸に頬ずりすると、ぎゅっと背中から腕を回して抱きしめられた。
ラグは甘く爽やかなフェロモンがあふれるソフィアリの首筋に口付けると、呼応するようにまた香りが強くなる。
「あ……」
しなだれかかるようにラグの腕に包まれてソフィアリは小さく甘い声を漏らした。
「お前のことは何でもよく知っておきたい。俺の我儘だ。一番気を張ることが終わって、あとは夏のまつりを待つだけだな。お前の友人たちに会えるのが楽しみだ。俺の知らない中央でのお前の話をとくと聞いてみたい」
「楽しみだな。みんな…… 来てくれるかな?」
ラグが手ずから小さな陶器のコップをソフィアリの口元に差し出す。こくり、と飲んだ水瓶の水さえも甘くとろりと喉に落ちていく。
潮騒の音、緩やかに揺れる船、夏の終わりの円やかな風。安らげる夫の腕の中、ソフィアリは身を任せて幸せだった。
「ねぇ。ラグも…… 食べて?」
はからずも甘えて強請るような声色になっていることをソフィアリは自覚していた。
ラグは口元に運ばれた細づやかな指ごと果物を喰む。ソフィアリはラグの舌先をいたずらに挟んだのち、抜き取った自分の指についた果汁を扇情的な目つきでラグを見上げながら舐めとった。
ラグが発光するように仄白く浮かび上がる番の艶美な貌に引き寄せられるように唇を寄せると、ソフィアリの両手がラグの頭をはさみ、待ちきれないように迎えにくる。
果汁に濡れたソフィアリの唇は普段以上に甘く、今日の緊張感から解き放たれた二人はマットの上にもつれ込んだ。
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